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第八章「終止符を打つ魔女」
第三百二十話 愛故に
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エストは見ているだけしかできなかった。殺したくないと、戦いたくないと考えることしかできなかった。
そんなの、ルトアからすれば的同然だ。メーデアという親友の頼みであるから、躊躇なく彼女は人殺しができる。だって相手は親友を殺そうとしているのだから。当たり前だ。
「〈次元断〉」
右手の魔法陣から放たれた不可視の斬撃。エストならば躱せるし、防げるし、問題なく対処できる。でも、しなかった。それどころではない精神状況だったから。
避けない。このまま死ぬ。頭では分かっている。しかし、動けない。動かない。なんで、ルトアと戦わないといけないの? なんで?
「──馬鹿っ!」
そんなエストを抱き抱えて飛び込んで、ルトアの魔法から庇ってくれたのはセレディナだった。彼女はいち早くエストの異常に気が付き、行動できたのだ。
「何やってる! あいつがお前の何だか知らないが、あいつはお前を殺そうとした! ならやることは決まってるだろ!」
庇われて、でも脱力して、エストは自分で立つこともしない。ルトアはそれを見逃さず、魔法を行使。しかしアレオスが間に入り、ルトアの魔法を弾く。
「へえ。やるじゃん、人間」
そうして交戦が再開する。レネもルトアの状態を理解し、そこに加わる。だが、エストだけは動かなかった。理解したくないのだ。知りたくないのだ。やりたくないのだ。
「⋯⋯ああ、もう!」
セレディナは戦闘に参加しようとしていたが、放心しているエストを見て離れられない。彼女の肩を掴み、揺らし、意識を確かめる。
「エスト! しっかりしろ! 何がどうなってるか答えろ! なんでお前は戦わない!」
表情や態度から、凡その事情は分かっていた。それでも、無抵抗は許されない。あのルトアがどんなに、エストにとって大切でも、あれは敵でしかない。
「⋯⋯殺せない。手が、動かせない⋯⋯」
この目は駄目だ。セレディナはよく知っている。絶望しきった目をしている。無気力になった時の目をしている。
「⋯⋯っ! なら黒の魔女の方を殺れ! お前があの魔女を殺せないのなら、私が殺してやる!」
「──何か相談事かい?」
セレディナが戦いに参加しようとした瞬間、丁度、彼女が殺そうとしていた相手が現れた。
馬鹿な。アレオスが相手をしていたはずだ。そう思ってセレディナは目を向けると、そこには倒れている彼が居た。
「──な」
この一瞬で、アレオスがやられた。メーデア相手にも死なずに立ち回れた彼が、やられたのだ。
有り得ない。何者だ、この魔女は。
いや、そんなことより迎撃しなくては。
セレディナは黒刀を構え、振りかぶる。ルトアの動きは完全に見切れる。しかし、警戒は怠らない。何をしてくるか、それを判断しなくては。
「ふふ⋯⋯」
だが、そんなのは無駄だった。この魔女と、剣士であるセレディナとでは、相性最悪だったのだ。
握っていた黒刀の感覚がない。持っていない。奪われたのだ。黒刀はルトアが持っていて、それは既にセレディナの胸に突き刺さっている。
黒刀がセレディナの胸の一部を押し退け、テレポートするように奪ったのである。
「がっ、ああッ!」
でもそれはセレディナの能力の産物だ。切り裂かれる前に黒刀を破壊し、吸血鬼の再生能力で穴を埋める。そうしつつ、セレディナは素手でルトアを殴ろうとした。
しかし、ルトアは華麗に躱し、カウンターの魔法を発動させる。
セレディナは炎に包まれた。あまりにも高すぎる火力に意識を奪われる。
