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サーキス達のバレンタイン寺院(1)
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当時十一歳の少年サーキスは、古く小さな寺院からパンを盗んで逃げているところだった。場所はローマの端の田舎道。
金髪の彼はパンを両手両脇に抱え、口にまでパンをくわえて全力疾走していた。空は夕暮れ時。辺りは薄暗く、サーキス少年の影は長く伸びていた。
「んがんがんがー!」
(戦利品超ゲットだぜ! 待ってろ、レオ!)
パンで口が塞がっていたが、彼は独り言を言わずにはいられなかった。サーキス少年は腹を空かせた友達を待たせていた。早く帰らなければ。
後ろを振り返ると自分より少し小さな子供が追いかけて来ているのが見えた。僧侶の法衣をなびかせている。
「ふが、んがんがんががー!」
(疾風と呼ばれた俺に追いつける奴は一人としていないぜ! まして子供なんかがな!)
そう思った矢先、後ろから聞こえる足音は急に大きくなった。そして倍の速さでその子供から追い抜かれていた。
黒髪の子供は急ブレーキをかけると、その勢いを利用してサーキスにボディブローを喰らわせた。
「ぐはぁっ!」
息も止まるほどのダメージ、全てのパンを地面に落としてしまう衝撃だった。
「捕まえようと思ったら、パンが台無しだぞ。どうしてくれる⁉」
子供はさらに追い打ちでサーキスの顔面にパンチを喰らわせると、彼の奥歯が一本飛んで行った。はっきり言って子供の力ではなかった。
その目つきの悪い子供はサーキス少年を肩に担ぐと寺院の方へ歩き出した。
息も絶え絶え、サーキスが意識を保とうとしていると、寺院の中庭まで連れて行かれた。寺院は高い塀で囲まれており、侵入者を容易に許さない造りになっていた。その分、サーキスは一度盗みが成功すれば逃走も簡単だと思っていた。だが、こんな化け物のような子供がいるとはサーキスは夢にも思っていなかった。
中庭では上半身裸の巨体の中年が大きな石を何度も持ち上げてトレーニングを行っていた。
「おー、ギーリウス! その子供はどうした?」
「親父、こいつは盗人だ。うちのパンを盗んでた」
「顔を怪我しているな。お前が殴ったのか? ちょっとそいつを見せてみろ」
(何だ⁉ この親父は⁉ 俺、どうなるんだろ…)
サーキスは自分が犯した罪にどんな制裁を受けるのか震えあがっていた。
「スタフ・ワンズオゥルド・ソトジョンディビ・オフィスレイターズ……」
少年の父は手のひらをかざしてサーキスに回復呪文を唱えた。サーキスの顔、腹の痛みも癒えた。
「よし、母さんの所へ連れて行け」
「わかった」
サーキスは傷が癒えたが無抵抗のまま、家屋の中へ連れて行かれた。そして、彼が運ばれた場所は食堂だった。大きなステンドグラスの窓から漏れる夕焼けと混ざったカラフルな光が祭壇の女神像を照らしている。横に長いテーブルにはロウソクが均等な幅でその上に乗っていた。女性の声が鼻歌で讃美歌を歌っている。曲と景色が良く似合っていた。
「あら、その子はどうしたの?」
長い黒髪の美しい女性が訊いた。
「パン泥棒だ。うちのパンを盗んで逃げたから捕まえた」
「あらあら。お腹が空いていたのね。ご飯を用意するからテーブルに座ってね。ギル、そんな担いだまんまじゃ、その子の頭に血が上るわよ」
「ふんっ。ほら、お前、テーブルに着け」
しばらくすると先ほどサーキスが盗もうとした同じ丸いパンと野菜がたっぷり入ったスープがテーブルに置かれた。続いて先ほどの巨体の親父も現れた。女性がサーキスに言う。
「ほら食べて」
その女性は子供もいるためそれなりの年齢ではあるだろうが、それでもその笑顔は若々しく眩しく見えた。
「い、いただきます…」
ギルと呼ばれた黒髪の少年がサーキスに注意した。
「おいお前、パンは硬いからスープに付けてふやかして食べるんだぞ」
