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結婚までの紆余曲折
7(渥美視点)
しおりを挟む望は私の手を掴んだまま、一言も喋らなかった。課長に取られた手とは逆の右手を掴まれている。先程感じた嫌悪感などなく、あるのは安心感だけだった。
まっすぐ望の家に連れてこられた。
何も言わない背中に私は不安を覚えた。
「……あの、何をしているのでしょうか?」
物言わぬ望は私をすぐさま洗面所に押し込む。何をされるかと思いきや、課長に掴まれた左手を洗い出した。ひたすら、ずっと、永遠に続くのかと突っ込みたくなるほどに。
「……握られた所、赤くなってる。むかつくなーあいつ……」
どうしてやろうかと、望はぶつぶつと悪態をついている。その間も私の腕を洗うのも忘れない。赤くなってるのは望が擦っているからだと言いたいが、言わせてもらえない雰囲気だ。もうどうにでもしてくれ。そんな投げやりな気持ちで鏡に映る自分とその後ろに立つ望を見ていた。
二本並んだ歯ブラシ、私の化粧水、乳液、クリーム。色違いで買った揃いのタオル。望の家には、私という存在が根付いている。ほんの少しの時間だったが、私の場所が無くなるのではという不安に駆られた。そんな事を考えるだけで足元が真っ暗になるような絶望に襲われた。
望と男女の関係になって、そう日は経っていない。しかし、改めて私はこの温くて心地いい関係からは抜け出せないと思った。
今日はたまたま課長との一悶着があって、一人になることはなかった。けれども、もし一人だったら私はどうしていただろうか?
望を追いかけ、暴言を吐いて、殴っていただろうか?望に背を向け、しくしく泣きながら一人で帰っただろうか?
きっとどちらでもない。泣く事も喚くことも出来ずに淡々と毎日を過ごしていただろう。
望の事を思い出さないように。
嫌だ。望がいないなんて、考えられない。
鏡の中の望をじっと見つめる。すると、私の手を洗い終わって満足した望と、鏡越しに目が合う。
言葉はない。お互いが、お互いを鏡を通して見ている。
獲物を狙うような鋭い瞳がじっと私を見ていた。
『逃がさない』
望の瞳が、語っていた。
「のぞ……」
私は、名前を呼ぼうとした。
しかし、名前を呼ぶよりも先に、望の手が私の両肩に乗せられる。
「細い肩」
「薄い背中……」
「首」
一つ一つ確かめるように、望の手が口にした場所をなぞる。本当に望の手か?と疑いたくなるほど、熱がなかった。
「渥美はどこもかしこも、柔らかくて、細い……ねぇ、どうして抵抗するの止めたの?」
冷たい手が私の首に巻き付く。
力は入っていない。なのに、何故だがぎりぎりと締め付けられている。そんな気分にさせられた。抵抗をやめたと言われても、私には覚えがなかった。そんな考えを見透かしたように、望が口を開く。
「足の力、抜いたでしょ?」
指摘され、その場面を思い出す。
「ち、が……」
否定したいのに私は声が出せなかった。息苦しい。望の見えない何かに締め付けられていようだ。身動きが取れない。私は望に支配されていた。
恐怖を感じてもおかしくないはずなのに、私の中を支配している感情は、歓喜だった。
望に望まれているという、喜び。
全身が粟立つ。これから行われるであろう、快楽を期待して、身体が小さく震えた。
「のぞみ…」
自分の欲望に気がついた私は、縋るように望の名を呼ぶ。そして、振り返ろうとした。しかし、それよりも先に、首筋に強い痛みが走る。
「あっ!」
噛まれていると気がつくまでに時間が掛からなかった。
鏡越しに映る私から決して目を離さず、望が私を睨むように見据えていたからだ。
「……じぶんの顔みてごらん?」
痛みが和らいだ首筋にはくっきりと歯型が残っていた。それを確かめた後、視線を上げて行くと鏡に映る自分と目が合った。
支配される事に喜びを感じている、恍惚とした顔の女が映っていた。
卑しくて、欲にまみれた女が、自分だと気がつくのに、時間がかかった。
「あ、あっ!あぁー!」
四つん這いにさせられ、ベッドに顔を押さえつけられる。その姿勢のまま、腰を叩きつけられる。
その度に聞くに耐えない卑猥な水音が漏れる。耳を塞ぎたくなるがそれすらも出来ないほどの快感が私の全身を支配した。
「ほら、こんな風に簡単に抑え込まれちゃうんだよ?抵抗しなよ!それともヤられたかった!?」
「あん!あっあぁー!」
望が怒っている。さっきからこうやって私を咎める様に、言葉で、身体で責めてくる。
「や、だ!あっ!のぞ、がーーっ!いいのー!」
激しい動きに耐えられず、私は絶頂を迎える。イってもイってもこの快楽は終わらない。
何度も否定した。それでも望は許してくれない。顔が見たいのに、振り返らない様に頭を押さえつけられている。身体は繋がっているのに、望が遠く感じてしまう。こころも、からだも、寂しかった。
