R18 短編集

上島治麻

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行きつけの珈琲ショップで珈琲を購入すると風がふんわりと頬を撫でた。冷たくも無く、熱くも無い温度に青空のもと桜の花がふわりふわりと漂う。百人中百人が気分よく歩ける気候だ。現に、街行く人々の表情は穏やかで機嫌よさげである。俺も、例に漏れずにご機嫌で購入した紙製のコップを右手に持ってスキップでもするかの勢いで道を歩く。だけど、俺が機嫌が良いのは何も、この穏やかな気候のせいだけじゃない。隣に夏目君が居るからだ。
夏目君こと沢城夏目、二十五歳。十歳の頃から子役として活躍しており、今はテレビ業界からは離れて二.五次元俳優として活躍している。彼の演技はどの舞台でも完璧と称されているし、プライベートもストイックに生きている。
彼と出会ったのはかれこれ三年ほど前のことだ。

「合格⁉」
所属事務所のブースの一角で俺は驚きのあまり声を出した。
「そう、合格だって。おめでとう、樹君」
俳優を目指して上京し、何とか事務所には所属することが出来たものの、オーディションには落ちまくる日々だ。やっと受かったと思ったら、小さな劇団の端役。別に嫌では無いし、そういった下積みが大切なのは理解している。けれども俳優という職を目指しているからには大きな舞台に立ちたいという夢がやっぱりあるもので…。今回のように手掛けた作品は全てチケットが完売し、四百席が全て埋まるような人気脚本家兼演出家の森田健吾が手掛ける作品のオーディションに受かったとなれば、それはもう嬉しさもひとしおだ。しかも、累計部数一千万部を突破した作品が原作。どんなに端役でもオーディションに受かったことがまず奇跡だった。
「何役ですか?」
俺が前のめりになりながら聞くとマネージャーの宮下さんは、にっこり微笑んだ。
「ふふふ、何役だと思う?」
――もしかして、めちゃくちゃ良い役なんじゃないだろうか?
原作のタイトルは鬼頭物語。
時は戦国。戦渦に巻き込まれてボロボロの村は生き残るために神に贄を捧げることになった。生贄として選ばれたのは村長の娘。けれども村長は娘を生贄にすることを嫌がる。そのため代わりの生贄として村の厄介者である満が選ばれる。満は生贄として滝に落とされる。滝に落とされた満は目が覚めると豪奢な屋敷に居た。そこで生贄を所望した神様である星羅と出会う。星羅と交流を重ねていくうちに満は星羅に惹かれていく。しかし星羅は人に復讐心を抱いており、満に優しくした後に裏切り手ひどく扱うことで復讐心を満たそうとしていたのだ。それを知ってもなお一途に星羅を愛する満に次第に心惹かれていき、二人は結ばれてハッピーエンド。というのがあらすじだ。まぁ、つまるところ今流行りのBL作品というわけである。
「もしかして、桃李役ですか…?」
桃李とは星羅の友人で満と星羅の架け橋になる存在だ。
「残念。違うよ」
宮下さんに言われて、がくりと肩を落とす。
――まぁ、そんないい役なわけないか。
「じゃあ、何役ですか?村人Aですか?」
「残念。それも違う。…正解は満役です!」
「えぇぇぇ!」
満ってあの満?主人公の?嘘だろ?そんな大役。ドッキリ?いやでも、ドッキリならドッキリでテレビ出演できるというわけだから美味しいかも…。ということは、印象を残すためにここは大げさに驚いておいた方が良いな。よし。
「嘘でしょ⁉信じられない!嬉しいです!俺、全力で頑張ります‼」
「うん。頑張ってね。言っとくけど、ドッキリでもなんでもなくて本当だから。後、星羅役は人気俳優の沢城夏目さんだから沢山しごいてもらって、勉強しておいで」
宮下さんはそう言うと俺の肩をポンっと叩いた。
「え⁉ドッキリじゃないんですか?」
「当たり前でしょ。」
「ということは、本当に俺が主演?」
「そうだよ。樹君。ここが君のターニングポイントだ。このチャンスを生かすことが出来るかどうかで君の今後の運命が変わる。事務所をあげてバックアップしていくから、頑張って。…じゃあ、これ台本だから」
「えっと、あ、はい」
「それと社長から。樹君を事務所に入れてよかったよ。精一杯バックアップするから頑張ってね…だそうだよ」
「が、頑張ります‼」
きっとここが分岐点。ここで失敗したら後がない。頑張らないといけない。死ぬ気で。ここで失敗するなら死んだ方がましだ。

