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第三章 新帝と一人目の独孤皇后
第三章 新帝と一人目の独孤皇后 八
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『皇帝』というものが、いかに弱い存在であるか。
自分の名声を下げてまで殺す必要のない存在であるか。
それを宇文護に見せつけねばならない。
皇帝、毓の大芝居に国の未来がかかっている。
失敗すれば、次に皇帝に擁立されるであろう弟も、数年ともたずに殺されてしまう。
言いたいことは、たくさんあった。
子供たちはまだ幼く、やり残したことは多い。
この世に未練もあった。
しかし、それを振り切らねばならぬのだ。
<皇后よ。今からそなたと同じ苦しみを負うて、朕はそなたのもとに行く。
……だからどうか、この難事をやり遂げられるように力を貸してくれよ>
愛しき人の姿を思い浮かべつつ、皇帝はとうとう毒餅をひとかじりして呑み込んだ。
宇文護が目を細めてわずかに口の端を上げるのが目に入ったが、それには気が付かぬように振る舞った。
毒はわずかでもよく効いた。
動悸が早まり、体にしびれが走って力なく伏したが、まだ口は動く。
皇帝の異変に気づいた宮女たちが面を上げて駆け寄るが、もうどうしようもない。
「何をしておる。早く宮廷医師を呼べ!
陛下の一大事じゃ!」
宇文護の怒鳴り声が響く。
皇帝は、もう助からぬと知った上での芝居なのだ。
おそらくは、宮廷医師ももう、抱きこんでいるのだろう。
宮女の一人が慌てて医師を呼ぶために駆け出していった。
数人の従者に介抱されながら、皇帝毓は前もって練っていた遺言を冷静に口述した。
「うう、苦しい。しかし、生まれたからには必ず死が訪れる。何者かが毒を仕込んだようだが、朕の不徳が招いたこととしてこれを受け入れようと思う。
それよりも、太師殿……近う……もっと傍に……朕の遺言を聞いてくれ」
太師とは、宇文護のことである。
中山公から晋公に、そして今は太師の位置にまで駆け上がっている。
宇文護は一瞬うろたえたが、毒殺の証拠などあろうはずもない。
もし皇帝がなにやら訴えたとしても、
「陛下は錯乱しておられたのじゃ」
こう言えばすむ。
宮中の権力を一手に掌握している自分なら、皇帝の遺言さえ自分に有利に捏造できるではないか。
恐れることもないと考え直し、宇文護は皇帝毓の傍に寄って、その手を握った。
いかにも心配しているような、悲痛な表情を浮かべて。
皇帝毓は苦悶の中、それでも途切れ途切れに後のことを言い遺した。
「皆の者、よく聞け。次代の、皇帝には弟の邕を推挙する。
邕は無口だが優しい性格だ……太師殿と……協力して……この国を、強大にしていけるだろう。
どうか……どうか……邕を……支え、て、やって、下され、太師殿――――」
その言葉を最後に皇帝毓は血を吐いて絶命した。
在位期間は約二年半。二十七歳の若さであった。
宇文護は、皇帝の最後の言葉にさすがに唖然とした。
恨み言の一つでも吐くかと思ったら、誰が毒を入れたかも気づかぬまま、自分を新帝の後見人に推したのだ。
ああ。
宇文護は少しだけ後悔した。
皇帝を哀れんだわけではない。
このような男であれば、警戒などせず、このまま傀儡として使い続けた方が良かったのだ。
今更ながら、そう気が付いた。
隣では、小餅を運んだ宮女が悔恨の涙を流していた。
もちろん、この食事係は後に宇文護によって罪を被せられ、処刑されることとなる。
皇帝毓には『明帝』という諡号が贈られた。
最後まで聡明で、その名の通り――照臨四方曰明――その徳によって四方を照らす大変優しい性格であった。
---------------------------------------------
これで三章は終わりです。
おまけコーナー。
お読みくださり、ありがとうございます。
投票して下さった方、励みになりました!!
独孤皇后と呼ばれた女性は史上四名います。そのうち三名が伽羅を含む姉妹です。
では、残りの一名は?
こちらは血縁者ではない上に、唐朝十一代皇帝・代宗の貴妃でした。
貴妃は皇后より一段階下の妃妾位を指します。『四夫人』の中に含まれ、妃妾たちの中では最高位となります。
この『独孤皇后』もやはり容姿は美しく、帝寵を独占したようです。
そして亡くなった後に皇后位を追贈されました。(追贈・追尊は歴史上結構見られます)
さて、この独孤皇后は、伽羅とかかわりが無さそうでいて『ある』方でした。
先祖にあたる男性が、伽羅の父親・独孤信に仕えていたのです。
その後、ご先祖様は、独孤信に気に入られて独孤姓を与えられたとのことです。(国を支える『柱国将軍』は姓を下賜する権限を持っていました。独孤信は柱国将軍の一人です)
意外なところで繋がっているものですね。
ではまた次章で!(^^)!
