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第七章「暁に至る時」
第二百九十話 人間vs死神Ⅳ 〜瓦解する戦線〜
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雨のように降る無数の武器を掻い潜り、ヴェルムはサンタナとの距離を詰める。戦技〈天地葬灼刃〉を行使中は、ヴェルムの身体能力は急上昇する。その分、体に大きな負担を負わせる事になる。が、その前に決着させれば良いだけ。
(攻撃を見切ることはできる⋯⋯避けることも。しかし⋯⋯なんだ、この違和感)
いくら何でも武器の弾幕が薄すぎる。それともこれが限界なのか。分からない。だが、こう言う時、ヴェルムはどうするか決めている。勘を信じるのだ。あれこれ考えるよりはよっぽど良い結果が出ていた。
「っ!」
ヴェルムの射程距離にイーラが入った。そして斬り合いを始める。彼は自らの命を文字通り燃やし、全力で戦っているのに対してイーラは余裕のある態度を依然としている。
「⋯⋯人間としては素晴らしい。強いな」
イーラは心の底から思ったことを素直に言った。セレナから聞いていたことは本当であったようだ。
太刀筋、筋力、速度、何を取っても高水準である。例えそれが一時的であっても、賞賛に値する。
「そして」
イーラは殺気を読み取り、真上からの魔法攻撃を察知した。
「〈爆風刃〉」
風は不可視であり、それが斬属性を持って飛ばされる。そして対象にぶつかればそこで炸裂する魔法。
単純だが故に殺傷力のある魔法だ。不可視、着弾までは無音であることが何よりも厄介な点である。だがイーラは正真正銘、化け物の感知能力で避けた。
「見事な連携だ」
剣技も魔法も人間として見れば最高水準どころかそれを突破している。しかしそれで驕らず、連携を重視し、削り殺すことを狙った戦い方だ。
「お前たちより強い化け物は数多い。が、そういうのは簡単に殺せる。何故だと思う?」
ヴェルムの剣戟もイーラには届かない。理由は酷く単純。基礎スペックが違うからだ。特に反射神経の差が、実力差に直結していた。
「さぁ。分からんな」
イーラはアリサの魔法を正面から受ける。ヴェルムが作った隙に〈大嵐狂奔〉を行使したのだ。
両腕で上半身及び頭部を防御するも命中には変わらない。即死とまでは行かずとも、大ダメージは期待したいところだった。だが、現実は非情であった。
「今の、手応えあったんですけどね⋯⋯」
吹き荒れていた風が収まる。それでもイーラはそこから一歩も動いていなかった。
「そう思うのも無理はないだろう。お前が見抜けることはないからな」
「それはどういう──」
「やはりか」
ヴェルムが構えを解いた。灼熱の炎も消え去る。アリサは知っている、それが諦めでないことを。それが時間切れであることを。
「父様⋯⋯」
「違和感はあった。だが⋯⋯見抜けないと意味はなかったか」
「違和感に気づくだけでも誇れることだぞ。戦場で老いるだけはある」
ここでようやくアリサは気がつくことができた。イーラは今まで本気を出していなかったのだ。
覚える威圧感は今まで会ってきたどの『死神』よりも大きかった。つまり、彼女たちでは勝つことはおろか、時間稼ぎでさえ、こなせる実力には至っていなかったのだ。
「⋯⋯お前たちは自分の実力を正しく評価している。少なくとも過大評価はほとんどない。だからこそ、隙がない」
「それが手を抜いた訳か?」
「違うな。様子見だ。後は⋯⋯練習だ」
イーラは両手に剣を持った。その姿はセレナに重なる。ヴェルムとアリサがここから生き残る方法は最早ないだろう。
「練習?」
ヴェルムは生き残ることを諦めた。アリサもそれを感じ取ったらしく、杖を下ろした。彼は酷な選択を娘にさせたと申し訳なく思ったが、どうしようもない。
「ああ。俺だって最強ではない。奪われる立場に、何時なっても可笑しくない」
イーラはゆっくりと歩きながらヴェルムに近づく。彼の顔には殺意も憎しみもない。あるとすればそれは憐れみだ
。
「そうか⋯⋯可笑しいと思ってたんだ」
だが、ヴェルムは己の抱いていた違和感に気がつき、ようやく納得した。この侵攻が始まってから思っていた可笑しな点。
「なぜ、お前たちはこんなにも手間取ったのか。ずっと疑問だった」
「⋯⋯ほう」
そこでイーラは足を止める。そしてヴェルムに話の続きを促す。
「お前たちは、国滅ぼしなど余裕にできる。しかししなかった。⋯⋯黒の魔女の復活、そして白の魔女の出現⋯⋯。その、理由は⋯⋯」
──瞬間、ヴェルムの胴体にばつ印の赤い傷が入る。
「────!」
それは呆気なくヴェルムの命を奪った。アリサはこの結末を理解していた。分かっていた。だが、いざ目の前で行われれば思い知らされる、肉親を殺されることの恐怖を。
「父様⋯⋯っ!」
そして湧き出る憎悪。アリサの腹の中から、煮えたぎった真っ黒な感情が現れる。
「⋯⋯やるのか。お前、ただ一人で。一度決めた死ぬ覚悟を撤回してまで」
「⋯⋯⋯⋯堪えられなかった。こんなにも⋯⋯こんなにも、抑えられないのね」
アリサの魔力が急激に大きくなる。それは感じ取れる圧倒的なものであるということだ。
「これは、アイツと同格⋯⋯だな」
