双子妖狐の珈琲処

五色ひいらぎ

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四章 束縛の剣を蹴散らしながら

座敷牢の中で

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 何度目かに目を開けると、窓は少し明るくなっていた。眠れないでいた夜は、ようやく明けたらしい。
 私と蓮司くんは、お屋敷のどこかの部屋に閉じ込められていた。三方を土壁で囲まれた、狭くて古びた部屋だった。壁の上方に明り取りの窓がひとつあるけれど、覗ける高さじゃなくて、外の様子は分からない。土壁でないところの壁は木の格子になっていて、私たちの様子は見張り番から丸見えだった。
 ほんと、いかにも座敷牢って感じだ。いまの令和の世の中に、座敷牢なんてものを見る機会があるなんて予想してなかったし、自分が入れられるのはもっと想像してなかった。とはいえそれを言うなら、あの「影」が現れてからのあれこれは、いままでの二十三年の人生では到底想像できなかったことばかりなのだけれど。
「起きたのか」
 蓮司くんの声は、表向き、普段の淡々とした調子と変わりない。けど、少し疲れの色が滲んでいる。
「起きた、というより寝てないよ……寝ようとはしたんだけどね」
「あんたも、そうか」
 隣で寝ているはずの蓮司くんの顔を、見に行くことができない。寝返りを打てば目の前なんだけど、なんだか、見ちゃいけないような気がした。
 なにか声をかけたいけど、なにを言っていいのか全然わからない。でも、隣で落ち込んでる誰かを、黙って放っておくのが「励まし」にならないことくらいはわかる。
 頭の中のぐるぐるを処理しきれなくなって、薄い布団を頭に被る。すると、蓮司くんの声がした。
「寒いか」
 布団でくぐもって聞こえた声が、ちょっと可笑しい――と感じた瞬間、なぜか笑いが吹き出してきた。
 堰を切ったなにかが、止まらなくなった。変な声の面白さなんて一瞬で消えたのに、気分は最悪のままなのに、喉と口だけが勝手に笑い続ける。笑いキノコを食べたときって、こんな状態になるんだろうか。
 体感二分くらい笑い続けて、顎が疲れてようやく止まった。ひどく情けない気分のまま布団から顔を出すと、蓮司くんが心配そうに覗き込んできていた。
「大丈夫か」
「ちっとも大丈夫じゃないよ。人間、あまりにもどうしようもない状況だと、逆に笑えてくるみたい」
「……前の仕事場でもそうだったのか?」
 蓮司くんに言われて、ちょっと驚く。確かに私、アルカナムのお客だった頃は、職場のどうしようもなさに延々文句を言ってた。けれど。
「職場ではやってないよ。仕事中にあんな笑い方したら怒られるし、なにより――」
 職場の記憶を手繰ると、今の絶望が余計に際立つ。あの頃はまだ、救いがあった。
「――お仕事は、私じゃなくてもなんとかできたから。私がダメでも、最悪、先輩や上司がいたし」
 今は、私たちを救い出してくれる誰かなんていない。ヘルプを求めても誰にも届かない。ただ閉じ込められたまま、この後起きることを待つしかできない。
「でもどっちにしても、結局私は何もできないんだけどね。むしろ足を引っ張ってる……今回、罠にはまったのだって、私が余計なものを持ってきたからだし」
 言えば、蓮司くんは首を傾げた。
「俺たちを陥れたのは……壮華だろう。七葉、あんたのせいじゃ――」
「私のスマホさえなければ、こんなことにはなってないと思う」
 今から考えれば、「アプリ上に九月前半分のピンを表示させてほしい」という頼み事が、そもそも罠だったんだと思う。目的はおそらく、番紅花さんや他の人たちを呼んでくるための時間稼ぎ。時間がかかる作業なら、なんでもよかったんだろう。
「それがなかったとしても、手段が変わっていただけだろう。七葉、あんたのせいじゃない。むしろ――」
 蓮司くんは、悔しげに目を伏せた。
「――俺のせいだ。あいつが何を考えているのか、傍にいたのにわからなかった」
 竹の枕におでこを押し付けながら、蓮司くんは吐き出した。
「あいつの心は……晴れていた。いつでもな。雲一つない青い空のように、暖かくて明るかった」
 それは私も感じていた。壮華くんはいつもにこにこしていて、目を細めて小動物みたいに笑う顔に、曇りの気配はかけらもなかった。いつだって底抜けに明るくて、私たちを励ましたり慰めたりしてくれて……けど。
