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もういいかい?もう、いいよ。

うどんにからあげ

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「……っつかれた」

 社食の定番メニューきつねうどんを目の前にして、ため息が言語化された。
 内科輪番だった昨晩の当直は、とても忙しかった。ひっきりなしにやってくる患者。下痢嘔吐の症状を訴える人が大半だった。ああ、冬がやってきたなぁと、実感した当直だった。
 忙しさのあまり、まともに食事を摂る暇も、仮眠をする暇もなかった。当直明けまで患者対応に終われた。そのまま午前の通常業務をこなし、やっと一息つけた。時刻は午後十二時を過ぎたところだった。
 空腹をこえたのか、うどんを目の前にしても食指が動かない。組まれた手に額を預ける。自分の体温という虚しいぬくもりが、心地よい眠りの世界へと誘う。
当直明けは午前中で帰宅できる。
 寝てはいけない。もうすぐ帰れる。と、自分に語りかけていた。しかし、まぶたが落ちて、視界が暗くなる。

「佐鳥先生みーっけ!」

 がちゃん!と大きな音が聞こえた。その音で眠りの世界から現実に戻される。組まれた手に預けていた頭をゆっくりと起こした。声と音の主は、5A病棟神経内科那須原なすはら看護主任だった。
 胃瘻増設の際、よく顔を出す病棟ではあるが、那須原主任とこうして顔を突き合わせて食事をする程の接点は無いはずだ。
 声をかけられたことを不思議に思う。「見っけ!」と言うからには、俺に用があるのだろう。
 何の用かと、那須原主任の言葉を待っていた。しかし、那須原主任は何も発することなく、「いただきます」と食事を始めた。白飯、唐揚げ、白飯、味噌汁、唐揚げ。凄まじいスピードで定食が消えていく。見るのも辛い。そっと那須原主任から目を逸らし、俺は箸を手に取った。
 那須原主任が食べているのは、社食名物げんこつ唐揚げセット。名の通りげんこつ大の唐揚げ。食べ応えのあるメニューナンバーワンだ。元気な俺ならヨダレを垂らしていた所かもしれない。しかし、疲労という重りを全身に乗せた俺には、遠ざけたい代物だった。
 勘弁して欲しいと目を逸らす。那須原主任の食べる勢いに、元々無い食欲を更に吸い取られそうだ。そう思った俺は、箸を割ってどんぶりを引き寄せた。


「当直明けですか?」
「……ああ」
「ふーん……。じゃ、午前上がり?」
「……まぁ、そうだけど」
 
 時間を置いたせいか、持ち上げたうどんはぐずぐずに延びていた。こしの無さそうなうどんに、元からない食欲が更に削られる。

「こむちゃん、結婚しちゃうよ?」
「は?」

 那須原主任の言葉に気を取られてしまった。ぶちんと、延びきったうどんが切れる。汁の中に落ちたうどんの勢いで、白衣に出汁が跳ねた。

「っあち」
「佐鳥先生がグズグズしてるから。こむちゃん、結婚するんだって。浩司って人と」
「……はぁ?」

 テーブルに置かれた紙ナプキンで、飛び散った出汁を拭く。昨日下ろしたばかりの白衣に点々と茶色いシミが付いていた。そちらは諦め、今度こそとお揚げを箸で摘んだ。

「いや、よくわかんねぇんだけど」
「彼女のことも分からないの? こむちゃ……小村唯子! いいの?! 結婚しちゃうよ?」

 今度はお揚げが俺の箸から落ちていった。白衣にまた、シミが増える。
 こむちゃんとは、唯子のことか。結びつかなかった名前が一致する。そしてようやく事態を飲み込むことが出来た。