ふと、望が近づく気配がしたと思ったら背中に鋭い痛みが走る。
「っいっ!!」
時々、狂った様に噛み付いてくる。多分、私の背中は彼の歯型だらけだろう。
噛み付いている時も、私の中を穿つのを望は止めてくれない。痛みと快楽で、訳が分からなくなっていた。
ただ、一つ言えるのは私は望から与えられる快楽も痛みもすべて受け入れているということ。
「っ!」
望の息を呑む音と、私の背中に倒れこんで来るのと同時に、お腹の中にじんわりと温かいものが広がっていった。
もう、中に出されるのは何度目だろうか。いち、にい、さん……ぼんやりと数を数える。そんなことをしていたら、少し萎えた陰茎がずるりと私の中から出て行く。
「……あぁ」
身体だけは繋がっていたのに、それすらも無くなってしまい寂しさが強くなる。漏れた声に、寂しさが如実に現れていた。呼吸するたび、中に出された白濁が、外に流れ出る。ぬるい液体が肌を伝って、シーツにシミを作った。それすら、寂しいと思う私は、まるで迷子の子供のようだ。
私を寂しさで埋めている張本人である望の荒い息使いが聞こえる。熱い吐息が背中に触れるたび、心が冷えていった。
「……み、……ぞみ」
懇願するように、望の名を呼ぶ。けれども、声が掠れてうまく出てこないうえに、うつ伏せの状態から指一本動かすことが出来ない。
「の、ぞみ。……いかないで……」
私の願いを聞いた望が、息を飲むのが背中越しに伝わってきた。振り向きたい、顔が見たい、抱きしめたい。そう思っても身体が言うことを聞いてくれない。
ぽろぽろと涙が頬を伝い、ベッドシーツを濡らしていく。
「……すきなの。……わたしからはなれないで。他の人の所にいかないで……」
考えてみれば至極単純な事だった。
好きだから一緒にいたい。
伝えるべきことを言葉にすべきだった。子供でも分かる事が、私には出来ていなかった。
失いそうになって気がつく。大人は体裁を取り繕うことばかり上手くなってしまった。しかも私はずっと望のお姉さんだった。お姉さんとしてのプライドも、素直になることの邪魔となっていた。
頭でっかちの恋愛なんてうまくいくはずないのだ。
「……わたし、のぞみのお姉さんにはなれない。好きだから……ちゃんと恋人になりたい」
そこまで言い切ると、滝のように涙が流れ出る。えぐえぐと子供のように泣きじゃくる私の身体が反転する。ぼやけた視界に、天井と、頬を赤らめた望が映った。
泣き顔を見られたくなくって思わず顔を背ける。ここでも、お姉さんのプライドが邪魔をした。しかし、望の手によって、顎を押さえられ、阻まれた。
「……やっと言ったね」
とろける様な優しい声が聞こえてきて、私は目を見開いた。涙で視界がぼやけていたが、望の口元が緩んでいたのは分かった。
「……俺もちゃんと渥美と恋人になりたい」
「……俺って言うんだ」
「そこ? そういう所、渥美らしいね」
くすくすと笑う望に、先ほどの怒りは見えない。
クリクリした可愛い瞳に、厚い唇。笑うと片方だけえくぼが浮かぶ。私のよく知った望が目の前にいる。
「のぞみ、のぞみ、好きなの!そばにいたいよ!……ずるい事してごめんなさい。他の人の所にいかないで!」
「渥美……もちろんだよ」
抱きしめて欲しいと腕を伸ばせばすぐさま私の想いごと、掬い取ってくれる。
そしてこの腕の中にいていいという安心感。ずっともやもやと悩んで、心の中に巣食っていたものがこの瞬間にすっと晴れていくのが分かった。
「……ずっと一緒にいよう。渥美」
ぎゅうと抱きしめられ、望の肩に顔をうずめる。その温もりを全身に感じながら私の『好き』をたくさん伝えた。その度に望が嬉しそうに私の髪を撫でてくれる。
「……ずっと一緒にいるにはどうしたらいいかな」
望の言葉が私達の間に落とされる。何だか、その言葉に毒々しい響きが込められている。ただ、幸せいっぱいな私にはどうでもよかった。
「……そうだなぁ。一番確実なのは、結婚?」
私がそう返答すると、髪を撫でていた手が止まる。
不思議に思って望の顔を覗き込もうとすると、ものすごい勢いで望の手で顔を覆われた。
「うん、結婚。……結婚。そうだね。結婚。しよう。そうしよう」
「の、のぞみ?」
機械の様に呟き続ける望が心配になって声をかける。すると、一瞬望が私から離れた。そして、両腕を思い切り引かれると、望の膝に座らせられる。
「渥美、俺と結婚してください」
真剣に私を見つめる望の顔は、真っ赤に染まっていた。下唇を噛み、羞恥に耐える表情は、小さい頃にお漏らしした時と同じ顔で笑ってしまった。
でも、私の前にいるのは、子供でも弟でもない、私の大切な恋人だ。
「はい。喜んで」
私は、幸せだ。
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