「だが、どれだけ明るい青空も、日が落ちれば闇になる。今になってみれば……壮華は、明るさの裏になにかを隠していた、気がする」
 蓮司くんは拳を作り、薄い布団を叩いた。
「たったひとりの弟と思って、かわいがってきた……つもりだ」
 蓮司くんの声に、少しずつ震えが混じってくる。
「助けられることの方が、多かったかもしれない、が、な……」
 声が、どんどん弱々しくなる。そろそろ、聞き取れるか怪しい。
「壮華……なぜだ。どうしてだ……」
 涙混じりの声を聞いていると、私まで泣きそうになる。あの明るくてかわいくて、気配り上手な壮華くんが、どうしてこんなことをしたのか。理由はわからないけど、「壮華くんのせいで」蓮司くんが泣いている、そのこと自体が、たまらなく悲しかった。
 何も言えないまま黙っていると、不意に座敷牢の入口が開いた。狐の耳と尻尾をつけた小太りのおじさんが、手にお盆を持って入ってきた。私はこの人――いや、狐さんに見覚えがあった。
「ご飯ですよ、坊ちゃん」
 おじさんが、お盆を隅の机に置く。上に乗ったご飯とお味噌汁からは、うっすら湯気があがっていた。
 私は、思いきって声をかけてみた。
「……あの。アルカナムに、来ておられましたよね?」
 この狐さん、私があそこで仕事を始めた時に、最初に来てくれたお客さんだ。この屋敷には、何人も……あるいは何匹も、アルカナムのお客さんがいるようだ。さっき私たちを捕まえた狐さんたちの中にも、いくつか見覚えのある顔があった。
「おや、そういう君は人間の給仕さんだね。内通者は人間とも通じていた、と聞いたけど――」
「やってません」
 私は、おじさんの言葉を遮った。
「私たち、番紅花様を裏切るようなことはしてません。何がどうなってるのか、私にも蓮司くんにも、ちっともわからないんです」
 蓮司くんが、横で顔を上げた。
「……話せるなら教えてほしい。母上からはいったい、どんな話が伝わっている」
 おじさんはしばらく腕組みして考えた後、口を開いた。
「いいでしょう。既に広まっている話ですからな、秘密にはあたりますまい……番紅花様のお考えによれば、あの『影』どもは、我ら妖怪の誰かが作り出したもの。ひとりでに生まれ出でたものではございません」
 少し、驚く。
 あの「影」は、電子機器から勝手に出てくるのだとばかり思っていた。実際、私の目の前で何度も湧いてきている。あれが誰かのせいだなんて、考えにくい。
 けど、蓮司くんは何か心当たりがある様子だ。おじさんは、さらに続けた。
「道具が付喪神の魂を持つまでには、本来九十九年の月日を要する。あの者たちの年月は明らかに足りておりません。ひとりでに力を得ることはできないはずなのです」
「……壮華くんも、似たことを言ってました」
 そう、確かに言っていた。影が最初に現れたとき、何かの力が外から加わったはずだ、と。
「それゆえ、番紅花様は考えました。我ら妖怪のうちの、何者かが『影』を呼び起こしたのではないかと。そして、その内通者が誰なのかを、ここしばらく探らせておったのです。壮華様に命じて」
「なぜだ」
 蓮司くんがうめく。
「なぜ壮華だけに……母上は俺を、信じておられなかったのか」
「壮華様が、ご自身で申し出られたとのことです。いつぞや、買い物の帰り道で『影』に襲われた後に……自分には『影』を倒す力がない、だからせめて間諜として役に立ちたいと」
 カリカリ焼きの材料を買いに行った時のことだ。あの後で、壮華くんはこっそりそんなことをしていたのか。あの屈託ない笑顔には、いったいどれだけの裏が隠れていたんだろう。
「蓮司坊ちゃん。話もよいですが、早く召し上がらないと朝餉が冷めてしまいますぞ」
 おじさんが、隅に置いた食事をちらりと見遣る。でも、ちっとも食欲がわかない。
「すまないが、食べる気になれない」
「体力をつけておかねば、持ちませんぞ」
「戒めの部屋でじっとしているのに、体力は要らないだろう」
 蓮司くんの言葉に、おじさんは目尻を下げて笑った。
「はたしてそうですかな。戒めの部屋は、忠実なる狐たちの目で厳重に見張られておりますが……いかに妖狐といえど、不眠不休ではおられませぬ。時には疲れ、時には眠くなり……うたた寝をする不届き者なども、おるやもしれませんな」
「何が言いたい」
 蓮司くんが、切れ長の目で鋭くにらむ。その目を、おじさんは正面から受け止めた。
