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皇太后、遠く思いて
暗影
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結局文は来ぬまま月日は流れ、和議成って、私は主上の棺と共に大宋へ帰ることとなりました。
出立の前日、集められた護衛の金兵と対面し、私は目を疑いました。棺の護りを受け持つ将が、あまりに見知った顔であったからです。
完顔宗賢、すなわち金国での我が「夫」でした。
誰の発案かは知りません。ですが、あまりにも皮肉が過ぎるでしょう。私が唯一お仕えすべき、「真なる夫君」の御遺体を、異国での夫が牽いていくなどとは。
背筋に寒いものが走りました。仕組んだ何者かの声が、聞こえた気がしました。
おまえの罪は、穢れは、確かに見ているぞ――と。
夜、あの男が私を訪れました。相変わらずの鋭い眼光で、私は正面から見据えられました。
背に震えが走りました。積もる話は多くありましたが、口に出すことはできませんでした。主上の棺と行を共にしながら、偽の夫と親しげに語らう気持ちには、どうしてもなれませんでした。
けれど、身の内の熱を抑えることもできなかった。己のあまりの浅ましさに、眩暈を覚えました。禽獣でさえ、このような道に外れた欲を抱くことはなかろうと、思いました。
完顔宗賢が、にじり寄ってきました。私は後退りをしました。我が本性がいかに醜悪といえど、踏み越えてはならぬ一線はあると、思っておりました。けれど同時に、踏み越えたいと欲する何かが、身の内にあるのも確かでした。
踏み越えてきてほしい。かつてのように奪ってほしい。
欲を籠めて見つめれば、男の動きが止まりました。見透かされた、と感じた次の瞬間、無言で男は私の肩を押しました。倒れた上体の上に、男が圧し掛かってきました。
もはや、言葉は要りませんでした。
共に在った年月の間、言葉に依らず交わしたすべてを、私たちは確かめ合いました。身体の上にあらためて刻みつけられた痕跡を、涙を流しながら、懸命に私は覚え込みました。己は、この世で最も醜い何かに堕したのだと、確かに感じながら。
すべてが終わった後、私はただ一言、訊きました。
「……子供たちは、どうしていますか」
答えは淡白でした。
「いまや、おまえは宋人。我が子は金人。おまえの与り知るところではない」
それ以上、男は何も言いませんでした。私も、何も言えませんでした。
何も言わぬまま、男は私の髪に簪を挿しました。牡丹の飾りがついた金の簪でした。開封府で最初に「辱められた」夜、抜かれて持ち去られたものでした。
はじめの贈り主、朱皇后の顔が浮かんで消えました。涙が、滲みました。
車で出立した私たちは、東平から船に乗り換え、清河を行きました。金人たちとはそこで別れました。完顔宗賢は、常と変わらぬ鷹のような目で、船を見送っておりました。二児を置いていく私を責めていたのか、他の意があったのかは、わかりません。
楚州にて船を降りると、私の実弟である安楽郡王と、宗室の公主二人が出迎えてくれました。皆、感極まって言葉を詰まらせておりました。
そして臨平の地にて、私は息子の康王と――帝と、ついに再会しました。
二十歳から三十五歳になった息子は、想像もつかないほどに立派になっておりました。単に歳を重ねた、袍服が良いものになった、だけではありませんでした。帝としての、大宋を統べる者としての威厳が、振舞の端々に表れておりました。
その息子が、泣くのです。声をあげて泣くのです。
帝の後ろには、多くの官吏や将軍が従っておりました。彼らの前で息子は、憚ることなく泣きました。何人か、もらい泣きする者たちさえいました。
息子は言いました。どれほどの尽力が、私を帰すためになされたのかを。私が帰らなければ、和議には何の意味もなかったのだとさえ、ぐしゃぐしゃになった顔で説きました。
