彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

文字の大きさ
上 下
190 / 248
第五章 邂逅は、波乱とともに

⑦ 『優しさと寂しさ』

しおりを挟む
 一通りの話をし、今後の方針を決めたものの、あれこれと話しをしているうちに、随分時間がかかってしまった。

 エリンシアの魔法屋から二人で家路に就くメルエーナは、先を歩くジェノに「すみません、我儘をいってしまいまして」と謝罪を口にする。

「何も謝ることはないだろう。お前がそう決めたのならば、それでいい」
 ジェノは振り返らずに、淡々と言う。
 
 それが突き放されたような気がしてしまい、メルエーナは歩きながら顔を少し俯ける。

 やはりジェノさんは怒っているのだろう。
 ジェノさんは自分のことを心配してくれて、エリンシアさんのお店まで同行してくれたのに、こんな我儘な事をしてしまって……。

 エリンシアさんとリリィさんもきっと怒っているだろう。
 格安で、安眠を妨害する妖精がもう現れないようにしてあげると提案してくださったのに、そのご厚意に後ろ足で砂をかけるようなことをして、無茶な頼みをしてしまったのだから。

(でも、私はあの妖精さんが……。レイルン君が私に悪戯をするために毎晩現れているとは思えないんです。だって、あの子はいつも必死に私にお願いをするだけで……)

 レイルンはいつも、以前出会ったレミィという小さな女の子の願いを叶えるために、『魔法の鏡』というものをレセリア湖の近くの洞窟に運んで欲しいと頼んできていた。その様子はすごく切羽詰まっていて、懸命に思えた。あれが悪戯だとはどうしても考えられない。

「メルエーナ……」
「はっ、はい!」
 考え事をしていた所で不意に名を呼ばれ、慌てて返事をするメルエーナ。そんな彼女に、ジェノは振り返り、

「お前は、本当に優しいな」
 そう言って苦笑した。

「えっ? その……」
 突然の言葉に二の句が続かないメルエーナは、どうしたものかとあたふたする。
 それを見て、ジェノは僅かに口角を上げた。

「だが、それは美点ではあるが、お人好しとも取れる。世の中、悪い輩も多い。何か行動をする前に誰か信用できる人間に相談することも覚えたほうがいいぞ」
 ジェノの嗜めるような言葉。しかしどうしてか、メルエーナはその言葉に、暖かさと少しの寂しさを感じた。

「……ジェノさん……」
 メルエーナが名前を呼ぶと、ジェノは彼女に背を向けて静かに歩きだしてしまう。メルエーナはそれに静かに付いて歩く。

 しばらく無言で歩いていると、あっという間に<パニヨン>に帰ってきてしまった。

 ジェノは裏口に回ろうとしたところで、メルエーナは意を決して口を開く。

「あの、ジェノさん」
「どうした?」
 振り返ったジェノに、メルエーナはニッコリと笑みを向けた。

「私は、やっぱりまだまだ都会で生活する上での心配りが分かっていないようです。ですから、困ったことがあったら、また相談させてもらってもいいですか?」
 メルエーナは体が震えそうになるのを堪えて尋ねる。

「……信用できる人間に、と言ったはずだ」
「はい。ですから、ジェノさんに相談させて頂きたいんです」
 ジェノの言葉に、一瞬の間も置かずにメルエーナは答える。

「……やはり、お前を一人にしておくと心配だな。夕方からの準備にも立ち会わせて貰ってもいいか?」
「はい。ジェノさんも居てくださったほうが心強いです」
 メルエーナは本当に嬉しそうに微笑む。

「それなら、まずはバルネアさんに説明だな」
「はい!」
 自分の満面の笑顔に、呆れたような顔をしていたジェノが、また僅かに口角を上げたように思えたのは、メルエーナの気の所為ではなかったのだろう。きっと……。






 
「いやぁ~。お店以外で、バルネアさんの料理を食べられるなんて、役得だわぁ」
「こらっ、端ないことを言うんじゃあないよ。まるで私が普段ろくなものを食べさせていないように聞こえるでしょうが」
「だって、夕食を誰かに作ってもらえるのなんて久しぶりだったんですよぉ」
 リリィとエリンシアのやり取りを、メルエーナ達は微笑ましげに見ている。

