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第三章 新帝と一人目の独孤皇后

第三章 新帝と一人目の独孤皇后 二

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 皇帝いくは、帝位に立てられる前は岐州刺史きしゅう しし(岐州は現在の陝西省宝鶏市辺り)として善政を行なってきた。
 その頃に正妻を出産で失い、伽羅の姉が後妻として嫁したのだ。

 上二人の子供たちも、物心付くか付かぬかという年頃だったので、すぐに新しい母になついた。
 穏やかな夫は妻をとても大切にしたようで、それは姉が伽羅によこすふみからも伝わってきていた。

此度こたびは皇后というという尊い身分になられたというのに、最後にお会いしたときのお姉さまのお顔は悲しいものでしたわ。
 それきりふみも途絶えてしまって……」

 伽羅は夫である楊堅に打ち明けた。宮中の情報なら、皇宮勤めの揚堅に聞くのが一番早いのだ。
 楊堅ももう、あのひょろりとした風采ではない。それなりに胸板も厚くなり、宮中での作法にも慣れて中々の男ぶりだ。
 楊堅は、しばらく思案した後、口を開いた。

「陛下はまだお若くていらっしゃるのだ。
 もしかしたら――――他にお気に入りの女人が出来たのやもしれぬな」

「……そのような噂がございますの?」

 吃驚したように伽羅が問う。

「いや無い。耳を疑うほどに無いのだよ。
 先妻様がご健在であられたときも妾などはお持ちになられなかったようであるし、独孤将軍――お父上様がそのような相手を探して嫁がせたのかもしれぬな」

「そうかもしれませぬ。
 わたくしのことも、とても可愛がってくださいましたが、そもそも父は、どの娘にも甘うございましたから」

 そうやって父の話題がでると、まだ胸がちくりと痛む。
 でも、それで良いのだ。
 父を忘れてしまいたくなどない。過去のものとして埋もれさせるつもりもない。
 今は『力なき一婦人』でしかないが、それでもいつの日にか、自分なりの方法を探って悪臣宇文護に報復を――――。
 思考がそちらに飛んでいくのを感じたそのとき、楊堅の言葉が続けられた。

「伽羅よ、そもそも陛下の後宮には皇后様と働き手の宮女たちが居るばかりだ。
 すでに知っていようが、陛下のお手がつけば下働きの『宮婢きゅうひ』でさえ階級があがる。
 所属も『内官ないかん』に変わる。しかし今のところは、そのような話は聞いていない」

 後宮内は『内官ないかん』『宮官きゅうかん』『内侍省ないじしょう』の三部門で構成されている。
 皇后を頂点に、主な妃妾は正五品以上、はしたの妃妾は正六品~正八品の位を持ち内官に所属する。
 北周では一代目、二代目皇帝の妃妾の数が少なく、その多くが空位であったと思われる。
 宮官きゅうかんには様々な仕事に携わる宮女が属しており、最高でも正五品であった。

「でしたら、安心ですわね」

 微笑む伽羅に、楊堅は言いにくそうに言葉を続けた。

「それでも後宮には衣装係に食事係……多くの宮女がいるのだ。
 陛下のおそば近くに仕える宮女は、特に抜きん出た容姿の者ばかりと聞いている。
 皇后様に隠れて恋を楽しむことも出来るのだよ」

「まあ! 嫌なことをおっしゃるのでございますね」

 ぷい、と伽羅は横を向く。

「すまぬ、すまぬ。そう、気を悪くするな。
 まあ、歴代の皇帝陛下であれば、そのようなこともあったというだけだ。
 今の皇帝陛下は皇后様以外の女人に心を移す方ではないように思う。
 つまりなんだ、そう……恐れ多いことではあるが、私と同類ということだ」

 楊堅はちゃっかりと、どさくさにまぎれて自分の身も擁護し、妻の機嫌をとった。
 流石に結婚から一年も経つと、妻の機嫌を取る技も上達しているのである。

「陛下はお優しい方であるよ。皇后様を実に大切にしておられる。
 それに、何事につけても思慮深い。
 宇文護の行いに対しては腹立たしいことも多いはずだが、それでもいつも穏やかに微笑んでいらっしゃる。
 伽羅も、陛下から直々にお言葉を頂いたことがあったろう?」

「ええ何度か。お姉さまとお話ししているところにいらっしゃいましたわ。
 穏やかな、お優しい方でしたわ」

 伽羅は皇帝陛下の穏やかな笑みを思い出して胸に手を当てた。

「まさか、陛下がそなたに懸想けそうなさったということはないだろうね?
 それで揉めて、姉君からの文が遠のいたとか。
 なにせ私の妻は絶世の美女であるから、心配でならぬよ」

 本気とも、からかいとも取れるまなざしで揚堅は伽羅を見つめた。

「まあ。懸想なんて絶対にございません。義妹として目をかけて下さっただけですわ。
 ここしばらくは……お目にかかることもなくなってしまいましたけれど。
 陛下は広い知識を持っていらして、またあのような楽しい時をお姉さまと三人で過せると良いのですが……」

 皇帝毓は特段、知識をひけらかすようなことはなかったが、それでも会話の端々にその博識さがにじみ出る。
 傀儡皇帝と心得ていたので、宇文護の決める人事や戦略に口を出すことはなかったが、その才は隠しようもない。
 また、気遣いのしようも妾腹の長男として苦労して育ったせいか、人一倍であった。

 その皇帝から、皇后についての知らせが来るようなことも無く、姉からのふみが一切途絶えたのだ。伽羅はやはり心配であった。
 帝位を手に入れた慎み深き貴人が、そのとたん、浮かれて女をあさり始めるというのは、史書にもよくある話。
 陛下に限ってそれはないと伽羅は信じたかったが、夫の話もあってか段々と不安になってきた。

 そういえば宇文護が『政略のための女人』を数人『妃』として押し込もうとしているとの噂もあった。
 このことについて、夫は言葉を濁してはっきりとは教えてくれなかったが。
 しかし、その情報が正しかったとすれば、姉は『ただ一人の妃』ではなくなってしまう。
 帝寵を失う可能性だってあるのだ。

 そう考えた伽羅は人を宮中に忍ばせて、より詳しい情報を集めさせることにした。
 父もよくこのような方法で、宮中の情報を集めさせていたのだ。

 奴婢の子供とさえ親しかった伽羅である。
 その伽羅のために動いてくれる者はいくらでも居た。
 しばらくたって、間者として宮中に推薦した宮女から文が届けられ、その結果、間もなく他の姫君が数人、入内することは間違いないようであった。

 ただし、姉の皇帝からの寵愛は全く変わっておらぬようである。
 完全に宇文護のごり押しと言えよう。
 そして姉にはどうも、懐妊の兆しが有るようだった。
 ふみが絶えたのは、きっと懐妊により体調がすぐれないからなのだろう。
 知らせが妹である伽羅にさえないのは、初期だと流れてしまうことも稀ではないので慎重になっているからなのだろう。
 いや宮中の秘など、そもそも外に漏らせるものではない。
 姉を心配しつつもそう思うことにして、伽羅は時を紛らわせていった。





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