彼は、英雄とは呼ばれずに

トド

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第三章 誰がために、彼女は微笑んで

㉑ 『交渉』

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 順番を先んじて、簡単な手荷物検査が行われ、イルリア達の入村が認められた。

 どのような意図がその行為にあったのかは分からないが、サクリが重病人なのは間違いない。
 さらに、神官のナターシャが、重病人を優先する旨を入村希望者たちに説明したこともあって、さしてトラブルにはならなかった。

 だが、イルリアは門をくぐり、この『聖女の村』に入った瞬間、違和感を覚える。

 何がどう違うのかは自分でも上手く理解できないが、空気が違うような気がする。
 なんだか、大気が少し重たいような感覚といえばよいのだろうか?

 巨大で厚さもかなりあるが、同じ土地なのだ。ただ壁を一枚隔てて中に入っただけで、どうしてこんな感じがするのかまるで分からない。

 だが、どうやらこんな感想を抱いているのは自分だけのようで、サクリも、ジェノ達も、特段気にした様子はない。
 しかし、男連中はどうでもいいが、サクリの体に差し障りがないようなのはありがたい。

 自分達の後から村に入ってきた人たちも、別段そのような違和感を覚えていそうな人間はいないようだ。

 イルリアは困惑したが、今はサクリの事が大事だと頭を切り替える。

 とにかく、目的の治療施設、この村の神殿に運ぼうと思ったのだが、それよりも早くに、先程の神官、ナターシャが数人の神殿関係者らしき若い女数人を引き連れて、自分たちの前にやって来る。

「担架をご用意させて頂きました。後は我々が患者を治療施設までお運びします」
 ナターシャはそう言い、イルリア達に頭を下げる。

 その申し出は嬉しい限りだ。そして、重病人を運ぶ方法としては最善の手だとも思う。
 だけど、このナターシャが、サクリを見る目が癪に障って仕方がない。

 彼女の目から感じる感情は、病人に対する慈しみでもなければ、憐憫でさえない。
 隠そうとはしているが、あれは好奇の目だ。そして、何故か嬉しそうに見える。

 どうして、これから治療を施す患者にあんな目を向けるのか分からない。だが、こんな目をする人間がいる神殿とやらに、サクリを預けたくはないと思ってしまった。

「ナターシャ神官様。私のような者にご配慮頂きありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
 しかし、当の本人であるサクリが、そう決めてしまっては、自分達に拒否する権利はない。
 
「サクリ」
 どうやら、ジェノもこのナターシャを快く思っていないようで、サクリに声をかける。
 けれど、サクリは困ったように笑うだけだ。

 更に彼女は、ジェノに小さく一礼をし、今度はイルリアの方を向いて微笑む。

「ナターシャ様。私は、この方たちにお世話になりました。特に、同じ女性ということもあり、こちらのイルリアさんにはとても良くして頂いたのです。
 そして、彼女は聖女ジューナ様にご相談したいことがあるとのこと。私程度が口を挟めることではないことは承知しておりますが、どうかご便宜を図って頂けませんでしょうか?」

 船の中で一度約束を交わしただけで、念押しなどはしなかったのだが、サクリは船の上でのやり取りをしっかり覚えていてくれた。
 そのことが、イルリアはとても嬉しい。

「そうでしたか。分かりました。それでは、まずは神殿までご足労下さいませ。大したおもてなしはできませんが、ご要望に応えられるよう、最大限努力致します」
 にっこりと笑みを浮かべ、玉虫色の返事をするナターシャに、イルリアの彼女に対する評価がまた下がる。

 だが、サクリが作ってくれたこのチャンスを無駄にはできない。後は、自分ができることをするだけだ。

 イルリアはそう心に決めて、神官たちに案内されるままに、この村の神殿に向かって行くのだった。







 この村は、壁に囲まれていることと、村の規模に似つかわしくない大きな神殿があること以外は、特筆することがない村だった。
 村の中には畑もあり、基本的に自給自足の生活を営んでいるようだ。