「武器奪っても慢心するわけないよ。キミみたいに自分で作って、壊せるのも珍しくないから。なら、対策もしておくのは当然でしょ?」
ルトアはメーデアと戦える魔女だ。確かに魔法能力は非常に優れているわけでないが、戦闘におけるセンスはずば抜けて高い。
こと予測というものにおいては、最早未来予知に匹敵する。
「さてさて、そこのキミは戦うつもりないのかな?」
アレオスとセレディナはルトアによって気絶に追い込まれている。残りのロア、ヴァシリー、レネ、イリシルはメーデアの相手で精一杯だ。
つまり、今この場でルトアを相手にできるのはエストのみ。彼女を止めなくては、メーデアに加勢され、総崩れは必至だ。
頭では分かっている。このルトアは創られたもので、メーデアの味方をしていて、絶対に殺さないといけないのだと。
それでも、分かっていても、エストの感情がそれを否定する。やりたくないと叫ぶ。
「ま、どうでもいいか。そんなに死にたいのなら、苦痛なく殺してあげるね」
ルトアは魔法陣を展開する。そして右手を棒立ちのエストに向け、魔力を込める。
魔法が発動するだろう。一瞬で、エストは死ぬだろう。でも、ルトアを殺すくらいなら死んだほうがマシだ。
死ぬ気だった。反撃なんか一切考えなかった。殺されることを受け入れていた。
なのに、死は訪れなかった。エストは何もしていない。何かあったのはルトアの方だ。彼女は魔法陣を展開するだけして、それで止まっていたのだ。
「あ⋯⋯あれ⋯⋯?」
ルトアは困惑している。何故体が動かないのだ、と。彼女は精神攻撃を警戒し、エストから距離を取った。
「私に精神攻撃? それだけ実力差が⋯⋯?」
ルトアからすれば、下手に動けない状況だった。敵に攻撃することができず、かといって相手も攻撃してこない。なにを考えているのか分からない。
「⋯⋯覚えて、いるの⋯⋯?」
そんな相手が、意味不明なことを言い始めた。恐怖さえ感じた。もしくはこれは精神汚染の一環なのか。
分からない。質問に答えるべきなのかも。
「⋯⋯いや、違うのかな。違うね。違うよ。もしそうなら⋯⋯」
目の前の白髪の少女は、何か可笑しい。──何より、少女に対する認識が、どんどん変わっていることが不可解だ。
何故愛おしい。何故守りたい。何故⋯⋯メーデアを裏切り、この少女と共に居たいと、謝りたいと思う?
「⋯⋯違う。これは精神汚染。偽物の感情。意識を保て⋯⋯!」
少しだけ想いが和らいだ。殺さなくては。そうしないと、いけない。
「──〈大火〉!」
魔法が発動できた。あんな至近距離で大火力を発揮できたのだ。この精神汚染も解除できる──否、
「あは⋯⋯あははははははッ!」
炎が散らされる。ルトアの魔法が正面から相殺されたのだ。相手は、それ程の強敵。
でも、なんだか様子が可笑しい。発狂でもしているようだ。
顔を手で覆い、天を仰ぎ、高笑いする。こうでもして、偽りの狂気で心を守らねば、
「ああ、ほんっと、どうにかなっちゃいそう!」
九十五の〈次元断〉の魔法陣を展開。全ての対象をルトアに設定。一瞬たりとも苦痛を感じさせないよう、即死させることが狙いの魔法行使。
「嘘でしょ⋯⋯!」
その行使能力を見せつけられ、ルトアは圧倒された。勿論、魔法能力もそうだが、これだけの力を持っていながら最初は戦うことに戸惑っていたこと、そして、その戸惑いが一瞬で正反対となったことに。
ルトアは何とか白魔法で防御できたが、回避も織り交ぜなければ砕かれていたと実感した。
「強いなぁ。私より白魔法使えるんじゃない?」
跳びながら、ルトアはエストの猛撃を防いでいく。
全て白魔法の攻撃。空間を切り裂き、押しつぶすような重力を発生させ、瓦礫などが飛ばされる。
