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アザマロ譚
二 ナギ
しおりを挟む宝龜十一年(780)。
短期間での数々の功績が認められて、アザマロは国司が常駐する伊治城に呼ば
れた。
「伊治公の姓をもって、呰麻呂を伊治の地を治める俘囚長に任ずる」
紀広純将軍が、朝廷の名において爵位と領地をアザマロに授けた。
当時、蝦夷は順化の程度によって夷俘、より恭順の姿勢を見せれば俘囚と呼ば
れていた。
また、律令制下において朝廷が支配した民を公民と位置付けていた。
公民でもなかったアザマロが、伊治地方の国司の下で俘囚の族長として、一郡
を統治する大領に抜擢された事は破格の昇進であった。
叙勲の式典が終わると、祝いの酒宴が催された。
主賓は、当然アザマロである。
一人の役人らしき男が、アザマロに酒を注ぎにやって来た。
「異例の特進だな。よほど巧く将軍に取り入ったものだ。いやはや、恐れ入った」
道嶋大楯は、嫌味を言いに来たのだ。
陸奥牡鹿地方の豪族で、世襲を条件に朝廷から大国造という地方官を任ぜられ
て、中央貴族にのし上がった道嶋嶋足という蝦夷がいた。
嶋足の縁戚関係の威光を着て、牡鹿大領に治まっていたのが、大楯であった。
同族であるアザマロの出世は、大楯にとって脅威であった。
将軍が決めた人事なので致し方ないが、内心は快く思っていなかった。
大楯は、そこで一計を案じた。
酒席で失態を演じさせて、アザマロを始末してしまおうと画策した。
「オーイ。サゲッコペッコシカネ(おーい。酒が少ししかないぞ)」
深酒で出来上った俘囚の蝦夷が、酒の催促をしていた。
陽も落ちて、宴もたけなわの頃合いを見計って、大楯が部下に指示をした。
大広場に、捕虜となった蝦夷の男が引き出されて来た。
男の両足のそれぞれに、頑丈な縄が括り付けられている。
縄は、数十頭に纏められた馬群に繋がれていた。
部下が、馬をけしかけた。
二手に分かれて一気に走り出す馬群の馬力によって、捕虜の男は無惨にも悲鳴
を上げながら股先から真っ二つに裂けていった。
泥酔している朝廷軍の兵達から歓声が上がったが、他人事ではないと思った同
族の俘囚兵達は押し黙った。
そんな俘囚達に流れる空気を察したアザマロも、同族を討って得た恩賞に疑問
を感じていた。
次々に捕虜の蝦夷達が引き摺り出され、その首が刎ねられた。
処刑官によって、獄門台に生首が事務的に並べられていく。
次に、大楯は一組の親子を連れ出した。
「砂金の採れる金山の在りかを白状せねば、子の首があそこに並ぶぞ」
大楯が、子供の首に剣の刃を突き付けながら両親に詰問した。
「トウ、カア(お父さん、お母さん)」
子供が、悲しそうな声で叫んでいた。
「オラダヅ、ナンモスラネデバ(私達は、何も知らない)」
父親は、抗議した。
「タスケデケロジャ(助けて下さい)!」
母親が、助命嘆願した。
将軍の前で、大楯は点数を稼ぐ算段でもあった。
「グララアガア」
アザマロが、首に下げているヒスイの勾玉の飾りをギュッと握り締めながら獣
のような叫び声を上げた。
眼前で両親を惨殺された、幼少期の潜在意識を喚起された瞬間であった。
アザマロの奇怪な行動に、周囲の兵達が何事かと驚いた。
「エミシなど、所詮ヒトでは無いわ。朝廷にあだなすケダモノだ」
紀広純将軍が、高見から酒を煽ぎながら物言った。
アザマロは、濁酒の盃を乱暴に叩き割ると立ち上がって、嬲り者にされている
蝦夷の親子の縄を剣で斬って解放した。
「言い過ぎたようだ。趣向を変えよう。機嫌を直せ」
将軍は、アザマロが本気で怒っているのを感じて、穏便な態度を装った。
広場に、大きな鉄板が運び込まれてきた。
鉄板に油が注がれて、下から炙られた。
燃え盛る炎に、アザマロが少し気後れした。
幼児体験と獣に育てられた経験から、火を怖れる性質が残っていたのだ。