稽古が始まったのはそれから数か月後。意気込んできたものの、やはり有名な方々ばかりで肩肘が張ってしまう。硬直して蝋人形にでもなってしまったかのような気分だ。何とか自己紹介は言えたものの噛み噛みで周囲の方々に笑われてしまった。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「じゃあ、自己紹介も済んだことだし、軽く読み合わせをしていきましょう」
森田の掛け声で読み合わせが始まる。
結果から言ったら最悪だった。あれだけ練習したのに緊張から噛むわ、感情は上手く入っていないわ、読み飛ばすわ、のフルコンボ。挙句の果てに森田から、やる気がないなら帰って良いよと言われる始末。その場は何とか他の役者さんが取りなしてくれたことによって事なきを得たが、そうでなければ今頃降板させられていたことだろう。落ち込む。最悪だ。自分はなんてダメな役者なんだろうか。というか、役者を名乗ることすらおこがましいのでは…。どんどんどんどんネガティブな方に感情が走っていき止められなくなる。昔から、感情にブレーキをかけるのは苦手だった。あんなに、練習したのに、ここで発揮できなければ無意味だろう、自分。
「とりあえず、今日は解散にします。お疲れさまでした。明日もよろしくお願いします」
「「「お疲れ様でした」」」
挨拶をすると各々、身支度を始める。とぼとぼと俺も身支度をしているところで森田に声をかけられた。
「お疲れ。斎藤君。さっきは言い過ぎたね。ごめん。年を取ると短気になっていけないね。君が沢山練習してきたとマネージャーから聞いたよ。それなのに、あんな風に怒鳴ってしまっては委縮して余計に出来なくなってしまうよね」
「お疲れ様です。いえ、どれだけ練習しても本番で出来なかったら意味がないので、俺が完全に悪いです」
森田は意外なことを言われたというように、驚いた表情をする。
「そう。じゃあ、聞くけどなんでそう思うの?」
「なんで…ですか?」
まさか、そんな質問をされるとは思っていなくて戸惑う。
「そう。なんで?だって役者も仕事の一つで、ミスは良くないけれど過程を丸っと無視するのも変だろう?それなのになんで、役者は過程を無視して本番出来るかどうかだけで判断されなくてはいけないの?」
試すようなまなざしに戸惑いながら、俺はたどたどしくも答える。
「それは、お客様が時間やお金を割いて見に来てくれているからです。舞台なんて、究極見なくても生きていける。なのに、高いお金と短くない時間を割いてもらっている。だから、俺たちはそれに見合うだけのものを提供する義務がある…と思うからです」
ほぅっと森田が一つ頷く。
「まぁ、完璧な答えじゃないけど、それが分かっていれば今は十分かな。うん、じゃあ明日からも頑張って。期待しているよ」
「ありがとうございます」
深くお辞儀をする。あの、森田から合格の二文字を頂いたのだ。こんなに嬉しいことは無い。もちろん、今日の失態を忘れてはいけないし、完璧では無いと言われたのだから精進しないといけないのだけれど。
「それと、今回はBL作品だし、相手役とは仲良くなっておいた方が良いからね。ちょっと星羅役の夏目と飲みに行っておいで」
「え?」
驚いて間抜けな声を出しているうちに「おーい、夏目。お金は出してあげるから斎藤君と飲みにでも行っておいで」と声をかけている。沢城が森田に声をかけられてこちらに来る。すごいにこやかに笑っていて、優しそうで、先ほどまで星羅を演じてた時とはまるで違う。これが天才役者か。と感心してしまう。
「俺は良いですけど、斎藤君は大丈夫?」
切れ長の目に整った唇。スッと通った鼻梁に小さな顔。それらすべてが綺麗に配置されていて顔のバランスが非常に良い。スタイルもすらりと高くて足が長い。華奢に見えるのに半袖から覗き出る腕には筋肉が程よくついている。いわゆる、イケメンというよりはどちらかというと美人系だ。
「えと、はい!大丈夫です」
戸惑いながらも答える。
「なら、行こうか」
沢城がにこりと微笑む。
「はい」
「おー、行っといで」
森田が手を振って俺たちを送り出した。

それが、俺と夏目君の出会いだった。
それから、共演を通じて夏目君のストイックなところや、演技の上手さ、人気であることをひけらかさず常に高みを目指している姿勢。…普段はニコニコしているのに演技中だけ見える恐ろしいまでの色気を間近で見てきて気づいたら恋に落ちていた。それから、三年。俺は、売れない役者から人気役者になり、夏目君と張れるほどになるまで成長していった。夏目君への恋はというと玉砕の連続だ。最初の告白は鬼頭物語の千秋楽が終わった後。それから、一か月ごとに告白しているがOKを貰えたことは無い。つまり、三年間振られまくっているのだ。悲しい。けれども諦めるつもりはない。今日だって告白するつもりだ。
珈琲を持って隣を歩く夏目君は誰よりも綺麗だ。珈琲がよく似合っている。きっとブラック珈琲だろう。
「夏目君はブラック珈琲?」
「いや、砂糖二本とミルク二個入れたよ」
激甘珈琲だった。可愛い。
「そっか。可愛い」
「相変わらず変だよね。樹君って」
「どこが?」
自覚がなさ過ぎて戸惑う。小首を傾げると、夏目くんが、くすっと笑っておでこを指でチョンっと突く。
好きだ。好きの気持ちが収まらない。そういうことをするから、恋心を諦めることが出来ないのだ。
「好き。夏目君が好き。俺と付き合って」
「無理」
「えぇ、またダメ。ダメダメダメダメ、ダメばっかり」
「無理なものは無理だよ」
「夏目君のケチ。付き合ってみたら案外良いかもよ。俺結構、恋人には尽くすタイプだし」
夏目君の腕を両手でつかんで精一杯の上目遣いでかわい子ぶりっこしてアピールする。最近SNSで、俺の上目遣いは可愛いということを知った。ファンの子曰く、何でも言うことを聞きたくなってしまうそうだ。もしかしたら、夏目君にも効くかも知れないという一縷の望みをかけて使う。
「はいはい。そうだね。樹君は確かに尽くしそう。でも、その相手は俺じゃないよ」
効きやしなかった。少しくらい動揺してくれても良いじゃないか。むっとする。
「なんで、決めつけるの。俺が尽くしたい相手は夏目君だけなのに」
夏目君は困ったように笑う。
「違うよ。違う」
「俺、諦めないから」
「はいはい」
呆れたように珈琲を一口飲む夏目君に宣戦布告する。
俺は、諦めない。絶対に。たとえ何億回振られようとも夏目君を絶対に振り向かせて見せる。そう、天に誓ってブラック珈琲を一気に飲み干した。
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