ルトアはそれら全ての攻撃を読み切った。彼女と似たような戦い方や思考をしているためか、読みやすかったのである。
「でも、もう少し考えたほうが良い」
白魔法第十階級、〈空間拘束〉。空間を固めることによって対象をその場に拘束する、単純ながらも、高出力の魔法である。発動タイミングが難しいことが弱点だが、ルトアにとっては無問題。
同時に転移魔法の無効化もしており、ルトアの作戦に抜かりはない。
「それ、外すのすっごく苦労することは知ってると思うけど、どうす──」
が、ルトアは一つ見落としていることがある。それは、エストが規格外の化物であるということだ。
超精密な魔法操作により、即座に拘束を切断。瞬く間にルトアに近づき、蹴りを叩き込む。
反射神経のみでルトアはエストの蹴りをガードした。しかし、魔力が込められている肉体攻撃を防ぎ切るには防御力が足りず、首の骨が折れて吹き飛ぶ。
「⋯⋯っ!」
左手をルトアの方に向けて、魔法陣を展開。第十一階級魔法〈虚無崩滅閃〉を行使しようと詠唱を始めようとした瞬間だった。
「ちょーっとヒヤッとしたね」
エストとは背中合わせに現れたルトア。そのままエストの足元に魔法陣を展開し、重力の渦を発生させる。
エストは逆回転の渦を作り相殺したが、追撃を恐れて距離を取った。
「私ならそうする。だから⋯⋯」
ルトアもエストも、相手のやりたいことを予測したり、誘導したりすることに重きを置いた戦い方をしている。違いと言えば好む魔法ぐらいである。
「死んでね」
そんなルトアの好む魔法は、地雷系。予め設置した地雷魔法に相手を引っ掛け、即死させることが狙いだ。これは単純に、殺せる手段を増やすためのものである。
「⋯⋯⋯⋯あれ」
ルトアの魔法が、不発になったことなんてなかった。
否、今、魔法は発動した。それでエストを殺せたはずだ。
それなのに、彼女は殺せていない。なぜなら、ルトアは、自らの魔法を、同じく自らの魔法によって防いだからだ。
「なんで⋯⋯え?」
わけのわからないことをしている。自分の体が勝手に動いたのである。
やった本人が一番驚いていた。対してエストは酷く不快に思ったようで、怒りにも似た感情が湧き出ている。
「まただ。また『フリ』をしている。そうして惑わすつもりでしょ? ルトアは、母さんは私を殺そうなんてしない。オマエは偽物だ」
いや、違うのかもしれない。それは怒りではない。理性と感情とがせめぎ合って、出た結論。思い込みからなる不信。
目の前のルトアを被造物だと思うことで、理性と感情のそれぞれの答えを無理矢理に一致させている。
だから、ルトアがエストを守ろうとする行動──例えそれが無意識であるとしても──は、エストの上っ面の不信感を掻き消す原因となってしまう。
「さっきから何を⋯⋯」
問いかけ。しかしエストは応えない。彼女は自己催眠の最中に居る。矛盾したものを無理矢理にでも正しくし、戦おうとしている。
もう、感情故の身勝手はしたくない。あの一度で最後にしたい。天才であるエストは、二度も同じ過ちを犯してはならない。
「私が殺そうとしているのは偽物だ。だから、考えるな。これ以上何も思うな。下らない感情で、これまでの全てを捨てるな⋯⋯しっかりしろ、白の魔女、エスト⋯⋯ッ!」
第十一階級魔法を展開。確実に殺す。これで、この一撃で終わらせる。
絶対に殺す。そう、絶対に。微塵の躊躇無く、一片の後悔無く、確実に、殺す。
それこそが、エストのしなければならないことなのだから。
「──エス、ト⋯⋯」
「〈仮想質量殴撃〉」
──虚無なる球体が、ルトアの半身を引き伸ばし、千切る。
結果としては、そこが丸々消し飛んだようなものとなる。ルトアの右肩から脊髄あたりまでの上半身が消滅した。
