52 / 116
第六章 楊麗華と幼妻
第六章 楊麗華と幼妻 十
しおりを挟む
ところがである。
この太子、悪運だけは強かったようで、生き延びて帰ってきてしまった。
これには皇帝邕も仰天した。
「そんな馬鹿なことがあろうものか」
早馬に乗った使者から報を受け、思わず叫んだが後の祭りである。
暗殺の命を下した相手はただ一人。しかし、もちろんのことだが、その男には配下が居る。刺客は一人や二人ではない。
皇帝の『密命』を負うことが出来る猛者をそれなりに用意したのである。
しかし困ったことに、吐谷渾の平定があっさりと終わった。
相手軍は元々、勇猛なる皇帝邕を恐れていたのだ。今回は皇帝自らが乗り込んできたわけではないが、本来なら安全な場所にいるべき『太子』が率先して軍を率いてきたのに仰天した。
これは、余程の準備が整った上での攻撃であると勘違いしたのも無理は無い。
ことを重く見て、早々に降伏したのである。
太子贇は上機嫌である。
ろくに戦わずして『戦功』だけは手に入れたのだからさもありなん。
早速国都に戻ろうとした。
もちろん、皇帝が随行させた腹心将たちは事情を知っている。環境の劣るこの地に今しばらく留め、暗殺の機を待とうとした。
「おそれながら太子殿下。陛下は吐谷渾を『平定せよ』とおっしゃいました。
吐谷渾は早々に降伏したため、まだ十分に余力を蓄えておりまする。
我らが引き上げればたちまち造反し、朝貢の約束など反故にするやもしれませぬ。
また、戦に巻き込まれた現地民たちの慰撫も必要でございます。
地の者を信服させてこそ『平定』と申せましょう。
今しばらく留まって、我らの力を見せ付けつつ、この地の治安を回復させましょうぞ」
と、太子に上言したのだが、ろくな館も宴も無く、野外の行軍にも飽き飽きしていた太子が言うことを聞くわけがない。
「このような辺境に、尊い身の我が留まっておれようものか。
無理をすれば、父上のように体調を壊してしまうわい。
太子の命令に従わぬのであれば覚えておれよ。病床の父帝が崩御されたならば、次は我が皇帝ぞ。
そのあかつきには、そちらは死罪じゃ。家族に若妻や娘が居るのなら民妓(最下層の妓女)として売り払い、他は四属まで奴婢に落してくれようぞ」
と、こうである。
縁戚の幼妻まで躊躇なく奪略できる太子であることは、この頃には知れ渡っていた。
皇帝邕がしばしば体調を崩していたのも周知の事実。
そして、軍は堅固な縦社会である。
せめて皇帝が頑健であれば『かたくなに』太子を留めたであろうが、そこまで『凄まれて』逆らえる者は居なかった。
こうなっては刺客も手は出せぬ。
乱戦でもないのに後ろから刺せぬし、戦による消耗もほとんどない。
事情を知らぬ下級将兵らが厳重な警備で太子を守る中、食事に毒を入れるのも難しい。
せっかく皇帝邕の病も癒えたところだったのに、これまた頭の痛いことであった。
戻ってきた腹心らから事情を聴き、当然、邕は太子の勝手を叱責したが、吐谷渾での功もある。どこ吹く風で、こたえる様子はない。
懲罰杖で打っても、返って反抗的な目で睨み返し、東宮に戻ってからはまた、憂さを晴らすために罪のない少女たちを並ばせて『天杖』で次々に打ち据える始末。
しかも同年、突厥帝国が北周の幽州へと攻撃を仕掛けて来た。
突厥とは、伽羅の一族とは別系統の、いまだ北方で遊牧を行っているトルコ系騎馬民族である。
可汗という呼称で呼ばれている帝王ですら巨大な天幕『オルド』を宮殿とし、民を引き連れて遊牧を繰り返す。
当然、娯楽や書に関する文化水準は『北周』より劣っているが、武においては全く違う。
突厥は騎馬による機動力に秀で、すでに中央ユーラシアあたりの覇者であったのだ。