私は、この子を守らねばならない。
私のために泣き、力を尽くしてくれるこの子に、応えなければならない。
ちらりと、完顔宗賢の顔が脳裏に浮かびました。この子を守るためには――この子の位を、名誉を守るためには、北の地でのすべては棄てねばならない。なかったことに、しなければならない。
(いまや、おまえは宋人。我が子は金人。おまえの与り知るところではない)
ああ、あなたは、よくわかっておられました。
そのとき我が髪には、件の金の簪が挿さっておりました。私は簪に触れつつ、すべてを胸中の奥深くへ封じました。南の地では決して、口にしてはならぬと誓いながら。
ですが、それでも。
皇太后として江南へ戻り、今上の帝に迎えられ、慈寧宮で平安の日々を送るさなかにも、時折夢に見ることがあるのです。
ざらついた固い指を。熱を帯びた太い腕を。最後の夜に覚え込ませてしまった、互いのありようを。
そして、獲物を目にした鷹のように、目を輝かせながら戯れる二人の男児を。じゃれ合って転がって、ひとしきり笑い合って、最後に私を見上げます。こちらへ来て、撫でて、抱いて――と、言わんばかりに。
和議が成ったとはいえ、宋と金の間で時折、予期せぬ小競り合いは起こっていると聞きます。
戦の噂を聞くたび、憂いが胸を満たすのです。我が子らはどこにいるのかと。父に従い、金の将となったのだろうかと。であればどこかで、宋と干戈を交えてはいないだろうかと。
大宋を統べる今上の帝は、我が息子。すなわち大宋の兵は、我が息子の兵。
我が子同士が、どこかで相争っているかもしれぬと思うと、胸中は引き絞られるように痛いのです。
我が腹を痛めた子らよ、どうか皆、健勝であれと……願わずには、おられないのです。
この醜き身が、何かを望むなど大それたこと。けれど許されるなら、全霊を籠めて天地神明に祈りたい。
どうか、我が子たちが相争いませんように。
そのための汚れであれば、いくらでもこの身に受けると誓いましょう。どうせ、汚れ尽くした身なのですから。
臨安に作られた、私のための宮殿「慈寧宮」。
二年前に作られたという真新しい住居で、私は何不自由なく暮らしました。帝はなにかれと面倒を見てくれました。様子伺いに来た挙句、夜まで留まっていることさえありました。その折は、翌朝の政務に障るから早く休みなさいと、母として命じましたが。持ってくるのは餡の入った菓子が多く、そこだけは、開封府にいた頃の康王から変わりありませんでした。
以来、富貴と平穏の日々は今に至るまで続いております。ただ数年前から、私の目は衰え始めました。視界は澱み、濁った白の向こうから、覚えのある影が現れるようになりました。
ある時は、開封府で金人の陣に引き入れられた宮女たちが。
またある時は、血を垂れ流しながら薬を乞う和福帝姫が。
馬に乗れず沿道に棄て去られた女たちが。
自害の前夜、双眸に強い光を湛えた朱皇后が。
胡服を与えられ、洗衣院へ押し込められた妃嬪や帝姫たちが。
鷹のような目で抱擁を欲する、二人の男児が。
病にやつれ果てた太上皇陛下が。
なぜ、救ってくれなかった――誰かが叫べば、多くの声が応えます。
なぜ、手を差し伸べなかった。なぜ慰めなかった。
なぜ、おまえだけが救われた。ひとりで富貴と栄誉とを得た。おまえのような醜悪極まりない者が――
目が濁れば濁るほど、視界が薄らげば薄らぐほどに、影は大きく濃くなってゆきました。響く声もまた、大きく強くなってゆきました。
今、すべての光を失った私は、影たちの只中にいます。
我が罪を責める者たちの声が、頭蓋の内を何度も反響します。炯々と輝く無数の目は、一片の温もりもなく私を睨み据えております。
わかっております。これは、醜き者への罰。徳なき者への報い。
であれば、治ることなど決してないのでしょう。
