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大学四年・春
疲れて戻れば、欲しくなる
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部屋へ戻って鞄を下ろす。どっこいしょ、と、ついオヤジくさい言葉が出た。
そろそろ馴染んできたリクルートスーツを脱げば、インナーが少しばかり汗ばんでいる。四月のはじめ、まだそこまで暖かい季節じゃあないから、これはたぶん緊張の汗だ。
(ったく、説明会でこれかよ……まだ本番始まってもいねえのに)
二年半もバンドやってれば、本番慣れはしてると思ってた。けど、就活の緊張はライブのそれとは全然質が違うらしい。
会社説明の間中、悪目立ちしないよう息を詰めてる気持ち悪さ。質問タイムに手を挙げた瞬間、一斉に向けられる注目の薄ら寒さ。質問が滑ってやしないかどうか、担当者の返事を待つ間の重苦しさ。どれもこれも慣れねえことばかりだ。
(あと何社、これを続ければいいんだか)
幸い、学校はそこそこには名が通ったところだ。手当たり次第に受けていけば、最悪どこかには引っかかるだろう。一応これでも法学部だから、専攻的なハンデもたぶんない……はずだ。
法学部といっても、あたしは専門職コースじゃなくて総合コースだ。専門職コースは法曹を目指すだけあって、課題が相当きついらしいけど、総合コースはそこまででもない。レポートや試験はそれなりにあるものの、バイトや音楽活動をやる時間はがんばれば捻り出せる、その程度の忙しさだった。
とはいえそれも三年まで。これからは就活に卒論に、どんどん忙しくなっていくはずだ。
(にしても、疲れる……)
黒のスーツとタイトスカートをハンガーにかけ、インナー一枚を着替えて、あたしはベッドに寝転んだ。イヤホン挿しっぱなしのスマホを取り出して、音楽アプリのシャッフル再生ボタンを押すと、あたしが生まれるよりはるか昔のブリティッシュロックが流れ始めた。
(……このへんが好きって言えたら、面接官のおっさんにもアピールできるんだろうか)
ふと浮かんだ考えを、頭を振って散らす。
ああ、だめだだめだ。音楽聞いてる時にまで就活が侵食してきやがる。気分転換しに聞いてるってのに。
一曲指定で、最近のヒットナンバーに切り替える。枕に頭を預けながら、ふと、ろくでもない考えが浮かんだ。
(瞳子、何か作ってくれねえかな)
あたしがやさぐれてると、寄ってきて料理を作ってくれる瞳子。
あたしのために作ってくれる一皿は、食べるだけで心がほっこりしてくる。
今の気分は、そこまでイライラしてはいない。けど瞳子の料理は食べたい。
今のあたしは、瞳子的に「お料理が必要な落ち込みレベル」に達してるだろうか――考えかけて、ふと気がついた。
(気付いてくれるのを待たなくても、こっちから頼めばいいんじゃねえのか……?)
黙ってむくれて、空気読んでくれ察してくれ……なんてのは、あたしが一番大っ嫌いなやり方だ。
欲しいなら欲しいって言え。いらないならいらないって言え。口に出さなきゃわからない。前は、バンド仲間にもよく言ってたもんだ。
結局それで方向性の違いも明らかになって、あたしは抜ける羽目になったけど、口に出さない不満をぐずぐず溜めてるよりはずっと良かったと思ってる。
ともあれ、そうとなれば善は急げだ。
手近な部屋着を適当に着て、あたしは部屋を出た。
共用スペースに瞳子はいなかった。大型テレビの前で、夕方のニュースを見ながら同居人二人が喋っている。
瞳子を見なかったか訊ねると、二人がほぼ同時に返事をくれた。
「見てないけどぉ、もうすぐ帰ってくると思うよぉ」
「たしか説明会だったと思うけど。あの子になんか用?」
用事をあらためて口にしようとすると、なぜか気恥ずかしい。
「ちょっと……晩飯作ってもらおうかと思ってな」
言えば二人はほぼ同時に、えー、と首を傾げた。
「瞳子、最近忙しそうだよぉ。あの子もほらぁ、就活だしさぁ」
「毎日エントリーシート書いたり履歴書書いたり、だいぶばたばたしてるよ。自分でどっか食べに行った方がいいと思うけどねえ」
そう言われると反論できない。
確かに瞳子も、今年短大二年になった。卒業年度なら当然就活は始まってるだろう……というか学校の名前的に、たぶん瞳子の方が大変なはずだ。
今回は諦めるか……と思ったとき、玄関からばたん、と音がした。
乱れた足音と共に、共用スペースの戸が引かれる。現れたのは、リクルートスーツ姿の瞳子だった。
「おい。……どうしたんだよ、瞳子」
瞳子は無言で肩を落としていた。
顔の表情も見えないくらいにうなだれて、他の二人の声にも答えず、鞄を抱えて自分の部屋へ向かった。
丸まった背中に、声がかけられない。
目の前でゆっくりと扉が閉まる。中から、かちりと鍵がかかる音がした。
そろそろ馴染んできたリクルートスーツを脱げば、インナーが少しばかり汗ばんでいる。四月のはじめ、まだそこまで暖かい季節じゃあないから、これはたぶん緊張の汗だ。
(ったく、説明会でこれかよ……まだ本番始まってもいねえのに)
二年半もバンドやってれば、本番慣れはしてると思ってた。けど、就活の緊張はライブのそれとは全然質が違うらしい。
会社説明の間中、悪目立ちしないよう息を詰めてる気持ち悪さ。質問タイムに手を挙げた瞬間、一斉に向けられる注目の薄ら寒さ。質問が滑ってやしないかどうか、担当者の返事を待つ間の重苦しさ。どれもこれも慣れねえことばかりだ。
(あと何社、これを続ければいいんだか)
幸い、学校はそこそこには名が通ったところだ。手当たり次第に受けていけば、最悪どこかには引っかかるだろう。一応これでも法学部だから、専攻的なハンデもたぶんない……はずだ。
法学部といっても、あたしは専門職コースじゃなくて総合コースだ。専門職コースは法曹を目指すだけあって、課題が相当きついらしいけど、総合コースはそこまででもない。レポートや試験はそれなりにあるものの、バイトや音楽活動をやる時間はがんばれば捻り出せる、その程度の忙しさだった。
とはいえそれも三年まで。これからは就活に卒論に、どんどん忙しくなっていくはずだ。
(にしても、疲れる……)
黒のスーツとタイトスカートをハンガーにかけ、インナー一枚を着替えて、あたしはベッドに寝転んだ。イヤホン挿しっぱなしのスマホを取り出して、音楽アプリのシャッフル再生ボタンを押すと、あたしが生まれるよりはるか昔のブリティッシュロックが流れ始めた。
(……このへんが好きって言えたら、面接官のおっさんにもアピールできるんだろうか)
ふと浮かんだ考えを、頭を振って散らす。
ああ、だめだだめだ。音楽聞いてる時にまで就活が侵食してきやがる。気分転換しに聞いてるってのに。
一曲指定で、最近のヒットナンバーに切り替える。枕に頭を預けながら、ふと、ろくでもない考えが浮かんだ。
(瞳子、何か作ってくれねえかな)
あたしがやさぐれてると、寄ってきて料理を作ってくれる瞳子。
あたしのために作ってくれる一皿は、食べるだけで心がほっこりしてくる。
今の気分は、そこまでイライラしてはいない。けど瞳子の料理は食べたい。
今のあたしは、瞳子的に「お料理が必要な落ち込みレベル」に達してるだろうか――考えかけて、ふと気がついた。
(気付いてくれるのを待たなくても、こっちから頼めばいいんじゃねえのか……?)
黙ってむくれて、空気読んでくれ察してくれ……なんてのは、あたしが一番大っ嫌いなやり方だ。
欲しいなら欲しいって言え。いらないならいらないって言え。口に出さなきゃわからない。前は、バンド仲間にもよく言ってたもんだ。
結局それで方向性の違いも明らかになって、あたしは抜ける羽目になったけど、口に出さない不満をぐずぐず溜めてるよりはずっと良かったと思ってる。
ともあれ、そうとなれば善は急げだ。
手近な部屋着を適当に着て、あたしは部屋を出た。
共用スペースに瞳子はいなかった。大型テレビの前で、夕方のニュースを見ながら同居人二人が喋っている。
瞳子を見なかったか訊ねると、二人がほぼ同時に返事をくれた。
「見てないけどぉ、もうすぐ帰ってくると思うよぉ」
「たしか説明会だったと思うけど。あの子になんか用?」
用事をあらためて口にしようとすると、なぜか気恥ずかしい。
「ちょっと……晩飯作ってもらおうかと思ってな」
言えば二人はほぼ同時に、えー、と首を傾げた。
「瞳子、最近忙しそうだよぉ。あの子もほらぁ、就活だしさぁ」
「毎日エントリーシート書いたり履歴書書いたり、だいぶばたばたしてるよ。自分でどっか食べに行った方がいいと思うけどねえ」
そう言われると反論できない。
確かに瞳子も、今年短大二年になった。卒業年度なら当然就活は始まってるだろう……というか学校の名前的に、たぶん瞳子の方が大変なはずだ。
今回は諦めるか……と思ったとき、玄関からばたん、と音がした。
乱れた足音と共に、共用スペースの戸が引かれる。現れたのは、リクルートスーツ姿の瞳子だった。
「おい。……どうしたんだよ、瞳子」
瞳子は無言で肩を落としていた。
顔の表情も見えないくらいにうなだれて、他の二人の声にも答えず、鞄を抱えて自分の部屋へ向かった。
丸まった背中に、声がかけられない。
目の前でゆっくりと扉が閉まる。中から、かちりと鍵がかかる音がした。
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