R18 短編集

上島治麻

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41ー9

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担任の『気をつけて帰るように』という言葉とともに開放感に満ち溢れた、ゆるゆるとした時間が流れ出す。放課後に真っ直ぐ帰る者もいるがダラダラと友人と会話を楽しむ者もいる。
「なぁ、陽那岐~。6組の花音ちゃんの告白受けたん?」
「いや、断ったけど。」
「えぇ~、なんでぇ。勿体ないなぁ。花音ちゃん、えらい可愛い子やないの。」
言うほど残念では無さそうに佐久間凌が言う。凌とは中学で知り合ったのだが気が合い親友のような存在だ。父方だか、母方だかが関西の方出身らしく、西の方の方言で話すことが多い。ちなみにだが、俺が凪月くんを崇拝していることも知っている。
「やっぱり、どんな美少女も凪月くんには適わへんのやなぁ。」
「ふん。何を当たり前なことを。凪月くんに適う者など、この世に存在してるわけないだろう。」
「ははっ。そこで、照れるでも否定するでもなく、パンは食べるものくらいの当たり前さで言ってくるところが俺は好きやよ。」
「…?あ、りがとう?」
「うんうん。素直に受け取ってえらいなぁ。」
「お前、俺のこと馬鹿にしてるだろ?」
「嫌やわ、馬鹿になんてしとらんよ。面白い人やなぁとは思ってるけど。」
「それを世の中では、馬鹿にしてるって言うんだよ。…ん?なんだそれ?」
ふと、凌が手に持っている本に目が行く。凌は基本的に漫画や本は読むが辞典や辞書などは読まないタイプなのに辞書のように重たげな本を持ってるとは珍しい。
「あぁ、これ?これはな、花言葉辞典いうて、その花の持つ言葉が書いてあるんよ。」
「花の持つ言葉?」
「そう。花にはそれぞれ言葉があって、言葉の代わりに花を送ったりすることもあるんやて。中々、趣深いやろ~。有名どころやと好きな人に薔薇を送るとかやね。」
「へぇ~。んで、なんでお前そんなもの持ってるの?そういうことに興味あったっけ?」
「あぁ。今度の演劇部の公演が花言葉をモチーフにした舞台やりたいから読んどけ~って部長が…。はぁ、あかん。全然いいネタが降ってこん。」
「今回も凌が脚本書くの?」
「まぁ、脚本書く人間が今んところ俺しか、おらへんからなぁ。」
「へぇ…。ちょっと見せて。」
「ん?あぁ、ええよ。結構種類あって面白いやろ?」
凌から渡された花言葉辞典をペラペラとめくる間も凌による花言葉語りは止まらない。よほど、脚本作りに煮詰まっているらしい。
「でも、花言葉って不思議やよね。なんやろ、普通の言葉よりも心に刺さるって言うか深く染み渡るって言うか。」
「そんなもんか?」
「せやから、世の中の人は昔から花言葉を使ってきたんやないかなぁ。…単純な言葉よりも意味を調べて花を誂えてって手間がかかるからやろか。手間がかかるもんは、それだけ人の心に深く入り込むからなぁ。」
「なるほどな。」
まぁ、確かに凌の言うことも一理あるなと思いながらもページを捲り続けてると、ある1つの花の言葉に目がいく。
「なに?それが気になるん?…モスローズ、花言葉は無邪気、崇拝、可憐、尊敬、愛の告白、真の価値…まるで陽那岐の凪月くんに対する気持ちみたいやね~。」
「確かに。。。」
自分には彼を動かす力も言葉も持たないけれど、もしかしたら花に託した想いが言葉よりは強く彼に届くかもしれない、なんてらしくもなく思ってその日の帰り道にモスローズの栞を雑貨屋で買った。1つじゃなく、2つ買って密かにお揃い気分を味わおうとしたのは俺のエゴだ。きっと、これくらいは許されるだろう。自分だけの秘密だから。
モスローズの栞を凪月くんに送って、いくつかの時が過ぎ高校3年になった頃には母の予言通り凪月くんは演技派俳優として返り咲き俺の凪月くん推し活も大変充実していた。ちなみに、凪月くんが演技派俳優として世間から注目された時に俺は母を大預言者の如く崇めたのは言うまでもない。そんな頃に俺は人生のターニングポイントを迎えることになる。