これは、すべてを見過ごし、すべてを踏みにじり、ただひとりだけ救われた、あまりにも罪深い女の烙印。
しかし、それでよいのです。
あの子らのためなら、私は喜んで闇に沈むと、誓ったのですから。
出立の前日、集められた護衛の金兵と対面し、私は目を疑いました。棺の護りを受け持つ将が、あまりに見知った顔であったからです。
完顔宗賢、すなわち金国での我が「夫」でした。
誰の発案かは知りません。ですが、あまりにも皮肉が過ぎるでしょう。私が唯一お仕えすべき、「真なる夫君」の御遺体を、異国での夫が牽いていくなどとは。
背筋に寒いものが走りました。仕組んだ何者かの声が、聞こえた気がしました。
おまえの罪は、穢れは、確かに見ているぞ――と。
夜、あの男が私を訪れました。相変わらずの鋭い眼光で、私は正面から見据えられました。
背に震えが走りました。積もる話は多くありましたが、口に出すことはできませんでした。主上の棺と行を共にしながら、偽の夫と親しげに語らう気持ちには、どうしてもなれませんでした。
けれど、身の内の熱を抑えることもできなかった。己のあまりの浅ましさに、眩暈を覚えました。禽獣でさえ、このような道に外れた欲を抱くことはなかろうと、思いました。
完顔宗賢が、にじり寄ってきました。私は後退りをしました。我が本性がいかに醜悪といえど、踏み越えてはならぬ一線はあると、思っておりました。けれど同時に、踏み越えたいと欲する何かが、身の内にあるのも確かでした。
踏み越えてきてほしい。かつてのように奪ってほしい。
欲を籠めて見つめれば、男の動きが止まりました。見透かされた、と感じた次の瞬間、無言で男は私の肩を押しました。倒れた上体の上に、男が圧し掛かってきました。
もはや、言葉は要りませんでした。
共に在った年月の間、言葉に依らず交わしたすべてを、私たちは確かめ合いました。身体の上にあらためて刻みつけられた痕跡を、涙を流しながら、懸命に私は覚え込みました。己は、この世で最も醜い何かに堕したのだと、確かに感じながら。
すべてが終わった後、私はただ一言、訊きました。
「……子供たちは、どうしていますか」
答えは淡白でした。
「いまや、おまえは宋人。我が子は金人。おまえの与り知るところではない」
それ以上、男は何も言いませんでした。私も、何も言えませんでした。
何も言わぬまま、男は私の髪に簪を挿しました。牡丹の飾りがついた金の簪でした。開封府で最初に「辱められた」夜、抜かれて持ち去られたものでした。
はじめの贈り主、朱皇后の顔が浮かんで消えました。涙が、滲みました。
車で出立した私たちは、東平から船に乗り換え、清河を行きました。金人たちとはそこで別れました。完顔宗賢は、常と変わらぬ鷹のような目で、船を見送っておりました。二児を置いていく私を責めていたのか、他の意があったのかは、わかりません。
楚州にて船を降りると、私の実弟である安楽郡王と、宗室の公主二人が出迎えてくれました。皆、感極まって言葉を詰まらせておりました。
そして臨平の地にて、私は息子の康王と――帝と、ついに再会しました。
二十歳から三十五歳になった息子は、想像もつかないほどに立派になっておりました。単に歳を重ねた、袍服が良いものになった、だけではありませんでした。帝としての、大宋を統べる者としての威厳が、振舞の端々に表れておりました。
その息子が、泣くのです。声をあげて泣くのです。
帝の後ろには、多くの官吏や将軍が従っておりました。彼らの前で息子は、憚ることなく泣きました。何人か、もらい泣きする者たちさえいました。
息子は言いました。どれほどの尽力が、私を帰すためになされたのかを。私が帰らなければ、和議には何の意味もなかったのだとさえ、ぐしゃぐしゃになった顔で説きました。
私は、この子を守らねばならない。
私のために泣き、力を尽くしてくれるこの子に、応えなければならない。
