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その日は朝から外が騒がしかった。
一体何事だろう。せっかくの休日だというのに。
ブツブツとつぶやきながら、寝起きの辻井亮一はそっと玄関を開けてみた。
日差しがまぶしい。ブリーチした茶色の柔らかい髪が日に透けた。
今いる三階から見下ろした。道路わきに目をやると、亮一が暮らしているアパートの隣に大きなトラックが一台止まっていた。側面にはでかでかと引っ越し社の電話番号が記されている。
「引っ越しか…」
そういえば、左隣の角部屋が空いていたと思い出す。
入居者もきっと亮一と同じ大学生なのだろう。この辺りはキャンパスが多いから。
亮一はつまらなそうにドアを閉め、惰眠を貪ろうともう一度布団に潜りこんだ。
物音で再び起こされたのは正午過ぎだった。
インターホンが鳴っている。
亮一は引っ越しがあったことも忘れて、そのままの格好で外に出た。
「どちらさんですか…?」
寝ぼけ眼をこすりながら尋ねた。視界がぼんやりと霞んでいてよく見えない。
「は、初めまして! 今回、隣に越してきた真島融と申します。これ、粗品ですが…」
亮一はビニール袋に包まれた真っ白いタオルをとりあえず受け取った。
さすがにだんだんと状況が飲みこめてきた。
「ああ、今朝の…。年は大学新一年生ってとこ?」
「はい、そうです」
短く切って立ててある黒髪、はきはきとした口調。スポーツをやっていたのか、体つきががっしりとしている。背は亮一なんかよりもずっと高い。
しかし、高校卒業したての青臭い雰囲気もまだ残っている。礼儀正しい好青年だ。
「俺は辻井亮一。大学三年生。よろしくね」
挨拶が一通り済み、亮一は部屋に戻った。
「あー…、変な奴じゃなくてよかった」
ほっとしたような溜め息が思わず出た。
ここのアパートはとにかく壁が薄い。前住んでいた年上の入居者はロックミュージックをこよなく愛していたらしく、騒音が激しかった。さらにその前の住人は亮一と同い年だったが、ひどい女たらしで毎日違う女を連れこむわ、物音を立てるやらで迷惑していた。
それらと比べてあの男はどうだろう。少しはまともそうだ。それに――、
「かっこよかったな…」
一目ぼれしてしまった。
亮一はゲイだ。
しかし、世間一般的なイメージをもたれるゲイとは少々異なっている。
まず、亮一にはこの年になっても相手は男女問わず経験がない。ペッティングやキスすら一度もない。もてないわけではないが、女性には一切反応できないので断ってしまうのだ。大抵はもつれることなく、うまいぐあいに相手と友人関係に転がることができるのが唯一の救いだった。
そして、これは女友達に言われた話だが、第一印象が全くゲイに見えないらしい。漂っている雰囲気や性格もあるが、男に興味がないとしか思えない行動ばかりしていると評された。
自分ではそうは思わないが、聞いたときはショックだった。が、よく考えてみると男の友人は少なく、気がつくと女の子たちのグループに混じっているか、一人でいることが多い。だから、自分が男であるのにも関わらず、他の男性がどんなものなのか亮一はよく知らない。つまり、男っ気のないうぶな性根なのだ。
「また、うまく話せれたらいいな…」
大人しい性格上、きっかけはなかなか作れないが、夢見るのはタダだと亮一は微笑んだ。
* * * * *
「辻井さん!」
新学期最初の授業で名字を呼ばれ、亮一は驚いた。後ろを振り返ると、昨日の爽やか青年がいた。
「あっ、隣の…真島さん」
彼は朝からすっきりとした笑顔を浮かべている。朝が弱い亮一にとってはうらやましい限りだ。
「君、A大だったの?」
「いえ、本当はM大なんですが、この授業は両方の大学講師が共同で受けもっているでしょう? だから…」
「なるほど。受講してみたってわけか」
A大とは、今亮一と真島融がいるこの建物のことで、M大はここから地下鉄で二駅ほど行ったところの大学である。複数の大学キャンパスがあるという土地柄や講師同士の交流関係を生かし、今春から様々な授業やサークルを合同で企画・運営することが決まったらしい。他大学生との交流も増えて、実り豊かな学生生活を送ることが目的だとか。
「A大の近くのアパートを借りてよかったですよ。俺、実はここに入学したかったんですから。入試で落ちたんですけどねー」
