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俺と日乃本先輩
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後ろで何やらうんうん言っているお嬢様を尻目に、ふかふかのカーペットの上を歩いて部屋を出る。
ドアノブ一つにも握りやすさと意匠が相席していて、庶民である俺がここにいて本当に正しいのか疑問に思えてくる。そもそも俺はほとんど見習いで、執事の仕事など素人に毛が生えた程度しかできない。一応の研修期間を経てお嬢様に太鼓判…といってもえこひいき全開の太鼓判…を押してもらって今俺はこの燕尾服に身を包んでいる。
「…燕尾服なんて着るのはアニメや漫画の中の執事だけだと聞いていたのだが」
誰にともなく独り言ちて、昼下がりの陽気が差し込む大きな窓の近くでぼんやりと外を眺める。
少しでも精神が落ち着くなら、と外を見て見たがだめだった。綺麗に手入れされているバラの花やサッシまで一切手を抜かれた様子の無い窓を見ていると、俺なんかがここにいてもいいのか更に不安になるだけだった。
別に一生かかってもここまで技術を上げられないとかそういうわけではなく、ただただ自分の場違い感に頭を悩ませているだけなのだが。
ともあれ、この環境にも慣れる必要があるだろう。というのも俺は非常に金銭的に余裕がない。ほとんど給料を引かずにこの邸宅に部屋を設けてくれるお嬢様のような雇用主は一生見つからない、つまるところ他の仕事を選んでいる余裕など全くない。両親は他界しているし、妹も姉も頼ろうと思えば優しいのだが妹はアメリカ、姉はイギリスの地で暮らしている。日本語すらあまり得意ではない俺が海外に行ったところで途方に暮れて人混みを眺めることしかできないだろう。
日本に住んでいるのは俺一人なので、自分が稼がないことには明日の食べ物すら確約されない。こんな俺とは違ってカリスマモデルとして活躍している妹、ホワイトハッカーとして腕を揮う姉はかなりの富を築きつつあるらしい。
それもあってたまに贈り物とかしてくれるのだけど、ありがたいと同時に申し訳なさと不甲斐なさで押しつぶされそうになっている。うちの三人の中で唯一の男である俺がようやく職に就けたというだけでもうなんだ、自害したい。
「おい折弥クン。何故そんなところで頭を抱えているのだ。手が空いているなら手伝ってほしいことがあるのだが」
ふと隣から聞こえた声に名前を呼ばれて顔をそちらの方向へと動かすと、そこには男でも小さくはない方の俺よりわずかに背の高い、執事らしいきっちりとしたスーツに身を包んだ長髪の女性が立っていた。
俗に言う男装の麗人なのだと思う。切れ長の瞳は油断ない鷹を彷彿とさせ、すらっとしたその足はモデルの様に美しい。声も高いというよりは中性的で、何も知らない女性の前に出すと黄色い悲鳴を上げられること間違いなし。
「…何をしているんだ折弥クン。ボクの事を見つめていても仕事は終わらないぞ」
「す、すみません、少し自分が場違いなような気がして」
少し責めるような口調で言われてしまい、俯きがちに俺はこう答えるしかない。なんとも情けない限りである。
こうして仕事を持ってきてくれた人間に対して見せていい態度ではないとは重々承知しているものの、体は反射的にそう動いてしまう。
ゆっくりと視線を上に戻すと、俺の言葉が意外だったのか、その長身の女性…日乃本穂丸さんは少し驚いたような顔をして、半ばあきれるように微笑んだ。
「あのなぁ…。確かに執事って仕事は簡単じゃない。完璧である必要があるし、時には執事の発言一つが主の信頼を地に落とすことだってある。そこは否定しないし否定できない」
「そう、ですよね。すみません職務中に弱音なんて…」
「こら、人の話は最後まで聞かないか。でもだからって折弥クンが気にし過ぎることも良くないんだ。まだ君は何の過ちを犯しているわけでは無い。確かに君は今までこの環境に触れていなかったから居心地が悪いだとか勝手が悪いだとか動き方が分からないとか色々あるだろうさ。けどそんなの、誰でも同じさ」
「誰でも…同じ?もしかして日乃本先輩も?」
「ああ。恥ずかしながら初めて仕事をした時は緊張しすぎて主が大切になされていたティーカップを割ってしまってね」
少し恥ずかしそうに自分の失敗談を教えてくれる日乃本先輩。
だが聞いている身としては俄には信じられない。素人である俺の目から見ても先輩の立ち振る舞いは完璧に近しい。
常に一歩身を引き、けれども裏ではやるべき仕事をきっちりこなすエキスパート。
主の影と形容するにふさわしい立ち回りだ。
「だからさ、そんなに気に病むことはないさ。勿論失敗したら謝らなくちゃいけないし、場合によっては取り返しのつかないことになる。だけどそんなの考えるには君はまだ経験が浅すぎる。幸いここの主は寛容だ。とりわけ君に対してはね」
「それは…まぁ、そうですね。お嬢様は俺にとても良くしてくださいます」
「そうだろう?だったら折弥クンは失敗なんて恐れずにただ仕事に全力を出すだけでいい。空回りするようならボクが教えてやるさ」
控えめに言って日乃本先輩は非常に格好良かった。姉貴肌、というやつなのだろうか。
頼れる味方を手に入れた…いや頼れる味方がこんな近くにいる幸運に感謝する。
だったら俺がやるべきことは一つ。先輩のやさしさに答えなければならない。