 そして、神殿も規模こそ大きいものの、決して華美ではない。
 ナターシャ神官の話によれば、患者を治療、収容する施設が巨大なだけらしい。

 サクリは、早急にベッドに移す必要があると言われ、ろくに分かれの挨拶もできずに神殿の入口で分かれることになってしまった。
 寂しくないといえば嘘になるが、ここでの治療を受けるためにサクリは旅を続けていたのだ。今は、彼女が無事にたどり着けたことを祝福するべきなのだろう。

 そして、ナターシャ神官の案内で、イルリア達三人は客間に通された。
 そこで、まずはこれまでの経緯を聞かせてほしいと言われたのだが、ここで一つのトラブルが起こった。

「どうぞ……」
 客間の席に着くと、殆ど間を置かずに、お茶を神官見習いらしき少女が運んできてくれた。
 イルリアはお礼の言葉を口にしたのだが、どうも自分の言葉は耳に入っていないらしく、その少女は、ジェノとリットを見つめたまま硬直してしまったのだ。

「……カリン。早く、お客様にお茶をお出ししなさい」
 カリンと呼ばれたその少女は、ナターシャに言われて、慌ててお茶をジェノ達の前に出したものの、また見惚れて動けなくなってしまう。

 ナターシャの何度目かの咳払いで、カリンは慌てて退室していったが、それから話を少し進める度に、別の少女が頼まれてもいないだろうに、代わる代わるお菓子などを運んできた。

 流石に、四人目がノックとともに入室してきたところで、ナターシャはこめかみを引きつらせながら、「すみません、少し席を外します」といい、四人目の少女の襟首を掴んで部屋を出ていこうとした。
 だが、どうやら廊下にもたくさんの神官見習いの少女達がいたらしく、ナターシャは部屋の扉を締めていても聞こえるくらいの大声で、お説教を始めてしまった。

「ジェノちゃん。俺達って罪な男だよなぁ」
 リットは、三人目の少女が持ってきてくれたお菓子を口に運び、うん、うんと頷いている。

 ちなみに、イルリアの前にはお菓子は置かれていない。

「……お前の言いたいことは分からんが、こんなところにサクリを預けるのが不安だ」
 ジェノはそういい、小さく嘆息する。

 まったくの同感で、イルリアは冷めたお茶を口にするのだった。







 そんな馬鹿げた事柄が一段落し、戻ってきたナターシャ神官に、ジェノがこれまでの経緯を説明した。
 そして、くれぐれもサクリのことをよろしくお願いする旨をジェノが釘刺し、神殿が用意してくれた宿に移ることになったのだが、イルリアは一人残ってナターシャと二人で交渉を開始することとなった。

 一時間ほどの交渉となったが、寄付をチラつかせたことが功を奏したのだろう。
 明日の午後からであれば、イルリアに直接お会いしてくれる旨の約束を取り付けることができた。

 寄付は、小金貨二枚ということで話がついたので、イルリアの交渉術の勝利と言っていい。
 もっとも、上手く事が運んだ末には、残りの小金貨三枚も寄付しようと彼女は思っている。

 上手くことが進んだが、イルリアはそれを顔には出さずに、ナターシャ神官に求められるまま握手をし、先に宿に行ったジェノ達を追いかけるべく、客間を後にした。

「ふぅ、まずは第一関門突破ね。後は、あのバカも一緒に……」
 イルリアはポーカーフェイスのまま歩き、これからのことに思考を巡らせる。

 だが、あまりにも事が自分の有利に進みすぎたことへの違和感を、この時のイルリアは感じることができなかった。
 
 そのことを、後にイルリアは悔やむ。
 だがそれに気づくのは、最悪の事態が発生した後。

 ……どうして気が付かなかったのだろう。
 話がうまくいったと、ほくそ笑んでいたのは、自分一人ではなかったことに。
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