62 / 248
第三章 誰がために、彼女は微笑んで
⑨ 『痛心』
しおりを挟む
エルマイラム王国を出港してから二日が経過した。
船は今、大海原を進んでいる。
乗船している客達は、景色を楽しんだり、海風を感じたり、釣りに興じる人もいるらしい。
だが、病に侵されたサクリには関係のないことだった。
ただ今朝も、自分達に割り振られた船室の小さな丸窓から、代わり映えのしない空と海面を見つめるだけで。
「……イルリアさん、すみません……」
日に何度か、サクリは同室のイルリアに頼んでトイレに連れて行ってもらう。
本当に、申し訳なくて恥ずかしい。
この程度のことすら自分一人で出来ないことが、恨めしくて仕方がない。
「はい。分かりました」
イルリアは嫌な顔ひとつせずに、サクリに肩を貸してくれる。
それは本当にありがたいことなのだが、これで自分はいいのだろうかとサクリは不安になる。
「こんなに他人に甘えてばかりの私を、カーフィア様は楽園に、天国に導いてくださるのだろうか? もっと頑張らないと。もっともっと苦しまなければいけないのではないだろうか?」
そのことが不安で仕方がない。
出港前に、あの<パニヨン>という店で、他人の優しさに触れたあの時に抱いてしまったあの感情。
それは、絶対に抱いてはいけないものだった。
だって、カルラとレーリアが死んでしまったのは私のせいなのだから。
それに、それは、絶対に叶わない願い。
私は、もう……。
サクリは一日中、罪の意識と自分の死後に痛心する。
どうすればいいのだろう?
イルリア達の助けを断って、自分で全てをする方がいいのだろうか?
だが、そんなことは、この体ではできそうにない。
それに、それは生きる努力を放棄してしまうことになるのではないだろうか?
「分かりません。分からないのです、私には……。カーフィア様、お教え下さい。私が罪を雪ぐ方法を……」
懸命にサクリは心の中で、信仰する女神カーフィアに願う。
だが、カーフィアは何も応えてはくれない。
そのことが、いっそうサクリを苦しめる。
「……そうですよね。私のような罪深い人間に、愚か者に、カーフィア様がお言葉を掛けて下さるはずがないですよね。
そうだ、もっともっと考えよう。考えないと……。私は天国に行けない。私はカルラとレーリアに会うことができない……。嫌だ、それは嫌だ……」
出口のない思考の迷路に迷い込んだサクリは、心のうちでずっと、不甲斐なく罪深い自身を罵り、傷つけ、体だけでなく心まで病んでいく。
だから、サクリは気づかない。
そんな自身を、同室のイルリアがどのような思いで見ているのかを。
◇
いつものようにリットが癒やしの魔法をサクリに掛けてくれた。
そして、いろいろと話しかけてくれたが、心ここにあらずと言ったサクリは、適当に頷くことしかしなかった。
自身を責め続けることに懸命な彼女には、それが精一杯だった。
やがてリットが部屋を去り、サクリはベッドに腰掛けながら、ずっと思考の迷路の中を一人で彷徨い続ける。
傍らで椅子に座るイルリアに、話しかけることはおろか、視線を向けることさえしない。
「イルリア、交代だ。朝食を食べてきてくれ」
「……ええ。そうさせてもらうわ」
ノックをして部屋に入ってきたのだろうが、サクリはジェノが部屋にやって来たことに気づかなかった。
だが、サクリには別にどうでもいいことだった。
この醜い顔をもう晒しているのだ。異性だからといって、今更何を恥じるというのだろう。
「サクリさん、朝食を食べてきます。すぐに戻ってきますので……」
「ええ」
思考し続ける事に疲れたサクリは、イルリアの言葉にようやく反応する。もっとも、彼女の視線はぼんやりと上を見たままだったが。
イルリアが座っていた椅子に、ジェノは無言で座る。
虚空を見つめるサクリも無言だったので、先程までと同様に、無言の時間が続いた。
だが、不意にジェノが口を開く。
「食欲がないのか?」
そう問われ、サクリは視線を彼には向けず、「すみません」と謝る。
今朝、サクリが目覚めると、すでに朝食の用意がされていた。
それを彼女はイルリアに促されるままに口にしたのだが、デザートのゼリーを半分食べて、パン粥はほんの一口しか口にしなかった。
別段、料理が不味かったわけではない。いや、むしろ美味しかった。