煮えたぎる油が、はねてきた。
沸々となる油に同調するかのように込み上げてくる怒りが、その恐怖を打ち消
していった。
「あれは、京から連れて来た渡来系の側女で、エミシではない。この素晴らしい
陸奥が嫌らしい。逃げようとばかりしておる。代わりの見せしめだ」
将軍は、従軍慰安婦のような扱いの妾を生贄にする事で、アザマロの機嫌をと
ったつもりだった。
個人的所有物と思っている側女一人の命など、代えのきく消耗品と考えている
風である。
十五才位の側女が、火炙りにされるべく猿轡を噛まされたまま、亀甲縛りにさ
れて引き出されて来た。
アザマロは、対決姿勢を見せた。
「既に同族のエミシを多数討ち取り、爵位と城を付けた領地までも授けた朝廷を
裏切れば、帰る処などこの世には無くなるぞ。血迷うな、アザマロ!」
将軍は、席を立って怒鳴った。
ハラハラして二人のやり取りを見ていた兵達をよそに、酒乱の気がある将軍を
察した大楯は、一人ほくそ笑んでいた。
まさか、こうも首尾良く事が運ぶとは思わなかった。
「これまでの戦功を鑑みて、酒席の座興の無礼講と許すのも、ここまでだ。この
女の命をもって手打ちにしようぞ」
兵達は、縛られた側女を熱い鉄板に通じる階段に昇らせようとした。
このまま、手打ちにされては堪らない。
大楯は、頑強に抵抗する側女を斬るように目で合図を送った。
アザマロの怒りを、煽る必要があった。
アザマロが、側女を救出に向かった。
大楯には、僥倖に思われた。
アザマロを始末する口実が、転がり込んできたからだ。
側女の瞳に、素早く縄を解き放ってくれるアザマロの眼光が映り込み、吸い寄
せられるように見詰め合った。
二人は、それぞれに運命的な何かを感じ取っていた。
「賊徒めが!」
大楯は自ら抜刀し、大きく振りかぶった。
同時に、アザマロと側女が互いを庇い合った。
側女の長い黒髪がバッサリと斬られた瞬間、ドバッと、手傷を負ったアザマロ
の返り血が側女の顔にかかる。
斬り落とされた側女の黒髪の上に、アザマロの鮮血が滴り落ちた。
「ガルルッ」
激昂したアザマロは、獣の如く咆哮しながら高く跳躍して、大楯の首を刎ねた。
壇上の高見で見物をしていた将軍も、これにはさすがに酒の酔いも一変に覚め
てしまった。
「謀反だ! 裏切り者アザマロを斬れ─ッ!」
突然の出来事に、呆気に取られていた兵達は、将軍の発した号令に我に返った。
アザマロが、側女に顎をしゃくった。
側女は、アザマロの瞳をジッと見据えながら静かに頷いた。
朝廷軍の兵達が、二人の周りを取り囲んだ。
この状況を打破するには、指揮系統を混乱させるしかなかった。
アザマロは、雛壇に向かって飛び上がった。
「キサマ!」
将軍は、目の前に来たアザマロを憎々しげに睨みながら剣を抜いた。
アザマロは、将軍の腕を蹴り上げた。
怪我程度で済ませるつもりだったが、運悪く将軍はアザマロに蹴られた勢いで、
自身の持つ剣で額を割ってしまった。
「我が、このような死に様を……」
衆人環視の中、壇上で息絶えた将軍に、兵達はうろたえた。
その隙に、アザマロは側女を連れて走った。
騒ぎの中、白装束を身に纏った男の手が、転がった大楯の首の隣にあるアザマ
ロの血で塗れた側女の斬り落とされた黒髪を拾って、袖の中にそっとしまい込ん
だ。
納屋。
ドクドクと、倒された油樽から灯明用の油が流れ出していた。
アザマロは、松明で油に引火させた。
一気に火は燃え広がり、城内は騒然となった。
火事は、最優先事項だ。謀反人を斬れとの号令だったが、命令を下した当の将
軍が殺されては元も子もない。
普段から城を護る事を厳命されていた兵達は、将軍暗殺と国府の火災の前で、
ただ動揺し、烏合の衆と化していた。
伊治城が炎に包まれる騒ぎに乗じて、アザマロは側女と脱出した。
国府多賀城。
陸奥支配のために置かれた多賀城は、百反(約1㎞四方)の土地に三間(約五.