それでも倒れないのは魔女の生命力故だ。しかしすぐさま治癒魔法を使わないと死ぬ。蘇生魔法を使っておかないといけない。
だが、エストがそれを見逃すはずない。
「⋯⋯エスト」
ほぼ死の状況となり、しかしルトアは喋りだした。
「⋯⋯⋯⋯。──ふむ、なかなかやるじゃないですか」
ただ可笑しかったのは、その口調だ。偽物といえど、見た目も考え方も、そして喋り方も生前のルトアそのものだった。
なのに、今の彼女の雰囲気はまるで、
「⋯⋯オマエ⋯⋯やっぱり⋯⋯」
「まさか全くの躊躇がないとは。ルトアはあなたの母親でしょう? それをこんな姿にするとは」
「黙れ。もう喋るな。どうせ偽物のルトアは本体じゃないでしょ。さっさと死ね」
黒の魔女の人格だ。完全な本人の再現など、できるはずがなかったのだ。そう、エストは納得した。そう、思った。
「はいはい。死にますよ、この体は。もう魔法の一つも使えません。⋯⋯少しは消耗させられましたから」
ルトアらしさは消え、そこには黒の魔女が居る。ただし本体ではない。ティファレトに憑依した状態のように、あくまでただの複製体。ルトアの肉体を使ったのも、複製体の依代とするため。
そうに決まっている。あのメーデアが考えそうなことだろう?
エストは、もう死ぬルトアを背後にして、すぐに立ち去る。
それを見て、ルトアは愛故にの『フリ』を辞めた。
「⋯⋯⋯⋯。はは。ホント、賢い子だよ」
ルトアは、ただそれを見ていた。何もせずに。
死にゆく肉体の冷たさを感じながらも、どこか暖かい気持ちとなる。
「⋯⋯強くなったね」
ボヤケる視界に映る、最愛の子の成長。
あの時は、恥ずかしくて言えなかったことを、彼女は最期に言う。
「──エスト、愛してる」
そんなの、ルトアからすれば的同然だ。メーデアという親友の頼みであるから、躊躇なく彼女は人殺しができる。だって相手は親友を殺そうとしているのだから。当たり前だ。
「〈次元断〉」
右手の魔法陣から放たれた不可視の斬撃。エストならば躱せるし、防げるし、問題なく対処できる。でも、しなかった。それどころではない精神状況だったから。
避けない。このまま死ぬ。頭では分かっている。しかし、動けない。動かない。なんで、ルトアと戦わないといけないの? なんで?
「──馬鹿っ!」
そんなエストを抱き抱えて飛び込んで、ルトアの魔法から庇ってくれたのはセレディナだった。彼女はいち早くエストの異常に気が付き、行動できたのだ。
「何やってる! あいつがお前の何だか知らないが、あいつはお前を殺そうとした! ならやることは決まってるだろ!」
庇われて、でも脱力して、エストは自分で立つこともしない。ルトアはそれを見逃さず、魔法を行使。しかしアレオスが間に入り、ルトアの魔法を弾く。
「へえ。やるじゃん、人間」
そうして交戦が再開する。レネもルトアの状態を理解し、そこに加わる。だが、エストだけは動かなかった。理解したくないのだ。知りたくないのだ。やりたくないのだ。
「⋯⋯ああ、もう!」
セレディナは戦闘に参加しようとしていたが、放心しているエストを見て離れられない。彼女の肩を掴み、揺らし、意識を確かめる。
「エスト! しっかりしろ! 何がどうなってるか答えろ! なんでお前は戦わない!」
表情や態度から、凡その事情は分かっていた。それでも、無抵抗は許されない。あのルトアがどんなに、エストにとって大切でも、あれは敵でしかない。
「⋯⋯殺せない。手が、動かせない⋯⋯」
この目は駄目だ。セレディナはよく知っている。絶望しきった目をしている。無気力になった時の目をしている。
「⋯⋯っ! なら黒の魔女の方を殺れ! お前があの魔女を殺せないのなら、私が殺してやる!」