「し、知ってるよ…」
サーキス少年はスプーンでそれをすくって食べる。
「おいしい! こんなにおいしいの食べたの初めてだよ!」
サーキスが涙を流しながら夢中でスープを食べた。ギルの母、父は笑顔でそれを見ていた。ギルは面白くない顔で眺めている。熊のような体格の中年が言った。
「ワシはユリウス・バレンタイン。ここで牧師をやっている。彼女は妻のリナリア・バレンタイン。そいつはワシの息子のギーリウスだ。ギーリウスのことはみんなギルと呼んでいる。少年、お前の名前は?」
「サ、サーキスだぜ…。名字はないよ…。十一歳だ…」
「ギルと同じ年齢だな。こいつは今十歳だが、もうすぐ十一歳になる。ところでサーキス、お前、親は?」
「いないよ…」
「それではここで僧侶にならないか? 一応、寝泊りできるぞ」
サーキスはぎょっとした顔でユリウスの顔を見た。よく見るとその中年の頬には古傷、切られ傷があった。何とも恐ろしい顔だ。
「それがいいわ! ここはお金はないけど、食べる物だけには困らないわ」
ギルという少年もこちらを見ているが、どちらでもいいという顔をしている。父と息子はただの脅威にしか見えないが、優しそうなおばさんの瞳がとても心地よい。
「いいの…? …その、よかったら友達も連れて来ていい?」
三人は困った顔をしたが、やがて父が承諾を出した。そしてサーキスが連れて来たのは犬だった。
「ワンワン!」
雑種の中型犬は尻尾を振りながら、さぞうまそうに餌を食べている。
「名前はレオだぜ。ありがとう! おじさん! おばさん!」
バレンタイン夫婦は新しい家族に困惑したが、迎え入れることにした。
*
サーキスの初めの仕事は主に寺院へ訪れた人々の案内だった。客はバレンタイン牧師に治療や蘇生をお願いに来る。与えられた簡素な法衣をまとったサーキスは客に順番に待ってもらって中庭の祭壇に居る師匠の場所へ案内する。
バレンタイン牧師が蘇生や回復を行うと客は心から感謝した。牧師は広く人を助けようと料金も可能な限り安くしていた。それでいて、この辺りは貧乏人も多く、中には支払いの時になって金がないという客もいた。そんな時もバレンタイン牧師は無理に支払いを求めなかった。
「またお金ができたら払いに来てください」
師匠はどんな人間も治療を拒まない。そして盗人を許すどころか、仕事や住む場所まで提供する懐の深さ。サーキスが女神セリーンを信じ、崇めるまでにそう時間はかからなかった。
*
「奥さん! 奥さーん!」
ギルの母、リナリアが洗濯物を取り込んでいると後ろからサーキスが抱きついて来た。
「どうしたの、サーキス?」
「俺、小回復の呪文を覚えたよ!」
「あらあらすごいわねえ! お利口さん」
リナリアがサーキスの方へ向き直って正面から抱きしめる。そして彼の頭をなでた。
「うふふふー!」
サーキスの甘えん坊ぶりに先輩僧侶達は彼のことを大いに笑ったが、サーキスの方は「俺は生粋の甘えん坊だぜ!」と大威張りで言い返していた。
「俺も手伝うよー!」
「ありがとうサーキス!」
壁の陰からギルはそんな二人をこっそり見ていた。ギルは自分の母をサーキスに盗られるのではないかと戦々恐々とした気持ちだった。
*
数か月経ったある日、ユリウス・バレンタインはサーキスが目にあざを作って泣いている姿を見つけた。おそらく兄弟子にやられたのだろう。口の利き方もあまりよくないサーキスに、兄弟子どもは皆が荒くれ者ばかりだ。ユリウスの弟子はなぜか元盗賊や山賊など、元々悪事を働いていた人間ばかりが集まって来ていた。そんな中に若いサーキスが混じれば、弱者は強者の制裁を喰らう。
ユリウスが殴った人間を見つけて懲らしめることは簡単だ。だが、それではサーキスの生活は快適にはならない。そこで彼にこう声をかけた。
「サーキス。お前、ワシから格闘技を習わないか?」
ユリウスは前々からサーキスの肉体には目を光らせていた。成長期で身長はそれほど高くないが、細身で贅肉のない締まった体、アスリートのような肢体をしている。これは鍛えればものになると。