「へぇ、でも、M大もいい大学じゃんか。俺はどっちかに迷ったよ。結局、エスカレーター式でA大選んだけど…。付属高出身なの」
春というこの季節は、志望通りに進路がうまくいかなかった者たちが沈んでいる物悲しい季節だが、真島融は意外とあっけからんとしていた。楽観的な穏やかな性格なのだろう。彼といると、こっちまでつられて楽しくなれそうだ。
「他にもいい授業があるなら取ろうかと考えています」
「じゃあ、A大案内しょうか? 憧れだったんだろ」
「――ぜひ! お願いしますっ」
自分でも驚くぐらいスマートに誘うことができた亮一は内心激しい鼓動が鳴りやまなかった。
「俺のこと、名前呼び捨てでいいよ。俺もそうするから。えっと…、融だっけ?」
「はい! …あ、分かった。亮一!」
融の生真面目なリアクションに、二人は笑いが止まらなかった。こうして、亮一と融はお隣さんという間柄から友人に昇格したのだった。
* * * * *
「午前の授業で話してた子、誰なの? 辻井」
「あぁ、木下」
彼女は亮一の友人、木下真紀である。黒色の巻髪やアイラインの濃い目元が性格や意志の強さを表しているかのようだった。事実、彼女の芯は美しい容姿に劣らずしっかりとしている。優柔不断で引っ込み思案な亮一とはちょうどうまくバランスが取れているらしく、特に仲がよく、付き合いも長い。もちろん、亮一がゲイだということも知っている。
「ずいぶん親しそうに話してたじゃない。彼氏できたの?」
「違うよ。アパートのただのお隣さん。本当はM大生なんだって。合同授業が終わって、向こうの大学に行っちゃった」
「ふーん。でも、辻井は好きなんでしょ。ああいうのタイプでしょ」
「うっ…」
会っていきなり核心を突かれた亮一は言葉に詰まった。顔が少し赤い。
「少しくらい告白すればいいのに。中学生のときからアンタとは友達だけど、辻井は片思いで満足しちゃうからいけないんだってばー。…聞いてる?」
「聞いてるよ。片思いの何が悪いんだ。楽しいよ。別にいいじゃん」
亮一は人文学部の日本文学系に所属している。幼い頃から読書が好きで、ジャンル問わず小説やマンガを好んでよく読む。恋愛ものも一般向け・ゲイ向け関係なく見て楽しむが、どうしても他者の視点で捉え、満足してしまっている。
「そういうのを恋に恋しているっていうの。ったく、辻井はそこらへんの女より男ってものを知らないんだから…。性欲とかあるわけ?」
「なっ…、あ、あるよ」
そこまで言うかと続けて、涙目まじりに木下を睨んでやった。
経験はゼロだが、性欲がないわけない。知識はあるし、その手の類の本、雑誌も持っている。
「だって、告白して振られたらどうする? ゲイだってことバラされて俺の生活環境はめちゃくちゃになるよ」
「だから、そういう同類と付き合えばいいじゃない。うちの学校にも結構いるじゃん、あからさまな奴」
言われて、亮一は彼らを頭に思い浮かべてみた。
「……何となくやだ。タイプじゃないっていうか。誰とでも寝ちゃうっていう人とは付き合いたくない」
悪い人たちではないのだが、恐らく亮一自身とは気が合わない。しかも、彼らにすら亮一は同じゲイだと気づかれていない。
「わがまま。理想高すぎ。それに、辻井は人を好きになっても、告白する気がないんでしょ!」
「ううっ…!」
一番根本的な部分を指摘された。それを変えるためには亮一の性格を変えるより他ない。
「小説通りのロマンチックな展開なんかありえないの。辻井は夢見すぎ。アタックしなよ」
「もういいよ…。ちょっとそっとしておいて」
ビシバシと木下にダメ出しをされて、怒りたくてもその気力すら削がれてしまった。
こうして、気分がどんよりと沈んだまま亮一の一日が過ぎた。
* * * * *
心の中で木下に恨み言を言いながら、亮一は帰宅していた。
「あんなことまで言うなよ…。あー、もう! 木下のバカ!」
――そういうのを恋に恋しているって言うの――
先ほどの言葉が頭の中でずっと繰り返されていた。
「分かっているよ、そんなこと」
自分は臆病だと思う。ぶつかる前から恐れて今まで恋愛から逃げてきた。
今までの人生、好きな人ぐらいは人並みに片手で数えるほどいたが、どれも遠巻きで見ているだけだったり、憧れの先輩という程度の仲だった。
様々なメディアを通じて入ってくる知識のおかげで、頭の中でだけ理解したような人間になりつつある。頭でっかちな人間には一番なりたくなかったのに。