「……蓮司坊ちゃん。あなた様は本当に、『影』を呼んでいないのですかな」
 おじさんの目の力が、ものすごい。隙を見せたら食い殺されそうなくらい、おそろしい。
「天地神明に誓って、やっていない」
 見つめ合う蓮司くんの目も、肉食獣そのものだった。触れるどころか、近寄ることさえ憚られる。
「身の潔白を示す覚悟は、おありですかな」
「ああ。いかなる手段を用いてでも、俺は壮華の真意を質し……この身に罪がないことを、証立てる」
 ふっ、とおじさんは笑った。そして、急に私の方を向いた。
「人間のお嬢さん。君は、この一件に関わってはいけない。これは妖狐の一族にまつわる、とても繊細な問題だ。外の者が立ち入っていい話ではないよ」
 急に声をかけられて驚いた。けど落ち着いて内容を呑み込むと、少しずつ腹が立ってきた。
 おじさんはなおも、私に関わりをやめるよう説得してくる。でも、それって勝手すぎないだろうか。私だって関わりたくて関わったわけじゃない。妖怪さんたちの諍いを飛び火させておいて、大火事になったタイミングで手を引けとか、虫が良すぎないだろうか。
「……それで?」
 ひとしきりの話が終わった後、私はせいいっぱいの低い声を作った。
「ひとを勝手に巻き込んでおいて、座敷牢にまで閉じ込めておいて、言いたいことがそれですか」
 全力を込めた目でにらみつける。でも、おじさんはびくともしない。
 頭の奥の方が、かっと燃えて……口から勝手に、言葉があふれ出した。
「せめて、謝ってもらわないと気が済まないですよ。私だってアルカナムの従業員です。職場の不祥事、上だけで勝手にもみ消して許されると思ってるんですか?」
 自分、ここまでものすごい剣幕でまくし立てられるんだ……と、脳のどこかで感心するくらい、強い言葉がどんどん流れ出てくる。前の職場を辞める時にも、このくらい言ってやれれば良かったのに。
「それにお給料だって、まだもらってないですし。従業員は、勤務先の状況を正しく知らされるべきです! だから――」
 私は、呆気に取られている蓮司くんの手を取った。
「この不当な譴責処分に対し、従業員として厳重に抗議します。これは、労働者の正当な権利です!」
 言い終えた私を、呆気にとられた表情で蓮司くんが見ている。
「七葉。……本気か」
「本気も本気。ここまで来て、私だけ蚊帳の外とか考えられない」
 そうだよ。私、立派に関係者だよ。ずっとアルカナムで、蓮司くん壮華くんに愚痴聞いてもらって、慰めてもらって。父さんと母さんが取り込まれた後は、住むところも用意してもらって。一緒に働いて。一緒に作戦考えたりもして。
 私がいたって、何の役にも立たないのかもしれない。けど、蓮司くんと壮華くんがどうしてこんなことになっちゃったのか、知らないままじゃ気分が悪すぎる。……そして、もしできれば、仲直りの手伝いもしたい。できれば、だけど。
「そうですか……なるほど」
 目の前で、おじさんが何度も頷いている。
「これは独り言ですがな。……戒めの部屋の見張りは、日に何度か交替します。私は一度離れますが、今夜二十一時頃から再び任につきます。ただし――」
 おじさんの目が、楽しげに細められた。
「その頃の私は、どうやらひどく疲れているようでしてなあ。たびたび居眠りをしてしまうようです。なんとも不用心な話です」
 大笑いしながら、おじさんは部屋の隅を示した。
「おっと、妙な独り言を聞かせてしまいましたな……さてお二方、早くしないと朝餉が冷めてしまいます。食べねば、夜まで持ちませんぞ」
 ご飯と味噌汁からあがる湯気は、ずいぶん少なくなっている。蓮司くんが布団から立ちあがり、私も続いた。
 隅の机に置かれていたのは、白いご飯とわかめの味噌汁、それと数切れのたくあんだった。ふっくらした白米を口に運べば、眠れなくて空いたお腹のせいか、かすかに甘く感じられる。
 黙々と食べる私たちを尻目に、おじさんは部屋の見張りに戻っていった。

 時間を知る術のない座敷牢で、一日は異様に長かった。
 けれど、ようやく。
「おお、二十一時ですなあ。……夜ですなあ。眠いですなあ 」
 いやによく聞こえる独り言の後、これ見よがしの大あくびをして、見張りのおじさんは目を閉じた。座敷牢の扉を押してみると、鍵は、掛かっていなかった。
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