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第一章 『約束』の日

第一章ー④

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 道が土を固めたものから石畳に変わるところからが、このカリスの街の繁華街になる。

 ユウヤが以前に暮らしていた大都市とはさすがに比較にならないが、いくつもの店が立ち並ぶこの辺りは、早朝だというのに多くの人々が忙しそうに店の開店準備に追われていた。

「ああ、もう6時過ぎなんだ……」
 中央広間のベンチに腰を下ろして街の様子を眺めていたユウヤは、中央にそびえ立つ振り子式の大時計を確認し、なんとはなしに呟く。ぼんやりと辺りを見ているうちに思ったより時間が経過していたようだ。

「少しお腹が空いて来たけど……。いつもの店に行こうかな」
 コリィから貰った牛乳はまだ手付かずだったので、ユウヤはよく通っているパン屋に向かうことにする。

 繁華街の中央広場近くのパン屋『アプリコット』は、この街で暮らす人間なら誰もが足を運ぶ人気店だ。ユウヤも毎日とまではいかなくても、週に何度かは訪れている。

 すでに店の前には、オープンカフェのようにテーブルと椅子、そしてパラソルが何セットも並び終えられていた。

「んっ~! いい天気。今日も良い日になりそうだねぇ」
 純白のコックコートを身にまとった二十代半ばくらいの女性が、そう言って大きく伸びをする。美しい銀髪を背中で束ねたその女性は、その髪にも負けない美貌の持ち主だ。

「おっ、おはようございます、ルミラさん」
 ユウヤはそのコックコート姿の女性に話しかけた。

「おや、おはよう、ユウヤさん。どうしたんだい? まだまだ安売りまでは時間があるよ」
 ルミラと呼ばれた銀髪の美女は、そういって意地の悪い笑みを浮かべる。

「ううっ……」
 朝の挨拶の直後に皮肉を言われ、ユウヤは言葉に詰まる。

 ユウヤは足しげくこのパン屋にパンを買いに来ているが、ほとんどの場合は閉店時間近くの安売りの商品が目当てだ。ルミラはそのことを暗に非難している。

「なんてね。冗談、冗談さね。うちの店に食べに来てくれたんだろう? ほら、ほら、ここに座った、座った。すぐに持ってくるからさ」
「あっ、その……。はい……」
 ルミラに背中を押され、ユウヤは手近な席に座らされてしまう。朝食を食べにきたのだから、そのことは何も問題ないのだが……。

「あっ、あの。僕は何も注文してないんですけど……」
 ルミラはユウヤの注文も聞かずに店の中に入って行ってしまった。そもそもまだ開店には少し早いはずなのに。

 そんなユウヤの心配をよそに、十分ほどでルミラは紅茶と大皿を持って戻ってきた。

「はい、今日は大サービスで『モーニングセット特別版』だよ。値段は普通のモーニングセットと同じにしておくから安心して食べとくれよ」

 ユウヤはテーブルに置かれた『モーニングセット特別版』とやらの皿を見て言葉を失った。クロワッサンと名前が分からないパンが四種類だけでもボリュームがありすぎるのに、長めのソーセージが三種類にサラダとスクランブルエッグまで付いている。
 ユウヤは一口も食べないうちから胸やけしそうになった。

「あっ、あの、ルミラさん。お気持ちは嬉しいんですけど、この量は……」
「なに言っているんだい。男の人だったらそれくらい軽いだろう? 朝はしっかり食べないと力が出ないよ。ただでさえユウヤさんは線が細いんだから、しっかり食べなきゃだめさね」

 人が気にしていることをズケズケと言うルミラは、正直なところ、ユウヤが苦手なタイプだった。だが、それならば嫌いなのかというと決してそうではない。
 ルミラはカラッとした性格で陰湿なところがないので、ユウヤは何を言われてもさして不快には思わない。それに、いつも世話になっている人の親なのだ。無下にすることはできない。

「……なるほど、そういうことか」
 そんな声とともに、不意に店の中から一人の女性が現れた。開店前のパン屋から出てきたにもかかわらず、何故かその女性はスーツ姿だ。

 ルミラと同じ銀髪のその女性は、顔の造詣もルミラに酷似している。加えて背丈も年かさも同じくらいに見える。
 あえて差異を上げるのなら、この女性のほうが目つきが鋭く、眼鏡を掛けていることくらいだろう。……双子の姉妹と言われてもまったく違和感がないが、信じられないことにこの二人は親子なのだ。