そんなことを考えていると、ちょうど融に遭遇した。玄関から出ようとしていたところだった。
「亮一、今帰り?」
声を掛けられて亮一は心臓が跳ね上がるほど驚いた。まさか、今までの独り言を聞かれてはいないだろうか。
「あ、あぁ…。融も?」
「いや、今から晩ごはん買いにコンビニ行こうかと思って…」
――アタックしなよ――
考えるよりも、先に口が動いていた。
「じゃ、じゃあ俺んちで食べる? 最近カレー作ったんだけど余っちゃって」
「ホントにいいの? 自炊とかするんだ。カレー好きだよ。食う」
「ははは……」
融の目の輝きっぷりに亮一は苦笑した。好きだよという言葉に少し反応した自分が恨めしい。
「うまい!」
こうして、亮一の部屋にお邪魔した融は出されたカレーをほおばった。ガツガツ食べている。何日間かの食事をやりくりするために作り置きしたのだったが、融がいたらあまり意味がないように思えた。しかし、自分が作った料理を好きな人が嬉しそうに食べてくれたら、こんなに幸せなことはないと思う。
「もっと食べていいよ。やっぱり、スポーツやってた奴はよく食べるんだな」
「うん、バスケやってた」
動きやすい短い髪も、スラリとした背の高さや筋肉のつき方も納得がいった。
「大学ではやらないから、セーブしないとやべー。太る」
「融も人文学部なんだよな。そんなふうに見えないのに。スポーツ科学とかやりそう」
「やりたいこと決まってなかったし、文系の方が入学しやすいからっていうのが一番適当な理由かな。本読むのは好きだけど」
また、意外なことが一つ分かった。
「え、じゃああのベストセラー知ってる?」
「ファンタジーチックなやつだろ? あれいいよなー」
融といると自然に会話が続いた。亮一はそれが嬉しかった。自分好みの男性と話題が合い、友達として接することができるなんて夢のようだった。
知り合ったのは昨日の今日だが、少なからず融も亮一のことをいい友人と思っているようだ。口調も慣れたらしく崩れてきている。
「もうそれだけでお腹いっぱいだよ…」
「え、食えないの? じゃあちょうだい」
誤解で食べかけのカレーライスを取られても、亮一はポーッと融の食べっぷりを見つめていた。
一体何事だろう。せっかくの休日だというのに。
ブツブツとつぶやきながら、寝起きの辻井亮一はそっと玄関を開けてみた。
日差しがまぶしい。ブリーチした茶色の柔らかい髪が日に透けた。
今いる三階から見下ろした。道路わきに目をやると、亮一が暮らしているアパートの隣に大きなトラックが一台止まっていた。側面にはでかでかと引っ越し社の電話番号が記されている。
「引っ越しか…」
そういえば、左隣の角部屋が空いていたと思い出す。
入居者もきっと亮一と同じ大学生なのだろう。この辺りはキャンパスが多いから。
亮一はつまらなそうにドアを閉め、惰眠を貪ろうともう一度布団に潜りこんだ。
物音で再び起こされたのは正午過ぎだった。
インターホンが鳴っている。
亮一は引っ越しがあったことも忘れて、そのままの格好で外に出た。
「どちらさんですか…?」
寝ぼけ眼をこすりながら尋ねた。視界がぼんやりと霞んでいてよく見えない。
「は、初めまして! 今回、隣に越してきた真島融と申します。これ、粗品ですが…」
亮一はビニール袋に包まれた真っ白いタオルをとりあえず受け取った。
さすがにだんだんと状況が飲みこめてきた。
「ああ、今朝の…。年は大学新一年生ってとこ?」
「はい、そうです」
短く切って立ててある黒髪、はきはきとした口調。スポーツをやっていたのか、体つきががっしりとしている。背は亮一なんかよりもずっと高い。
しかし、高校卒業したての青臭い雰囲気もまだ残っている。礼儀正しい好青年だ。
「俺は辻井亮一。大学三年生。よろしくね」
挨拶が一通り済み、亮一は部屋に戻った。
「あー…、変な奴じゃなくてよかった」
ほっとしたような溜め息が思わず出た。
ここのアパートはとにかく壁が薄い。前住んでいた年上の入居者はロックミュージックをこよなく愛していたらしく、騒音が激しかった。さらにその前の住人は亮一と同い年だったが、ひどい女たらしで毎日違う女を連れこむわ、物音を立てるやらで迷惑していた。
それらと比べてあの男はどうだろう。少しはまともそうだ。それに――、
「かっこよかったな…」
一目ぼれしてしまった。
