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幼なじみとのこんなことになるなんて思いもしなかった。いや、心のどっかではそう思ってたけど……あ、ちが、いや……うん……俺も、好きだし
しおりを挟む十五センチ程の銀色の箱。中身は六個入り。ドラッグストアのレジに持っていく手はカラカラにかわいていた。人間、緊張がMAXになると汗も出ないらしい。
「六百八十九円です」
何の感情も篭っていない店員の声に、私は震える手で千円札を出す。財布の中小銭が入っていた気もするが、今は出す余裕などなかった。
「ありがとうございました」
ここのドラッグストアはしばらく来れないなと心の中でため息をついて店を出る。じりじりと照りつける陽射しを買ったばかりの商品で遮りながら、私は友人のところに向かった。
いつもの薄っぺらいビニール袋ではなく、紙袋に丁寧に包まれた箱の存在に、今更ながら汗が吹き出してきた。
——なんか、生々しいな。
怪しく光る箱を思い出して、私は紙袋の存在から目を逸らした。
□□
「ゆー。帰るぞ」
「まっちゃん? どうしたの?」
「あほ、お前親の勤務くらい覚えておけ。迎えに来たぞ」
「あれ。お母さんの夜勤、明日かと思ってたけど……」
「さちえさん、昨日カレー作ってなかったか?」
「あ……作ってたかも」
まっちゃんの声に、クラスの女子が一斉に振り向く。そして、クラスで三番目くらいにかわいい女の子にめちゃくちゃ睨まれた。そう言えばこないだまっちゃんに告白していた子だと何となく思い出した。怖い視線から逃れるように、机の横にある鞄を取る。その間もまっちゃんは私に話しかけてくる。今日の弁当は少なかっただの、昼休みサッカーをして擦りむいただのあちこちに話が飛ぶ。私はうんうんと相槌を打つだけ。クラスメイトの殆どが私達の話に耳を傾けているのを知っていたから。興味津々が半分、嫉妬が三割、無関心が二割といったとこだろう。これだけでまっちゃんがいかに目立って人気者かわかってもらえると思う。
平々凡々な私とイケメンまっちゃんは、所謂幼なじみというものだ。シングルマザーのママと私のことを、まっちゃん家族が総出で可愛がってくれている。今日はママが夜仕事だから、まっちゃんがうちに来ることになっている。
「迎えに来てくれてありがとう。暑かったでしょ?」
「いんや。今日は部活もないしいい運動だよ」
私の教室は、五階建て校舎のてっぺんの1番端っこにある。逆に、私を迎えに来たまっちゃんの教室は二階にある。額に汗を浮かべるまっちゃんに私は感謝しかない。恐らく母の勤務を忘れているであろう私のために、走ってきてくれたのだろう。同じ学年なのに何で階が違うのだろうと今更な疑問を抱いていると、早く早くと廊下側の窓から急かすまっちゃんの声。「はぁい」と返事をして、帰り支度をする手を早めた。
今日出たリーダーの課題がバッグに入っていることを確認する。後はお弁当。と、横にかけてある保冷バッグをカバンの上に乗せる。
今日はお母さんのカレーかぁ、やだなぁと大きなため息。お肉も野菜もゴロゴロしていて食べにくいんだよなぁ。中々噛め切れない肉の食感を思い出して気落ちしていた時だった。私のカバンに影がかかる。もしかして三番目くらいに可愛い子についに因縁をつけられる? と、冷や汗ダラダラにそろそろと顔を上げた。すると、アイラインがバッチリ引かれたぱちぱちお目目と視線が合った。
「ゆかり……あの、その、昨日はありがとね……」
「……朱里。うん。大丈夫だよ」