しかし、だからこそ、サクリはそれ以上食べようとは思わなかったのだ。
「別に、俺に謝るようなことではないだろう。だが、無理にでも食べて置かなければ持たないぞ」
「……すみません」
サクリはやはりジェノと視線を合わせずに、また謝る。
「何か食べたいものはないか? 船に備蓄されている食材で作れる範囲ならば、用意する」
ジェノの言葉に、サクリは小さく嘆息する。
「いいえ。私には、そんな贅沢な事を頼む資格はありませんから……」
「資格? どういうことだ?」
「……死んでしまった人は、もう何も食べられないんです。それなのに、私だけが……」
サクリの答えは答えになっていなかったが、ジェノはそれ以上、何も訊いてはこなかった。
◇
夕食も、サクリはほんの少し手を付けただけで、それ以上は食べようとはしなかった。
朝食よりは食が進んだようだが、このままでは体が衰えていく一方だ。
リットの魔法の効果で、病状はかなり安定しているものの、このまま手をこまねいているわけにはいかない。
ジェノは自室で一人思考する。
自分の今までの経験から、何を食事に出せばサクリが口に入れるのかを考える。
夕食は、バルネアに倣ってリゾットを出してみたが、やはり自分程度の腕では、サクリの食指を動かすには至らなかったようだ。
しばらく考え続けたジェノだったが、そこで旅に出る前に、バルネアに渡された物のことを思い出す。
それは、この船の厨房を使わせてくれるようにと書いてくれた紹介状と一緒に渡された少し大きな布巾着。
『困った時に開けてみて。何かの役に立つかもしれないわ』
あのバルネアさんがそう笑顔で渡してくれたものだ。もしかすると、サクリが食事をするきっかけになるものが入っているかもしれない。
情けないとは思うが、自分のプライドなどどうでもいい。今は、藁にもすがりたい気持ちだった。
「……これは、種?」
薄茶色の外皮に包まれたそれは、何かの果物の種のようだった。
だが、果物の種をバルネアが渡した意味が、ジェノには分からない。
しかし、布巾着の中には、種だけではなく、折られたメモ紙が入っていた。
ジェノはそれを開く。
そして、目に入ってきたのは、『バルネアさんのお料理教室♡』と丸っこい字で大きく書かれた文字だった。
「……やはり、バルネアさんの思考は、俺程度には理解できないな」
ジェノは頭痛をこらえるように頭に手をやり、しかしそのメモを読み進める。
呆れ顔だったジェノの顔が、次第に真剣なものに変わる。
そして、「流石はバルネアさんだ」と、彼はバルネアを称賛し、早速、メモに書かれた事柄を実行することにするのだった。
船は今、大海原を進んでいる。
乗船している客達は、景色を楽しんだり、海風を感じたり、釣りに興じる人もいるらしい。
だが、病に侵されたサクリには関係のないことだった。
ただ今朝も、自分達に割り振られた船室の小さな丸窓から、代わり映えのしない空と海面を見つめるだけで。
「……イルリアさん、すみません……」
日に何度か、サクリは同室のイルリアに頼んでトイレに連れて行ってもらう。
本当に、申し訳なくて恥ずかしい。
この程度のことすら自分一人で出来ないことが、恨めしくて仕方がない。
「はい。分かりました」
イルリアは嫌な顔ひとつせずに、サクリに肩を貸してくれる。
それは本当にありがたいことなのだが、これで自分はいいのだろうかとサクリは不安になる。
「こんなに他人に甘えてばかりの私を、カーフィア様は楽園に、天国に導いてくださるのだろうか? もっと頑張らないと。もっともっと苦しまなければいけないのではないだろうか?」
そのことが不安で仕方がない。
出港前に、あの<パニヨン>という店で、他人の優しさに触れたあの時に抱いてしまったあの感情。
それは、絶対に抱いてはいけないものだった。
だって、カルラとレーリアが死んでしまったのは私のせいなのだから。
それに、それは、絶対に叶わない願い。
私は、もう……。
サクリは一日中、罪の意識と自分の死後に痛心する。
どうすればいいのだろう?
イルリア達の助けを断って、自分で全てをする方がいいのだろうか?
だが、そんなことは、この体ではできそうにない。
それに、それは生きる努力を放棄してしまうことになるのではないだろうか?