五m)近い築地塀を廻らせて蝦夷に睨みを利かせていた。
東西五十五間(約100m)・南北六十六間(120m)の中枢には、政庁や
各官庁があり、その周りを竪穴住居でできた兵舎が並ぶように建っていた。
将軍が殺されたという噂は、瞬く間に陸奥を駆け巡った。
主の居ない国府は蜂の巣を突ついたような騒ぎになり、多くの兵達が離散して
無防備になった。
その混乱に乗じて、多数の賊徒達が先を争うかのように朝廷軍の物資を略奪し、
あげくの果ては火を放ち焼き払った。
これら一連の蛮行も、アザマロの仕業と吹聴された。
巌穴。
バサバサッと、洞穴の深淵からコウモリの大群が飛び出してきた。
「物の如くに海を渡らされ………身寄りも無い私には、帰る処など元々無い……
……」
腰布を引き千切り、アザマロの手傷に巻きながら側女が呟いた。
暗闇の中で獣のようにアザマロは、側女の乳房を揉みしごき乳首を吸い、その
白い体を貪り抱いた。
本能に任せるままに、側女の体の奥深くを貫いた。
求めに応じて、女も花芯を火照らせた。
その夜、二人は激しく深い契りを結んだのだった。
小さな火が、灯された。
アザマロは、側女の腕に火で焼いた小刀で蝦夷特有の刺青を入れるところだっ
た。
プチプチと音をさせながら刃の先から、墨が白い皮膚に刷り込まれていく。
側女は、歯を食いしばって痛みに耐え抜いた。
蝦夷には成人の証しとして、腕に刺青を施す習慣があった。
十五才になる女は、立派な大人である。
アザマロが刺青を彫ったのは、蝦夷として生きざるを得ないという覚悟を側女
に解らせるためだった。
「…ナ…ギ」
ポツリと、アザマロが言った。
「ナギ?」
側女が、復誦した。
幼きアザマロの記憶に残っていた言葉だった。
今は亡き父が、三途の川を渡る前に賽の河原から唯一、我が児に遺した言霊で
あった。
アザマロは、ナギと名付けた女の刺青を完成させた。
ナギの髪を結い上げると、アザマロは細く
美しい白い首に、勾玉の飾りを掛けた。
「これは?」
ナギが、首飾りを触りながら聞いた。
アザマロは、首飾りを握らせたナギの拳に手を添えた。
贈り物を受け取ったナギは、嬉しそうに笑みを浮かべるのだった。
それから、真昼でも陽射しが陰る、鬱蒼とした森の中に向かった。
アザマロは、八方に散らばった小石を地面に見つけた。
そして、その近くの大樹の枝葉を、両腕でなぎ払った。
掻き掃われた樹皮に、木印の刻印があった。
その下の土を掘り起こして、剣を取った。
そこは、育ての親である母狼を埋葬した神聖な場所でもあった。
古代、日高見の民が信ずるアラハバキ(荒覇吐)の神によれば、狼は大神とも
書き、カミの化身と伝えられている。
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