高校も同じになった凌といつも通り高校から自宅に帰っている時のことだ。
「なぁ、陽那岐。陽那岐にお願いごとがあんねん。」
いつになく、真剣で心細そうな声に訝しみながら凌の方を振り向く。
「急にどうしたんだよ?何かあったのか?」
「実はな、俺アイドルになりたいねん。ほんでオーディションが来月あるんやけど…」
「へぇ、すごいじゃん。ま、凌は俺ほどじゃないけどイケメンだし俺よりトークも愛想も良いから向いてるんじゃない?」
「馬鹿にせぇへんの?」
馬鹿にする…その発想はなかったなと思う。アイドルが簡単になれるものでないことは知っているけれど、長年オタクをしているものからすれば、その世界に踏み出そうとする者が1人でも居るなら応援したいし、背中を押したいと思う。それが大事な友人なら尚更。それに凌は人を笑顔にさせるのが何より好きで、人前に出るのも大好物な人間だから個人的には凌がアイドルになる姿を見てみたいと思う。
「するわけねぇだろ。俺になんでお前の夢を馬鹿にする権利あんの。それに、オタクからしたら、そういう世界に踏み出そうっていう金の卵は応援したいし、背中を押したいもんなの。」
「なんや、嬉しくて泣きそうやわぁ。」
「そんなことで泣くなって。…ところでお願いがあるとか言ってなかったか?」
お願い。なんだろうか。応援して欲しいとか?それなら、言われるまでもなくするつもりだ。1番が凪月くんなのは譲れないが全力で応援するとも。安心したまえ、友よ。
「陽那岐!俺と一緒にオーディションに受けて欲しいねん!」
言うが早いか、ガバッと頭を下げられる。凌の握りしめた拳が、白く白くなっているのが、俺にどれだけ本気か伝えてくる。
「えっと……なんで?」
「実は、今回6人グループのアイドルを作るためにオーディションを開催するらしいんやけど…」
曰く、今回のアイドルグループのコンセプトは幼なじみらしく、2人1組でオーディションに受け、受かった3組でグループを組むというものらしい。斬新といえば聞こえはいいが、突拍子がないにも程がないだろうか。別に本当の幼なじみでなくてもいいだろうに。アイドルとは奥が深い。
「流石にダメやろか…?人生に関わることやもんね…。」
俺が考え込んでいたのをマイナスにとらえて凌はそんなことを言う。沈黙は否定派か。
「別にダメなんて言ってないだろ。良いよ。やってみようぜ。オーディション。」
「え!?ええの!?」
「別にそんな驚かなくてもいいだろ?」
「ありがとう!陽那岐!俺、本当に不安で…でも、陽那岐が一緒に受けてくれるなら大丈夫な気がするんよ。」
「いいよ、そんな感動しなくても。それに、アイドルになったら凪月くんのことも一目見えるかもしれないしな。」
「共演だって出来るかもしれへんよ?」
「それは…困るな。」
「へ…?なんで?普通そこは喜ぶところやあらへんの?」
「例えばさ、月を見るのが好きな人がこの世には沢山いるとするじゃん。その人達、全員が宇宙飛行士になって月に着陸したいとは思わないだろ?月は遠くで見てるからこそ美しいって感じる人もいるわけだ。」
「んー、よう分からへんけど憧れに近づきたいタイプもいれば、ただ遠くで眺めていたいタイプもいて、ほんで陽那岐は憧れは遠くから見ときたいタイプってことであってる?」
「まぁ、そんなとこ。月って何かしてくれるわけじゃないじゃん。でも、辛い時に見えたら励ましてもらっているような気に勝手になったり、何かをやり遂げなきゃいけない時に見たら勝手に応援して貰えたような気になって、楽しい時に見たら一緒に喜んでくれているような気になる。全部自己満足で自己完結だけど、それだけで生きていけるほど、大切なんだ。俺にとって凪月くんは、そんな月と同じってこと。」
「はぁ、相変わらず陽那岐は発想がぶっ飛んではるわ。」