「──何か相談事かい?」
セレディナが戦いに参加しようとした瞬間、丁度、彼女が殺そうとしていた相手が現れた。
馬鹿な。アレオスが相手をしていたはずだ。そう思ってセレディナは目を向けると、そこには倒れている彼が居た。
「──な」
この一瞬で、アレオスがやられた。メーデア相手にも死なずに立ち回れた彼が、やられたのだ。
有り得ない。何者だ、この魔女は。
いや、そんなことより迎撃しなくては。
セレディナは黒刀を構え、振りかぶる。ルトアの動きは完全に見切れる。しかし、警戒は怠らない。何をしてくるか、それを判断しなくては。
「ふふ⋯⋯」
だが、そんなのは無駄だった。この魔女と、剣士であるセレディナとでは、相性最悪だったのだ。
握っていた黒刀の感覚がない。持っていない。奪われたのだ。黒刀はルトアが持っていて、それは既にセレディナの胸に突き刺さっている。
黒刀がセレディナの胸の一部を押し退け、テレポートするように奪ったのである。
「がっ、ああッ!」
でもそれはセレディナの能力の産物だ。切り裂かれる前に黒刀を破壊し、吸血鬼の再生能力で穴を埋める。そうしつつ、セレディナは素手でルトアを殴ろうとした。
しかし、ルトアは華麗に躱し、カウンターの魔法を発動させる。
セレディナは炎に包まれた。あまりにも高すぎる火力に意識を奪われる。
「武器奪っても慢心するわけないよ。キミみたいに自分で作って、壊せるのも珍しくないから。なら、対策もしておくのは当然でしょ?」
ルトアはメーデアと戦える魔女だ。確かに魔法能力は非常に優れているわけでないが、戦闘におけるセンスはずば抜けて高い。
こと予測というものにおいては、最早未来予知に匹敵する。
「さてさて、そこのキミは戦うつもりないのかな?」
アレオスとセレディナはルトアによって気絶に追い込まれている。残りのロア、ヴァシリー、レネ、イリシルはメーデアの相手で精一杯だ。
つまり、今この場でルトアを相手にできるのはエストのみ。彼女を止めなくては、メーデアに加勢され、総崩れは必至だ。
頭では分かっている。このルトアは創られたもので、メーデアの味方をしていて、絶対に殺さないといけないのだと。
それでも、分かっていても、エストの感情がそれを否定する。やりたくないと叫ぶ。
「ま、どうでもいいか。そんなに死にたいのなら、苦痛なく殺してあげるね」
ルトアは魔法陣を展開する。そして右手を棒立ちのエストに向け、魔力を込める。
魔法が発動するだろう。一瞬で、エストは死ぬだろう。でも、ルトアを殺すくらいなら死んだほうがマシだ。
死ぬ気だった。反撃なんか一切考えなかった。殺されることを受け入れていた。
なのに、死は訪れなかった。エストは何もしていない。何かあったのはルトアの方だ。彼女は魔法陣を展開するだけして、それで止まっていたのだ。
「あ⋯⋯あれ⋯⋯?」
ルトアは困惑している。何故体が動かないのだ、と。彼女は精神攻撃を警戒し、エストから距離を取った。
「私に精神攻撃? それだけ実力差が⋯⋯?」
ルトアからすれば、下手に動けない状況だった。敵に攻撃することができず、かといって相手も攻撃してこない。なにを考えているのか分からない。
「⋯⋯覚えて、いるの⋯⋯?」
そんな相手が、意味不明なことを言い始めた。恐怖さえ感じた。もしくはこれは精神汚染の一環なのか。
分からない。質問に答えるべきなのかも。
「⋯⋯いや、違うのかな。違うね。違うよ。もしそうなら⋯⋯」
目の前の白髪の少女は、何か可笑しい。──何より、少女に対する認識が、どんどん変わっていることが不可解だ。
何故愛おしい。何故守りたい。何故⋯⋯メーデアを裏切り、この少女と共に居たいと、謝りたいと思う?