自分の名声を下げてまで殺す必要のない存在であるか。
それを宇文護に見せつけねばならない。
皇帝、毓の大芝居に国の未来がかかっている。
失敗すれば、次に皇帝に擁立されるであろう弟も、数年ともたずに殺されてしまう。
言いたいことは、たくさんあった。
子供たちはまだ幼く、やり残したことは多い。
この世に未練もあった。
しかし、それを振り切らねばならぬのだ。
<皇后よ。今からそなたと同じ苦しみを負うて、朕はそなたのもとに行く。
……だからどうか、この難事をやり遂げられるように力を貸してくれよ>
愛しき人の姿を思い浮かべつつ、皇帝はとうとう毒餅をひとかじりして呑み込んだ。
宇文護が目を細めてわずかに口の端を上げるのが目に入ったが、それには気が付かぬように振る舞った。
毒はわずかでもよく効いた。
動悸が早まり、体にしびれが走って力なく伏したが、まだ口は動く。
皇帝の異変に気づいた宮女たちが面を上げて駆け寄るが、もうどうしようもない。
「何をしておる。早く宮廷医師を呼べ!
陛下の一大事じゃ!」
宇文護の怒鳴り声が響く。
皇帝は、もう助からぬと知った上での芝居なのだ。
おそらくは、宮廷医師ももう、抱きこんでいるのだろう。
宮女の一人が慌てて医師を呼ぶために駆け出していった。
数人の従者に介抱されながら、皇帝毓は前もって練っていた遺言を冷静に口述した。
「うう、苦しい。しかし、生まれたからには必ず死が訪れる。何者かが毒を仕込んだようだが、朕の不徳が招いたこととしてこれを受け入れようと思う。
それよりも、太師殿……近う……もっと傍に……朕の遺言を聞いてくれ」
太師とは、宇文護のことである。
中山公から晋公に、そして今は太師の位置にまで駆け上がっている。
宇文護は一瞬うろたえたが、毒殺の証拠などあろうはずもない。
もし皇帝がなにやら訴えたとしても、
「陛下は錯乱しておられたのじゃ」
こう言えばすむ。
宮中の権力を一手に掌握している自分なら、皇帝の遺言さえ自分に有利に捏造できるではないか。
恐れることもないと考え直し、宇文護は皇帝毓の傍に寄って、その手を握った。
いかにも心配しているような、悲痛な表情を浮かべて。
皇帝毓は苦悶の中、それでも途切れ途切れに後のことを言い遺した。
「皆の者、よく聞け。次代の、皇帝には弟の邕を推挙する。
邕は無口だが優しい性格だ……太師殿と……協力して……この国を、強大にしていけるだろう。
どうか……どうか……邕を……支え、て、やって、下され、太師殿――――」
その言葉を最後に皇帝毓は血を吐いて絶命した。
在位期間は約二年半。二十七歳の若さであった。
宇文護は、皇帝の最後の言葉にさすがに唖然とした。
恨み言の一つでも吐くかと思ったら、誰が毒を入れたかも気づかぬまま、自分を新帝の後見人に推したのだ。
ああ。
宇文護は少しだけ後悔した。
皇帝を哀れんだわけではない。
このような男であれば、警戒などせず、このまま傀儡として使い続けた方が良かったのだ。
今更ながら、そう気が付いた。
隣では、小餅を運んだ宮女が悔恨の涙を流していた。
もちろん、この食事係は後に宇文護によって罪を被せられ、処刑されることとなる。
皇帝毓には『明帝』という諡号が贈られた。
最後まで聡明で、その名の通り――照臨四方曰明――その徳によって四方を照らす大変優しい性格であった。
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これで三章は終わりです。
おまけコーナー。
お読みくださり、ありがとうございます。
投票して下さった方、励みになりました!!
独孤皇后と呼ばれた女性は史上四名います。そのうち三名が伽羅を含む姉妹です。
では、残りの一名は?
こちらは血縁者ではない上に、唐朝十一代皇帝・代宗の貴妃でした。
貴妃は皇后より一段階下の妃妾位を指します。『四夫人』の中に含まれ、妃妾たちの中では最高位となります。
この『独孤皇后』もやはり容姿は美しく、帝寵を独占したようです。
そして亡くなった後に皇后位を追贈されました。(追贈・追尊は歴史上結構見られます)
さて、この独孤皇后は、伽羅とかかわりが無さそうでいて『ある』方でした。
先祖にあたる男性が、伽羅の父親・独孤信に仕えていたのです。
その後、ご先祖様は、独孤信に気に入られて独孤姓を与えられたとのことです。(国を支える『柱国将軍』は姓を下賜する権限を持っていました。独孤信は柱国将軍の一人です)
意外なところで繋がっているものですね。
ではまた次章で!(^^)!
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