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 奥の部屋から出ると、カウンターのある部屋は煙っていて臭いがひどかった。それを吸わないようにして、カウンターのママに手を振った。
 料金はいつもオキが出す。それを知っているママは手を振り返すだけで、レイを見送った。

 その足でネットカフェに入り、自分の持っていたノートパソコンを取り出す。自分の部屋周りのカメラにアクセスし、誰かおかしな人影はないか調べた。
「あの部屋に戻れないのも面倒だな」
 幾ら物を少なくしてるとは言え、あそこには高性能のパソコンがある。それを使えないのはこちらも痛手だ。性能が悪ければ、個人のパソコンの計算能力を使って作業を行うことも可能だが、そこまでする仕事はまだ入ってきていない。
 故に自分の使い勝手のいいものを手に置いておきたい。
 カメラには怪しい人間は映らなかった。部屋も部屋の外も安全そうである。
「どうするかな…」
 とりあえず部屋にあるパソコンにデータは残していないので、見られても問題ない。自作のソフトもあるが頑丈にロックしている。
 そもそもおかしな侵入があれば、クラッシュするように設定してあるので、特に心配はしていない。

「四ノ宮楓、か」
 調べれば表向き国際弁護士と言うことで、情報をすぐに確認することができた。

 一般的に調べてメインで出てくるサイトは、四ノ宮楓が所長の法律事務所だが、スタッフの顔に四ノ宮楓の顔だけが出ていない。
 主に企業向けで、海外案件に長けているとの事業内容となっているが、本人の仕事は表向きは少ないのかもしれない。顔を出す必要もないと言ったところだろうか。
 この男に何かやり返す真似は避けた方がいいだろう。脅しでもすれば何倍にもなって返ってきそうだ。
 何せ、四ノ宮楓の高級クラブのセキュリティに入り込んでから、自分の身元が漏れるまでが早かった。この男はそれだけのツテを持っていることになる。
 関われば、百害あって一利なしだ。
 ただし、これ以上の情報が漏れるのは避けたいのだが、その辺りは邪魔をすべきか考える。

「まずは、原川幸生か」
 シノシムテック社システム管理部にてSEを経験後、課長代理に昇進。三十二歳。独身。
 その仕事を傍らにして、裏世界でのハッキングを繰り返す。レイからすればその手の先輩になる。
 その裏世界での経験からオキのいる組織に多少は関わり、人の個人情報を四ノ宮楓に漏らしたわけだ。
 漏れたのは最高でも顔と住所である。それ以上はない。
 なぜなら、レイの情報はそれしかないからだ。
 オキもその組織も、それ以上の情報をどこにも保存していない。
 彼らがレイの正確な情報を得ることはなかった。それだけの信頼関係が成り立っていることにより、それ以上の情報は外に出ることがない。
 原川幸生がそれを暴いたのならば話は別だが、それがないことをレイは知っていた。
 暴くにはレイに気付かれずにつきまとう必要がある。
 それを行えるほどの男ではないだろう。ハッキング以外に能力のない男のようだ。
 会社での能力は一定の評価を得ているようだが、人としては薄暗い性格のようである。卒業アルバムにある写真は、どこかどんよりとした雰囲気でやけに猫背だった。
 直近のクレジットカードはホテルで二日ほど前に使用されており、今は別の場所に泊まっていることが窺えた。
 
 原川幸生はレイの報復を恐れて逃げたと言うが、そこまでのことをしたと思っているのだろうか。
 確かにやり返す気はあるが、全てを知られたわけではない。
 四ノ宮楓に弱味でも握られて、それ以上の仕事をやらされているのならばまだしも、レイに怯えるには度が過ぎている。
 オキはそう思っているのかもしれないが。
 実際レイに喧嘩を売ってきた者は、ことごとくレイに個人情報をばらまかれている。
 その中には横領や性的嗜好なども含まれるわけだが、その程度を恐れているとしてもホテルを泊まり歩く必要はない。

 ホテルから相手の行動をトレースするには、警備カメラが一番簡単だった。システムに直結しているものであれば楽に調べることができる。
 レイはいつも通りとそれを行い、原川幸生がどこからきて、どこへ行ったかを探し始めた。
 