もじもじする姿に、昨日買ったモノの生々しさを思い出す。あれだけ人をドキドキバクバクさせておいて、今更のお礼かよ! とも思ったがきっと恥ずかしくて言えなかったんだろうと私は自分に言い聞かせた。朱里は二年になって仲良くなった子だ。バッチリメイクの少し派手な外見とは裏腹に、中学の時から付き合っている彼氏がいる。彼氏のことを好きすぎる朱里は、その話になる時だけ、キュッと引かれたアイラインと一緒に目尻が下がる。可愛らしいギャップを知ってからより一層仲が深まった。
「うまくいった?」
「う、うん。なんか恥ずかしかったけど……使えたよ」
「そっか。よかったね」
なんとなく顔を合わせづらく、私はお弁当箱を鞄の中に押し込む。昨日私が買ったものを使った友人の姿を想像してしまうからだ。
朱里はまだ何か話したそうにモジモジとしていたが、遠くからまっちゃんの催促する声が聞こえる。
「ごめん。私行かないと」
「あっ、ゆかり! これ、あげる!」
ズボッとバッグの外ポケットに押し込まれた何か。
「え? なに?」
「ゆかりも、もしかしたら必要になるかもでしょ……? 余ったからあげる」
何を、と聞かなくてもすぐに理解した。外ポケットに入れられたのは昨日私が恥を偲んで買った「コンドーム」だった。
「ちょ、な、待ってよ」
「ゆかりには私みたいな思いをして欲しくないから! ねっ!」
顔を赤らめる朱里に、私はぐっと言葉を飲み込んだ。長年付き合っている彼氏がいる朱里は、カレとの仲を深めるために自らエッチを誘うと決意した。けれども、エッチをするために必要なコンドームを買いに行く勇気がないとゆかりに泣いて頼んできたのが昨日の話。
「……使う予定なんてないし」
「人間どう転ぶか分からないでしょ? お守りだと思って」
やたらと先輩風を吹かす朱里に、私はムカッときた。昨日は散々、怖いし恥ずかしいと泣いてたくせにと、意地悪な私が顔を出した。
「……人に買わせといてよく言うよ」
「それを言われちゃうと……」
「駅前に新しく出来たカフェの新作カフェモカクリームマシマシ」
「……え?」
「それと……チョコスコーンとキッシュ付けてよね」
ええ! 高い! と叫ぶ朱里を無視して、私はまっちゃんの元に向かう。そして教室を出る時くるりと振り返ってこう言ってやった。カロリー爆弾なんて知ったこっちゃない。好きなものをてんこ盛りで奢ってもらってもあの生々しさは忘れられない。
「びた一文まけませんから~!」
べ、と舌を思い切り出すと、朱里は観念したように小さく頷いた。それを確認して、私はまっちゃんの肩を叩いて、「帰ろう」と声を弾ませた。
□□
「ママ今日夜勤だったんだ~まっちゃんが覚えててくれて良かったよ」
「さちえさんがカレー作った次の日は夜勤だろ? もう何年も前からそうだろうが……」
隣でまっちゃんが大げさに肩を竦めて、やれやれとこれまた大きな声で言う。私はまたムッとして、どん、と体当たりをした。しかし、高校に入って急に背が伸びたまっちゃんはビクともしない。それがなんだかすごく悔しくて、もう一度体当たりをした。
「……ゆー、やめとけって」
「どうしてまっちゃんはビクともしないの!?」
「そりゃまー……俺だっていちお男だし」
それがどうした! と私は憤る。昨日から何故かイライラしている。生理が近いのかと思うけれども三日前に終わったばかりだ。朱里といい、まっちゃんといい。何だか遠い存在のようだ。まっちゃんは小さい頃からの幼なじみ。向かいに住んでいて、母親同士も仲がいい。ママが夜勤の日は、女ひとりでは危ないとまっちゃんのママがまっちゃんをうちに寄越してくれる。「こんな奴でも男だから! 夜家を空けるのも怖いしね!」とまっちゃんママと私のママは笑いながらそう協定を結んだのは三年前の話。私がまっちゃんのうちに泊まりに行ってもよかったが、まっちゃんのお兄ちゃんの大学受験が重なってしまった。受験生のいるうちに、他人の子がいるのは申し訳ないということになり今の形に落ち着いた。
ママが夜勤をセーブしていたせいで、職場で肩身の狭い思いをしていたのを知っているから、私は提案を受け入れるしかなかった。
「さちえさんのカレー楽しみだー」
「えぇ……私あんまり好きじゃない。肉がごろごろしてて食べにくいんだもん」
「ま、俺仕様だからな」
「ママはまっちゃんに甘い!」
「なーに言ってんだよ。夜勤で一人のお前んとこに居てやるんだから。これくらい当たり前だろ?」
こつん、と額を小突かれる。随分と上の方から叩かれたと思い、私はイライラを隠さずまっちゃんを見上げる。ギラギラと刺すような陽射しを背に見えたのは、まっちゃんの首筋。もう少し視線を上にやると、シャープな顎が目に入った。
「……あ」
あちー、とシャツをパタパタさせるまっちゃんの顎に、黒い何かが見えた。私には無いものに、私は思わず手を伸ばした。
ざり、と味わったことのない感触が私の触覚を刺激した。まるでまっさらな砂浜の中に紛れたガラスに触ってしまったような痛みを感じた。
「っ! ゆー! 何すんだ!」
「……ひげ」
驚いたまっちゃんが私と距離を置く。私はといえば、まっちゃんに髭が生えていたことに驚きその場を動くことが出来なかった。
「はぁ? ひげ? あ、やべ。剃り残しあったんかな」
「……そりのこし」
「なんだぁ? ゆー、ヒゲくらいでビビってんの?」
「まっちゃんに、ひげ」
ひげ。髭といえば男の人にあるもの。私は自分の顎を撫でてみる。が、もちろん髭はない。毎日のスキンケアの賜物か、つるりとした感触が痛みに驚いていた触覚を癒してくれた。そういえば、と私はまっちゃんをじっと観察する。私よりずっと高い背。がっしりとした肩、半袖のシャツから覗く私よりずっと太い腕。それから……女の子みたいな可愛い顔だったまっちゃんは、いつの間にか後輩達にキャーキャーと騒がれる顔になっていた。
「……まっちゃんって、おとこのひとだったんだね」
痛みを忘れた手を私はもう一度まっちゃんの顎に伸ばす。異物による痛みを味わったあと、その手をもう一つの「男の象徴」に伸ばした。
「っ、ゆー!」
少し焦ったまっちゃんの声に合わせて、喉仏が震えた。しっかりと尖った喉仏も私には無いものだ。もう片方の手で、自分の喉に触れる。もちろん尖りはなく、平坦な肌しかなかった。目立つ尖りに触っていると、全身がざわざわと粟立つ。同じくして胸がどきどきと高鳴る。ごくり、と唾を飲み込むが少しも落ち着かなかった。この気持ちはなんだろうと、考えるが答えが出ない。
「まっちゃん……」
「ゆー、やめろ」
何度も何度も髭と喉仏に触っていると、少し怒った声が耳に入った。あ、やばいと思った時には、無遠慮に撫でていた手を取られていた。
「っいた」
髭を触った時とは違う痛み。思わず顔をしかめると、後輩達がキャーキャー言う顔が目の前にあった。
「俺が男なら」
低い声が脳髄を刺激する。先程までジワジワと蝉のうるさい声が聞こえていたはずなのに。私の耳にはまっちゃんの声しか聞こえなくなっていた。
「ゆかりは、女だ」
まっちゃんの鋭い瞳が私を捉える。吐息が混ざる距離に、私は目をそらせなかった。
額にかいていた汗が流れる。アイシャドウで飾った瞼を通って、私の目に入った。その痛みに思わず目をつぶる。
「っ、ばかやろう!」
まっちゃんの怒った声。嫌いじゃないな、と思っていたら、ぬるくて知らない感触を唇に感じた。
どきどきする。
もっともっと、見てみたい。
さらさらの砂の中にある、痛みを。
ぬるくて、柔らかい感触に溺れながら、私はまっちゃんの首に腕を絡めた。
朱里。コンドーム貰っておいてよかったかも。
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