亮一はゲイだ。
しかし、世間一般的なイメージをもたれるゲイとは少々異なっている。
まず、亮一にはこの年になっても相手は男女問わず経験がない。ペッティングやキスすら一度もない。もてないわけではないが、女性には一切反応できないので断ってしまうのだ。大抵はもつれることなく、うまいぐあいに相手と友人関係に転がることができるのが唯一の救いだった。
そして、これは女友達に言われた話だが、第一印象が全くゲイに見えないらしい。漂っている雰囲気や性格もあるが、男に興味がないとしか思えない行動ばかりしていると評された。
自分ではそうは思わないが、聞いたときはショックだった。が、よく考えてみると男の友人は少なく、気がつくと女の子たちのグループに混じっているか、一人でいることが多い。だから、自分が男であるのにも関わらず、他の男性がどんなものなのか亮一はよく知らない。つまり、男っ気のないうぶな性根なのだ。
「また、うまく話せれたらいいな…」
大人しい性格上、きっかけはなかなか作れないが、夢見るのはタダだと亮一は微笑んだ。
* * * * *
「辻井さん!」
新学期最初の授業で名字を呼ばれ、亮一は驚いた。後ろを振り返ると、昨日の爽やか青年がいた。
「あっ、隣の…真島さん」
彼は朝からすっきりとした笑顔を浮かべている。朝が弱い亮一にとってはうらやましい限りだ。
「君、A大だったの?」
「いえ、本当はM大なんですが、この授業は両方の大学講師が共同で受けもっているでしょう? だから…」
「なるほど。受講してみたってわけか」
A大とは、今亮一と真島融がいるこの建物のことで、M大はここから地下鉄で二駅ほど行ったところの大学である。複数の大学キャンパスがあるという土地柄や講師同士の交流関係を生かし、今春から様々な授業やサークルを合同で企画・運営することが決まったらしい。他大学生との交流も増えて、実り豊かな学生生活を送ることが目的だとか。
「A大の近くのアパートを借りてよかったですよ。俺、実はここに入学したかったんですから。入試で落ちたんですけどねー」
「へぇ、でも、M大もいい大学じゃんか。俺はどっちかに迷ったよ。結局、エスカレーター式でA大選んだけど…。付属高出身なの」
春というこの季節は、志望通りに進路がうまくいかなかった者たちが沈んでいる物悲しい季節だが、真島融は意外とあっけからんとしていた。楽観的な穏やかな性格なのだろう。彼といると、こっちまでつられて楽しくなれそうだ。
「他にもいい授業があるなら取ろうかと考えています」
「じゃあ、A大案内しょうか? 憧れだったんだろ」
「――ぜひ! お願いしますっ」
自分でも驚くぐらいスマートに誘うことができた亮一は内心激しい鼓動が鳴りやまなかった。
「俺のこと、名前呼び捨てでいいよ。俺もそうするから。えっと…、融だっけ?」
「はい! …あ、分かった。亮一!」
融の生真面目なリアクションに、二人は笑いが止まらなかった。こうして、亮一と融はお隣さんという間柄から友人に昇格したのだった。
* * * * *
「午前の授業で話してた子、誰なの? 辻井」
「あぁ、木下」
彼女は亮一の友人、木下真紀である。黒色の巻髪やアイラインの濃い目元が性格や意志の強さを表しているかのようだった。事実、彼女の芯は美しい容姿に劣らずしっかりとしている。優柔不断で引っ込み思案な亮一とはちょうどうまくバランスが取れているらしく、特に仲がよく、付き合いも長い。もちろん、亮一がゲイだということも知っている。
「ずいぶん親しそうに話してたじゃない。彼氏できたの?」
「違うよ。アパートのただのお隣さん。本当はM大生なんだって。合同授業が終わって、向こうの大学に行っちゃった」
「ふーん。でも、辻井は好きなんでしょ。ああいうのタイプでしょ」
「うっ…」
会っていきなり核心を突かれた亮一は言葉に詰まった。顔が少し赤い。
「少しくらい告白すればいいのに。中学生のときからアンタとは友達だけど、辻井は片思いで満足しちゃうからいけないんだってばー。…聞いてる?」
「聞いてるよ。片思いの何が悪いんだ。楽しいよ。別にいいじゃん」
亮一は人文学部の日本文学系に所属している。幼い頃から読書が好きで、ジャンル問わず小説やマンガを好んでよく読む。恋愛ものも一般向け・ゲイ向け関係なく見て楽しむが、どうしても他者の視点で捉え、満足してしまっている。
