ときにはシリーズ

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ときには、心休まる休息を

① 『料理人』

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「この街で暮らす人達は、一体何を食べているのだろう?」

 メルエーナがこのナイムの街に来て、最初に思ったのはそんな疑問だった。



 流通と言うものがあることは分かっていた。月に二回だけ村にやって来る行商人を、他の村の人たちと同じように、メルエーナも心待ちにしていたのだから。



 けれど、行商人が販売する商品の量などたかが知れていた。

 村の人々は自給自足が基本であり、行商人から購入するものの多くが嗜好品や装飾品などの生きていく上で必ずしも必要のないものばかりだった。



 だから理解できなかった。



 この大きな街の人々全員に行き渡るほどの食料が、この畑一つ無い石畳の敷き詰められた街にあるとは思えなかった。



 この街で生まれ育った人が、メルエーナのそんな疑問を聞いたのならば、きっとそんな疑問を持った彼女のことを笑うだろう。

 少なくともこの街での生活を半年間体験した彼女自身は、以前の自分を無知だったと理解している。



「……もう、半年以上になるんですよね。私がこのナイムの街に来て……」

 父は反対したが、この街での生活を体験する切っ掛けを作ってくれた母に深く感謝する。

 小さな田舎の村の生活では体験できなかった様々な事を経験することができた。

 それも、楽しい事がほとんどだった。



「でも、わからないことはまだまだたくさん。それに知りたいこともいっぱい……」

 生まれてから十七年間、メルエーナはその大半を小さな村で過ごしてきた。

 でも、この半年間は、それに勝るとも劣らない濃密な時間だった。



「お待たせ、メルちゃん。ごめんなさいね。ようやくお財布が見つかったわ」

 昼の明るい街並みをみながら、ぼんやりと感慨にふけっていたメルエーナに、一人の女性が笑顔で声をかけてきた。

 彼女の事をメルちゃんと呼ぶその女性は、この街での彼女の保護者でもあり先生でもある人物だ。



「よかったですね、バルネアさん。でも、お財布は決められた場所にきちんと置いておいた方がいいですよ」

「は~い。でも、ジェノちゃんがいない時でよかったわぁ。また叱られちゃうところだったわ」

 バルネアはそう言ってホッと胸を撫で下ろす。

 その仕草が妙に子供っぽいとメルエーナは思う。



 母と五歳しか離れていないはずなので、バルネアは三十代の半ば近くのはずなのだが、子供っぽい仕草や言動と容姿のため、実年齢よりもずっと若く見える。



 そしてなにより、この人はみんなの目を引く。

 顔立ちは整っているものの、ものすごい美人というわけではないと思う。

 金色の髪はこの街では珍しいわけではないし、髪型も長い髪を編んで後ろでまとめているだけで特段珍しいものではない。服装も周りのみんなと差異はない用に思える。けれど不思議と周囲の注目を集める存在なのだ。

 もっとも、本人は全くその自覚がないようだが。



「駄目ですよ、バルネアさん。ジェノさんはバルネアさんの事を思って……」

「う~ん。分かっているんだけど、どうしても適当なところに置いちゃうのよね。不意に新しい料理のアイデアが浮かんだりすると特に……」

 窘めるメルエーナに、バルネアは苦笑しながらそう答える。

 ことが料理のこと以外だとこの人はいつもこんな感じだ。



「まぁ、歩きながら話しましょう。早く行かないといい商品が売り切れてしまうかもしれないわ」

「はい。そうですね」

 メルエーナは微笑み、商店街に向かって足並みを揃えて歩き出す。

 思えば二人きりで買い物に出かけるのは久しぶりだ。



 ……そう、分からないことはたくさんある。



 特にこの人のことは分からない。

 半年以上同じ屋根の下で寝食を共にしているにも関わらず。

 天真爛漫な笑顔で「今日は何がお買い得かしらねぇ~」と呑気な事を呟くこの女性が、この国の現国王様から「我が国の誉れである」とまで賞された凄腕の料理人なのだとはどうしても思えなかった。





