15 / 40
⑮
しおりを挟む想い人と想いが通じ合う瞬間を何度も夢に見た。
いつも横顔を盗み見る距離を飛び越えて、マスターの元へ。
スツールから立ち上がり、高いヒールを履いて、ほんの少し背伸びをすれば、唇が触れ合う寸前の距離。
そこでいつも夢は終わる。
けれども、詩織は夢の中だけでよかった。
「詩織ちゃん」
あの柔らかでよく通るテノールで、名前を呼ばれたら。きっと満ち足りて、心からの喜びに包まれるだろう。
ずっとそう思っていた。
けれども、マスターに名を呼ばれた今。
詩織の心は満ち足りるどころか、真っ黒に塗りつぶされていた。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪
「在庫はありますでしょうか?……ええ、そうです。出来れば、ゴールドを……一足……はい、はい……ありがとうございます!」
スマートフォンの通話終了ボタンを押して、詩織は大きく息を吐いた。あちこちに連絡をして、三足確保出来た。
中には取り付く島もないくらい、つんけんした態度をとる店舗もあった。けれども、普段から研修などであちこちに顔を出していたおかげか、大多数の店が詩織に力を貸してくれた。速達で送ってくれると約束してくれたので、最終日には間に合うだろう。
「珍しいね。八塚さんがこんなミスするの」
と、他店長が相次いで口にしており、その度にこめかみがズキズキと痛んだ。
昼食を食べていないため、詩織は煽るように缶コーヒーを口にしていた。自分を傷つけるかのようにブラックコーヒーを流し込んでいたせいか、口の中に嫌な苦味が残っている。
まだまだ頭痛が残っているため、薬を飲まなければ。と思っていると仕事用のスマートフォンが震えた。
「はい。八塚です」
「三岳だ。どうだ」
「今四足確保出来ました」
自分の取り置き分と合わせて、トータル四足。あと一足欲しいが、もう店舗には全て問い合わせていた。残り一足が見つかる可能性はほとんどない。詩織は声のトーンを落として、三岳に報告する。
「……そうか。今から広報に連絡して数字を減らすか?」
「何を馬鹿なことを。今更変えられませんよ」
「……俺が頭を下げれば」
「それこそ何を馬鹿なことを。こちらのミスで頭を下げる必要はない」
淳士が頭を下げるということは、観察、確認不足の判を押され。それに伴い厳しい査定が下ることだろう。seventh colorsは各店舗に経営が任される自由な社風だ。ボーナスなども出し惜しみしない。けれども、その分、査定など厳しい反面もある。
出世街道まっしぐらな淳士にそんな責任を負わせたくなかった。
「店舗になければどこにもないだろう」
「……そうね。ただ、もう一つ可能性はあると思うの」
「……おまえ、まさか」
「そのまさかよ。店舗になければ、作っているところに押しかけるしかないでしょう?」
先程飲んだカフェインが効いてきたのか、頭痛は酷いが頭の中は酷くクリアだった。
「バカか?あるわけないだろう?」
「それをこれから電話するの!」
「……無かったら、どうするんだ」
「そうしたら……」
どうしよう。と詩織は言葉に詰まった。数を誤魔化す?いや、そんなことは出来ない。
「素直に謝る?」
「……あほか?」
電話口の淳士が、心底呆れたようにそう言った。大きなため息も聞こえてきたから、間違いないだろう。それでも、詩織に残されている道はひとつしか無かった。
「ダメもとよ、ダメ元」
「……」
「じゃ、私、連絡するから。あそこ、六時まででしょ?」
時計を見ると、今口にした時間まであと少ししか無かった。淳士の心配もわかるが、今は少しでもその可能性にかけたい。
「無理するな」
「……今無理しないでいつ無理するの?」
「だ、な。こちらでもなんもか一足確保出来ないか当たってみる」
「わかった」
「諦めて、いいところなんだけどな。お前は諦めないんだな」
それきり、淳士は黙ってしまった。歯切れが悪かったが、詩織はそのまま電話を切った。
1
お気に入りに追加
567
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
伯爵閣下の褒賞品
夏菜しの
恋愛
長い戦争を終わらせた英雄は、新たな爵位と領地そして金銭に家畜と様々な褒賞品を手に入れた。
しかしその褒賞品の一つ。〝妻〟の存在が英雄を悩ませる。
巨漢で強面、戦ばかりで女性の扱いは分からない。元来口下手で気の利いた話も出来そうにない。いくら国王陛下の命令とは言え、そんな自分に嫁いでくるのは酷だろう。
互いの体裁を取り繕うために一年。
「この離縁届を預けておく、一年後ならば自由にしてくれて構わない」
これが英雄の考えた譲歩だった。
しかし英雄は知らなかった。
選ばれたはずの妻が唯一希少な好みの持ち主で、彼女は選ばれたのではなく自ら志願して妻になったことを……
別れたい英雄と、別れたくない褒賞品のお話です。
※設定違いの姉妹作品「伯爵閣下の褒章品(あ)」を公開中。
よろしければ合わせて読んでみてください。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました
せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜
神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。
舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。
専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。
そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。
さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。
その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。
海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。
会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。
一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。
再会の日は……。
美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る
束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました
ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。
幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。
シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。
そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。
ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。
そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。
邪魔なのなら、いなくなろうと思った。
そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。
そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。
無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
絶倫彼は私を離さない~あぁ、私は貴方の虜で快楽に堕ちる~
一ノ瀬 彩音
恋愛
私の彼氏は絶倫で、毎日愛されていく私は、すっかり彼の虜になってしまうのですが
そんな彼が大好きなのです。
今日も可愛がられている私は、意地悪な彼氏に愛され続けていき、
次第に染め上げられてしまうのですが……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる