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小学校入学-3
しおりを挟む三人でじゃんけん遊びをしながら下校する。Nが好調で勝ちが続き「グ・リ・コ」と一字、一字声を張り上げて歩き、十数メートル先からこちらを振り返る。遅れを取り戻そうと、「じゃーんけん!」の声にも力が入る。パーを出して勝ち、「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」と六歩進んだところで、軽飛行機の近づく弱いエンジン音がする。思う間も
なく機体を現すと、低空旋回して二度、三度と大量のビラを吐き出すように撒いて去って行く。黒々としたビラの固まりはすぐに風に解れて、好き勝手な方向に散らばり舞い降りてくる。
じゃんけんなどして遊んでる場合でない。ランドセルを掛け直し、ズボンを引き上げると、首を思いっ切り倒して上空に神経を集中する。ビラの一枚一枚が見分けられるぐらい地上に接近してくると、いよいよ戦闘開始。沸き立つ子供に交じって、おばちゃん達もみっともないぐらい色めき、赤・青・黄色のビラに狙いを絞って腕を伸ばしまくる。それら色付きビラには、直接景品が張り付けられたものや、菓子引き換え、割引券などが付いている。大半を占める白色のものは、単なる宣伝広告の紙切れに過ぎず、カスだ。
大人も子供もあれだけ喚声を上げ、地面を揺さぶるほど跳びはねごった返した通りも、所々に白い紙片を残すだけで、嘘のように人が居なくなる。
これまでの熱気に祟られて遊びを再開する気にならない。たった今ビラ争奪戦でせしめた紙風船をふくらませ、三人で打ちながら帰っていると、今度は横町から「ちんどん屋」の音が流れてくる。そのリズムをなぞるうち音が高鳴ってきて、角から賑々しく現れ出る。
鉦と太鼓を威勢良く打ち鳴らす先頭の侍姿のおじさんの目は真剣で、鼻の下に浮く汗粒がはっきりと見える。長身にくたびれた着物をまとった女役が、真っ赤に塗った唇でクラリネットを吹きまくり、”おかめ”と”ひょっとこ”が愛敬をふりまく。続いて、ほっそりとした日本髪のお姐さんが若々しい撥(ばち)さばきで三味線を弾きながら愛想のいい笑顔で練り歩く。こっちばかり見てくれているみたいで身体が熱くなる。涼やかな目元、忙しない手の動き、足袋の白さへと視線を上下させて照れ隠しする。
楽隊の後を数人の子が付いていき、けたたましい音もだんだん遠去かっていく。やがて、通りは元の静けさを取り戻し、心も静まってくる。
「あの三味線の女の人、チャンバラ映画に出てくるお姫さんみたいに、きれいやったな」Nが当然の顔のようにして言う。
***
肌理(きめ)が粗く、キラキラする物が交じった六畳間の黒い壁。暇に飽かして、そのざらざらした表面を指でなぞると、バラバラッと音立てて黒い粒がこぼれ落ちる。三、四粒を舐めてみる。何の味もしない。弱く噛んでみるが
変わらない。歯痒くなって飲み込む。二、三度同じ事を繰り返すが、結局味は付いてこず腹の足しにもならない。
座ったまま左足を抱え寄せ、身体を曲げて親指をしゃぶる。硬い壁粒なんかより余程味がある。手に比べて舐め応えがあり、厚い指全体が温かくなってくる具合が何ともいい。ふやけるほど味わい右指へと移るが、左で堪能していて「お代り」に喜びがない。それに右利きで、右足を味わおうとする体勢は、もう一つしっくりとこない。
さっきからお尻の穴がもぞもぞするので、手で弄(まさぐ)っていると指先に何やら絡む。何だろうと、ゆっくり引き上げると白いひものような物が付いてくる。パンツのゴムが切れたのかと思ったが、そんな気配はないし得体が知れず畳に放り出す。
「お母ちゃん、パンツからこんなん出てきたけど、これ何やの」