「……結婚って……。俺まだ、プロポーズしてないぞ?」
「先生馬鹿なの!? あんた以外の別の人と結婚するってことよ!」

 騒がしい社食で良かった。そう思ってしまうくらい、那須原主任の声は大きかった。興奮する那須原主任とは逆に、俺は何故か冷静になっていた。

「……分かるように一から説明してくれ」
「昨日の研修終わりに、こむちゃんの伯母さん? って人から電話が来てた。浩司との、結婚話を進めますって聞こえたの」

 唯子の伯母。俺は十年前の記憶をたどる。見舞いに来た記憶もない。看取りの前に話をした程度だ。

「いや、待てよ」

 最期を待つ時、唯子の伯母とその夫はホールに居た。やたらと大きな声で話しており、ナースステーションまで話の内容が筒抜けだった。

 ─やっと居なくなるわー! 
 ─おい。聞こえるぞ。
 ─あ、銀行! 銀行行かなきゃ! これから行ってくるからあんたはここにいてね! 通帳は唯子が持ってるのかしら? 聞いてくるわ! 全く、母さんの財産を独り占めする気かしら! 卑しい子ね!



「あのババア!?」

 社食のざわめきに負けない俺の叫びに反応した他の職員が、一斉に俺に視線を寄越した。何があったのかという邪推を含んだ視線を感じる。周りに悟られないように、俺は声を潜めた。

「……知ってるよ?」
「知ってるも何も……。どういう事だ? あのババアから連絡が来たってことか?」
「うん。今日の十五時に駅前のカフェmomenmoって言ってた。……こむちゃん、一人で解決しようとしてるの。センセ、こむちゃんの力になってよ」

 どうして、今更。という思いが俺の中を黒く染めていく。
 患者の存在を疎ましく思う家族、財産を気にする家族。今の時代、そういった考えを持つ家族は珍しくない。
 普段の俺なら、首を突っ込む気にもならない案件だが、唯子の事となれば別だった。

 小村さんが亡くなった日に、一人置いていかれた唯子。家族として認められていなかった唯子。
 蔑ろにされていたはずだ。

 机に肘をつき、手を組む。組んだ手に額を預け、この場にいない唯子に想いを馳せる。十年前の唯子と、今の唯子。俺には何一つ変わらない、小さな少女のままだった。

「……言えよ。相談しろよ……なんで、」

 会って話した方がいいと思い、離れている間敢えて電話をしなかった。必要最低限の連絡に留めていた自分を恨んだ。

「……私にだって話てくれないんだよ。ぽっとでの先生には言えないよ」
「まぁ、そうだけどよ……」
「……とにかく、今日の十五時だから」

 分かったと返事する。那須原主任の返答は無い。二人共無言で食事を口に運ぶ。

「一人より二人。……やな事とか半分こになると思うんだけどなぁ」
「そういう事は、言わなきゃわからないよ」

 周りの喧騒に紛れる呟きになる筈だった。
 しかし、しっかりと那須原主任に拾われる。
 頼られ無かったことに、俺は少しショックを受けていた。唯子にとって、俺はその程度なのかと悔しくも思った。

「はは、厳しいな」

 そう言って那須原主任に笑いかける。得意だった愛想笑いも出来ていないであろう。

「……守ってやりたいのに」
「……っ」

 ぼちゃん!という水音と共に、俺の顔に何かが飛んできた。それがうどんの出汁だと気づくには少し時間がかかった。

「よく言った!」
「は?」
「……先生ならさ、こむちゃんを任せてもいいって思える。……それあげるから頑張ってよ!」
「……お、おう」

 それとは、げんこつ唐揚げ。しかもうどんの中に投げ込まれた。先程は目に入れたくなかった唐揚げだったが、今は何故か美味そうに見えた。
 唐揚げは、那須原主任の気持ちそのものだ。少ししつこくて、油ぎとぎと、大きくて……そして、美味い。たとえそれが、うどん汁に沈んでいたとしても。

「よっしゃ! やってやんぞ!」

 出汁の染みた唐揚げは、へとへとの俺に力をくれた。
 

「ねえねえ」
「あ?」
「……納涼会のこむちゃん、可愛かったでしょ?」
「……あれは那須原主任がやったのか?」
「そうそう」
「……あんた、グッジョブだな」

 妙な連帯感も生まれた。
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