「格闘技…。親っさんが教えてくれるなら何でもやるよ!」
「いい返事だ! 明日からでもトレーニングだ!」
金髪の彼はパンを両手両脇に抱え、口にまでパンをくわえて全力疾走していた。空は夕暮れ時。辺りは薄暗く、サーキス少年の影は長く伸びていた。
「んがんがんがー!」
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パンで口が塞がっていたが、彼は独り言を言わずにはいられなかった。サーキス少年は腹を空かせた友達を待たせていた。早く帰らなければ。
後ろを振り返ると自分より少し小さな子供が追いかけて来ているのが見えた。僧侶の法衣をなびかせている。
「ふが、んがんがんががー!」
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黒髪の子供は急ブレーキをかけると、その勢いを利用してサーキスにボディブローを喰らわせた。
「ぐはぁっ!」
息も止まるほどのダメージ、全てのパンを地面に落としてしまう衝撃だった。
「捕まえようと思ったら、パンが台無しだぞ。どうしてくれる⁉」
子供はさらに追い打ちでサーキスの顔面にパンチを喰らわせると、彼の奥歯が一本飛んで行った。はっきり言って子供の力ではなかった。
その目つきの悪い子供はサーキス少年を肩に担ぐと寺院の方へ歩き出した。
息も絶え絶え、サーキスが意識を保とうとしていると、寺院の中庭まで連れて行かれた。寺院は高い塀で囲まれており、侵入者を容易に許さない造りになっていた。その分、サーキスは一度盗みが成功すれば逃走も簡単だと思っていた。だが、こんな化け物のような子供がいるとはサーキスは夢にも思っていなかった。
中庭では上半身裸の巨体の中年が大きな石を何度も持ち上げてトレーニングを行っていた。
「おー、ギーリウス! その子供はどうした?」
「親父、こいつは盗人だ。うちのパンを盗んでた」
「顔を怪我しているな。お前が殴ったのか? ちょっとそいつを見せてみろ」
(何だ⁉ この親父は⁉ 俺、どうなるんだろ…)
サーキスは自分が犯した罪にどんな制裁を受けるのか震えあがっていた。
「スタフ・ワンズオゥルド・ソトジョンディビ・オフィスレイターズ……」
少年の父は手のひらをかざしてサーキスに回復呪文を唱えた。サーキスの顔、腹の痛みも癒えた。
「よし、母さんの所へ連れて行け」
「わかった」
サーキスは傷が癒えたが無抵抗のまま、家屋の中へ連れて行かれた。そして、彼が運ばれた場所は食堂だった。大きなステンドグラスの窓から漏れる夕焼けと混ざったカラフルな光が祭壇の女神像を照らしている。横に長いテーブルにはロウソクが均等な幅でその上に乗っていた。女性の声が鼻歌で讃美歌を歌っている。曲と景色が良く似合っていた。
「あら、その子はどうしたの?」
長い黒髪の美しい女性が訊いた。
「パン泥棒だ。うちのパンを盗んで逃げたから捕まえた」
「あらあら。お腹が空いていたのね。ご飯を用意するからテーブルに座ってね。ギル、そんな担いだまんまじゃ、その子の頭に血が上るわよ」
「ふんっ。ほら、お前、テーブルに着け」
しばらくすると先ほどサーキスが盗もうとした同じ丸いパンと野菜がたっぷり入ったスープがテーブルに置かれた。続いて先ほどの巨体の親父も現れた。女性がサーキスに言う。
「ほら食べて」
その女性は子供もいるためそれなりの年齢ではあるだろうが、それでもその笑顔は若々しく眩しく見えた。
「い、いただきます…」
ギルと呼ばれた黒髪の少年がサーキスに注意した。
「おいお前、パンは硬いからスープに付けてふやかして食べるんだぞ」
「し、知ってるよ…」
サーキス少年はスプーンでそれをすくって食べる。
「おいしい! こんなにおいしいの食べたの初めてだよ!」
