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 想い人と想いが通じ合う瞬間を何度も夢に見た。

 いつも横顔を盗み見る距離を飛び越えて、マスターの元へ。

 スツールから立ち上がり、高いヒールを履いて、ほんの少し背伸びをすれば、唇が触れ合う寸前の距離。

 そこでいつも夢は終わる。

 けれども、詩織は夢の中だけでよかった。

「詩織ちゃん」

 あの柔らかでよく通るテノールで、名前を呼ばれたら。きっと満ち足りて、心からの喜びに包まれるだろう。

 ずっとそう思っていた。

 けれども、マスターに名を呼ばれた今。
 詩織の心は満ち足りるどころか、真っ黒に塗りつぶされていた。

 ■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫▪

「在庫はありますでしょうか?……ええ、そうです。出来れば、ゴールドを……一足……はい、はい……ありがとうございます!」

 スマートフォンの通話終了ボタンを押して、詩織は大きく息を吐いた。あちこちに連絡をして、三足確保出来た。

 中には取り付く島もないくらい、つんけんした態度をとる店舗もあった。けれども、普段から研修などであちこちに顔を出していたおかげか、大多数の店が詩織に力を貸してくれた。速達で送ってくれると約束してくれたので、最終日には間に合うだろう。

「珍しいね。八塚さんがこんなミスするの」

 と、他店長が相次いで口にしており、その度にこめかみがズキズキと痛んだ。
 昼食を食べていないため、詩織は煽るように缶コーヒーを口にしていた。自分を傷つけるかのようにブラックコーヒーを流し込んでいたせいか、口の中に嫌な苦味が残っている。
 まだまだ頭痛が残っているため、薬を飲まなければ。と思っていると仕事用のスマートフォンが震えた。

「はい。八塚です」
「三岳だ。どうだ」
「今四足確保出来ました」

 自分の取り置き分と合わせて、トータル四足。あと一足欲しいが、もう店舗には全て問い合わせていた。残り一足が見つかる可能性はほとんどない。詩織は声のトーンを落として、三岳に報告する。

「……そうか。今から広報に連絡して数字を減らすか?」
「何を馬鹿なことを。今更変えられませんよ」
「……俺が頭を下げれば」
「それこそ何を馬鹿なことを。こちらのミスで頭を下げる必要はない」

 淳士が頭を下げるということは、観察、確認不足の判を押され。それに伴い厳しい査定が下ることだろう。seventh colorsは各店舗に経営が任される自由な社風だ。ボーナスなども出し惜しみしない。けれども、その分、査定など厳しい反面もある。
 出世街道まっしぐらな淳士にそんな責任を負わせたくなかった。

「店舗になければどこにもないだろう」
「……そうね。ただ、もう一つ可能性はあると思うの」
「……おまえ、まさか」
「そのまさかよ。店舗になければ、作っているところに押しかけるしかないでしょう?」

 先程飲んだカフェインが効いてきたのか、頭痛は酷いが頭の中は酷くクリアだった。

「バカか?あるわけないだろう?」
「それをこれから電話するの!」
「……無かったら、どうするんだ」
「そうしたら……」

 どうしよう。と詩織は言葉に詰まった。数を誤魔化す?いや、そんなことは出来ない。

「素直に謝る?」
「……あほか?」

 電話口の淳士が、心底呆れたようにそう言った。大きなため息も聞こえてきたから、間違いないだろう。それでも、詩織に残されている道はひとつしか無かった。

「ダメもとよ、ダメ元」
「……」
「じゃ、私、連絡するから。あそこ、六時まででしょ?」

 時計を見ると、今口にした時間まであと少ししか無かった。淳士の心配もわかるが、今は少しでもその可能性にかけたい。

「無理するな」
「……今無理しないでいつ無理するの?」
「だ、な。こちらでもなんもか一足確保出来ないか当たってみる」
「わかった」
「諦めて、いいところなんだけどな。お前は諦めないんだな」

 それきり、淳士は黙ってしまった。歯切れが悪かったが、詩織はそのまま電話を切った。
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