「分かりません。分からないのです、私には……。カーフィア様、お教え下さい。私が罪を雪ぐ方法を……」
懸命にサクリは心の中で、信仰する女神カーフィアに願う。
だが、カーフィアは何も応えてはくれない。
そのことが、いっそうサクリを苦しめる。
「……そうですよね。私のような罪深い人間に、愚か者に、カーフィア様がお言葉を掛けて下さるはずがないですよね。
そうだ、もっともっと考えよう。考えないと……。私は天国に行けない。私はカルラとレーリアに会うことができない……。嫌だ、それは嫌だ……」
出口のない思考の迷路に迷い込んだサクリは、心のうちでずっと、不甲斐なく罪深い自身を罵り、傷つけ、体だけでなく心まで病んでいく。
だから、サクリは気づかない。
そんな自身を、同室のイルリアがどのような思いで見ているのかを。
◇
いつものようにリットが癒やしの魔法をサクリに掛けてくれた。
そして、いろいろと話しかけてくれたが、心ここにあらずと言ったサクリは、適当に頷くことしかしなかった。
自身を責め続けることに懸命な彼女には、それが精一杯だった。
やがてリットが部屋を去り、サクリはベッドに腰掛けながら、ずっと思考の迷路の中を一人で彷徨い続ける。
傍らで椅子に座るイルリアに、話しかけることはおろか、視線を向けることさえしない。
「イルリア、交代だ。朝食を食べてきてくれ」
「……ええ。そうさせてもらうわ」
ノックをして部屋に入ってきたのだろうが、サクリはジェノが部屋にやって来たことに気づかなかった。
だが、サクリには別にどうでもいいことだった。
この醜い顔をもう晒しているのだ。異性だからといって、今更何を恥じるというのだろう。
「サクリさん、朝食を食べてきます。すぐに戻ってきますので……」
「ええ」
思考し続ける事に疲れたサクリは、イルリアの言葉にようやく反応する。もっとも、彼女の視線はぼんやりと上を見たままだったが。
イルリアが座っていた椅子に、ジェノは無言で座る。
虚空を見つめるサクリも無言だったので、先程までと同様に、無言の時間が続いた。
だが、不意にジェノが口を開く。
「食欲がないのか?」
そう問われ、サクリは視線を彼には向けず、「すみません」と謝る。
今朝、サクリが目覚めると、すでに朝食の用意がされていた。
それを彼女はイルリアに促されるままに口にしたのだが、デザートのゼリーを半分食べて、パン粥はほんの一口しか口にしなかった。
別段、料理が不味かったわけではない。いや、むしろ美味しかった。
しかし、だからこそ、サクリはそれ以上食べようとは思わなかったのだ。
「別に、俺に謝るようなことではないだろう。だが、無理にでも食べて置かなければ持たないぞ」
「……すみません」
サクリはやはりジェノと視線を合わせずに、また謝る。
「何か食べたいものはないか? 船に備蓄されている食材で作れる範囲ならば、用意する」
ジェノの言葉に、サクリは小さく嘆息する。
「いいえ。私には、そんな贅沢な事を頼む資格はありませんから……」
「資格? どういうことだ?」
「……死んでしまった人は、もう何も食べられないんです。それなのに、私だけが……」
サクリの答えは答えになっていなかったが、ジェノはそれ以上、何も訊いてはこなかった。
◇
夕食も、サクリはほんの少し手を付けただけで、それ以上は食べようとはしなかった。
朝食よりは食が進んだようだが、このままでは体が衰えていく一方だ。
リットの魔法の効果で、病状はかなり安定しているものの、このまま手をこまねいているわけにはいかない。
ジェノは自室で一人思考する。
自分の今までの経験から、何を食事に出せばサクリが口に入れるのかを考える。
夕食は、バルネアに倣ってリゾットを出してみたが、やはり自分程度の腕では、サクリの食指を動かすには至らなかったようだ。
しばらく考え続けたジェノだったが、そこで旅に出る前に、バルネアに渡された物のことを思い出す。
それは、この船の厨房を使わせてくれるようにと書いてくれた紹介状と一緒に渡された少し大きな布巾着。
『困った時に開けてみて。何かの役に立つかもしれないわ』
あのバルネアさんがそう笑顔で渡してくれたものだ。もしかすると、サクリが食事をするきっかけになるものが入っているかもしれない。
情けないとは思うが、自分のプライドなどどうでもいい。今は、藁にもすがりたい気持ちだった。
「……これは、種?」
薄茶色の外皮に包まれたそれは、何かの果物の種のようだった。
だが、果物の種をバルネアが渡した意味が、ジェノには分からない。
しかし、布巾着の中には、種だけではなく、折られたメモ紙が入っていた。
ジェノはそれを開く。
そして、目に入ってきたのは、『バルネアさんのお料理教室♡』と丸っこい字で大きく書かれた文字だった。
「……やはり、バルネアさんの思考は、俺程度には理解できないな」
ジェノは頭痛をこらえるように頭に手をやり、しかしそのメモを読み進める。
呆れ顔だったジェノの顔が、次第に真剣なものに変わる。
そして、「流石はバルネアさんだ」と、彼はバルネアを称賛し、早速、メモに書かれた事柄を実行することにするのだった。
0
お気に入りに追加
60
あなたにおすすめの小説
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる