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衣装部屋で語らう悲しい過去

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「ん、ふ、……んぅ」

 最初は、ほんの少し触れ合う程度だった。しかし、触れ合う唇はすぐに熱を帯び、深いものへと変わっていった。アリアナの逃げる舌を追いかけるように、ルドルフの舌がアリアナの口の中を犯した。唾液の交わる音が、アリアナの鼓膜をゆらゆらと揺らす。柔らかい唇が触れ合うたびに、頭の奥底まで痺れるような感覚に襲われた。

「……アリアナ」

 いつもの揶揄い口調はなりを潜めていた。それどころかアリアナの名を呼ぶルドルフの声は、甘さを含んでいるように思えた。

「でん、か」

 自分でも驚いてしまうほど、アリアナの声色も甘かった。息苦しさと、羞恥と、心地良さ。全てが入り交じり、涙となって瞳に浮かんでくる。零れる寸前に、ルドルフの唇が涙を掬っていく。柔らかい唇を押し当てられた場所だけ、熱を孕み、じんじんと痛みすら感じてしまう。

「……ルドルフ」
「え……?」
「名前。ルドルフだよ。知ってる?」

 もちろん、と首を縦に振る。すると、ルドルフは眉を下げ、困ったように笑った。

「……殿下は他人行儀だなと」
「……え、と」
「アリアナに名前を呼んでほしい」

 それは無理です!と返そうとしたら、唇を塞がれる。痺れるようなキスは、アリアナから思考を奪う。断ろうとすると、キスをされる。その応酬が何度か続き、ついにアリアナは折れてしまった。

「るど、るふさま……」
「様はいらないんだけど。まあ、いいか」

 チュッと、軽い音を立てて、唇が触れ合う。おしまいの合図だと分かったのは、ルドルフの腕が離れてからだった。すぐさまアリアナはルドルフから距離を取ろうとするが、足に力が入らない。立っているのが精一杯だった。ふるふる震える足を叱咤し、アリアナはほんの少しだけルドルフと距離を置く。

「……そんなに良かった? 俺のキス」

 アリアナのささやかな抵抗などお見通しとばかりに、開いた距離がすぐに詰められた。それどころか、再度腰を取られて引き寄せられてしまう。ルドルフの胸に抱きとめられ、早鐘を打つ鼓動が伝わってしまいそうだ。距離を取ろうと腕を伸ばすが、なんの抵抗にもならなかった。

「ちょ、殿下!」
「違うでしょ?」
「……る、ルドルフ様」

 よく出来ました。と、腰が砕けそうな甘い声色で囁かれる。アリアナの心臓はもう爆発寸前だった。顔に熱が集まるのが自分でもよく分かってしまった。

「おねがい、みないで……」
「……ああ、可愛すぎて困ってしまうよ」


 はぁ、とため息をつくルドルフをアリアナは見上げる形となった。目が合うと、また、眉を下げて困ったようにルドルフが笑みを浮かべる。至近距離でルドルフを見ていたら、青い瞳の縁にはくっきりと隈が浮かんでいた。前回会った時も思ったが、やはり疲れが隠せていない。

「……でん、」
「なまえ」
「……っ、る、ルドルフ様、お疲れですか?」

 隈が、とアリアナの手が自然とルドルフの目元に伸びる。やわやわとマッサージするように、アリアナの指がルドルフの目頭と目尻を行き来する。アリアナも日本で生きていた頃、よくしていたマッサージだった。

 そういえば、とふと思い出す。昔のように隈が気になることは無くなった。毎朝鏡を見て、溜息をつくこともなくなった。程よい労働と、程よい睡眠。たったそれだけで人間は変われるのだ。改めて、自身は恵まれているとアリアナは知った。

「……時々君は、ここにいないような表情を見せるね」
「……え?」
「僕の小鳥のことも知っているようだった。それに、小鳥と同じ色を持つ瞳……君は、その小さな胸の中に何を隠しているんだい?」

 ルドルフに触れていた手を取られる。ぎりり、と痛むほど強く握られる。アリアナは痛みに顔を顰めるが、ルドルフの力は緩まなかった。

「っ、わたしは、なにも」
「何も? 君のこと、少し調べたよ。グラティッド家には不知の病に犯された一人娘がいた。それが五か月前、奇跡が起きて完治したと。五か月前は、私の小鳥が……殺された時期と同じだ。同じ色彩を持つ、小鳥とアリアナ。疑わずには居られない」

 掴まれた手首が、軋む。
 アリアナ自身が戸惑いを感じている現実。何を説明しろと言うのか。痛む腕に気を取られながらも、何とかしてこの場を逃れたいとアリアナは必死に考えた。

「しら、ない……離して、お願いします……」

 貴族令嬢アリアナのしての責任、置いてきた湯元麻衣としての過去、不透明な未来。自由に、幸せになりたい。そう思っていただけだった。それが、このように追い詰められるなど考えもしなかった。

「……わたし」
「ああ、もう」

 痛みから解放された瞬間、こんどは呼吸が出来ないほどきつく抱きしめられた。ルドルフの質のいいシャツに顔を埋めることとなったアリアナの涙が、白いシャツに灰色のシミを作る。

「……大切なものを、つくりたくないんだ」

 頭を抱えられているせいか、ルドルフの表情を窺い知ることは出来ない。ただ、語る声色は少し震えているようだった。

「……ヘンリーが、正当な後継者だと言われているのは知っているか?」
「……はい」

 城内でも有名な話だ。そう返せば、ルドルフが、くくくっと小さく笑った。

「……俺もそう思うよ。後ろ盾のない俺と、王家ゆかりの血を引くヘンリー。比べるまでもない。生まれた順番が一年早いそれだけだ」
「ルド、ルフ……さま」
「……大切なものは全てが奪われ、壊されてきた。母も、友人も、小鳥も……どんなものも」

 ルドルフの衣装部屋が他の王族よりも寂しい理由がここにあった。大切なものを増やせないのだと。
 アリアナはいつも笑顔のルドルフが隠していた闇触れてしまった。宙ぶらりんになっていた腕を、そっとルドルフの背中に回す。一瞬ルドルフの身体がこわばった。しかし、すぐに強く抱きしめ返された。
 アリアナの瞳に固執するところもあるが、ルドルフは普通の青年だった。そんな普通の青年が、大切なものを奪われるという気持ちはどんなものだろうとアリアナは想像してみる。具体的にこれというものが思いつかずとも、ひどく辛いものに思えた。

「……もしかして、その羽ブローチ」
「……ああ。俺が小鳥と親しくしていたのを見ていたヘンリー一派の奴らが……此れ見よがしに、殺して、差し出してきたんだ」
「……そうだったの」

 怖かっただろう?と、アリアナの涙を唇で救ったルドルフがそう呟く。アリアナは、首を横に振った。

「いいえ。貴方に大切にされているとわかったから……」

 そう吐露したアリアナは気がついていなかった。やはり、と低い声が聞こえアリアナはルドルフを見上げた。

「やはり、アリアナが小鳥だったのか」


 しまった。そう思った時にはもう遅かった。今までのルドルフの語りは、誘導尋問だったことを知った。
 口に出してしまったものは、もう元には戻らない。アリアナは事の顛末を一から十まで説明するように求められた。

(は、は、はめられたー!)

 心の叫びは誰にも届かなかった。
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