「あっ、レミア区長。おはようございます」
 ユウヤがそうスーツ姿の女性に挨拶をする。するとレミアと呼ばれた女性は口元を僅かに緩めた。

「おはよう、ユウヤ殿。しかし、休日まで「区長」はやめてくれないか? レミアと呼んでくれれば良い」
 レミアはそう言うと、ルミラに視線を移してこれ見よがしにため息をついた。

「母よ、少しは歳を考えたほうが良い。朝から浮かれて鼻歌交じりに料理している姿を見たときには寒気がしたぞ……」
「なっ、何をいっているんだい、あんたは。だいたい、何で今日に限ってそんなに早起きなのさ? いつも昼過ぎまで起きやしないのに」
 なにやら二人が言い争いを始めたが、その中に入って行く度胸がないユウヤは、傍観者を決め込むことにした。

「……まったく、休日くらいは家の手伝いでもしたらどうさね?」
「ふぅ~。日夜この街のために身を粉にして働く娘を労って、休日くらいはゆっくり休ませてあげようと思うのが母の愛情だと私は思うが……」

 レミアの仕事は、この街を四等分した地区のうち、このカリス第一地区の自治を行うことだ。この街の政は、予算の配分や大規模な事業の執行は各区長の話し合いで決定されるが、それ以外の行政的な業務の大部分は区の執行機関が執り行っている。

「まぁ、たしかにレミア区長は毎日頑張っているよなぁ……」
 ユウヤは心のうちでそう呟く。

 シノの紹介で、ユウヤはレミアの元で働くことになったのだが、当初はそんな公務員のような仕事を要領が悪い自分が上手くやっていけるのか不安で仕方がなかった。だが、レミアや仕事仲間の懇切丁寧な指導によって、最近はユウヤも何とか仕事に慣れてきた。

「……冷めてしまう前に頂こうかな」
 親子の口喧嘩が一向に終わりそうにないので、ユウヤは牛乳を開けて『モーニングセット特別版』から一つのパンを取る。そしてまだ少し熱い焼きたてのパンを適度な大きさにちぎって口に運んだ。

「……美味しい……」
 売れ残りのパンを買って食べているときも十分美味しいと思っていたが、焼きたてのパンの美味しさは段違いだった。

「ふふん、美味しいでしょう? やっぱりパンは焼きたてが最高さね」
 口喧嘩をしていたというのに、ルミラは耳聡くユウヤの感想を聞き、得意げに微笑む。

「スクランブルエッグはもちろんだけど、そのソーセージも私の手作りなんだよ。早く食べて感想を聞かせとくれよ」
「まったく、娘とさして年の変わらない殿方に食いつくなというに……」
 レミアは「嘆かわしい」と頭を抱えてかぶりを振る。

「ああっ、うるさい! 嘆かわしいのは私の方さね。ユウヤさんにあんたの部屋を見せてやりたいよ」
 ルミラのその言葉に、しかし当のレミアは表情ひとつ変えない。

「ふっ、今はまだそのときではないのだ、母よ。何事にも頃合というものがある」
 レミアは視線をユウヤに向け、妖艶な笑みを浮かべた。

「ふふっ、ユウヤ殿。今のやり取りで、私の部屋がどんなものか想像力を膨らませてしまっただろう? 安心したまえ。足の踏み場もないほど散らかっているといったようなオチではないぞ。その時が来たらいずれ招待しよう。
 気になるだろう? 普段はお堅く、年長者であるユウヤ殿を顎で使う傲慢な女の部屋がどうなっているのか? ふふふっ、楽しみだ。殿方に弱みを握ぎられて……ふふっ、ふふふふふっ……」
 怪しげな言動とともに身悶えしている娘の姿に、こんどはルミラが呆れて嘆息した。

「どうしてこんな娘になっちまったんだろうねぇ……」
「はははっ……」
 ユウヤは乾いた笑い声を上げるのが精一杯だった。

 仕事ができ、部下思いで良識のある女性――実際、ユウヤは彼女に顎で使われた事など一度もない――なのだが、たまに奇怪な言動をすることがある。

 初めてそれを目の当たりにしたときはユウヤも驚いたが、仕事仲間にそのことを相談すると、「ああ、いつもの発作みたいなものなので気にしないで下さい」と疲れたような笑顔で言われてしまったため、気にしないように努力している。