サーキスが涙を流しながら夢中でスープを食べた。ギルの母、父は笑顔でそれを見ていた。ギルは面白くない顔で眺めている。熊のような体格の中年が言った。
「ワシはユリウス・バレンタイン。ここで牧師をやっている。彼女は妻のリナリア・バレンタイン。そいつはワシの息子のギーリウスだ。ギーリウスのことはみんなギルと呼んでいる。少年、お前の名前は?」
「サ、サーキスだぜ…。名字はないよ…。十一歳だ…」
「ギルと同じ年齢だな。こいつは今十歳だが、もうすぐ十一歳になる。ところでサーキス、お前、親は?」
「いないよ…」
「それではここで僧侶にならないか? 一応、寝泊りできるぞ」
サーキスはぎょっとした顔でユリウスの顔を見た。よく見るとその中年の頬には古傷、切られ傷があった。何とも恐ろしい顔だ。
「それがいいわ! ここはお金はないけど、食べる物だけには困らないわ」
ギルという少年もこちらを見ているが、どちらでもいいという顔をしている。父と息子はただの脅威にしか見えないが、優しそうなおばさんの瞳がとても心地よい。
「いいの…? …その、よかったら友達も連れて来ていい?」
三人は困った顔をしたが、やがて父が承諾を出した。そしてサーキスが連れて来たのは犬だった。
「ワンワン!」
雑種の中型犬は尻尾を振りながら、さぞうまそうに餌を食べている。
「名前はレオだぜ。ありがとう! おじさん! おばさん!」
バレンタイン夫婦は新しい家族に困惑したが、迎え入れることにした。
*
サーキスの初めの仕事は主に寺院へ訪れた人々の案内だった。客はバレンタイン牧師に治療や蘇生をお願いに来る。与えられた簡素な法衣をまとったサーキスは客に順番に待ってもらって中庭の祭壇に居る師匠の場所へ案内する。
バレンタイン牧師が蘇生や回復を行うと客は心から感謝した。牧師は広く人を助けようと料金も可能な限り安くしていた。それでいて、この辺りは貧乏人も多く、中には支払いの時になって金がないという客もいた。そんな時もバレンタイン牧師は無理に支払いを求めなかった。
「またお金ができたら払いに来てください」
師匠はどんな人間も治療を拒まない。そして盗人を許すどころか、仕事や住む場所まで提供する懐の深さ。サーキスが女神セリーンを信じ、崇めるまでにそう時間はかからなかった。
*
「奥さん! 奥さーん!」
ギルの母、リナリアが洗濯物を取り込んでいると後ろからサーキスが抱きついて来た。
「どうしたの、サーキス?」
「俺、小回復の呪文を覚えたよ!」
「あらあらすごいわねえ! お利口さん」
リナリアがサーキスの方へ向き直って正面から抱きしめる。そして彼の頭をなでた。
「うふふふー!」
サーキスの甘えん坊ぶりに先輩僧侶達は彼のことを大いに笑ったが、サーキスの方は「俺は生粋の甘えん坊だぜ!」と大威張りで言い返していた。
「俺も手伝うよー!」
「ありがとうサーキス!」
壁の陰からギルはそんな二人をこっそり見ていた。ギルは自分の母をサーキスに盗られるのではないかと戦々恐々とした気持ちだった。
*
数か月経ったある日、ユリウス・バレンタインはサーキスが目にあざを作って泣いている姿を見つけた。おそらく兄弟子にやられたのだろう。口の利き方もあまりよくないサーキスに、兄弟子どもは皆が荒くれ者ばかりだ。ユリウスの弟子はなぜか元盗賊や山賊など、元々悪事を働いていた人間ばかりが集まって来ていた。そんな中に若いサーキスが混じれば、弱者は強者の制裁を喰らう。
ユリウスが殴った人間を見つけて懲らしめることは簡単だ。だが、それではサーキスの生活は快適にはならない。そこで彼にこう声をかけた。
「サーキス。お前、ワシから格闘技を習わないか?」
ユリウスは前々からサーキスの肉体には目を光らせていた。成長期で身長はそれほど高くないが、細身で贅肉のない締まった体、アスリートのような肢体をしている。これは鍛えればものになると。
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