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先生、起きて!(1)

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 マントを羽織ったサーキスはとぼとぼと帰路についていた。浮かない表情でパディのことばかりを考えてしまう。自分が進むべき道を示してくれた恩人だ。今の幸せは彼の力無しではありえない。リリカと同様にサーキスはパディのいない人生は考えることができなかった。

 今日はたった一日で事態が急変してしまった。突然倒れたパディ、自分の生い立ちの告白、自ら刃物を手に取った手術。初めての手術だったが、思い通りに手を動かせた。しかし結果が見えていない。
「そうだな…。先生さえ助かれば呪文なんかどうでもいいよ…」

 サーキスが家に着くと畑には誰もいなかった。冬レタスがびっしりと並んで収穫の時期を待っている。
「ワンワン! ワンワン!」
 屋敷の玄関近くの犬小屋で雑種の中型犬がサーキスに向かって尻尾を振って鳴いていた。

「おう、レオ。ただいま。散歩に行きたいか?」
「ワン!」
 サーキスは犬の鎖をリードに変えて家に背を向けて歩き出した。その白い犬はクルクルとまわって喜びを表す。

 レオと名付けられた彼は元々は道端の野良犬。見つけた当初、犬は怪我をしていて動けない様子だった。見かねたサーキスはその野良犬に回復呪文をかけてやった。犬はたいそう喜んでそのまま家まで付いて来た。サーキスは祖母の許可をもらってその犬を飼うことにした。

 サーキスがレオの散歩をしているといつの間にか病院まで戻って来てしまっていた。青い屋根の家を見上げる。パディのことが心配だ。時間が経つごとに自分の手術に疑念が生まれてきた。思わぬところで失敗をしたのかもしれない。初手術があれほどの高難度のもの。それも手本となるものを一度も目にしていない。彼の心に不安がよぎる。

 しばらく病院を眺めていたが、サーキスはきびすを返して歩き出す。遠回りしてみっちりと三十分ほどレオの散歩に付き合った。
 サーキスが家に帰ると手を洗い、キッチンへ行く。するとエプロン姿のファナが食事を作っていた。少しお腹も以前より目立ってきた。明るい髪も肩まで届くほど伸びている。

「お帰りサーキス」
「ただいまファナ」
 二人がキスを交わす。
「ちょっと早いけどもうご飯にしようか?」
「うん」

 居間で待っていた祖母のフィリアにも帰宅の挨拶をし、しばらくして食事が始まった。食卓に並んだのは野菜スープと硬くて丸いパン。サーキスは本当は家族に毎日食パンを食べさせてやりたかったが、今の彼の給料では到底無理なことだった。
(俺もこの街に来て舌が肥えたよな…)

 サーキスが浮かない表情で食事をとっていると白髪のフィリアが彼に声をかけた。
「何かあったのかい、サーキス?」
「あ、えっと…」
 サーキスは迷ったが喋ることにした。いずれ家族にもわかることだ。こういうことは早い方がいい。

「今日、先生が倒れた。元々、心臓が悪かったらしい。俺には隠してた。知っていたのはリリカとフォードさん、それからゲイル・マルクさんの三人だけだった…。急に俺に手術をやってくれと頼まれたから俺が手術をしたよ。俺の手で心臓まで切って開けた」

 二人の顔をチラッと見たが、声も出ないぐらい驚いていた。
「手術は問題なかった…と俺は思うんだけど…。リリカもそう言っていたし…。なぜか先生は目覚めなかったんだ…。今現在、先生は熱にうなされてる…。リリカが看病しているよ…。あ、俺の僧侶としての能力は激減したと思うんだ…。今の俺の職業は自分で謎だよ…」

 ファナとフィリアは呆然としていたが、しばらくして祖母の方が口を開いた。
「リリカちゃんと先生が言ってたけど、あんたは初めてフォードさんの体を透視した時に真っ先に心臓を視たってね。それで心臓を綺麗なんて言ってたって。それからも、なぜかあんたは人の心臓ばかり視ているみたいだね…。もちろんあたしのもね。いつもありがとう。あんたは恩人だよ。

 パディ先生の話だと、先生の国で心臓のお医者さんになる人はあんたみたいな人だって。…ふーん、パディ先生は心臓が悪かったのか…。なるほどね…。あの二人はずっとあんたに心臓のお医者さんになって欲しかったんじゃないのかね…」

 ファナが腹を立てて言った。
「ちょっと、ばあちゃん! 私は初耳だよ! 何で教えてくれなかったの⁉」
「あんたがお喋りだからだよ! そんなの聞いたらすぐに喋るだろ⁉」
「う、うーん…」

「サーキスがどうであろうと全く問題ないよ。うちの働き者のサーキス! パディ先生もあたしの命の恩人! 助けてくれてありがとう! パディ先生の回復を祈ろうじゃないか。これからはサーキスもお医者さんだね! ドクターサーキスの誕生、ばんざーい!」

「ばんざーい!」
 二人が両手を挙げて万歳をする。サーキスの目に涙が溢れた。
(本当にいい人達と家族になったよ…)
「お、俺はブラウン先生の方が…、いいかな…」
「ドクターブラウンばんざーい!」

     *

 翌朝、サーキスが病院へ行くと、この寒空の下、玄関前でリリカと中年夫婦とおぼしき二人が何やら言い争いをしていた。
「だから! 先生は具合が悪くて今日は診察ができないんです! 先生は寝た切りなんです!」

「ちょっと! こっちはわざわざ来てやったのよ! 旦那がこんなに苦しんでるのに! 見殺しにするわけ⁉」
「ううっ、頭が…」
 サーキスは何事かと思いながらもリリカ達に近寄る。
「どうしたの?」

「あ、サーキス! この人達に今日は診察無理って言ってるんだけど、聞いてもらえなくて…」
「だったら俺が診るよ」
 サーキスは中年夫婦に向き直って挨拶をした。

「おはようございます。俺はここの僧侶でサーキスって言います。体の中を透視できます。先生は重病でまだ起きないみたいだから、俺が具合を診ますね。…ところでどこが悪いんですか?」

 中年男性はさぞかし苦しそうな顔で答える。
「頭が…痛い…。吐き気がする…」
「どうしたらいい、リリカ?」
(ヒントがそれだけじゃわかるわけないじゃないの⁉)
「頭が痛いなら脳かな…。とりあえず脳を覗いてくれる?」

「了解。アハウスリース・フィギャメイク…」
 サーキスはいささか緊張の面持おももちで宝箱トレジャーの呪文を唱えた。そして今日も呪文は成功して頭の中が視えた。
(やっぱり呪文は使える! よかった!)

 サーキスは小さな感動を覚えながらも脳を観察した。そしてすぐに異変に気付いた。
「え? 脳が下がってる…。位置が低い…」
 サーキスはリリカの頭と中年の頭を交互に見比べて、やはり脳が下がっていると断定した。

「お手柄よ、サーキス! そのまま脊髄せきずいを下に辿ってくれないかしら」
 サーキスは注意深く目を凝らしながら左手を下に下ろし、中年の脊髄を観察する。すると背中の辺りで怪我のようなものを見つけた。

「怪我してる…。脊髄せきずいおおってる、何て言うのかな、これ…」
硬膜こうまくね」
「硬膜! なるほど! それが怪我して液が漏れてる!」
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