そんな話をしてからしばらくして、俺たちはオーディションを受けて無事に合格した。最初は少なかったファンも徐々に増え、俺は大学に通いながらアイドル活動にあけくれた。別に初めはそこまで乗り気ではなかったけれど、ファンの子達が喜んでくれる姿を見ると、もっと頑張らなければと思う。いつしか、俺はアイドル活動が大好きになっていたのだ。もちろん辛いこともあるけれど、そんな時に読むファンレターは心に染み渡る。疲れた時に飲む味噌汁並に染み渡る。そういう時に、ふと思うのだ。もし、もしも、自分が書いた手紙たちも、こんなふうに凪月くんにとって癒しをもたらす存在であればどれだけ幸せなことかと。
芸能界という同じ括りに入ってもアイドルと俳優という業種の違いか俺と凪月くんの世界が交わることはなくて、少し残念に思う気持ちも、もちろんあるけれど、それ以上に安堵していた。そう、安堵していたのだ。安穏としていたと言い替えてもいい。なのに、あぁ、だのに…。悲しみに暮れながら目の前の台本を親の仇のように睨みつける。そこには夜見凪月、朝田陽那岐W主演と忌々しくも神々しく書いてある。22歳にもなって本気で『おぉ、神よ。どうしてこのような試練をお与えになったのです。』とか言いながら事務所で号泣してメンバーと事務所のスタッフと社長に、ドン引きされた。ドン引きしつつも元気だしてと焼肉屋に皆で連れてってくれた社長や口々に慰めてくれたり癒しのグッズを贈ってくれたメンバーとスタッフ達に、改めていい事務所に入れてよかったと思う。
芸能人にプライベートなど有って無いようなものとはよく言ったもので、誰がどこにいるか分からないのに気軽に己の感情を吐露できる場所なんて中々存在しない。それでも、人間という生物である以上、己の中のキャパが超えたことを誰かに聞いてもらいたいと思うのは自然なことで。飲み会は大体会員制度の完全個室で行われている。が、しかし、世の中壁に耳あり障子に目ありだ。そういった形態のお店なら完璧にプライベートが守られるという訳では無い。まぁ、これくらいなら大丈夫かなと判断できるものしか結局は話せなくてつまり何が言いたいかと言うと…
「話したいことがあるけど機密事項だからお店では話せないので俺の家まで来たと。うちは、陽那岐専用の居酒屋や無いんやけど。」
「別にいいだろ。おつまみも酒も俺もちなんだから無料で酒が飲めると思ったらお前的にも利益あんじゃん。WinWinってやつだ。」
ここに来るまでに買った酒とツマミの入った袋を掲げる。ちゃんと凌の好みの酒とつまみを選んで買ったのだ。
「その分、色々聞かされるんやろ~?今、凪月くんと初共演中やし、今日初顔合わせの日やったって聞いたから、嫌な予感しかせんわ~。ぶぶ漬けあげるから帰ってくれへん?」
「ぶぶ漬けは酒の後でな。とりあえず飲みながら話を聞いてくれ。」
「それじゃ、意味ありまへんのやけど。…はぁ、まぁええわ。そん代わり、酒とつまみは遠慮なく貰うからな。」
「あぁ、ありがとう!」
「で、どないしたん?」
酒とつまみを机に広げながら様式美のように凌が聞いてくる。
「月に恋した。俺は、月を眺めて歌を詠む詩人じゃなくて月に上陸する側の宇宙飛行士だったんだ。」
「は?暗号?意味わからへんのやけど。」
真実分かりません、という顔で聞き返される。気持ちは、分かる。自分だって、友人から相談があるって言われて、いきなりそんなこと話し始めたらメンタルクリニックを行くことをオススメする。だからといって、露骨に『こいつやべぇ』みたいな顔で見るのはやめて欲しいし、電車でいきなり変な人に絡まれたみたいな反応をされると傷つく。
「だからさ、月に恋したんだよ。」
「あー、分かった。分かったから、時系列で話して欲しいし、出来たら日本語で話してもらいたいんやけど。」
「日本語以外で話してない」
失敬な。いつ俺が日本語以外で話したというのだ。
「うーん、せやったら俺の知っとる日本語は実は日本語やなかったんか…??」
1人でクルクルと悩み始めた凌が一体何に戸惑っているのか分からずに戸惑う。端的に相談したつもりだったのだが、分かりずらかっただろうか?
「実はな、…」
映画の初顔合わせの現場にまるで戦入りをする武士のような険しい顔で陽那岐は入る。マネージャーには、そこまで緊張しなくてもと言われたが何事も初回が大切なのである。ましてや自分は演技初挑戦の新参者の上にアイドルという役者とは畑違いの人間ときた。それはもう、戦にでも行くような心持ちでなければ討死してしまう。しかも、長年憧れ続けた凪月くんも居る。もし、万が一にも自分が何かをしてしまって直接ないしは間接的にでも迷惑をかけてしまったとしたら、自刃するしかない。が、しかし陽那岐もアイドルである以上、応援してくれるファンがいるのだ。すると自刃することも簡単にできる訳もなく残された道としては迷惑を凪月くん及び関係者にかけず映画を成功させることだけであった。
そんなことを考えながら陽那岐が扉を開けると何度も何度も画面越しに、あるいは雑誌越しに見てきた凪月くんが3Dとして現実に存在し(いや、まぁ当たり前といえば当たり前ではあるけれども…)仲良さげに共演者と歓談していた。特別整っている訳では無いのに不思議と目が離せなくて惹かれてしまう月のような人。冴え冴えとした面持ちに静かだけれど確かな存在感を放つ眼差し。なんと美しいのだろう。
思わず魅了され、ぼうっとした俺の肩をマネージャーが叩き夢から覚めたように周囲の人に笑顔を向け挨拶をする。ありがとうマネージャー。マネージャーが居てくれて良かったと今日ほど思った日はない。
そうこうしているうちに、挨拶が終わり初読み合わせが始まる。
「では、自己紹介が終わったところで早速、読み合わせをしていきたいと思います。今日は、我々スタッフ勢のイメージ作りとしての読み合わせになるので、役者の皆さんには申し訳ないですが、どうぞお付き合いください。」
少し冗談交じりに監督が告げると周囲にクスクスという軽い笑いが広がった。監督が思ったり優しそうで安堵する。しかし、それも読み合わせが始まるまでの泡沫の安堵だった。俺と凪月くんの恋人シーンが、どうしても上手くいかないのだ。恋人感がない。リアリティが無い。つまり、見苦しい演技になっているということだ。こんなのどう考えても俺のせいだろうと考える。だって相手役の凪月くんの演技が上手いのなんて自分が一番知っている。どうしよう。早速迷惑をかけてしまっている。周りの目が痛い。凪月くんの目なんてもちろん見れるわけもなかった。針のむしろの様な読み合わせは監督の『休憩にしましょう』という一声で唐突に終わりを告げる。ついでに『夜見君と朝田君は少し来てもらってもいいですか?』という監督の言葉に俺の人生も終わりを告げる。監督に聞かされたのは案の定、演技に恋人感がないというもの。早速、凪月くんに迷惑をかけてしまった。もう自刃したい。しかし、ここで死ぬわけにはいかないのだ。何せ自分にも映画を楽しみにしてくれているファンがいるのだから。たとえ、凪月君と監督から殺されそうになったとしても自分はゾンビのように立ち上がって、すがりついてみせなければいけない!と思い直す。
監督の『2人ともよろしくお願いしますね。』という言葉と共にその場はお開きになった。
「えっと、朝田さん、もし良ければ茜と蒼について色々話し合いたいので時間が空いてる日に会えませんか?…それと、朝田さんのことも、もっと知りたいですし…」
思わず硬直した。いや、誰だって神様に突然話しかけられたら硬直だってするだろう。え?凪月くんが、もしかして俺に話しかけてます???頭の中は大混乱だ。
しかし、自分も端くれとはいえプロだったことを思い出し、直ぐに己を律しアイドルモードで言葉を返す。
「誘っていただき、ありがとうございます。俺も夜見さんと演技のことを色々と話したいと思ってたんです。それと、敬語じゃなくて大丈夫ですよ。確かに俺の方が年上ですけど芸歴で言ったら夜見さんの方が先輩ですし。名前も気軽に呼び捨てで呼んでください。」
言い切った!と自画自賛をしているとしばしの沈黙が流れる。もしかして、同じ共演者として自然な話し方をしたつもりだったが自分はもしかしてなにか間違えてしまっただろうか?まさか、ファンである自分が少し出てしまったとか?それとも単純に馴れ馴れしすぎただろうか?
焦りと不安に苛まれながらもアイドルスマイルを保ち続け(硬直してしまっているとも言う)何秒か経過する。
「嬉しい!ありがとう。じゃあ、陽那岐って呼んでいい?俺のことも気軽に呼び捨てで呼んで!それと、俺に対して敬語じゃなくても良いから!」
と、お話になられた。夢だろうかこれは?あぁ、きっと自分はベットで寝ていて憧れの凪月くんと共演している夢を見ているのだ。そうだ。きっとそうに違いない。現実逃避している間にもアイドル陽那岐は自分が思うより有能だったらしく凪月くんに勝手に返事を返していた。
「うん。こちらこそ、ありがとう。俺も嬉しい。じゃあ、俺も凪月って呼んでいい?」
「もちろん。あっ!会う日の日程ってどうする?」
「うーん、マネージャーに聞いてみないと分からないな。連絡先交換してもらっても良い?後で連絡するから。」
「了解。えっと、ちょっと待ってね。」
しかも勝手に会う約束までしているとはアイドルの陽那岐は大したものだと自分ながらに感心する。
すると、突然、凪月くんにペットボトルを渡された。なぜ、ペットボトル?と戸惑ってしまった。これを、俺はどうすればいいんでしょうか…??