「おっと、私としたことが。いかん、いかん。すまなかった、ユウヤ殿。忘れてくれ」
「……ええ。忘れます」
 ユウヤとしてもできれば覚えていたくない。

「ああ。そうしてくれると助かる。……んっ? 母よ。いつまで油を売っている。見てみろ、お客様がお見えだ。早く接客に行かないか」
「やかましい! あんたも手伝いな!」
 文句を言いながらも、お客さんを待たせるわけには行かないのだろう。ルミラは足早にそちらに向かっていく。どうやらいつの間にか開店時間になっていたようだ。

「まったく、困った母だ……」
 レミアはそう言うと、当たり前のようにユウヤの向かいの席に腰を下ろす。

「ユウヤ殿。この量を一人では食べきれないだろう? 実は私も朝食がまだなのだ。お裾分けを願いたいのだが……」
「えっ、ええ。どうぞ、どうぞ。正直助かります」
 ユウヤの答えにレミアは口元を綻ばせた。

「ふふっ、ありがとう。だが、せっかくの機会だ。全品少しずつでいいから味をみてくれないか? これらのパンはうちの人気の商品を上位から選んだものだ。母もユウヤ殿にうちのパンの焼きたて、出来立てをぜひ試してもらいたかったのだろう」
「ええ。それはもちろん」
 ルミラの厚意を無にするのは気がひける。ユウヤはレミアの提案を受け入れた。

「ありがとう。それと、もうひとつだけ頼みがあるのだが……。まぁ、冷めては母に恨まれるから、食べながら聞いてほしい」
 ユウヤは「ええ」と頷き、レミアが二つに分けて手渡してくれた平べったいパンを頬張った。

「これも美味しい……」
 ほんのり温かいこのパンは、表面は香ばしいが中身はモチモチしていて、そこに挟まっている厚切りのハムとチーズとの相性がすばらしい。

「これは、チャバッタというパンだ。何でもスリッパが語源らしい。うちではこのパンを使ったサンドイッチがとても人気があって、すぐに売切れてしまうのだ。だが、一度は食べておく価値がある味だろう? ましてや出来立てとなれば格別だ」
 レミアは得意げに微笑む。口喧嘩はしても、母の作るパンは自慢の種のようだ。

「ユウヤ殿。実を言うと、毎日ユウヤ殿が売れ残りのパンを買って行くたびに『焼きたてが美味しいのに……』『たまには焼きたてを食べに来れば良いのに……』『モーニングセットを食べに来てくれたら、特製ソーセージもサービス増量するのに……』と母がぼやいているのだ。できる範囲で良いから、たまには焼きたてのパンを食べに来てはくれないか?」

 レミアのその願いに、ユウヤのパンを食べる手が止まる。ユウヤは、まさか自分の日頃の行いがルミラを悩ませていたとは夢にも思わなかった。

「……ええ。すみません。今度からは是非食べに来させてもらいます。こんなに美味しい焼きたてのパンを食べないのは、正直もったいない」
 ユウヤのその答えに、レミアは満足げに頷いた。

「ああ。そして、美味しいと思ったら美味しいと言ってやってくれ。もちろん、何か問題がある場合もありのままにだ。ユウヤ殿に言われれば母も気合を入れて改善するだろう」
 レミアはそう言うと、今度はクロワッサンを半分にしてユウヤに手渡す。
 ユウヤはそれを受け取り、牛乳を一口飲む。
「うん。牛乳が一緒だと余計に美味しい」

 パンと牛乳の相性がいいことは分かっているが、パンはもちろん、この牛乳も濃厚なのにへんな癖がなくて最高の味だ。コリィが気に入ったら配達も考えてみてと言っていたが、検討の余地は十分ありそうだ。

「あっ……」
 ふと、元気なコリィの顔を思い出し、ユウヤは先ほど彼女の冗談を叱責してしまった事を思い出した。今更だが、やはりあれは自分が言いすぎたと思う。

「あの、レミア区長……」
「『レミア』だ、ユウヤ殿」
 レミアにそう指摘され、ユウヤはもう一度言い直す。

「あっ、すみません。レミアさん、一つお願いが……」
「……ぬぅ、少しだけ不満だが妥協しよう。それで、何かな、お願いというのは?」
 ユウヤにはレミアの言う不満が何なのかは分からなかったが、続きを促されたので言葉を続ける。

「このお店には、菓子パンと言うか、パイ生地にクリームをはさんだり、生地に蜂蜜とジャムを掛けたりした甘いお菓子のようなパンもいくつかあったと思うんですが、それを、えっと、二十個ほど買いたいので、人気のあるものを見繕ってもらえませんか?」