「⋯⋯違う。これは精神汚染。偽物の感情。意識を保て⋯⋯!」
少しだけ想いが和らいだ。殺さなくては。そうしないと、いけない。
「──〈大火〉!」
魔法が発動できた。あんな至近距離で大火力を発揮できたのだ。この精神汚染も解除できる──否、
「あは⋯⋯あははははははッ!」
炎が散らされる。ルトアの魔法が正面から相殺されたのだ。相手は、それ程の強敵。
でも、なんだか様子が可笑しい。発狂でもしているようだ。
顔を手で覆い、天を仰ぎ、高笑いする。こうでもして、偽りの狂気で心を守らねば、
「ああ、ほんっと、どうにかなっちゃいそう!」
九十五の〈次元断〉の魔法陣を展開。全ての対象をルトアに設定。一瞬たりとも苦痛を感じさせないよう、即死させることが狙いの魔法行使。
「嘘でしょ⋯⋯!」
その行使能力を見せつけられ、ルトアは圧倒された。勿論、魔法能力もそうだが、これだけの力を持っていながら最初は戦うことに戸惑っていたこと、そして、その戸惑いが一瞬で正反対となったことに。
ルトアは何とか白魔法で防御できたが、回避も織り交ぜなければ砕かれていたと実感した。
「強いなぁ。私より白魔法使えるんじゃない?」
跳びながら、ルトアはエストの猛撃を防いでいく。
全て白魔法の攻撃。空間を切り裂き、押しつぶすような重力を発生させ、瓦礫などが飛ばされる。
ルトアはそれら全ての攻撃を読み切った。彼女と似たような戦い方や思考をしているためか、読みやすかったのである。
「でも、もう少し考えたほうが良い」
白魔法第十階級、〈空間拘束〉。空間を固めることによって対象をその場に拘束する、単純ながらも、高出力の魔法である。発動タイミングが難しいことが弱点だが、ルトアにとっては無問題。
同時に転移魔法の無効化もしており、ルトアの作戦に抜かりはない。
「それ、外すのすっごく苦労することは知ってると思うけど、どうす──」
が、ルトアは一つ見落としていることがある。それは、エストが規格外の化物であるということだ。
超精密な魔法操作により、即座に拘束を切断。瞬く間にルトアに近づき、蹴りを叩き込む。
反射神経のみでルトアはエストの蹴りをガードした。しかし、魔力が込められている肉体攻撃を防ぎ切るには防御力が足りず、首の骨が折れて吹き飛ぶ。
「⋯⋯っ!」
左手をルトアの方に向けて、魔法陣を展開。第十一階級魔法〈虚無崩滅閃〉を行使しようと詠唱を始めようとした瞬間だった。
「ちょーっとヒヤッとしたね」
エストとは背中合わせに現れたルトア。そのままエストの足元に魔法陣を展開し、重力の渦を発生させる。
エストは逆回転の渦を作り相殺したが、追撃を恐れて距離を取った。
「私ならそうする。だから⋯⋯」
ルトアもエストも、相手のやりたいことを予測したり、誘導したりすることに重きを置いた戦い方をしている。違いと言えば好む魔法ぐらいである。
「死んでね」
そんなルトアの好む魔法は、地雷系。予め設置した地雷魔法に相手を引っ掛け、即死させることが狙いだ。これは単純に、殺せる手段を増やすためのものである。
「⋯⋯⋯⋯あれ」
ルトアの魔法が、不発になったことなんてなかった。
否、今、魔法は発動した。それでエストを殺せたはずだ。
それなのに、彼女は殺せていない。なぜなら、ルトアは、自らの魔法を、同じく自らの魔法によって防いだからだ。
「なんで⋯⋯え?」
わけのわからないことをしている。自分の体が勝手に動いたのである。