また、この時代より約三百年前――三世紀にはすでに製鉄技術を獲得していた。
この突厥と北周は、かつて同盟を結んでいたこともある。
皇帝邕の正妃は突厥帝国の木汗可汗の娘であったのだ。
つまり現皇后は、宇文護政権の頃に政略結婚により嫁いだ『突厥帝国の姫君』ということである。
そのことにより絆を強くし、共に連合して北斉に攻め入った仲ではあるが、皇帝邕が宇文護を討ち取った同年に姫の父君が亡くなり代替わりが行われた。
当時のことである、情勢が変わればいとも容易く敵となりうる。
突厥帝国の次の可汗は、北周と結ぶ道を選ばず幽州を攻撃した。
幽州は北周の州のひとつで、北方と北周を繋ぐ陸路交通の要衝である。
突厥の兵が幽州に住む民たちを殺戮し、女をさらい、略奪の限りを尽くしたので、皇帝邕は愚息にかまかけている暇などはなくなったのである。
この太子、悪運だけは強かったようで、生き延びて帰ってきてしまった。
これには皇帝邕も仰天した。
「そんな馬鹿なことがあろうものか」
早馬に乗った使者から報を受け、思わず叫んだが後の祭りである。
暗殺の命を下した相手はただ一人。しかし、もちろんのことだが、その男には配下が居る。刺客は一人や二人ではない。
皇帝の『密命』を負うことが出来る猛者をそれなりに用意したのである。
しかし困ったことに、吐谷渾の平定があっさりと終わった。
相手軍は元々、勇猛なる皇帝邕を恐れていたのだ。今回は皇帝自らが乗り込んできたわけではないが、本来なら安全な場所にいるべき『太子』が率先して軍を率いてきたのに仰天した。
これは、余程の準備が整った上での攻撃であると勘違いしたのも無理は無い。
ことを重く見て、早々に降伏したのである。
太子贇は上機嫌である。
ろくに戦わずして『戦功』だけは手に入れたのだからさもありなん。
早速国都に戻ろうとした。
もちろん、皇帝が随行させた腹心将たちは事情を知っている。環境の劣るこの地に今しばらく留め、暗殺の機を待とうとした。
「おそれながら太子殿下。陛下は吐谷渾を『平定せよ』とおっしゃいました。
吐谷渾は早々に降伏したため、まだ十分に余力を蓄えておりまする。
我らが引き上げればたちまち造反し、朝貢の約束など反故にするやもしれませぬ。
また、戦に巻き込まれた現地民たちの慰撫も必要でございます。
地の者を信服させてこそ『平定』と申せましょう。
今しばらく留まって、我らの力を見せ付けつつ、この地の治安を回復させましょうぞ」
と、太子に上言したのだが、ろくな館も宴も無く、野外の行軍にも飽き飽きしていた太子が言うことを聞くわけがない。
「このような辺境に、尊い身の我が留まっておれようものか。
無理をすれば、父上のように体調を壊してしまうわい。
太子の命令に従わぬのであれば覚えておれよ。病床の父帝が崩御されたならば、次は我が皇帝ぞ。
そのあかつきには、そちらは死罪じゃ。家族に若妻や娘が居るのなら民妓(最下層の妓女)として売り払い、他は四属まで奴婢に落してくれようぞ」
と、こうである。
縁戚の幼妻まで躊躇なく奪略できる太子であることは、この頃には知れ渡っていた。
皇帝邕がしばしば体調を崩していたのも周知の事実。
そして、軍は堅固な縦社会である。
せめて皇帝が頑健であれば『かたくなに』太子を留めたであろうが、そこまで『凄まれて』逆らえる者は居なかった。
こうなっては刺客も手は出せぬ。
乱戦でもないのに後ろから刺せぬし、戦による消耗もほとんどない。
事情を知らぬ下級将兵らが厳重な警備で太子を守る中、食事に毒を入れるのも難しい。
せっかく皇帝邕の病も癒えたところだったのに、これまた頭の痛いことであった。
戻ってきた腹心らから事情を聴き、当然、邕は太子の勝手を叱責したが、吐谷渾での功もある。どこ吹く風で、こたえる様子はない。