「先輩、仕事に生きましょう。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「ああ、精々努力したまえ」
先輩と肩を並べて、仕事があるという場所へ向かうのだった。
ドアノブ一つにも握りやすさと意匠が相席していて、庶民である俺がここにいて本当に正しいのか疑問に思えてくる。そもそも俺はほとんど見習いで、執事の仕事など素人に毛が生えた程度しかできない。一応の研修期間を経てお嬢様に太鼓判…といってもえこひいき全開の太鼓判…を押してもらって今俺はこの燕尾服に身を包んでいる。
「…燕尾服なんて着るのはアニメや漫画の中の執事だけだと聞いていたのだが」
誰にともなく独り言ちて、昼下がりの陽気が差し込む大きな窓の近くでぼんやりと外を眺める。
少しでも精神が落ち着くなら、と外を見て見たがだめだった。綺麗に手入れされているバラの花やサッシまで一切手を抜かれた様子の無い窓を見ていると、俺なんかがここにいてもいいのか更に不安になるだけだった。
別に一生かかってもここまで技術を上げられないとかそういうわけではなく、ただただ自分の場違い感に頭を悩ませているだけなのだが。
ともあれ、この環境にも慣れる必要があるだろう。というのも俺は非常に金銭的に余裕がない。ほとんど給料を引かずにこの邸宅に部屋を設けてくれるお嬢様のような雇用主は一生見つからない、つまるところ他の仕事を選んでいる余裕など全くない。両親は他界しているし、妹も姉も頼ろうと思えば優しいのだが妹はアメリカ、姉はイギリスの地で暮らしている。日本語すらあまり得意ではない俺が海外に行ったところで途方に暮れて人混みを眺めることしかできないだろう。
日本に住んでいるのは俺一人なので、自分が稼がないことには明日の食べ物すら確約されない。こんな俺とは違ってカリスマモデルとして活躍している妹、ホワイトハッカーとして腕を揮う姉はかなりの富を築きつつあるらしい。
それもあってたまに贈り物とかしてくれるのだけど、ありがたいと同時に申し訳なさと不甲斐なさで押しつぶされそうになっている。うちの三人の中で唯一の男である俺がようやく職に就けたというだけでもうなんだ、自害したい。
「おい折弥クン。何故そんなところで頭を抱えているのだ。手が空いているなら手伝ってほしいことがあるのだが」
ふと隣から聞こえた声に名前を呼ばれて顔をそちらの方向へと動かすと、そこには男でも小さくはない方の俺よりわずかに背の高い、執事らしいきっちりとしたスーツに身を包んだ長髪の女性が立っていた。
俗に言う男装の麗人なのだと思う。切れ長の瞳は油断ない鷹を彷彿とさせ、すらっとしたその足はモデルの様に美しい。声も高いというよりは中性的で、何も知らない女性の前に出すと黄色い悲鳴を上げられること間違いなし。
「…何をしているんだ折弥クン。ボクの事を見つめていても仕事は終わらないぞ」
「す、すみません、少し自分が場違いなような気がして」
少し責めるような口調で言われてしまい、俯きがちに俺はこう答えるしかない。なんとも情けない限りである。
こうして仕事を持ってきてくれた人間に対して見せていい態度ではないとは重々承知しているものの、体は反射的にそう動いてしまう。
ゆっくりと視線を上に戻すと、俺の言葉が意外だったのか、その長身の女性…日乃本穂丸さんは少し驚いたような顔をして、半ばあきれるように微笑んだ。
「あのなぁ…。確かに執事って仕事は簡単じゃない。完璧である必要があるし、時には執事の発言一つが主の信頼を地に落とすことだってある。そこは否定しないし否定できない」
「そう、ですよね。すみません職務中に弱音なんて…」
「こら、人の話は最後まで聞かないか。でもだからって折弥クンが気にし過ぎることも良くないんだ。まだ君は何の過ちを犯しているわけでは無い。確かに君は今までこの環境に触れていなかったから居心地が悪いだとか勝手が悪いだとか動き方が分からないとか色々あるだろうさ。けどそんなの、誰でも同じさ」
「誰でも…同じ?もしかして日乃本先輩も?」
「ああ。恥ずかしながら初めて仕事をした時は緊張しすぎて主が大切になされていたティーカップを割ってしまってね」
少し恥ずかしそうに自分の失敗談を教えてくれる日乃本先輩。
だが聞いている身としては俄には信じられない。素人である俺の目から見ても先輩の立ち振る舞いは完璧に近しい。
常に一歩身を引き、けれども裏ではやるべき仕事をきっちりこなすエキスパート。
主の影と形容するにふさわしい立ち回りだ。
「だからさ、そんなに気に病むことはないさ。勿論失敗したら謝らなくちゃいけないし、場合によっては取り返しのつかないことになる。だけどそんなの考えるには君はまだ経験が浅すぎる。幸いここの主は寛容だ。とりわけ君に対してはね」
「それは…まぁ、そうですね。お嬢様は俺にとても良くしてくださいます」
「そうだろう?だったら折弥クンは失敗なんて恐れずにただ仕事に全力を出すだけでいい。空回りするようならボクが教えてやるさ」
控えめに言って日乃本先輩は非常に格好良かった。姉貴肌、というやつなのだろうか。
頼れる味方を手に入れた…いや頼れる味方がこんな近くにいる幸運に感謝する。
だったら俺がやるべきことは一つ。先輩のやさしさに答えなければならない。
「先輩、仕事に生きましょう。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
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