 後でルミラさんに頼んでもいいのだが、開店早々ということもあり、彼女は従業員の少女たち数人とせわしなく走り回っている。頼むのは気がひける。

 先ほどのパンの説明を思い出すと、レミアさんはやはりこの店の娘だけあってパンには詳しいようだ。人気のある商品は当然分かっているだろう、とユウヤは考えた。

「それくらいはお安い御用だが、いったい誰に持って行くつもりなのか教えてくれないか? ユウヤ殿が一人でそんなに食べるとは思えないし、シノに持って行くにしても量が多すぎる」
「いや、その、先ほど、コリィの軽い冗談を大人気なく叱ってしまったので、お詫びをしたいんですよ」
 ユウヤはそれだけしか説明しなかったが、レミアは「そうか」と言って微笑む。

「しかし、いくらコリィでも二十個は多くはないか?」
「それは、その、コリィの話だと、彼女の会社の事務所にはいつも十人くらいの人がいるらしいので、その人たちの分もと思いまして……」
 ユウヤのその答えに、レミアは興味深げに「なるほど」と軽く頷く。

「だが、何故コリィ以外の他の従業員の分までパンを買って行こうとするのだ? せっかくユウヤ殿がうちの店の売上に貢献してくれているのに、こう言ってはなんだが、二十個も買うとなると結構高いものになるぞ。クリームなどを使っているパンはどうしても単価が高くなってしまうからな」

「いえ、特に深い意味はないです。ただ、コリィの分しか買って行かなかったら、貰えない他の人は気分がよくないと思うので……。それに、そんなことをしたらコリィも周りの目を気にして食べられないでしょうしね」
 ユウヤがそう答えると、レミアは目を細めて微笑む。

「えっと、何か変なこと言いましたか? あっ、それとお金も大丈夫ですよ。それくらいのお金は持っていますし、その、あの……」
 レミアの優しい笑みに、ユウヤは自分が何かおかしなことを言ってしまったのかと慌てた。だが、思い返してみても今喋った内容に別段おかしなところはなかったと思う。

「すまない、気にしないでほしい。ただ、ユウヤ殿は本当に優しいなと思ってな。それに、ユウヤ殿は仕事も飲み込みが早くて丁寧だ。シノが気に入っているのも頷ける。まぁ、私個人の意見を言わせて貰うなら、もう少し、その、強引な部分もほしいところだがな。ふっ、うふふふっ……」
 また何かの発作が起きたのか、レミアは怪しく笑う。

「……僕はたいした人間じゃありませんよ。レミアさん達の指導が……」
「ストップだ、ユウヤ殿。話の腰を折ってすまないが、もう一度私の質問に答えてもらうぞ」

 話を遮り、いつもの発作から回復したレミアが真顔でユウヤにそう告げた。

「えっ、あっ……。なっ、何です? 質問というのは……」
 あまりに突飛なレミアの変化に戸惑いながら、ユウヤは彼女に話を続けるように促す。

「ああ。前から気になっていたのだ。ユウヤ殿の手馴れた仕事ぶりを見るに、私のところでの仕事が初めてとは考えられない。そして、私や職場仲間がその仕事ぶりを褒めると、ユウヤ殿は何故かあまり嬉しそうな顔をしない。いや、もっと言えば、どこか悲しそうな顔をしているように思える。これらのことから、以前の職場で何かしら嫌なことがあったと推測せざるを得ない。
 さて、前置きが長くなったが質問は単純明快だ。前の職場で何があったのだ? 今後の私たちの仕事に関わってくることなので、拒否権と黙秘権は認めない。もちろん虚偽を口にするなどはもってのほかだ。以上のことを踏まえた上で、答えてくれ、ユウヤ殿。他言は絶対にしない」

 見事なまでの一方的な要求に、ユウヤは苦笑せざるを得なかった。だが、レミアが真剣なのは分かった。「話してみろ、私がどうにかしてみせる」とその目が語っている。人の上に立つ人間の責任感と気概が感じられた。

「すごいな、この人は……」
 ユウヤは言葉には出さなかったが、心からそう思い、レミアに尊敬の念を抱いた。以前の職場にいた場当たり的な体裁しか考えない自分の上司たちとは、そして、こんな情けない自分とは大違いだ。本当に、若いのにしっかりしている。

