【完結】ゼジニアの白い揺籠

はち

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ゼジニアの真実

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「ん」

 くぐもった小さな声が聞こえてアウファトの心臓が跳ねる。

「フィー?」

 竜人が目を開け、身体を起こす。長く艶やかなまつ毛の下からは金色の瞳が覗いた。

「君は」
「き、み、は」

 緊張に声が掠れた。アウファトの呼びかけに、澄んだ声が繰り返す。初めて聞くその声は、美しい響きでアウファトの鼓膜を優しく震わせた。

「あー……」

 アウファトは頭を掻く。言葉は喋れるようだが、通じないようだった。
 今の竜人とは、使う言語が違うのだろうか。今の竜人が使うのはアーディス語。アウファトが使っている言語で、この大陸の公用語になっている。
 黙り込むアウファトに竜人は首を傾げてしまった。
 他に思い当たるものといえば。

「ヤオ、ノーエ」

 緊張と期待に声が震えた。アウファトが口にしたのは、あなたの名前は、という意味の古竜語だった。
 ミシュアやシエナと定期的に古竜語縛りの会話をしていたおかげで、日常的な会話はできるようになっていた。
 アウファトの問いかけに、竜人はゆっくりと瞬きをして、微笑んだ。

「ジェジーニア」

 竜人が澄んだ声で答えた。どうやらジェジーニアという名のようだった。
 古竜語は通じるようで、アウファトはなんとか意思の疎通ができるということに安堵した。

 見たところ、ジェジーニアはまだ若そうだった。見た目は二十かそこらのようだが、竜人は人よりも寿命が長い。見た目の年齢通りではないだろう。
 王が死の前に彼を眠らせたのだとしたら、ジェジーニアはずいぶん長いことこうして眠っていたことになる。

「ミア、アウファト」
「アウファト」

 アウファトの名を繰り返し、ジェジーニアは美しい金色の瞳を揺らして微笑んだ。少年とも青年とも取れる美しい顔立ちをしている。穏やかな笑みを浮かべるジェジーニアは突然襲いかかってくるようなことはなさそうだった。
 ジェジーニアがゆっくりと立ち上がる。背丈はアウファトよりも更に高く、体躯もしっかりしている。

「ミオ、スゥム」

 ジェジーニアの発した言葉はわたしのつがい、とか、わたしの伴侶、という意味のものでアウファトは首を傾げた。

「スゥム……?」

 彼とは初対面だ。彼のつがいに似ているのだろうか。そう思って、慌ててその考えを振り払う。
 そんな訳がない。彼も雄、自分も雄だ。
 それに、竜人は見目麗しいものが多い。比較するにしても、自分など足元にも及ばない。
 では何故と思っても、その答えは見つからない。

「アム」

 それは、古竜語で守護を意味する言葉だった。しかし、その言葉の解釈はもう一つ存在する。アウファトの生まれた村では、それは愛を意味する。
 アウファトが幼い頃に聞かされたその言葉は愛という意味だった。愛しいとか、すきとか、そんな意味の言葉だ。ここで、こんな状況で、そんな言葉が出てくる理由がわからないのに、アウファトの胸は高鳴る。

 そんなはずがない。アウファトは野営をしてきたせいで無精髭だって生えている。とても一目惚れされるような容姿でもない。
 アウファトは混乱していた。
 心臓がうるさく騒ぐ。
 動揺するアウファトはそっと手を握られる。

「アウファト、アム、アム」

 ジェジーニアは甘やかにその言葉を繰り返す。まるでアウファトを知っていてずっと待っていたようだった。
 ジェジーニアとは初対面だ。そのはずだ。
 ジェジーニアの腕に抱きしめられる。その腕は優しく、温かい。間違いなく生きているものの温もりがあった。普段抱きしめられることなどほとんど無いアウファトの心臓が跳ねた。
 胸が熱くなる。
 アウファトを抱きしめたジェジーニアは嬉しそうに、歌うように高らかに喉を鳴らした。