「ジェノちゃんも美味しいものを食べてくるだろうし、今日は、私達もご馳走にしましょうね」

「はい」

 良い食材を買い求めることができて、ほくほく顔のバルネアにつられて、メルエーナもなんだか嬉しくなってくる。



 この街に来た当初は行き交う人波の多さに圧倒されて買い物どころではなかったが、さすがに半年も経つとずいぶんと勝手が分かってきた。

 特に食料品については、先生の指導も相まって、この街の主婦たちに負けないほどの知識をメルエーナは物にしていた。



「香辛料の類も安かったので、もう少し買っておきたかったんですけれど……」

「そうよねぇ。私とメルちゃんの二人だと、買っても持って帰れないからどうしてもね。やっぱり男手がほしいわね」

 メルエーナもバルネアも両手が荷物でふさがってしまっている。

 本当はまだまだ買いたい品がいっぱいあったのだが、諦めて帰路につくしかなかったことが少し悔しい。



「あっ、メルちゃん。『女の価値はスパイス棚で決まる』ってことわざを知っているかしら?」

 不意にバルネアが尋ねてきた。



「いいえ」とメルエーナが答えると、バルネアは嬉しそうに微笑み、

「女性の価値は料理が上手か下手かで決まるって意味なの。香辛料は肉や魚の臭い消しに使ったり、香りつけや味の引き締めにも使うものだから、何種類ものスパイスを使いこなせてこそ料理上手だということね。

 まぁ、最近は女の人も仕事を持って、男の人に負けずに働いている場合もあるから、それが全てだとは言わないけれど、女性の魅力の一つであることには変わりないわ」

 そう説明してくれた。



「それと、『新しい料理人はスパイスを使いすぎる』ということわざもあるの。スパイスは適量だから効き目があるのであって、たくさん使えばいいというものではない。経験の足りない新人はその加減がわからずに失敗するという意味ね。いい機会だから、今日は料理を作りながらそのあたりのことを勉強しましょうか?」

「はっ、はい!」

 メルエーナが答えると、バルネアは満足気にまた微笑んだ。



「あらっ? なんだか向こうが騒がしいわね」

 バルネアの視線の先には人だかりができていた。あの辺りは店がなく、川が流れているだけのはずなのに。



「ったく、いちいち泣いてるんじゃねぇよ! 身投げなんて馬鹿なことをするんなら、この街以外でしやがれ!」

 メルエーナの耳に一際大きな怒声が聞こえてきた。



「今の声って……」

「レイちゃんね。間違いないわ」

「あっ、バルネアさん!」

 聞き覚えのある声に、バルネアは人だかりを縫うように進んでいく。

 立ち止まっているわけにも行かず、メルエーナもそれに倣う。



「……あっ、ううっ……」

 人だかりを抜けると、地面に腰を落とし、嗚咽を漏らして泣く少女と、憮然と腕組みをして立ち尽くす、白を基調とした自警団の衣服をまとった、金髪で目つきの良くない見知った顔の少年がいた。加えて、二人とも全身ずぶ濡れだった。