懲罰杖で打っても、返って反抗的な目で睨み返し、東宮に戻ってからはまた、憂さを晴らすために罪のない少女たちを並ばせて『天杖』で次々に打ち据える始末。
しかも同年、突厥帝国が北周の幽州へと攻撃を仕掛けて来た。
突厥とは、伽羅の一族とは別系統の、いまだ北方で遊牧を行っているトルコ系騎馬民族である。
可汗という呼称で呼ばれている帝王ですら巨大な天幕『オルド』を宮殿とし、民を引き連れて遊牧を繰り返す。
当然、娯楽や書に関する文化水準は『北周』より劣っているが、武においては全く違う。
突厥は騎馬による機動力に秀で、すでに中央ユーラシアあたりの覇者であったのだ。
また、この時代より約三百年前――三世紀にはすでに製鉄技術を獲得していた。
この突厥と北周は、かつて同盟を結んでいたこともある。
皇帝邕の正妃は突厥帝国の木汗可汗の娘であったのだ。
つまり現皇后は、宇文護政権の頃に政略結婚により嫁いだ『突厥帝国の姫君』ということである。
そのことにより絆を強くし、共に連合して北斉に攻め入った仲ではあるが、皇帝邕が宇文護を討ち取った同年に姫の父君が亡くなり代替わりが行われた。
当時のことである、情勢が変わればいとも容易く敵となりうる。
突厥帝国の次の可汗は、北周と結ぶ道を選ばず幽州を攻撃した。
幽州は北周の州のひとつで、北方と北周を繋ぐ陸路交通の要衝である。
突厥の兵が幽州に住む民たちを殺戮し、女をさらい、略奪の限りを尽くしたので、皇帝邕は愚息にかまかけている暇などはなくなったのである。
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
風の歌よ、大地の慈しみよ
神能 秀臣
歴史・時代
舞台は17世紀初頭のアメリカ。ポカホンタスはインディアンのポウハタン族の娘。旺盛な好奇心と豊かな知性に恵まれ、自然を愛し森の木々や妖精とも会話の出来る彼女は、豊かな大自然の中を自由に駆け回って暮らしていた。
ある日、彼女の前にイギリスから新大陸開拓の為に海を越えて来た男、ジョン・スミスが現れる。通じる筈のない言葉を心で理解し、互いの名を告げ、運命の出逢いに一瞬にして恋に落ちた。
しかし、二人の前には幾多の試練が待ち受ける……。異なる人種の壁に阻まれながらも抗い続けるポカホンタスとスミスの行く末は!?
大自然の中で紡がれる伝説の物語、ここに開幕!
ポカホンタス(Pocahontas、1595年頃~1617年)は、ネイティブアメリカン・ポウハタン族の女性。英名「レベッカ・ロルフ」。本名はマトアカまたはマトワで、ポカホンタスとは、実際は彼女の戯れ好きな性格から来た「お転婆」、「甘えん坊」を意味する幼少時のあだ名だった(Wikipediaより引用)。
ジョン・スミス(John‐Smith、1580年~1631年6月21日)はイギリスの軍人、植民請負人、船乗り及び著作家である。ポウハタン族インディアンとの諍いの間に、酋長の娘であるポカホンタスと短期間だが交流があったことでも知られている(Wikipediaより引用)。
※本作では、実在の人物とは異なる設定(性格、年齢等)で物語が展開します。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
商い幼女と猫侍
和紗かをる
歴史・時代
黒船来航から少しの時代。動物狂いでお家断絶になった侍、渡会正嗣と伊勢屋の次女ふたみはあるきっかけから協力して犬、猫、鶏と一緒になって世を守る。世直しドタバタ活劇。綺羅星の様な偉人ひしめく幕末の日本で、二人がひっそりと織り成す物語です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる