双子妖狐の珈琲処

五色ひいらぎ

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三章 防戦の杖を手中に掴み

七葉部屋、ふたたび

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 翌日の夕方。
 臨時休業の札をかけたアルカナムの店内で、私はケーキセットを食べていた。四人掛けのテーブル席で、蓮司くん・壮華くん・梢と卓を囲みながら。全員、お揃いのモンブランとコーヒーだ。
「勝栗って言うくらいだからね。験担ぎだよ」
 笑う壮華くんに、蓮司くんが首を傾げる。
「勝栗は搗ち栗と掛けた言葉だろう。臼で搗つから搗ち栗……これはただの栗だと思うが」
「細かいことを気にすると寿命が縮むよ、兄さん」
 なおも笑いながら、壮華くんは蓮司くんの背を叩く。梢が不安そうにコーヒーを啜った。
「そんな危ないところに、七葉姉を連れてく必要があるわけ?」
「そうだね、現場の検分はやってもらう必要がある……僕たちは電子機器に詳しくないからね。確実にシロとクロの区別をつけられるのは、七葉さんか梢さんだけだよ」
「じゃ、私じゃダメ?」
「ほら、私一応IT系で仕事してたし、パソコン系は昔から扱い慣れてるし。間違いなく梢よりは詳しいよ」
「まるで私が機械音痴みたいに……」
「別に、そう思ってるわけじゃないんだけどね」
 壮華くんが、苦笑いしながら梢をたしなめる。
「やっぱり、自分の部屋のことは自分で確かめたいだろうと思って。だよね、七葉さん」
 コーヒーを一口飲み、無言で頷く。正直、本音はそちらだ。「影」が現れる直前、梢が父さんや母さんと何をしてたかを考えると……梢ひとりを部屋に入らせるのには、抵抗がある。
「梢さんは、僕たちが帰ったときのために、晩ごはんを用意しておいてくれないかな。梢さんのお揚げ料理が待ってると思えば、僕たちはがんばれるし。ねえ兄さん」
「……ああ」
 蓮司くんが曖昧に頷く。
 油揚げのカリカリ焼きがメニューに正式採用されてから、蓮司くん壮華くんと梢との距離は一気に縮まった。自分が作ったものを認めてもらうのは、やはり誰しも嬉しいらしい。特に料理担当の壮華くんとは、いつも親しく食材や新メニューの話をしている。
 やっぱり梢は人付き合いがうまい。妖狐のふたりも、そう遠くない未来に、私よりも梢と仲良くなってしまうのかもしれない。
「七葉さん、浮かない顔だね。……ちょっと気分変えてみる?」
 壮華くんがカードの箱を差し出している。頷いて、私たちふたりは別のテーブルに移った。
 壮華くんは卓にベルベットのクロスを敷き、いつものようにカードを混ぜる。まとめ直した山から一枚引かせてもらい、表に返すと、棒を手に戦う男性の絵柄が現れた。下から突き出された棒六本に、ひとりで応戦している。
「えっと、これ……勝ってるの負けてるの、どっち?」
 戸惑っていると、壮華くんはいつものように、やさしく笑って解説してくれた。
「ワンド七の正位置だね。この人は高い位置で有利に戦っている……だから、負けってことはないよ。ただ、単純に優勢ってわけでもないんだけど」
「どういうこと?」
 壮華くんの指が、絵の一点を示した。男性の足元は、よく見ると左右で靴が違う。
「この人は、靴を履き間違えるぐらい慌ててるってこと。ただでさえ六人の敵を相手にしてるから、対処しきれなくていっぱいいっぱいなのかもしれない」
 壮華くんは、顎に手を当ててちょっと考え込んだ。
「だから今日は、ちょっと注意した方がいいかもしれないね。予想以上にいろいろなことが、降って湧くかもしれない」
「うーん。なんかちょっと歯切れ悪いなあ」
 横から、梢が口を出す。
「もう一枚引いてみたら、結果変わったりしない?」
「同じことを二回占うのはおすすめしないよ。ある程度時間を置いた後ならともかくね」
「そっか……えっと、じゃあ」
 名案が浮かんだとばかりに、梢の顔が華やいだ。
「七葉姉の二回目の代わりに、蓮司くんか壮華くんのことを占ってみてよ。それなら『同じこと』じゃないし!」
 得意げな梢に向けて、壮華くんはあからさまに困った感じの苦笑いを浮かべた。
「ごめん、自分と兄さんのことは占わないようにしてるんだ、僕」
「なんで?」
「結果が毎回悪いから!」
 ……ちょっと前のめりに転びそうになった。
「壮華くん、確か前に『タロットに悪いカードはない』って言ってなかったっけ」
「ごめん、訂正するよ。毎回、『悲しみ』とか『破滅』とかばっかり出てくるんだ……呪われてるんじゃないかってくらいにね。悪いカードじゃあないんだけど、毎回それだと気が滅入っちゃう」
「ほんとに? でも、今回は違うかもしれないよ?」
 食い下がる梢に押し切られ、しぶしぶ壮華くんは、カードを混ぜ直して一枚引いた。表に返して現れたのは、ハートが三本の剣に貫かれた絵柄だった。
「ソード三の正位置『心の傷』だよ」
「……これ、本当に種も仕掛もないの? 手品じゃなくて?」
「トリックの類はないんだけど、きっと『何か』はあるんだろうね。だから、あんまり引きたくない」
 正直信じられないけど、実際に見せられてしまうと納得するしかない。信じられないというなら、妖怪や妖狐の存在だって、ついこの間までは到底信じられる話じゃなかったんだし。
 目を丸くする梢の前で、壮華くんはカードをしまう。ほぼ同時に、ドアベルが高く鳴った。店の中の空気が、急に重くなる。見れば、薄紫の着物姿の番紅花さんが静かに入ってくるところだった。約束は十九時だったのに、三十分以上早い。
「用意はできておるのか」
 静かな、でも威圧的な声に、蓮司くんと壮華くんは揃って頭を下げた。見れば、梢までお辞儀をしている。
「出立はいつでもできますが、コーヒーと茶菓子をいただくまで、いましばらくお待ち願えますか」
「しかたがないのう」
 小さく溜息をついて、番紅花さんは手近な席に座った。私も含めた皆が、残りのモンブランとコーヒーを黙々と口に運び始める。番紅花さんは、薄い笑いを浮かべて私たちをじっと見つめている……おいしいはずのケーキも、この目力で見られながらだと味がまるでしない。流し込むようにして、急ぎで食べ終わる。
 番紅花さんは、相変わらず無言で席に座ったままだ。間が持たない――と思った瞬間、私は動いていた。
「あの……ご注文はよろしいですか? コーヒーお持ちいたしましょうか?」
 おそるおそる話しかける。席で無言のお客様、空のテーブル――放っておけないのは、店員としての行動が板についてきたからだろうか。
 番紅花さんは、つまらなそうに私を一瞥して口を開いた。
「いらぬわ。口に苦いくせに、薬効さえないつまらぬ飲み物など」
「すみませんでした……」
 しまった、この方はコーヒーが嫌いなんだった。謝りつつ、ちょっと腹が立つ。あなたの息子さんたち、そのつまらない飲み物を毎日淹れてるんですよ。どうしてそう、思いやりのない言い方しかできないんですか。それにコーヒー、それなりに体にいいんですよ。
「……ただ番紅花様。良薬とまではいきませんが、コーヒーは健康に良いんです。たとえば――」
 残業続きで疲れてた私に、蓮司くんが色々教えてくれたんだ。コーヒーの効能とか、体にいい飲み方とか。
「――カフェインは眠気覚ましになりますし、集中力もあがりますし、ポリフェノールも入ってるから抗酸化作用もあるんですよ。糖尿病や肝硬変のリスクが減るって説もありますし。もちろん、狐と人間じゃだいぶ違うとは思いますけど」
 夜のアルカナムでお客として聞いた内容を、一生懸命思い出しながら話す。
「それに息子さんたち、おいしいコーヒーを淹れるために日夜がんばってるんですよ。お好みはあるかもしれませんけど、息子さんたちが大事に作っているものですから、せめてもう少し表現を――」
「それで?」
 番紅花さんの声は、おそろしく冷ややかだった。
「どうしても妾に、その黒く苦い湯を飲ませたいというか?」
「申し訳ございません母上!」
 壮華くんが、あわてて頭を下げる。
「この者も、決してそのようなつもりでは……母上、何か他にご所望の物はございますか?」
「そうじゃの」
 口調がだいぶ柔らかくなった。金色の瞳が細められ、梢を見た。
「先日の油揚げ膳はどれも美味であったな。あの品々は、もう一度食べたいものよ」
「わあ、嬉しいです! 今は常設メニューのカリカリ焼きしかないですけど、皆さんが帰ってくるまでに、たくさん作っときますね!」
 重苦しい空気を気にもせず、ひとり梢がはしゃぐ。……いや、この子のことだ、空気はちゃんと読めてるんだろう。わかってて、おどけてみせてる。私にはできない。
 私は、食べ終わった自分のカップとケーキ皿を流しへ運んだ。洗おうとすると、横から声をかけられた。
「俺がやる」
「いいよ蓮司くん。たぶん、このあと大変でしょ」
「この程度、仕事の内にも入らん」
 蓮司くんの手が横から伸びて、私の手中からカップを取る。そのまま、手早く洗いはじめる。
 ざあざあ流れる水音に混じって、ほとんど消えそうな声が聞こえた。
「……ありがとうな」
 心臓が一つ跳ねる。蓮司くん、聞いてくれてたんだ。いや、距離を考えたら当然聞こえてるはずなんだけど。
 でも、届いてるなんて思わなかった。蓮司くんも壮華くんも、心の中はあのお母さんでいっぱいなんだと思ってた。
 でも、だとすると。
(蓮司くん、辛い?)
 喉まで出かかった言葉を、抑える。
(いつもあんなふうに言われて、悲しくないの? 悔しくないの?)
 私みたいな部外者が、言っちゃだめなんだと思う。でも蓮司くんの浅黒い横顔で、お皿を洗う間中、唇が固く結ばれているのを見ると……ひどく悲しくなってくる。
 なにか、力になれればいいのに。でも、どうしたらいいんだろう。
「蓮司くん……なにか、手伝うことある?」
 ようやく出てきた言葉が、それだけ。
「特にはない。出かける準備だけ、しておいてくれ」
 予想通りの返事だ。
 でも、すぐに傍を離れたくはなくて、私は周りを見回した。カウンターに、蓮司くん愛用の古いコーヒーミルが出たままになっていた。戸棚にしまっておこうかと手を触れると、急に鋭い声が飛んできた。
「おい!」
 蓮司くんの低い声に、あわてて手を離す。
「ご、ごめん」
 流しの水音が止まった。水気を拭ったばかりの手で、蓮司くんはミルを取り上げた。
「古い物だからな……扱いを間違うと壊れかねない」
 クリーム山盛りのパフェでも扱うような慎重な手つきで、褐色の手がミルをしまう。これ、どのくらい古いものなんだろう。効率もあんまり良くなさそうだ。業務用で使うなら、最新鋭の電動ミルもありそうなものだけれど。
 訊いてみようと思ったけれど、ちょうど同時に、壮華くんと梢がめいめいの食器を持ってきた。流しを追い出された私と蓮司くんは、今夜の「作戦」のための出立準備を始めた。テーブル席では、待ちくたびれた風の番紅花さんが、扇を揺らしながらこちらを見つめていた。
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