彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

㉕ 『口論』

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 宿での夕食は、一階の食堂で提供される方式だった。ジェノとイルリアは二人でテーブルを囲んで、食事を味わう。
 一応、先ほど飲んだ水は、イルリアの魔法を封じている銀色の板を使って薬等が入っていないことは確認したが、魔法の数は有限である事に加え、ここでこちらの手の内を晒すような愚を犯すことはできない。

 少量ずつ出された食事を口に運んで味を確認したが、違和感はなかった。無味無臭の薬だった場合はどうしようもないが、いつまでも食事を取らないではいられない。

 ジェノは、味は悪くないが、さして特筆することのない素朴な夕食を静かに口に運びながらも、思考を巡らせる。
 もっとも、傍目には、無表情で食事をしているようにしか見えないのだが。

「ねぇ、もう少し美味しそうに食べられないの? 店の人が心配そうにあんたを見ているわよ」
 イルリアに注意され、ジェノは小さく嘆息する。

 マナー違反をしているわけではないのだ。他の客と同じ様に放っておいてくれと思う。
 自分を監視しているのかもしれないと思ったが、それならばこんな露骨な態度は取らないのではと思う。

「それで、何を考えていたのよ?」
 シチューを口に運び、イルリアが小声で尋ねてくる。

「ああ。逆を考えていた」
「はっ? 逆ってなによ?」
 イルリアのオウム返しに、ジェノは口を開く。

「先程の俺がした話が、まったくの見当違いだった場合を考えていた」
 流石に人の目と耳があるため、それ以上、ジェノは言葉にしない。

「ふーん。でっ、その可能性って有り得るの?」
「おそらくない。できれば、そうであってほしいが……」
 ジェノはそこまで言うと、また食事を開始する。

 先程のイルリアとの話では、あえて言わなかったが、『化け物』『巨大な壁』『神殿』『聖女』これらの他に、もう一つの事柄が関係していると考えた方が、ナターシャのあのときの態度も説明がつく。

「そうね。本当に杞憂であってほしいわ」
 イルリアもその事に気づいているのだろうが、自分が言わないため、あえて口にしない。

「ああ」
 ジェノは短くイルリアに同意する。
 この一件と、サクリは無関係であると思いたい。

 ジェノ達がそんな会話をしていると、宿屋にリットが戻ってきた。
 彼はひどく上機嫌なようで、ジェノ達を見つけると、こちらに歩み寄ってくる。

「ほう。悪くなさそうな夕食だな。お姉さん、俺にも同じものを」
 ウエイトレスの女性に注文をし、リットはイルリアの隣の席に腰を降ろす。
 イルリアは心底嫌そうな顔で、腰を少し浮かせて椅子を彼から遠ざけて座り直す。

「リット、何処に行っていたんだ?」
「んっ? ああ、野暮用、野暮用。これでもいろいろ駆け回って腹が空いているんだ。そのあたりの話は後でするよ」
 リットはそう言うと、運ばれてきたお冷を口に運ぶ。

「お前に話しておく必要があるかは分からんが、こちらでもいろいろあった」
「ああっ、だろうな」
 その思わせぶりな回答に、イルリアはジト目でリットを見る。

「リット、あんたはいったい何を……」
「止めておけ。絶対にこいつは口を割らない」
 ジェノは、イルリアの問を遮る。
 イルリアは不承不承ながらも口を噤み、食事を続ける。

「……リット。少し早いが、回答だ。俺とイルリアは、明日の午後にジューナ神殿長に会う約束になっている」
「はいはい、了解、了解。最後のチャンスも棒に振るわけね。いいぜ、それはそれで面白そうだ」
 リットは至極軽い感じで答え、ヘラヘラと笑う。

 先に部屋に戻るとイルリアが席を立ったが、ジェノはリットの食事が終わるまで同席した。

「すまなかった。お前に気を使わせたのにな。だが、俺は、やはり……」
 ジェノがそう言うと、リットは嘆息する。

「だから、別にいいって。ただな、選んだからには後で後悔はするなよ、ジェノちゃん」
 リットはそう言うと、デザートを食べ終わり静かに席を立つ。
 ジェノもそれに倣い、席を立って部屋に戻ることにした。








 部屋で休んでいると声がかかり、イルリアはジェノの部屋に足を運んだ。
 そして、リットを交えて、再び今日の出来事をジェノがリットに説明する。

「なるほどね。猿に似た化け物に子供が襲われ、更に犠牲になりそうだった男を、正義の味方のジェノちゃんがさっそうと現れて救ったというわけだ。
 物語なら犠牲になる人間が逆の気がするが、そういう話も斬新で悪くないかもな」
「茶化すな。人が死んでいるんだ」
「そうだな。確かに死んでいるな」
 分かっているのか、いないのか。リットはそう言って笑みを浮かべる。