「ごめん。これしか書くものなくて…。これ、まだ未開封だからもし良かったら飲んでくれて良いので。」
凪月くんからのプレゼント…。嬉しすぎて発狂しそうだ。帰ったら神棚に飾ろうと心に決める。
もう一度、凪月くんの方を見ると書くものがペットボトルしか無かったのが恥ずかしいのか、少し照れたように笑っていた。今まで、月のように静かで魅力的な人だと思っていたけれど、可愛いと思ったのは初めてで。こんなに胸が高鳴ったのも初めてだ。ドキドキ心臓の音がうるさい。表情筋は己の意思とは反して笑顔を作るけれど、正直それどころじゃない。だって、凪月くんが可愛くて可愛くて愛しくて、自分だけにその笑顔を向けてくれないかとか思ってしまったりして、どう感情をコントロールしていいか分からない。月は遠くにあるから美しくて、それは眺めるものであっても手に入れるものでは無かったはずなのに、心の奥が凪月を手に入れたいと叫んでいる。それでもなんとか、返事を返して、連絡することを約束する。
そこからは、ほとんど記憶になくて、ふわふわした心持ちのまま読み合わせを行った。プロとしてはあまりに失格な行為なのでこんなことはもう二度としないようにしよう。大反省だ。
しかし、初めての感情を持て余した俺は自分が想像する以上にコントロール機能がぶっ壊れていたらしく気づいたら凪月くんを呼び止めて、ありえない、お願いをしていた。
「明日からクランクアップまでの間、俺の恋人になってください!」
いやいやいやいや、何を言ってるんだ俺は。馬鹿なのか?馬鹿なんだな、そうなんだろうな。凪月くんの方を見るとドン引きした人とはこのような顔をするんだろうなと言う手本みたいな顔をしていた。ですよね。
けれども、このままだと映画が上手くいく保証がない崖っぷちであるのも事実で。監督に言われたように、この映画の肝になる恋人感が、このまま何も策を練らずにできるとも思えない。俺が凪月くんに対して憧れと崇拝と恋情が絡まった糸のように、こんがらがって、どう接していいか掴みあぐね微妙に避けてしまっているのが原因の一因になってしまっているのであろう。こんな感情は荒療治でもしない限り治らないのだろうなということは薄々自分でも気づいている。もちろん、しっくりくる演技が出来ていないのは、それだけでは無いだろうが。
それに恋というものを知るにしても、この時の俺には、この案がもっとも最善の策に思えた。
本来、役者は過去にした恋を追想し重ね、表現するものだ。けれども、恋なんてさっき凪月くんにペットボトルを渡された時に初めてした自分には追想する過去の恋なんて生憎持ち合わせていない。
「今日、初めて演技の指導をしてもらって、初めての読み合わせだったけど皆さん既に確固たるものを持って臨んでいた。もちろん、俺だって練習してきたけど、このままじゃ全然足りない。この素敵な映画は俺1人のせいでコケる。そんなことにはさせたくない。」
「それで、なぜ急に恋人?」
「1番理解できない箇所だから。俺、今まで誰にも恋をしたことがなくて人を愛したことも、人に執着したことも無い。だから茜の気持ちが全然想像できなくて。でも、凪月だけは違った。さっきペットボトルに連絡先を書いて渡してもらった時、胸の鼓動が高鳴って、これが恋なんだって初めて思えた。」
ありったけの思いで凪月くんに思いを言葉で告げる。
「うん。でも多分それ誤解だと思うよ。」
俺の言葉は見事に"誤解"という2文字に殺された。いたいなぁ、と思う。いたい、いたい心が叫ぶ。誤解という言葉で自分の心が無かったことにされるのがこんなに辛いこととは。
「でも、誤解であっても恋は恋。付き合ってあげてもいいんじゃないですか?これはあくまでクランクアップするためだけの役作り。各事務所の各マネージャーと社長が問題ないのであれはよろしいのではないでしょうか?」
「まぁ、恋は演技の教科書って言うしな。」
あまりのイタミに言葉を口にすることが出来ないでいると知らない間に外野の方々が俺の味方についてくれていた。
押すなら今しかない。俺の判断は早かった。動くこと風の如しだ。かの有名な武将も言っていたでは無いか。戦には速さが大切だと。
「凪月が望むことだけしかしない。必要最低限の接触でいい。演技でしかキスもそれ以上も望まない。凪月が望むならクランクアップ後は仕事以外で絶対に関わらない。でも、この映画を絶対に成功させたいんだ。お願いします。」
頭を下げると、渋々と言った感じではあるが承諾の答えを貰うことが出来たのだ。
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