「そういうのを恋に恋しているっていうの。ったく、辻井はそこらへんの女より男ってものを知らないんだから…。性欲とかあるわけ?」
「なっ…、あ、あるよ」
そこまで言うかと続けて、涙目まじりに木下を睨んでやった。
経験はゼロだが、性欲がないわけない。知識はあるし、その手の類の本、雑誌も持っている。
「だって、告白して振られたらどうする? ゲイだってことバラされて俺の生活環境はめちゃくちゃになるよ」
「だから、そういう同類と付き合えばいいじゃない。うちの学校にも結構いるじゃん、あからさまな奴」
言われて、亮一は彼らを頭に思い浮かべてみた。
「……何となくやだ。タイプじゃないっていうか。誰とでも寝ちゃうっていう人とは付き合いたくない」
悪い人たちではないのだが、恐らく亮一自身とは気が合わない。しかも、彼らにすら亮一は同じゲイだと気づかれていない。
「わがまま。理想高すぎ。それに、辻井は人を好きになっても、告白する気がないんでしょ!」
「ううっ…!」
一番根本的な部分を指摘された。それを変えるためには亮一の性格を変えるより他ない。
「小説通りのロマンチックな展開なんかありえないの。辻井は夢見すぎ。アタックしなよ」
「もういいよ…。ちょっとそっとしておいて」
ビシバシと木下にダメ出しをされて、怒りたくてもその気力すら削がれてしまった。
こうして、気分がどんよりと沈んだまま亮一の一日が過ぎた。
* * * * *
心の中で木下に恨み言を言いながら、亮一は帰宅していた。
「あんなことまで言うなよ…。あー、もう! 木下のバカ!」
――そういうのを恋に恋しているって言うの――
先ほどの言葉が頭の中でずっと繰り返されていた。
「分かっているよ、そんなこと」
自分は臆病だと思う。ぶつかる前から恐れて今まで恋愛から逃げてきた。
今までの人生、好きな人ぐらいは人並みに片手で数えるほどいたが、どれも遠巻きで見ているだけだったり、憧れの先輩という程度の仲だった。
様々なメディアを通じて入ってくる知識のおかげで、頭の中でだけ理解したような人間になりつつある。頭でっかちな人間には一番なりたくなかったのに。
そんなことを考えていると、ちょうど融に遭遇した。玄関から出ようとしていたところだった。
「亮一、今帰り?」
声を掛けられて亮一は心臓が跳ね上がるほど驚いた。まさか、今までの独り言を聞かれてはいないだろうか。
「あ、あぁ…。融も?」
「いや、今から晩ごはん買いにコンビニ行こうかと思って…」
――アタックしなよ――
考えるよりも、先に口が動いていた。
「じゃ、じゃあ俺んちで食べる? 最近カレー作ったんだけど余っちゃって」
「ホントにいいの? 自炊とかするんだ。カレー好きだよ。食う」
「ははは……」
融の目の輝きっぷりに亮一は苦笑した。好きだよという言葉に少し反応した自分が恨めしい。
「うまい!」
こうして、亮一の部屋にお邪魔した融は出されたカレーをほおばった。ガツガツ食べている。何日間かの食事をやりくりするために作り置きしたのだったが、融がいたらあまり意味がないように思えた。しかし、自分が作った料理を好きな人が嬉しそうに食べてくれたら、こんなに幸せなことはないと思う。
「もっと食べていいよ。やっぱり、スポーツやってた奴はよく食べるんだな」
「うん、バスケやってた」
動きやすい短い髪も、スラリとした背の高さや筋肉のつき方も納得がいった。
「大学ではやらないから、セーブしないとやべー。太る」
「融も人文学部なんだよな。そんなふうに見えないのに。スポーツ科学とかやりそう」
「やりたいこと決まってなかったし、文系の方が入学しやすいからっていうのが一番適当な理由かな。本読むのは好きだけど」
また、意外なことが一つ分かった。
「え、じゃああのベストセラー知ってる?」
「ファンタジーチックなやつだろ? あれいいよなー」
融といると自然に会話が続いた。亮一はそれが嬉しかった。自分好みの男性と話題が合い、友達として接することができるなんて夢のようだった。
知り合ったのは昨日の今日だが、少なからず融も亮一のことをいい友人と思っているようだ。口調も慣れたらしく崩れてきている。
「もうそれだけでお腹いっぱいだよ…」
「え、食えないの? じゃあちょうだい」
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