「そして、その化け物を倒すと、タイミングよくナターシャ神官たちが現れたわけね。そして、ジェノちゃん達の活躍を大々的に宣伝した。そのことが引っかかっているってわけだ」
「ああ。そして、その際に、化け物に襲われそうになっていた男が、何かを俺に伝えようとしていたことが気になる。生憎と、邪魔をされてしまったせいで、それが何なのかは分からないままだ」

 ジェノの言葉を聞き、リットはさも面白そうに喉で笑う。
 その行為が、イルリアには腹立たしくて仕方がない。

「リット! あんたは何がおかしいのよ! 一人だけ何もかも分かっているって顔をして! この一件には、サクリも関わっているかもしれないのよ!」
 イルリアの怒りの声に、しかしリットの笑みは消えない。

「それがどうかしたのか、イルリアちゃん?」
「どうかしたのかってなによ! 分かっている事があるのなら教えなさいよ! 自分一人で情報を握っていて、分からない私達が苦しんでいるのを見るのがそんなに楽しいわけ?」
 イルリアはリットを睨みつける。

「イルリア」
「あんたは黙っていなさいよ! 何なのよ! なんでこいつにそんなに気を使っているのよ! こいつは今回の事件を殆どわかっているのでしょう? だったら……」
 話に割り込もうとしたジェノにも噛み付くイルリア。

 だが、そこでリットは声を上げて笑う。

「いいねぇ、いいねぇ。その自分勝手な物言い。分からない事を自分で調べようとせずに、知っている人間から教えてもらえるのが当たり前だと思っているわけだ」
「何でもかんでも訊いているわけではないでしょう。ただ、この一件は人の命が掛かっているのよ!」
「それで? 命が掛かっているのならば、俺は常にお前達に自分の情報を話さなければいけないルールでもあるのか? 俺は自分の意志もなく、お前達に有益な情報を与える便利な本だとでもいうのか?」
 
 リットは口元の笑みを崩さない。だが、その目が笑っていないことにイルリアは気づく。

「イルリア、お前の苛立ちも分かるが、少し静かにしていてくれ」
 ジェノに言われ、イルリアは文句の言葉を飲み込む。
 
「リット。教えられる範囲でいい。答えてくれないか?」
「いいぜ。それで、何を訊きたい?」
 ジェノに問われると、リットは再び笑みを浮かべる。

「すまないが、三つ教えてくれ。一つ目は、俺とイルリア、そしてお前は、この村で行われようとしている何かに巻き込まれようとしているということだな?」
「ああ」
「二つ目だ。その何かを解決するには、俺とイルリアでは手に余るということか?」
「そのとおりだぜ」
 そこまでリットの回答を聞き、ジェノは少し間をおいて、最後の質問を口にする。

「三つ目の質問だ。サクリは……」
「その質問には答えられない。ただ、前にも言ったように、サクリちゃんはもう助けられない。それが答えられる全てだ」
 
 イルリアは黙って二人の会話を聞いていたが、サクリを助けられないという話は初耳だった。

「なぁ、ジェノちゃん。ここまで分かったのなら、考えを変える気にはならないか? この村に残ったところで、サクリちゃんは救えない。そして、イルリアちゃんは淡い期待を抱いているようだが、ジェノちゃんのアレを聖女様が治すこともできない。
 それなのに、この村に残る必要なんてないはずだぜ?」

「どうして、どうしてあんたに、聖女様が治せないって分かるのよ!」
 我慢できなくなって、イルリアは再びリットに文句を言う。だが、リットは涼しい顔で、

「俺が治せないからだよ。天才の俺にできないことが、凡人にできるわけが無いだろう?」

 と言って笑う。

 納得がいかない。そんな自己陶酔な発言で、納得できるはずがない。
 かの有名な聖女様を、無名の魔法使いが根拠なく侮辱しているようにしか思えない。

 それに、サクリの事を話せないというのはどういうことだ?
 この男は思わせぶりなことを適当に口にしているだけで、本当は何も分かっていないのではないだろうかと、イルリアは勘ぐってしまう。

「リット。イルリア。すまんが明日の朝まで時間をくれ。少し話を整理したい」
 ジェノがイルリア達の間に入り、そう声をかけてきた。
 リットは「いいぜ。もともと明日の朝までの予定だったしな」とそれを受け入れ、イルリアも特に拒む理由もなかったので受け入れた。

 そして、この日は解散となった。

 けれど、結果として、翌朝になっても、ジェノの考えは変わることはなかったのだった。
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