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第二章 動乱の世と新妻

第二章 動乱の世と新妻 七

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 さて、老獪な宇文護はどうしたか。
 独孤信を許したか。
 そうではなかった。

 数多くの助命嘆願書をものともせずに、独孤信を処刑した。
 いや、自害に追い込んだ。

 元々、独孤信は有能で、宇文泰が病没するまでは『たかだか中山公』であった宇文護よりもはるかなる高みに立っていた。
 何しろ皇帝の指南役を仰せつかっていたぐらいである。

 また、若き日より宇文泰の部下であり、数々の活躍により周囲の信頼も勝ち取っていた。
 老いてよりは戦に直接身を投じることは無くなったが、兵法にも能く通じ、人情にも厚かった。
 しかも老境に差し掛かった今なお姿美しく長身で、恵比寿顔が取り柄の宇文護とは全く違う。
 声にも張りがあって、演説すれば皆が集まり聞き惚れる。
 地位に奢らず、大変面白味のある人物だったので、宮中での人気は絶大なものがあった。

 その独孤信の助命を願うふみや声が、宇文護の権勢を恐れずに続々と届いたのである。
 これは、返って宇文護の背筋を寒くさせた。
 生かしておいては今後に差し支えると感じたのだ。

 かといって、捕らえて処刑すれば諸臣に不満爆発の口実を与えることになってしまう。
 そこでねちねちと難癖をつけたあげく、

『今自害すれば、正式に重罪が宣告される前となる。
 つまり近親の者たちの連座を防ぐことができるのだ。
 そなたの妻子のためを思うなら……いやこれは、そなたを気の毒に思うあまりの独り言であるが……まあ、よく考えてみるといい』

 と、密かに脅迫し、自害に追い込んでしまったのだ。
 まことに巧妙なやり口であった。

 力ある諸臣ですら、悪辣な宇文護をどうすることも出来なかった。
 勇猛博識で、およそ死とは結び付けて考えられないほど豪快だった独孤信も、こんなにも簡単に謀殺されてしまった。

 まだたった十四歳の、少女ともいえる伽羅にはもう、なすすべがない。
 でも――それはきっと、これから年を経ていっても同じなのだろう。
 伽羅はふと、そう思った。

 男のように、自ら戦場に行って手柄を立て、発言力を増せるわけではない。
 強力な派閥を作って、宇文護を追い落とせるわけでもない。
 自害の報を聞いた伽羅はさすがに気が遠くなり、臥せってしまった。

 しかし翌日には伽羅は気力を絞って床を起きだした。
 ただ、夫のいたわりの言葉にも返事少なく、食事を取ることすらままならない。
 まだ父の死が受け入れられないのだ。

 嫁ぐことで、父と会うことはほとんどなくなってしまうだろうという覚悟はあった。
 しかし、この世から失ってしまうなどとは思いもしなかった。
 今ですら、目をつぶれば父のいたずらなまなざしや、優美な立ち姿が浮かぶ。
 なのにもう、父はあの愛情深い声で伽羅を呼ぶことは二度とないのだ。
 そう思うと涙がこぼれた。

「伽羅よ。助命は叶わなかったが、少しだけ良い知らせもある」

 夫の言葉に、伽羅はぼうとした瞳で見上げた。
 父が命を失った以上、良い知らせなど何の意味も持たぬ。
 そう思えたのだ。

「お義父上様の弔いが許された。それも、盛大な葬儀となるであろう」

「それは……宇文護の意向でありましょうか」

 伽羅の問いに、楊堅はわずかに目を反らせた。

「……そうだ。諸侯の反感は思うより強く、より確かな工作に走ったようだ。
 いや、奴のことだから、元より織り込み済であったのだろうなぁ」

 そう言って楊堅は天を仰いだ。
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