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愛などない

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 リシャーナの顔だけがカティアになってしまってからどのくらい経っただろうか。数秒後には元のリシャーナに戻っていたが、それから同様のことが何度も起きていた。
 リシャーナがミゲルの背中に触れた時もそうだった。
 特徴としては、リシャーナが誰かに触った瞬間に起きることが多かった。
 その法則が屋敷中に知れ渡ったのち、誰もがリシャーナに触ることを戸惑うようになっていた。
 幸せを絵に描いたようなアルブケル家が一転、悲しみの巣窟に居るかのような。
 そんな暗い雰囲気に包まれていた。
 そして、今日も屋敷に諍の声が響いてきた。
 その声の主は、リシャーナの父ミゲルと母ライラだった。

「どういうことよ!どうしてリシャーナの姿がこんなにも変わってしまうの!?」
「そんなこと言ったって、私にわかるわけないじゃないか!」
「……ああ、どうして……何が起こっているの……?」

 泣き崩れる母、ライラをリシャーナは扉の影から見つめる。
 いつも笑いあっていた両親の争いが増えている。ライラの甲高い叫び声は、自室にいてもよく聞こえてた。
 以前なら使用人達に止められるところだが、リシャーナが部屋から出てきてこっそり争いを覗いていても、誰も何も言わない。
 誰も何も言えないと言った方が正しい。
 リシャーナは屋敷には住む全員の恐怖と、興味を一身に浴びていた。

 おかあさま。
 リシャーナの口が音もなくライラを呼ぶ。しかし、争いに身を置く二人に、リシャーナの声なき声は届かなかった。

 暗がりから見てもわかる程に、ライラの顔には苦悩が浮かんでいた。
 目立つ隈。こけた頬。病的なほど白い肌。
 いつも穏やかに笑うライラから、笑顔もすっかり消えていた。

 ライラのあまりの変わりように、リシャーナは心を痛める。
 ライラだけではない。
 ライラの叫びを受け止めているミゲルも目に見えて憔悴している。椅子に腰掛け、項垂れるミゲルの背中をリシャーナは撫でてやりたかった。

 一度だけ、丸まる背中に触れた時。

 ミゲルとライラはこの世の終わりを迎えたような恐怖を顔に浮かべていた。

 その瞬間、リシャーナの中にあった何かが崩れ落ちた。

 両親に恐怖を植え付けて以来、リシャーナはこっそりと二人を見守ることしか出来なかった。

「何かの病なのか……」
「けれども、医者なんかに連れて行ってこの事が露見したら……」
「だとしたら、どうしたらいいのだ……」

 何度も同じことで争う二人に、リシャーナは何も出来ない。今日もうっかり触ってしまった庭師に変容してしまった。その度に両親は発狂し、今のような争いが起きる。


「リシャーナ、大丈夫よ。母様はあなたの味方よ」

 そう言って手を差し伸べるライラは震えていた。

「リシャーナ、父様のところへおいで。大丈夫さ」

 そう言って大手を広げるミゲルの額には冷や汗が滲んでいた。
 みな、リシャーナに恐怖を感じているはずなのに、その心を隠そうとしていた。リシャーナ自身も自分に何が起きているのか理解出来ていなかった。リシャーナは、家族、使用人達、あんなに仲の良かったカティアとも少しずつ心も体の距離が開いていった。

 針のむしろのような生活だった。

 憐れみの視線。
 恐怖を交えた囁き。

 まだ幼いリシャーナにとって、何もかも信じられなくなるには十分な出来事だった。

 そんな生活が何年か続いた後、解放は突然やってきた。

「リシャーナ。明日から、メイフィ子爵の所に君を預けることにした」
「メイフィ子爵領は自然が多く、とてもいい所でね?わたくしの遠縁にあたるの。宰相様にこのことを相談したら、そうした方がいいんじゃないかって」

 ミゲルとライラが少し浮き足立った様子でリシャーナにそう語った。気づかれていないとでも思っているのだろうかとリシャーナは小さく息を吐いた。
 無意識に腹をさする、ライラ。
 ライラに寄り添い、大切そうに肩に手を添えるミゲル。
 おおかた、子でも出来たのだろうとリシャーナは推測した。
 リシャーナは膝の上で手を握りしめる。そして、精一杯の笑顔を作って、答えた。

「わかりました」

 父様、母様。とは付け加えなかった。妊娠中のライラの身を案じたとはいえ、捨てられるも同然だとリシャーナは思っていた。
 まだまだ少女である、リシャーナの最後の意地。
 スカートのをつまみ、腰を下げ、頭を下げる。完璧な淑女の礼の後、リシャーナは静かに退室した。

 変容の術が発動してから、五年の歳月が流れていた。

 ◽︎

 家の前に止まった馬車は、簡素なものだった。

「リシャーナ様、お待ちしておりました」
「……御足労いただきました。本日からよろしくお願い致します」
「私はただの従者にございます……お手を」

 差し出された手を、リシャーナは断る。もし触れたことでまた術が発動してしまっては元も子もないからだ。

 荷造りは全て一人で済ませた。屋根裏から見つけてきたカバンの中に、必要最低限のものを詰めこんだ。体裁を取り繕うように揃えられたドレスもアクセサリーも全て置いてきた。リシャーナなりの、決別だった。
 小さなカバンを従者に渡す。そして、リシャーナは誰の手も借りず一人で馬車に乗り込んだ。

 見送りは全て断り、リシャーナは迎えに来た馬車に乗った。ミゲルとライラが慌てた様子で外に出てきていたが、リシャーナは従者に合図を出して馬車を出発させた。

 お別れは既に済んでいる。

 リシャーナはそう言い聞かせる。後ろを振り返ることもせず、大好きだった自領を窓からぼんやりと眺めていた。
 もし振り返って、父も母も居なかったらと考えると、恐らくもう立ち上がることすら出来なくなる。
 何も知らなかった子供ではなくなってしまったリシャーナは、自分の境遇と両親を呪うことで今を必死に生きていた。

 変容について何もわからぬまま孤独に暮らし、扱いに困れば家を追い出される。

 まだ十歳になったばかりの子にとって、生きていくにはつらい現実だった。

「きっとまた、同じような日々がはじまるのね」

 リシャーナを乗せた馬車が、陽だまりを映したかのような花畑の横を通り過ぎた時。
 今まで一度も泣かなかったリシャーナの目から、
 一粒の涙が流れ落ちていった。



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