【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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後日譚

誕生

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 アウファトは予定よりも随分と早く屋敷に戻った。ジェジーニアが献身的に世話をしてくれたおかげだ。
 いつでも卵の様子を見に行けるよう、アウファトの家と竜王の宮に転送の魔法陣が用意された。

 それから季節は巡り、また秋がやってきた。
 奇しくも、アウファトの著者が発行される日のことだった。
 日は高く昇った昼下がりのこと。
 講義もなく、アウファトはいつものように書斎で本を読んでいた。そこへ、聞き慣れた足音が近づいてきた。

「あう、卵が孵る。罅が入ったって」

 ジェジーニアが珍しく慌てた様子でやってきたので、アウファトは慌てて身支度をした。



 竜王の宮。アウファトの寝台の傍らに置かれた鏡に映ったのは、アウファトの家の玄関先の様子だった。
 竜王の宮へ行くことが増えたアウファトのために、家への来訪者と話ができるようにした鏡だ。作ったのはウィルマルトだった。

「なんだ、いないのか」

 鏡から聞こえるのは、ミシュアの声だ。鏡には、アウファトの屋敷の玄関先に立つミシュアの姿が見えた。

「ジジの子が生まれるんだ」
「はは、そうか。おめでとう。お前もついに母親ってわけか」

 ミシュアの声に、アウファトは苦笑いする。

「近いうちに戻る。その時でいいか」
「ああ。名前は決まったのか?」
「いや、まだ」
「ゆっくり考えればいい。じゃあ、またな」

 会話が終わると、鏡は普通の鏡に戻った。

「あう、卵が」

 ジェジーニアの声に、アウファトはその視線を卵に向けた。
 アウファトの目に映る卵は、すっかり大きくなっていた。
 アウファトが産んだときは拳大だった卵は、両手で抱えなければいけないくらいの大きさになっていた。ちょうど、人間の赤ん坊が入っていそうな大きさだ。
 楕円の頂点に入った罅が大きくなった。
 アウファトとジェジーニアが並んで卵を見守る中、卵が割れた。

「あ!」

 ジェジーニアが声を上げた。
 黒い殻の下から現れたのは、柔らかそうな黒髪に白い肌と、ジェジーニアと同じ金色の瞳だ。

「生まれ、た」
「ふふ、かわいい男の子だ」

 人間の子と違って、竜王の子は声を上げないのだと初めて知った。赤ん坊は泣くものだとばかり思っていたが、竜王の子はそうではないらしい。不思議そうに、アウファトとジェジーニアを見上げている。
 ジェジーニアは、そっと生まれたばかりの我が子を抱き上げた。
 愛おしげな横顔に、アウファトの胸も穏やかに鼓動を奏でる。

「あう、チェルシカを抱っこしてあげて。あうに会いたいって」
「チェルシカ?」

 ジェジーニアはもう名前を決めたのだろうか。アウファトも考えてはいたが、どんな名前にしたらいいのか思いつかなかった。

「この子の名前」
「名前?」
「ン。抱っこしたら、降ってきた。だから、チェルシカ。チェルシカ、あうだよ」
 
 ジェジーニアから渡された、小さくて柔らかな身体。温もりのある、新しい命が自分の腕の中にある。アウファトの胸を温かなものが埋めた。アウファトはもう、それの名前を知っている。

「チェルシカ」

 アウファトがついたばかりの名を呼ぶと、透き通る黄昏の色がアウファトを見上げた。ジェジーニアと同じ色の瞳だ。
 降ってきた、というのはなんとも言い得て妙だった。ジェジーニアも生まれた時はこうだったのだろうかとアウファトは思う。

「ふふ、かわいいな」
「かわいい。あうに似てる」
「俺に?」
「ン、目元が似てる」

 ジェジーニアの指先が優しく頬を撫でた。

「フィノを呼んでくるね」

 ジェジーニアはアウファトの額に口づけると、部屋を出ていった。
 アウファトは腕の中の我が子をまじまじと見た。柔らかな黒い髪の間には、ジェジーニアと同じ漆黒の小さな角が見える。
 アウファトとジェジーニアの子。アウファトが産んだ卵から生まれたチェルシカ。自分とジェジーニアとで紡いだ命だ。胸に絶えず湧く温かな想いを噛み締める。
 世の親は皆こんな気持ちで子を抱くのだろうか。アウファトがそんなことを考えていると、程なくしてジェジーニアとともにフィノイクスがやってきた。

「ふふ、生まれたんだね」

 フィノイクスはアウファトのもとへ来ると、チェルシカの顔を覗き込んだ。

「かわいいね。目元は君に似てる」

 ジェジーニアと同じことを言われて、アウファトは複雑だった。
 アウファトはふと胸に生まれた疑問をフィノイクスに投げた。

「フィノイクス、その、この子は母乳で育てるのか?」

 至極当然の問いだった。アウファトは、自分の平らな胸から母乳が出るようになるのかとそわそわしていた。

「ン?」

 首を傾げるジェジーニアには母乳がわからないようだ。
 そんなふたりを前に、フィノイクスが口を開いた。

「もう少し大きくなるまでは、僕たち竜王がその魔力を与えて育てる。だから、子は竜王の宮で大切に守られ、育てられる。竜王の子は繊細だ。清い力で守ってやらねばならない」
「そうか。しばらくそばにいてやらないといけないな」
「つきっきりじゃなくても大丈夫。竜王の子は大体大人しいし、僕たちも侍従たちもいる。いつでも会いにおいで。チェルシカも、それを望んでる」

 人間の子は親が面倒を見てやらなければならないものだが、竜王の子は竜王たちが中心になって面倒を見るのだと、アウファトは初めて知った。

 自分が母性や父性を持ち合わせているとは思えないが、自分の子なのに他人にばかり任せていていいのだろうかとアウファトは思う。

「心配ないよ。チェルシカはちゃんと誰が親かわかってるから」

 フィノイクスが目を細めた。アウファトが腕に抱いたチェルシカに視線を落とすと、チェルシカはその澄んだ瞳で真っ直ぐにアウファトを見上げていた。



 講義のない日、アウファトはジェジーニアとチェルシカとともに竜王の宮で過ごした。
 チェルシカには毎日ジェジーニアが力を与え、他の竜王たちもかわるがわるやってきては力を与えていった。
 竜王の力を与えられ、チェルシカはゆっくりと育っていく。

「チェルシカ」

 名前を呼べば、美しい黄昏の色をした瞳がアウファトを映す。
 求めるように伸ばされた小さな手のひらに指先を差し出すと、下さな手のひらは一生懸命に指先を握った。
 指先に感じる温かな、柔らかい手のひら。

「素直な子だ。ジェジーニアに似てるのかな。叡智も感じる。これは君から継いだものかな。ねえ、アウファト」

 毎日のように様子を見に来るフィノイクスが、チェルシカの柔らかな頬を指先で撫でる。

「そうだといいが」

 チェルシカはフィオディークやトルヴァディアの力も受け継いでいる。
 ジェジーニアはフィオディークの聡明さと素直さ、トルヴァディアの芯の強さを引き継いだようだ。
 そして、ジェジーニアの気質は、おそらくチェルシカにも受け継がれる。

 きっと、素直で、賢く強い竜王になる。
 チェルシカの愛らしい顔を眺め、アウファトは目を細めた。
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