「……身投げ?」

「……あんなに若いのになんでまた……」

 興味本位で集まっている人たちの遠巻きに聞こえてくる声に少し気分を害しながらも、メルエーナはすぐに自分の上着を一枚脱いで、すすり泣く少女にそれを被せる。

 こんなに人がいるのに、何故、誰も少女に手を差し伸べないのか理解できなかった。



「メルちゃん、これも掛けてあげて」

 バルネアは買い物袋の中から真新しいタオルをメルエーナに手渡し、怒声を上げていた少年に詰め寄っていく。



「こ~ら、レイちゃん。女の子にそんな言い方はないでしょうが!」

 迫力がない声だったが、バルネアの叱責に、レイと呼ばれた少年は狼狽する。



「なっ! ……ばっ、バルネアさん……」

「もう。女の子をいじめている暇があったら、まずは身体を乾かしなさい。風邪を引いてしまうわよ」

「だっ、大丈夫だよ、これくらい。それと、別にいじめていたわけじゃあ……」

 バルネアたちのやりとりを聞きながら、メルエーナはタオルを少女に被せて体を隠す。

 本当は早く服を脱がせた方がいいのだろうが、こんな街中でそんな事をする訳にはいかない。



「まったく。女の子をいつまでもずぶ濡れのままにして置くなんて。この娘のことは私に任せて、お風呂にでも入ってらっしゃい」

「まっ、待ってくれよ、バルネアさん。こういう事件は俺たち自警団の……」

 レイが言い訳をするが、こんなデリカシーのない人に女の子を預けては置けないとメルエーナも思った。

 事情があるのだろうが、年頃の女の子をこんな姿のまま放っておくのはあんまりだ。自警団の人間であるのならば尚更そういった配慮が必要なはずなのに。



「とにかく、話は後で聞くから、とりあえずこの娘は家で預かるわよ。団長さんには私が預かっているって言っておいてくれればいいから」

 ピシャリとそう言い、バルネアは話を打ち切る。



「……事情は分かりませんが、まずは体を温めましょう。私達の家はすぐそこですから、ついてきて下さい」

 嗚咽を漏らし泣き続ける少女は、何も応えなかったが、メルエーナとバルネアは二人がかりで少女をできるだけ優しく立ち上げると、静かに自分の足で歩き始めた。





「……良かった。なんとか着られたみたいで」

 メルエーナが手伝い、少女の体を温めるためにお風呂に入れ、自分の服を貸したのだが、どうにかサイズは合った。



 少女の年の頃はメルエーナと同じくらいに思えた。

 もっとも、少女はほとんど何も喋らないので詳しいことはわからないのだが。



「……なさい……」

 ポツリと少女が呟くのを聞き、メルエーナは「気にしないでください」と笑みを浮かべる。



「あらっ、いいタイミングね」

 少女を連れてリビングに行くと、エプロン姿のバルネアが声をかけてきた。そして食欲をそそるいい香りがメルエーナの鼻孔をかすめる。



 バルネアはニッコリと微笑むと、

「とりあえず、席について。ちょうど美味しいスープが出来上がったところよ」

 そう言って少女をテーブルの一席に座るように促す。



「さぁ、どうぞ」

 メルエーナも椅子を引いてそこに座るように勧める。

 少女はどうしたものかと戸惑っていたが、やがて静かにその椅子に腰を下ろした。



「はい。熱いから気をつけてね」

 バルネアは深皿に入ったスープを少女の前に差し出す。

 金色のそのスープからは芳しい香りが漂う。



「…………」

 少女はスープに視線をやり、そしてメルエーナ達を一別して顔を俯けて黙りこんでしまった。だが、

「……あっ……」

 くぅ~っと少女のお腹が鳴った。

 恥ずかしそうに少女は顔を赤面させてまた俯いてしまう。



「……苦しくて、悲しくて、その上お腹まで空いていたら、そんなに辛いことなんてないわ。ほら、冷めてしまう前に一口味をみてちょうだい」

 バルネアの言葉に少女は少し顔を上げる。



「はい、どうぞ」

 メルエーナが少女にスプーンを差し出すと、少女はおずおずとそれを受け取る。

 そして静かにスープを一口だけ口に運んだ。



「……美味しい……」

 少女はそう呟くと、もう一口スープを口にした。そして、それからはスプーンを忙しなく動かしてスープを味わい続ける。



「……くっ、ううっ……」

 スープを食べながら、少女は泣きだした。



「……使ってください」

 メルエーナはハンカチを取り出し、笑顔でそれを少女に手渡す。



「ふふっ。おかわりはいかがかしら?」

 空になった皿を下げて、バルネアも笑顔で新しいスープ皿を少女の前に差し出した。



「……あっ、うっ……」

 少女は堪え切れなくなったように大声を上げて泣き叫ぶ。



「…………」

 バルネアは何も言わずに優しく少女を抱きしめた。



 最初こそ少女は抵抗しようとしていたが、やがて自分の意志でバルネアの体を掴んで噎び泣く。

 メルエーナもただ静かに少女が落ち着くのを待った。



「……少しは落ち着いたかしら?」

 十分近くも少女は泣き続けたが、それもようやく収まった。バルネアの問いかけに、少女はコクリと頷き、バルネアから離れる。



「お水です。よかったら飲んでください」

 メルエーナが水の入った木のコップを渡すと、少女は「ありがとうございます」と言ってそれを静かに口にする。



「……ごっ、ごめんなさい、迷惑をかけてしまって……」

 少女は完全に落ち着きを取り戻したようで、謝罪の言葉を口にした。



「何も謝る必要なんかないわよ。……あっ、自己紹介がまだだったわね。私の名前はバルネア。そして、こっちの子が……」

「メルエーナです。よければメルって呼んでください」

 バルネアに促され、メルエーナも名乗る。



「すっ、すみません。私は、リリィと言います。この街の北地区に住んでいます」

 少女も自分が名前を告げていないことに気づいたのか、慌てて名乗った。



「そう。リリィちゃんね。わかったわ」

 満面の笑顔でバルネアが言うと、リリィと名乗った少女は気恥ずかしくなったのか頬を赤らめて目をそらす。



「……あれっ? この家は何かのお店なんですか?」

 少女の視線が、奥の別室の幾つものテーブルと椅子を見ていることに気づき、メルエーナは少女の質問の意図を理解した。

 家に入るときは裏口からだったことに加えて、そのままお風呂に入って、この部屋まで連れてこられたのだ。驚くのも無理は無いだろう。



「ふふっ。ここは私のお店なの。パニヨンって名前のお店でね、料理を出しているのよ」

「……パニヨン……。……えっ?」



 料理店パニヨン。

 名前だけなら子供でも知っている。

 このエルマイラム王国の首都ナイムには数多くの料理店があるが、その中でも屈指の名店と呼ばれる店。そしてその料理人は現エルマイラム国王に『我が国の誉れである』とまで讃えられたという人物なのだ。