「……以前の職場で、上手く仲間と馴染めなかったんです。それに僕はもの覚えが悪くて、仕事が思うようにできなかったので……」
 レミアの真摯な姿勢に、ユウヤは以前の職場でのことを彼女に打ち明けた。もっとも、苛められていた事や元の世界のことはぼやかしたが。

「……なるほど、そういう事か。やれやれ、呆れてものも言えないとはこのことだな」
 レミアは小さくため息をつき、言葉を続けた。

「こう言ってはユウヤ殿に失礼かもしれないが、その会社に未来はない。辞めてよかったと私は思うぞ」

「えっ、その、レミアさん。みっ、未来がないとは?」
 思いもかけないレミアの言葉に、ユウヤは驚きの声を上げる。ユウヤは情けない自分がレミアに呆れられたものだとばかり思っていた。

「なに、簡単なことだ。会社にしろ何にしろ、組織というものはその構成員の人間関係にはもっとも注意しなければならない。チームワークの良し悪しで仕事の効率がまるで違うからな。ゆえに、そこに問題があるのであれば、早急に手を打たねばならない。
 だが、ユウヤ殿が以前に勤めていた会社のトップ、そして上司たちは、そんなことも理解していないようだ。そのような者たちが舵取りをしている会社が伸びて行くはずがない」
 そう言いながら、レミアはソーセージをフォークに刺してユウヤに手渡した。

「それと、ユウヤ殿は一つ思い違いをしている。一生懸命仕事に取り組もうとしている部下が仕事を上手くできないのであれば、それは全て上司の責任だ。ユウヤ殿に非はない」
 そこまで言うと、レミアは再び笑みを浮かべた。

「おっと、冷めてしまうぞ。熱いうちに口に運んでくれ」
 レミアの話に聞き入っていて、食べることを忘れていたユウヤは、慌ててソーセージを口に運ぶ。
 プツンと歯ごたえのいい皮を噛むのと同時に、温かくて絶妙の味付けの肉汁が口の中に広がる。ハーブも塩も控えめで口当たりが優しいが、噛むほどに濃厚な旨みがあふれ出てくるようだ。

「ふふっ、どうだ、美味しいだろう? このソーセージは私の大好物なんだ」
 ユウヤが「ええ」と頷くと、レミアは満足げに頷いた。

「ユウヤ殿。この二ヶ月ほど、私たちはユウヤ殿と一緒に仕事をしてきた。お世辞でもなんでもなく、ユウヤ殿はよくやってくれている。不慣れな仕事のはずなのに最初から十分な戦力だった。
 つまりだ。今までユウヤ殿は上司に恵まれなかっただけだ。何も自分を卑下することはない」
「いや、その……僕は……」
 褒められ慣れていないユウヤは、なんと言えばいいのか分からない。

「まぁ、散々偉そうなことを言ったが、かく言う私もまだまだ若輩の身で至らぬところだらけだ。だから、ユウヤ殿。私に力を貸して欲しい。私には貴方が必要だ」
 そこまで言うと、レミアは静かに立ち上がった。

「やれやれ。休日だと自分で言っておきながら、仕事の話ばかりしてしまった。気持ちばかりだが償いをさせてもらうとしよう。
 ユウヤ殿は残りを食べていて欲しい。要望のパン二十個。それまでに用意しておこう」
 惚れ惚れするような力強い笑みを浮かべ、レミアはそう言い残して店の中に入って行った。

「……はははっ、格好良すぎるな、レミアさん……」
 ユウヤの口から素直な感想が漏れた。生まれてから長いこと男をやっている自分よりも、レミアはずっと男前だ。

 どうしてこうも人間の出来が違うのだろう。自分などには今のような台詞は一生口にすることはできそうにない。

 正直、そんな自分を情けないと思うが、それと同じくらいに、年若いが有能で部下思いの上司の元で働けることは幸せなことだとも思う。

「……せっかくのパンが冷めてしまうな。美味しいうちに頂こう」
 ユウヤはパンを口に運ぶ。やはり美味しい。
 でも、それはパンが美味しいからだけではないと思う。

 あまりのサービスに驚いたが、ルミラの気遣いがやはり嬉しかったから。そしてレミアが一緒に食事をしてくれて、自分を必要だといってくれたのが嬉しかったからこそ、このパンをこんなにも美味しく感じるのだろう。

「……美味しいな。本当に……」
 ユウヤは微笑みを浮かべる。だが、その笑顔にも何故か憂いが含まれていた。
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