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「レトロな雰囲気だな」
「ありがとうございます」
「もちろん、いい意味でですよ」

 ちゃっかりとカウンター席に座っている淳士に、詩織は拳を振り下ろしそうになった。しかし、恋した人の前でそんな乱暴な素振りを見せるわけにはいかない。大きく深呼吸して、いつもの席に腰をおろした。

「こんにちは」
「こここここ、こんにちは」
「鶏か」

 腹の立つ突っ込みに、詩織はカウンターの下で淳士に蹴りを入れる。痛みに顔をしかめていたが、そ知らぬふりをした。
 マスターは、いつも通り穏やか優しい笑みを浮かべていた。どうやら話は聞かれていなかったようだ。ほっと安堵すると同時に、ほんの少し虚しさを覚えた。

 ――気づいて欲しいけど……気づかれたくない。

 身勝手な自分の恋心に、詩織は心底うんざりしていた。本当は梨花がこの店に通うのも嫌だった。隣に淳士がいることも嫌だ。きっかけは自分と知っていても、マスターと二人だけの時間に誰かが入り込んでくると、胸がムカムカとしてしまう。

「そんな顔してたらすぐばれるぞ」

 はあ、と大きなため息をこぼした後、隣から声がかけられる。慌てて隣を見ると、相変わらずニヤニヤと馬鹿にしたような笑みを浮かべた淳士と目が合う。マスターは調理のために奥にいたため、聞こえていないようだ。

「ちょっと!やめてよ!」
「聞こえてないだろ。いつ言うんだ?何年片思いしてんだよ」
「……っ」
「俺がここの担当になって、お前が店長になってからだから、二年か?」
「違うわよ。七年よ」

 なっ!と隣の男が水を吹き出した。ごほごほとむせているが見て見ぬふりをした。
 淳士にマスターへの気持ちを知られてしまったのは二年前だ。ちょうど、ひだまりに入るところを見ていたらしい。淳士曰く、『恋する女が好きな男に会いに行く顔』だったと言われた。
 ごまかすべきだったが、初めて知られてしまった恋心を隠す術を、当時の詩織は持ち合わせていなかった。
 今思えばどうとでも出来ただろうに、と後悔してももう遅い。

「……諦めないのか?」
「諦めようと思ったことは何回もあるけど……もう少ししたら、ちゃんと決着をつけるつもり」

 苦いコーヒーをおいしく飲めるようになったら、あの靴を履いて思いを告げる。そう決めていた。その後のことは考えていない。考えられないといったほうが正しい。
 梨花のように、無邪気に恋を楽しむには歳をとりすぎた。次の誕生日が来れば二十八になる詩織は立派なアラサーだ。
 友人達の結婚報告もちらちらと飛び交い始め、中には出産した子もいる。
 そろそろ、本当にこの恋に決着をつける時がやってきていた。
 詩織は汗をかいたグラスを握りしめる。隣の男の顔を見る勇気はなかった。

「まあ、もしだめだったらさ」

 思いのほか優しい声が返ってくる。隣を見ると、そっぽを向いた淳士がぼそぼそと何かを呟いていた。はっきり聞き取れなくて、詩織はもう一回言ってと淳士に求めた。

「慰めてやるって言ったんだよ」

 やや声が上ずっていたが、淳士は確かにそう言った。馬鹿にされるかと思っていたが、こういうところで律儀だ。詩織は思わず吹き出してしまう。

「そんなのごめんだわ」
「お前な……」

 呆れたようにため息をつかれたが、詩織の気持ちは少し、浮上していた。誰にも言えない恋心を応援してもらったように思えたからだ。
 心がぽかぽかと温かくなったところで、目の前に料理が運ばれてきた。隣の淳士にはひだまり特製のBLTサンドセット。追加でカツサンドも頼んでいた。そして、詩織の目の前にはスープランチセット。そういえば自分が注文していないことを思い出し、勢いよく顔を上げる。

「寒くなってくると、いつもこれでしょ?」

 コンキリエがたっぷり入ったトマトクリームスープがほこほこと湯気を立てている。焼き立てのパンに浸して食べると美味しいよと教えてくれたのもマスターだ。七年。時間にすると、とてつもなく長く感じる。そして、何一つ進展していないと思いつつも、こうして自分の食べるものを覚えていてくれた。

「はい。これが……好きです」
「よかった。コーヒーは……今日はやめておいたほうがいいね」
「えっ!の、飲みます!」
「だぁめ。頭痛いんでしょ?今日はノンカフェインティーね」

 目の前に出されたのは、優しい香りのルイボスティーだった。頭痛がするとどうしてわかったのだろう。そろりと上を覗き見ると、マスターがこめかみをとんとんと指していた。

「無意識かもだけど、時々こめかみを押しているでしょ?辛いんだったら無理しないようにね」

 七年。諦めようと思った時が何度もあった。けれども、こうして詩織の機微に気づいてくれる。
 ――ああ、もう。ダメだ。やっぱり諦められない。

「は、い。ありがとうございます」

 切ない恋心を胸に、詩織はそっと柔らかく笑顔を浮かべた。
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