ちらりと、完顔宗賢の顔が脳裏に浮かびました。この子を守るためには――この子の位を、名誉を守るためには、北の地でのすべては棄てねばならない。なかったことに、しなければならない。
(いまや、おまえは宋人。我が子は金人。おまえの与り知るところではない)
ああ、あなたは、よくわかっておられました。
そのとき我が髪には、件の金の簪が挿さっておりました。私は簪に触れつつ、すべてを胸中の奥深くへ封じました。南の地では決して、口にしてはならぬと誓いながら。
ですが、それでも。
皇太后として江南へ戻り、今上の帝に迎えられ、慈寧宮で平安の日々を送るさなかにも、時折夢に見ることがあるのです。
ざらついた固い指を。熱を帯びた太い腕を。最後の夜に覚え込ませてしまった、互いのありようを。
そして、獲物を目にした鷹のように、目を輝かせながら戯れる二人の男児を。じゃれ合って転がって、ひとしきり笑い合って、最後に私を見上げます。こちらへ来て、撫でて、抱いて――と、言わんばかりに。
和議が成ったとはいえ、宋と金の間で時折、予期せぬ小競り合いは起こっていると聞きます。
戦の噂を聞くたび、憂いが胸を満たすのです。我が子らはどこにいるのかと。父に従い、金の将となったのだろうかと。であればどこかで、宋と干戈を交えてはいないだろうかと。
大宋を統べる今上の帝は、我が息子。すなわち大宋の兵は、我が息子の兵。
我が子同士が、どこかで相争っているかもしれぬと思うと、胸中は引き絞られるように痛いのです。
我が腹を痛めた子らよ、どうか皆、健勝であれと……願わずには、おられないのです。
この醜き身が、何かを望むなど大それたこと。けれど許されるなら、全霊を籠めて天地神明に祈りたい。
どうか、我が子たちが相争いませんように。
そのための汚れであれば、いくらでもこの身に受けると誓いましょう。どうせ、汚れ尽くした身なのですから。
臨安に作られた、私のための宮殿「慈寧宮」。
二年前に作られたという真新しい住居で、私は何不自由なく暮らしました。帝はなにかれと面倒を見てくれました。様子伺いに来た挙句、夜まで留まっていることさえありました。その折は、翌朝の政務に障るから早く休みなさいと、母として命じましたが。持ってくるのは餡の入った菓子が多く、そこだけは、開封府にいた頃の康王から変わりありませんでした。
以来、富貴と平穏の日々は今に至るまで続いております。ただ数年前から、私の目は衰え始めました。視界は澱み、濁った白の向こうから、覚えのある影が現れるようになりました。
ある時は、開封府で金人の陣に引き入れられた宮女たちが。
またある時は、血を垂れ流しながら薬を乞う和福帝姫が。
馬に乗れず沿道に棄て去られた女たちが。
自害の前夜、双眸に強い光を湛えた朱皇后が。
胡服を与えられ、洗衣院へ押し込められた妃嬪や帝姫たちが。
鷹のような目で抱擁を欲する、二人の男児が。
病にやつれ果てた太上皇陛下が。
なぜ、救ってくれなかった――誰かが叫べば、多くの声が応えます。
なぜ、手を差し伸べなかった。なぜ慰めなかった。
なぜ、おまえだけが救われた。ひとりで富貴と栄誉とを得た。おまえのような醜悪極まりない者が――
目が濁れば濁るほど、視界が薄らげば薄らぐほどに、影は大きく濃くなってゆきました。響く声もまた、大きく強くなってゆきました。
今、すべての光を失った私は、影たちの只中にいます。
我が罪を責める者たちの声が、頭蓋の内を何度も反響します。炯々と輝く無数の目は、一片の温もりもなく私を睨み据えております。
わかっております。これは、醜き者への罰。徳なき者への報い。
であれば、治ることなど決してないのでしょう。
これは、すべてを見過ごし、すべてを踏みにじり、ただひとりだけ救われた、あまりにも罪深い女の烙印。
しかし、それでよいのです。
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