「えっ、えっ? あっ、あの有名な……」

「あははっ。有名かどうかは知らないけど、ただの小さな料理店よ。そんなに驚かないで」

 驚いて口をパクパクさせるリリィに、バルネアは苦笑交じりに答える。



「ああっ、そういえば、スープが冷めてしまったわね。代わりを持ってくるから、ちょっと待っていて」

 バルネアはスープ皿を片手にキッチンの大鍋に向かっていった。



「……あの、すみません。あまりにもリリィさんがひどい姿をしていたので放っておけなくて。突然のことでびっくりしたと思いますけど、許してください」

 メルエーナはそう謝罪の言葉をリリィに述べる。

 自覚はあるのだが、自分がおせっかい焼きなのは性分のようで治りそうもない。



「いえ、その、私のほうがご迷惑をかけっぱなしで。そっ、それと、私、お金を全然持っていなくて……。ですから、その、料理のお金……」

 ぼそぼそと小さな声でリリィは呟く。



「……えっ? あっ、ああっ。大丈夫ですよ。リリィさんに飲んでもらっているスープは、今晩の私達の夕食の一品で、お金を頂くつもりなんてありませんから」

 初めは言っている意味がわからず困惑したが、メルエーナはリリィの言葉を理解した。

 泣いている女の子を店に連れ込み、料理を食べさせて料金を請求するような阿漕な真似をするつもりは微塵もない。



 改めて顔を突き合わせて、メルエーナはリリィの顔を見つめる。

 年はやはり自分と同じくらいだろう。背丈も大差がない。それは服のサイズが合ったことでも明らかだ。

 タレ目の少し気弱そうな、でも優しそうな瞳。先ほどまでの生気のない目とは大違いだ。

 肩まで伸びた黒髪。その色が同居人の髪の色と重なり、メルエーナは羨ましいと思う。



 ふと気が付くと、リリィも呆然と自分を見つめていることに気づき、メルエーナは彼女の視線の意味を察した。



「……あっ、すみません。名前しか名乗っていませんでしたね。私は、住み込みでこの店のウエイトレスをしているんです。そして、バルネアさんと私ともう一人の三人で暮らしています。もっとも、最後の一人は今日留守にしているんですが……」

 バルネアが何故かすぐに戻ってこないため、メルエーナは簡単に自己紹介を続ける。



「……母から、都会での生活と料理を勉強してくるようにと言われまして、半年ほど前にこの街にやってきたんです」

「……私も、田舎の出身です。その、魔法を学びたいと思ってこの街にやってきました……」

 リリィも怖ず怖ずとだが簡単な自己紹介をしてくれた。そして、年もメルエーナと同じ十七歳だということを教えてくれた。

 そのことを告げると、「そうなんですか」と微かだがリリィは微笑む。



「は~い、おまたせ。少し熱いから気をつけてね。それと、軽くつまめるものも作ってきたから一緒に食べて」

 スープの他にパンを一口大に切り分けたオープンサンドウイッチを乗せたトレーを持ってバルネアが戻ってきた。おそらくそうではないかと思っていたが、料理をしていたようだ。



 香ばしいパンの香り。そしてチーズとバジルとトマトソースの濃厚な香りが漂う。

 ゴクッとリリィの喉が鳴ったのをメルエーナは聞き逃さなかった。



「『スープには五つの徳あり』と言ってね。睡眠、消化、歯によく、お腹を満たして、血色を良くすると言われているのよ。誰も取ったりしないから、ゆっくり召し上がれ」

 そう言ってリリィに新しいスプーンを差し出すバルネア。

 しかしそれを受け取ったリリィだったが、すぐには料理に手を付けようとはしなかった。



「……どうして。どうして見ず知らずの私に、こんなに優しくしてくれるんですか? 私は……」

 リリィの問に、メルエーナとバルネアはお互いの顔を見合わせ、二人揃って苦笑した。



「『他人のスープで唇にやけどするな』って、ことわざを聞いたことがあるかしら? 他人のことにあれこれと余計なおせっかいはするものではない、って意味なの。

 でもね、私達の場合は職業柄、人様が飲むスープを作ったり運んだりするのがお仕事だから、ついつい口を出したくなってしまうのよ」

 バルネアは冗談めかして応え、言葉を続ける。



「つまり、私もメルちゃんもすごくおせっかいなの。だから、まずはスープを飲んでしっかり体を温めて、お腹を満たして。そして、もしもリリィちゃんが良かったら、私達に話してくれないかしら? どうして川に飛び込んだりしたのか。……誰かに話すだけでも、少しは気持ちが楽になるものよ」