やった本人が一番驚いていた。対してエストは酷く不快に思ったようで、怒りにも似た感情が湧き出ている。
「まただ。また『フリ』をしている。そうして惑わすつもりでしょ? ルトアは、母さんは私を殺そうなんてしない。オマエは偽物だ」
いや、違うのかもしれない。それは怒りではない。理性と感情とがせめぎ合って、出た結論。思い込みからなる不信。
目の前のルトアを被造物だと思うことで、理性と感情のそれぞれの答えを無理矢理に一致させている。
だから、ルトアがエストを守ろうとする行動──例えそれが無意識であるとしても──は、エストの上っ面の不信感を掻き消す原因となってしまう。
「さっきから何を⋯⋯」
問いかけ。しかしエストは応えない。彼女は自己催眠の最中に居る。矛盾したものを無理矢理にでも正しくし、戦おうとしている。
もう、感情故の身勝手はしたくない。あの一度で最後にしたい。天才であるエストは、二度も同じ過ちを犯してはならない。
「私が殺そうとしているのは偽物だ。だから、考えるな。これ以上何も思うな。下らない感情で、これまでの全てを捨てるな⋯⋯しっかりしろ、白の魔女、エスト⋯⋯ッ!」
第十一階級魔法を展開。確実に殺す。これで、この一撃で終わらせる。
絶対に殺す。そう、絶対に。微塵の躊躇無く、一片の後悔無く、確実に、殺す。
それこそが、エストのしなければならないことなのだから。
「──エス、ト⋯⋯」
「〈仮想質量殴撃〉」
──虚無なる球体が、ルトアの半身を引き伸ばし、千切る。
結果としては、そこが丸々消し飛んだようなものとなる。ルトアの右肩から脊髄あたりまでの上半身が消滅した。
それでも倒れないのは魔女の生命力故だ。しかしすぐさま治癒魔法を使わないと死ぬ。蘇生魔法を使っておかないといけない。
だが、エストがそれを見逃すはずない。
「⋯⋯エスト」
ほぼ死の状況となり、しかしルトアは喋りだした。
「⋯⋯⋯⋯。──ふむ、なかなかやるじゃないですか」
ただ可笑しかったのは、その口調だ。偽物といえど、見た目も考え方も、そして喋り方も生前のルトアそのものだった。
なのに、今の彼女の雰囲気はまるで、
「⋯⋯オマエ⋯⋯やっぱり⋯⋯」
「まさか全くの躊躇がないとは。ルトアはあなたの母親でしょう? それをこんな姿にするとは」
「黙れ。もう喋るな。どうせ偽物のルトアは本体じゃないでしょ。さっさと死ね」
黒の魔女の人格だ。完全な本人の再現など、できるはずがなかったのだ。そう、エストは納得した。そう、思った。
「はいはい。死にますよ、この体は。もう魔法の一つも使えません。⋯⋯少しは消耗させられましたから」
ルトアらしさは消え、そこには黒の魔女が居る。ただし本体ではない。ティファレトに憑依した状態のように、あくまでただの複製体。ルトアの肉体を使ったのも、複製体の依代とするため。
そうに決まっている。あのメーデアが考えそうなことだろう?
エストは、もう死ぬルトアを背後にして、すぐに立ち去る。
それを見て、ルトアは愛故にの『フリ』を辞めた。
「⋯⋯⋯⋯。はは。ホント、賢い子だよ」
ルトアは、ただそれを見ていた。何もせずに。
死にゆく肉体の冷たさを感じながらも、どこか暖かい気持ちとなる。
「⋯⋯強くなったね」
ボヤケる視界に映る、最愛の子の成長。
あの時は、恥ずかしくて言えなかったことを、彼女は最期に言う。
「──エスト、愛してる」
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