 何故、リリィ達がバルネアの店――もとい、家の方に来ているのかと言うと、メルエーナが依頼をしたためだった。

 先にエリンシアが提案してくれた方法では、妖精のレイルンがこの世界に来れなくなってしまう事を理解したメルエーナは、どうにかして彼のお願いを叶えてあげたいと、自らの気持ちを打ち明けた。

 ただ、今のままではメルエーナが睡眠不足で倒れてしまうので、エリンシアが彼女の部屋に泊まり、レイルンを説得しようか? と提案してくれたのだ。

 そして、メルエーナはそれを依頼したのである。

 一晩拘束することから、本来は別途その分の料金がかかるらしいのだが、バルネアさんの料理を弟子と一緒に食べさせてもらえるのならばいらないと、エリンシアは言ってくれた。
 
 そのことをバルネアに話したところ、彼女も喜んでお願いを聞いてくれたので、こうしていつもよりも大人数で夕食を食べることになったのである。

「エリンシアさん。その妖精さんを説得するというのは難しくはないのですか?」
 デザートを切り分けながら、バルネアがエリンシアに尋ねる。

「まぁ、それは私におまかせだよ。ただ、妖精は基本的に人の目に触れたがらないんだ。メル嬢ちゃんの部屋には、私とこのバカ弟子だけで待機させてもらうよ。私達は妖精に気づかれない方法があるからね」
 エリンシアはそう言い、切り分けられた美味しそうなレモンパイを見て目を細める。

「坊や。心配なのは分かるけれど、決して坊やは部屋から出てきてはだめだよ。坊やが近づくと、妖精が現れない可能性が高いからね」
「はい、分かっています。どうかメルエーナのことをよろしくお願い致します」
 バルネアの切り分けたレモンパイを皆の前に給仕し終えたジェノが、そう言って頭を下げる。

「まったく、そんな殊勝な態度ができるんだったら、メル嬢ちゃんにもう少しアプローチしてやりなよ」
 エリンシアは呆れたような口調でいい、メルエーナが淹れてくれた紅茶を一口くちにする。

「いいかい? 本来、妖精は微力でも魔法の力を持つ者の前に現れるんだ。けれど例外として、魔力を持たない若い乙女の前に現れることもある。これは、成長とともに子供を産む準備をしている乙女は、命を宿すために強いエネルギーを溜め込み続けているためなんだよ。
 つまりだ。坊やがメル嬢ちゃんを本当の意味で『女』にしていれば、今回のようなことは起こらなかったんだよ、まったく」
 エリンシアは文句を言いながら、レモンパイにフォークを伸ばす。

「……えっ? それって、その……」
 リリィが頬を赤らめながらも、ニヨニヨとした視線をメルエーナに向けてくる。

「いっ、今はそんな話ではなくて、今晩のことを話しましょう!」
 一瞬、エリンシアが何を言っているのか分からなかったが、彼女が何を言っているかに気づき、メルエーナは顔を真っ赤にしながら大慌てで話に割り込む。

「やれやれ。奥手ばかりでつまらないねぇ。誰か一人でも既成事実を作れば、すぐに他の嬢ちゃん達も続きそうなんだがねぇ」
 エリンシアはやれやれと言った様子で、レモンパイを口に運ぶ。

「ああっ、美味しいねぇ。バルネア、うちのバカ弟子にも、今度パイの焼き方を教えてやってくれないかい?」
「ええ。お安い御用ですよ」
 バルネアは終始笑顔で、楽しそうだ。

「ジェノ坊や。食事が終わったら少し話したいことがあるから、自分の部屋で待っているんだよ」
「話ですか? はい、分かりました」
 怪訝な顔をしながらも、ジェノは了承する。

 いったいどんな話をするのか気になるが、今晩の事に集中したほうがいいと思い、メルエーナは気持ちを新たにするのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...