 バルネアの言葉に、リリィの瞳が再び涙で歪む。



「……私は……。ただ……」

 リリィはぽつりぽつりと、そして堰を切ったように話し始めた。

 自分のことを。再びこみ上げてきた涙とともに。





 ――ただ魔法を学ぶために、リリィはこのナイムの街で暮らしていた。

 それはひとえに魔法を学ぶ場に、魔法アカデミーに入学するためだった。

 決して裕福ではない家だったが、リリィの両親は彼女の夢を応援してくれた。



 しかし、昨年の試験では合格することができず、また今日発表であった今年の試験でも合格をすることができなかったのだという。勉強と生活のためのアルバイトだけを繰り返していたため友人をつくることもできず、誰にも相談できなかったらしい。

 試験の結果に落胆し、街を彷徨い歩き続けて橋から身を投げた。そして溺れているところを自警団の少年――レイに助けられたのだ。



「……今回で二度目だったんです! お父さんとお母さんに無理を言って、今年もチャンスを貰ったのに……。私は……結局合格することができなくて。一生懸命勉強をして、頑張って働いて、やっと試験を受けたのに……。全部、全部終わってしまったんです。もう私には……」

「リリィさん……」

 涙とともに心境を吐露するリリィの姿に、メルエーナは胸を締め付けられる思いだった。

 一生懸命だった事柄であるほど、その思いが報われなかった悲しみは、察するに余りある。



「……そうなの。辛かったわね……」

 バルネアは物憂げな表情を浮かべたが、それを笑顔に変えて明るくリリィに声をかける。



「リリィちゃん。とりあえず冷めてしまう前にこれも食べて。さっきも言ったけれど、お腹が空いていたら余計悲しい気持ちになってしまうわ。『悲しみはパンがあれば薄らぐ』ともいうしね」

「えっ、あっ……。いっ、頂きます」

 差し出された皿からオープンサンドウイッチを一つ手にし、リリィはそれを静かに口に運んだ。



「…………」

 一瞬、リリィは呆然としたまま固まり、そしてもう一口サンドイッチを食べる。



「……おっ、美味しい。すごく美味しいです」

「そう。良かったらもっと食べて」

 バルネアは涙ぐみながら答えるリリィの頭を優しく撫でて言い、



「それと、もしもリリィちゃんが良かったら、夕食も食べていってくれないかしら? 今日はジェノちゃ……えっと、一緒にこの家で生活している子が留守なの。だから私とメルちゃんの二人だけで夕食を食べる予定だったから、少し寂しくて。お客さんがいてくれたほうが私も料理の作りがいがあるから。ねっ?」



 そう彼女に提案する。



「それがいいですよ。リリィさんの服が乾くまで、まだ時間がかかりますし」

 メルエーナもバルネアの提案に同意する。



「……でも、これ以上、ご厚意に甘えるわけには……」

「そんなこと気にしないで。私達が勝手にやっているだけだから。それに、放っておけないのよ、リリィちゃんの事が。……その、あんまりにも昔の私にそっくりだから」

 バルネアはそう言い、困ったような笑顔を浮かべる。



「昔のバルネアさんに似ているんですか?」

 突然のバルネアの告白に、メルエーナも怪訝そうな顔をする。



「……そうなのよ。私も辛いことがあって、リリィちゃんと同じように川に身を投げようとしたことがあるの」

「えっ? 私と同じように……」

 リリィの言葉に頷き、バルネアはリリィの向かいの席に静かに腰を下ろした。メルエーナもそれに倣い、リリィの隣の席に座る。



「ねぇ、リリィちゃん。夕食までまだ時間があるから、よかったら私の話を聞いてくれないかしら?」

 リリィが「はい」と頷くと、バルネアは静かに話し始めた。



 それは、バルネアがメルエーナ達と同じくらいの年頃の話。彼女自身がリリィと同じような苦しみを抱いていた時の話だった。
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