 ホテルから出て、カメラを避けて歩む男を目にして、それを追えばやけに後ろを気にしているのがわかった。
 歩き方がおかしいのは、カバンを胸の前で抱きしめたままだからだ。それをしながら時折、怯えるように後ろを振り向く。
「…こいつ、他に何やったんだろ?」
 誰かの追跡を恐れている。
 つけられていないか度々確認し、小道を選んではカメラの死角に消えた。それでも都内の監視カメラはどこにでも設置されているため、必ずどこかに現れてしまうわけだが。
 追跡を逃れたいのならば、カメラのないところへ行かなければならない。
 田舎に逃げればカメラも少ないだろうが、その場合、人の目のないところへ移動しなければならなかった。
 ただしスーパーやコンビニなどはカメラがあるため、食事も手に入れられない。
 完全に姿を隠したいならば、見目を大きく変える必要があるだろう。
 原川幸生にその気はないようだが。

 何度か消えては歩く姿を見ていたが、途中でその姿が完全に消えた。
 地図を確認してカメラの場所を照らしてみたが、姿を隠して進むことはできない。
 途中で服でも変えたのか、それらしき者を探したが見つけられない。
「おかしいな…」
 何度か同じ映像を見て原川幸生を探した。しかし途中で行方がわからなくなる。
 何度も見直して、そうして気付いた。

 白いワゴンが、原川幸生の進む方向を同じく進んでいく。
 途中でこの白いワゴンに乗ったのか、それとも攫われたのか、白いワゴンは走り続けて大通りに出るとそのまま走り去っていった。方向は都外である。
「原川幸生か…」

 これ以上調べることも可能だが時間切れだ。
 レイは会計を済ませて駅前のロッカーによると、入れてあった荷物を持ち、寝床に戻ることにした。




 試験が終わって晴れて教科書とお別れしたい気分になる中、夏休みの予定を聞かれてそれはそれでうんざりするなと思った。
「海行かない?プールとか」
「素敵だね。でも、ごめんなさい。夏休みはずっと祖父のところに行くことにしているの」
「祖父のところって…」
「ボストンよ?」
 なんて嘘ばかりを口にしてから、浅羽澪はお手洗いに行くと言ってその男から離れていく。

 これだけ断っているのだからいい加減諦めればいいものを、しつこく誘われていることにため息しか出なかった。
 祖父のところについては嘘は言っていないが、今年行くかどうかはまだ決めていない。行きたいなと思いながら、行っていいものか迷っている。
 友人に会えるかも聞かなければならないだろう。
 今のところまだ夏休みの予定は考えていなかった。行くなら考えなければならないのだが。
 両親は特に反対はしないだろう。しばらく行っていても何も言わないはずだ。
 祖父と連絡を取ることもしないだろうから、一度行ってある程度の日数は自由にすることも可能だった。それがいいかなと考えが傾き始める。

 トイレから出てくると男は澪を待っていた。待たないでいいのに、そんな顔は見せずに待たせてごめんねと謝っておく。
「みおちゃんって、高校向こうなんだっけ?」
「そうなの。祖父が向こうに住んでるから」
「すげーなー。中学はこっちだもんね。わざわざ高校は向こうに行ったんだ」
 それがお前に関係あるのか?
 余程言ってやりたかったが、澪は側にいた共通の女友達を見つけると呼んで、一緒に行動を決めた。数人のグループになってそのままカフェテリアへと進んで行く。
 その道を一人変えて途中でグループから離れた。少し寝不足で会話を耳にしているのがつらくなっているのだ。
 オーディオルームで少し眠ろうか算段する。
 一限空いてしまうので、実は暇なのだ。
 それがわかっているから、男がカフェテリアまでついて来ようとしたわけだが。

 オーディオルームに予約の人がいない。丁度いいと一限予約してソファーに座り込んだ。モニターをつけてニュースを選ぶ。
 ニュースでは、昨夜死亡した男について報道していた。
 男は原川幸生、三十二歳。シノシムテック社勤務。
 数日前から行方不明となり、昨夜都外の川岸で死体となって発見された。首を絞められた跡があり、殺人として捜査が進められる。

 澪は借りたDVDを入れると、イヤホンをつけて流し始めた。タイマーをかけて足を投げ出すとクッションにもたれる。
 スマートフォンを握りしめて澪は目をつぶった。

 見る夢は間違いなく悪夢だろうと思って、ひと時を眠ることにした。
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