「あっ、それ回虫やないの。お腹に虫わいてたんか。それで最近すぐにキーキー拗ねてうるさかったんやな。身体の栄養分も全部回虫に取られてたんやけど、これでお腹の中もすっきりして、キーキー言わんようになるやろ。良かったわ」
母はそれを指で摘まみ上げ 、「それにしても、えらい大きい回虫やなあ」と言って便所に入って行く。
あれが聞いていた回虫というものなのか。人間はお腹にあんな虫を飼うことが出来、それがお腹をきれいに掃除して出て来てくれる。お尻から便以外の物が出て来る不思議に驚きつつ、たった今から身体がうんと丈夫になり、何か特別に良い事をした気がしてくる。
***
ビー玉を詰め込んだ箱を寝床に持って入り、俯せでその美しい模様や緑色の輝きを一つ一つ点検して、満ち足りた気分に浸る。やがて支えている腕が疲れて仰向けになり、ビー玉を鼻の付け根に置いて、冷んやりと頬へ転がり落ちる感触を楽しむ。
口にも入っていくかなと開けた瞬間、指からすり抜けたビー玉が前歯にカチッと当たって口の奥まで進む。慌てて身体を起こした弾みに、はっきりと固形物が喉を落ちていく感覚がある。食道が重苦しい。目を凝らし息を殺していると段々とらくになっていく。
「お母ちゃん、ビー玉のんでしもうた」
二畳間で父の遅い晩ご飯に付き合っている母に青い顔をして訴える。枕元の文机で勉強している四歳上の長兄(あに)がびっくりした顔でこちらを見る。「まあ器用なことして。そのうち”うんこ”と一緒に出てくるわ。これでも食べて、早よ出すようにしい」
母が笑って言うので、つられて照れ笑いする。父も愉快そうにうなずいている。鍋のじゃがいもの煮たのをつまみ、お茶を飲んですっかり安心して蒲団に入る。
次の日から、”おまる”で用便する羽目に。その日は便意がなく、翌日も催さない。三日目も朝からフン闘するが、
「焦り」が腸に伝わるのか、母が「まだか」とお尻を覗くが、うんともすんとも言わない。
「このまま出てこなかったら、どうなるんやろ。一生ビー玉をお腹に入れたまま生きていくのか」
すごい憂鬱な気分で登校する。
組のみんなが校庭に出揃うと、医務服を着けた保健の女の先生が湯飲み茶碗を手渡していく。あちこちで小さな悲鳴が上がる。湯飲みには、なんとも嫌な匂いのする茶色の液体が入っている。兄や上級生からもその苦さは聞かされ、恐れていた虫下しの薬。
どうしょうーー。自分の身体からはとっくに虫は出てしまっている。代わりに、ビー玉がお腹に在るなんて知れたらいい笑いものになる。それにしても、この色と、見るからに不味そうだ。飲んだふりをして捨てる子が居ないか、先生達がしっかりと見回っている。
虫が居ないのに、虫下しを飲んでも毒にならないのか。先生に質問したいけれど、そうすればお尻から回虫を出したことを告白しなければならず、そんな恥ずかしいこと絶対に無理だ。ビー玉が入っている上にこんな薬を流し込んだら、お腹が痛くなるのでは。逆に、そのお陰で、うまい具合にビー玉が出てくるようになれば儲けものだけれど。それも、すぐに効いて、いま出てきたら、どうする!? しつこく思い煩っていると、促すように微笑みかける保健の先生の目線から逃れ切れず、目をつむって湯飲みを傾ける。なんとも生ぬるく臭くて、なるほど不味い!
まだ飲みあぐねている周りの男子や女子の敬うような眼差しを意識しつつ、先生から貰った口直しのドロップの甘みを平然として味わう。
「苦い苦いて考えすぎるから余計に飲まれへんようになるねん。鼻でもつまんで一気に飲んでしもうたら、こんなもん何でもないで」
舌先のドロップを突き出して説いて回る。
翌朝、”おまる”に跨がったお尻の下ーー粘土のような黄土色の中腹に、何事もなかったようにビー玉の緑色がちょこっと顔を出している。
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