 腕の中に収まって、アウファトは考える。
 伝承の通りだとすれば、彼が黒き竜王から賜った王の至宝だ。
 こんなことがあるのだろうか。
 白い揺籠に眠っていたのは、ジェジーニアという名の竜人だった。それも、どういうわけかアウファトをつがいだと思っている節がある。

 遺跡に、生きた者が残っているなど聞いたことがない。何か特殊な、それこそ竜人の魔術が施されていると考えるのが妥当だ。
 竜人は高い魔力を持っている。生きたものを長く眠らせておくこともできないことではないだろう。

「ジェジーニア」

 ジェジーニアの力強い腕が、しっかりとアウファトを捕まえている。少し身動ぎしたくらいでは解けそうにない。
 見上げると、自分の瞳を覗き込む、美しい金の瞳が見えた。その美しさに、アウファトは見惚れ、思わず息を呑む。ジェジーニアの双眸は黄昏時の西の空に似た、美しく深い金色だった。
竜人には何度も会っているが、こんなに美しい瞳をしている竜人は初めてだった。

「ヴィーデ、スキーノ、ウィーエラ」

 冬の空の瞳。ジェジーニアの発した古竜語はそういう意味だ。
 そんなふうに、自分の瞳の色を言われたことがない。自分の瞳は、そんな色だっただろうかと考える。薄い、くすんだ青の瞳を、そんなふうに喩えられるのは初めてだった。
 ジェジーニアの指先が、辿々しく目元を撫でていく。

「アウファト、アム」

 彼はまた繰り返す。自分を映す瞳は熱を帯びていて、居た堪れない気持ちになる。
 花の香りがする。足元に敷き詰められた花の香りが、少し濃くなった気がした。

 長く眠っていたのなら、こんな見た目でも、子供である可能性はある。それなら、親と勘違いしているのかもしれない。そう思うと急に、守らなければという思いが頭を擡げる。

 ここは冷たく閉ざされた地だ。かつてのような都ではない。生きるものが、ここで生きながらえることは難しいだろう。
 彼を連れ出していいものだろうか。だが、彼を置いていくのも気が引ける。
 忠誠と献身という言葉が脳裏をよぎる。彼を護るのなら連れ出すしかないのではないか。

「ヴェイエ」

 おいで、と古竜語で言うと彼は微笑み、アウファトを抱きしめる腕を解いた。
 アウファトが差し出した手に、ジェジーニアはその大きな手のひらを重ね、しっかりと握った。
 温もりのある手だった。アウファトの胸に、彼を守ろうといく気持ちが強く根付いた瞬間だった。

 言葉も完全には通じないが、のんびりここに居続けることはできない。一人でここまで来る為、荷物を限界まで減らした。そのせいで食料は、帰りの分が辛うじてあるくらいで、二人分となれば尚更だった。急いで帰ったほうが良さそうだ。
 アウファトはジェジーニアの手を引いて部屋を出た。

「っ、う」

 部屋を出た途端、ジェジーニアが小さく声を上げた。
 無理もなかった。彼の服装は寝間着のような、薄く簡素なチュニックに脚衣だけだった。足元も裸足だ。
 部屋の外は外ほどではないが寒い。春の陽だまりから真冬の雪原にやってきたようなものだ。

「ああ、すまない、寒いよな」

 アウファトは急いで荷物の中から、予備の防寒具と着替え、外套を取り出す。着せられるものは着せ、外套で包む。靴は、予備で持っていたアウファトのものを無理矢理履かせた。
 ジェジーニアは身体が大きいので足も大きい。窮屈そうだが、ないよりはマシだろう。予備がこんな形で役に立つとは思わなかった。

「アウファト、ティーケ」

 ジェジーニアはありがとう、と言った。

「ジウィーナ」

 柔らかく笑うジェジーニアに、どういたしまして、と返す。
 アウファトは外套を被って不格好になったジェジーニアを連れて、白い揺籠を後にした。

 空になった白い揺籠は明るいまま、去りゆく主人を見送っているようだった。
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