彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第四章 あの日憧れたあの人のように

⑰ 『帰り道』

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 温かい。
 すごく優しい温もりを感じる。

 それに、いい匂いがする。
 ホッとするような甘い香りが……。
 
 ただ、少しだけ体が揺れるのが嫌だ。
 それがなければ、このまま気持ちよく眠っていられるのに。

 ジェノは夢心地の中でそう思い、温かな塊にギュッと抱きつく。
 すると、頭を優しく撫でられた。頭にも温かさを感じて、ジェノはいっそう笑みを強める。

「大丈夫よ。もう少し眠っていなさい」
「……えっ?」
 その声を聞いて、ジェノは目を開ける。
 すると、白いジャケットと綺麗な紫色の髪が目に入ってきた。

「せっ、先生……」
「あら、ごめんなさい。起こしてしまったみたいね。でも、心配しないで。もうすっかり暗くなってしまったけれど、今、家に向かっている途中だから。それに、ペントさんにも話はしてあるわ。
 家に帰ったら、ペントさんの美味しいご飯を食べて、ベッドでゆっくり休みましょう」
 ジェノはようやく、自分がリニアの背中に背負われていることに気づく。
 それに、あたりを見回して見ると、もう太陽がほとんど見えなくなってしまっている。

「先生! 僕、自分で歩きます!」
 赤ん坊のように扱われるのが恥ずかしくて、ジェノはそう言ったが、リニアに「無理は駄目よ」と窘められてしまう。

「君の体はボロボロで疲れ切っているの。君が気を失っている間に、近くの病院で診てもらったら、『大丈夫だと思うが、くれぐれも安静にしてください』って言われているんだから」
 リニアの言葉は本当で、ジェノは体に力を入れようとしたものの、思うように動けない。
 そして、これまで何があったのかを思い出したジェノは、慌ててリニアにあれからのことを尋ねる。

「先生! マリアは、それとロディとカールの二人は、大丈夫なんですか?」
 マリアは先生が近くに居てくれたから大丈夫だったとは思うが、ロディとカールはあの後どうなったのか分からない。

「安心しなさい。全員無事よ。あの後すぐに、ロディ君とカール君が、マリアちゃんのところの使用人達を引き連れて戻ってきてくれたのよ」
 その言葉を聞き、ジェノは胸を撫で下ろす。

「……先生、ごめんなさい。僕は、先生に言われていたことを……」
「うん、そうね。私は危険な所には近づかないようにって言っていたのに、君はそれを破った。その事は、反省しないと駄目よ」
「はい。ごめんなさい……」
 ジェノは素直に謝罪する。

 そして、少し無言の時間が続いた。けれど、やがてリニアが口を開く。

「あらっ? それだけなの? 君には君の言い分が、正しいと思ったことがあるんじゃあないの?」
 リニアにそう言われたが、ジェノは「いいえ。僕は、結局何も出来なかったから……」とだけ言い、言い訳をしない。

「う~ん、困ったわね。悪い子の相手も大変だけど、君みたいに良い子過ぎるのも考えものね」
 リニアは苦笑交じりにそう言い、片方の手をジェノのおしりから離し、彼の頭を優しく撫でた。

「ロディ君達が、マリアちゃんの家の使用人さん達を呼びに行ったにしては、現場に彼らが到着するのがあまりにも早すぎたわ。
 でも、使用人さん達と互いの状況説明をして分かった。君があらかじめマリアちゃんの家行って、門番の人に話をしてくれていたのね。マリアちゃんが、裏通りに入っていってしまったって」
 リニアの言葉に、ジェノは「はい」と小さく頷く。

 三人が危険なところに行こうとしているのを止める方法が見つからず、ジェノは自分の力だけではどうしようもないと思い、広場から一番近いマリアの家に走っていって、門番の男の人に状況を説明した。
 ただ、それだけでは心配で仕方がなくて、ジェノは一人でマリア達の後を追ったのだ。

「マリアちゃんが説明してくれたわ。『怖い大人の人に攫われそうになっているところをジェノが助けてくれた』って。まぁ、君が気絶してしまったから、マリアちゃんは『ジェノが死んじゃう』って言って、なかなか話を訊くのが大変だったんだけれどね」
 リニアはジェノの頭を撫でるのを止めて、再び両手で、背中のジェノの体を支える。

「君は、私の言いつけを一つ破った。でも、それ以外は立派だったわ。
 あの大人達に捕まりそうになった時に、私が教えたとおり、大声で助けを呼んだでしょう? そのおかげで、私は君たちが近くにいることが分かった。だから、マリアちゃんと合流できたし、君の元に駆けつけられたのよ」
 リニアはそう優しく言ってくれた。けれど、ジェノはその言葉を聞いてもまるで嬉しいとは思わなかった。

「いくら距離があったとは言え、振り返れば視認できる範囲の視線を感じられないとは、まだまだ修行不足ね、先生も。
 あっ、でも、もしも少しでも殺気が込められていたら、きっと先生も分かっていたはずよ。だから、先生の実力を疑ったら駄目だぞ、ジェノ君」

 おどけたようにリニアは言う。けれど、それが自分への気遣いだと言うことが分かる。
 ペントや兄さんの沢山の気遣いをずっと目の当たりにしてきたジェノには、分かってしまうのだ。

「……先生は、すごく強かった。あの悪い人達を、あっという間に一人で……」
「ごめんね。先生もつい怒ってしまって。きっと、怖かったわよね?」
 リニアの問に、ジェノは「そんな事ない!」と大きな声で反論する。

「先生はすごく格好良かった! 僕とマリアを助けてくれた! でも、でも、僕は、僕は何も出来なかった。ロディ達を止めることも、マリアを助けることも、何も出来なかった!」
 ジェノは悔しさのあまりにリニアの短いジャケットを強く握ってしまう。

「先生にいろいろ教えてもらっても、僕は、今回も何も守れなかった! 弱いままだ! それが悔しい。悔しくて、仕方がないよ……」
 ジェノ声は、震えていた。

 怒りがこみ上げてくる。
 弱いままの自分が許せなくて。悔しすぎて。

「……ジェノ。今日、マリアちゃんを誘拐しようとした人間のように、君はなりたいと思うかな?」
 突然、リニアは訳のわからない質問をしてくる。

「そんなの、なりたいわけないよ!」
 ジェノは怒りを顕にする。

「どうして? だって、あの人達は、少なくとも今の君より強いわよ」
「……それは、そうだけど……。でも、僕はあんな大人になりたくないよ!」
「うん。そうね。あんな悪い大人になってはいけない。だから、焦っては駄目なのよ」
「えっ? どういう事?」
 ジェノには、リニアの言っていることがわからない。

「……昔、あるところに、剣の道を極めようと、十年以上も山に籠もって一人修行を続ける男の人がいました」
 リニアはジェノの質問に応えずに、何故かお話を口にし始めた。

「先生、何を……」
 そう尋ねても、リニアは話を続ける。
 
 ジェノは訳が分からなかったが、静かにリニアの話を聞くことにした。
 けれど、そのお話は、幼いジェノにとっては、とても衝撃的で難しい話だった。
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