イーラはフィルが本気で怒った時のことを思い出した。あの時、フィルは怒りで魔力制御が不安定になっていたから感じられたのである。大雑把にしか把握できないから多少の差はあるが、それでも大きな差はない。
「⋯⋯なるほど」
アリサの体に起こっている変化にイーラは気がついた。
それ即ちリミッターの解除──覚醒でも何でもなく、元々持っていた力を使うだけ。ただ、その行使のためにはあまりにも大きな代償を払うことになる。
戦士も魔法使いも共通のことだが、人間より化物の方が強い。同じ鍛錬、同じ才能、同じ環境であれば、人間の方が優れていることは絶対にない。
なぜか。単純な話だ。肉体が己の力に耐えきれず、崩れてしまうから。生命はそれを御するために、力を抑える。
「お前の母親は優れた魔法使いだったのだろうな。戦士の父親の才も受け継げば⋯⋯こうもなるか」
普通の人間では第十階級は肉体スペックに対して強大すぎる力に当たる。無論、第十一階級は更に向こうの話だが、それを平然と使える者が、次に至るものは何か。
「単純だが故に脅威。⋯⋯魔力量、出力、効率、そして同時展開数の上昇か」
アリサの才能に許された全出力。それは容易く彼女の肉体を崩すだろう。だが、
「⋯⋯許さない。許さない!」
アリサの右手に赤い魔法陣が展開される。そこから斬撃を伴う風が吹き荒れた。
恐ろしい威力だ。恐ろしい魔力だ。──しかし、
「未熟だ。そして、怒りに我を忘れたか。狙いが単調になったぞ」
魔法を避けて、イーラはアリサの正面まで距離を詰めた。魔法使いにとって近接戦闘は不利も不利だ。イーラは人間であれば一撃で両断できる。手に持つ剣を振り下ろした。
「ほう。無詠唱にも行使速度には個人差があるが⋯⋯かなり速いな」
イーラの剣は防御魔法によって防がれた。瞬間的な防御魔法の展開によって魔力消費を抑えている。
嵐かのような斬撃と斬撃を有する嵐が交互に放たれる。イーラは全てを躱すなり弾くなり受け流すなりし、アリサは全てを防ぐ。
(⋯⋯攻めるに攻めれん。怒りで攻撃は直球だが、防御魔法は直感でやるからこそ正確だ)
反応速度も人間の最高峰。イーラの斬撃を見切るだけはある。防御魔法の欠点でもある魔力消費量の多さ──防御壁を展開中は常に魔力を消費すること──は、瞬間的に展開することで克服している。
(だが、手数で攻めるしかない。防御壁を破壊するには隙を作ってしまう。相打ちでは意味がない)
イーラがアリサの魔法で死ぬことはない。フィルと同格の魔力量と言っても、他の魔法能力は劣っているのだ。
心臓を貫かれてもしばらく生き続けられるし、その間に止血する方法はいくらでもある。つまり今この瞬間にアリサを殺す方法はあるのだ。
しかし、これは戦闘訓練の一環だ。ゴリ押し攻略など何の研鑽にもならない。
(⋯⋯隙を作ってしまう、か)
アリサは防御魔法を、イーラの攻撃の予備動作の時点で展開している。判断方法が反射神経依存であり頭では一切考えていない。
だから大きく振りかぶった攻撃には、それを何とかするために強力な防御壁を展開する。防御壁の強度も無意識に調整しているからだ。
(⋯⋯殺せるっ!)
防御壁でイーラの剣戟を弾く。伴い、彼の体は大きく仰け反った。隙だ。隙ができた。中々できなかった、致命傷を叩き込める隙が作れたのだ。
このチャンスを逃すわけには行かない。だからアリサは魔力を存分に練った。そして、
「〈荒れ狂う暴力〉!」
この瞬間、創り出した独自魔法。〈暴風雨〉を元に創り出した魔法だ。その要素の殆どを破壊能力に注ぎ込んでいる。
回転する風。斬撃と殴撃を持ち、触れたものを消し飛ばす超火力魔法。
イーラの予想外の魔法だった。流石に全身を消し飛ばされては即死に至る。だが、
「────」
魔法の射線からイーラが消えた。誘われていたのだ。隙を晒したのはこのためであった。
今度こそ渾身の一撃を放つイーラ。無意識にアリサが展開した防御魔法も砕け、刃は彼女の首に向かう。
そして、捉える。
◆◆◆
「でさ、それ、いつまで続けるわけ?」
ウーテマはただひたすらにアヴァリティアの防御壁を斬っていた。しかし斬っても斬っても金属音が響くだけで、全く破壊されない。傷一つつかない。
「ね、分かったでしょ? 私と君じゃ次元が違う」
「ならどうしてさっさと私を殺さない?」
剣戟を辞めたウーテマ。同時にアヴァリティアも防御魔法を解いた。
「なぜだろうね?」
「⋯⋯は?」
「君たちはいつでも殺せる。でも、そうしないのに大層な理由は必要なのかい? 君は、空腹だからご飯を食べるということにそれ以上の理由を求めるの? やりたいからやる。私は君たちを甚振りたいから甚振る。同じだよ。大した理由はない。だから君が求めるような理由はないね」
アヴァリティアの感情は、台詞の後半につれて段々と強くなっていった。これまでの芝居がかっていた動作から一転、本心を顕にしたようだった。
「私はね、魔法が大好きなんだ。魔法を知り、魔法を研究し、知識を満たすことに快感を覚える。でも、それは魔法だけに限られたものじゃない。例えば人間を知ることなんかまさにそうだ」
アヴァリティアの展開した不明な魔法がウーテマの左腕を裂いた。切断まではいかなかったが、深く乱雑な切り傷だった。
「ぐっ⋯⋯!」
血が流れる。モーリッツがすぐさま治癒魔法を行使するも、傷が傷だからか治るのが少し遅く、そして負担が大きかった。
「今みたいに、傷を負ったときの反応は皆違う。同じように人間の抱く感情とか。人生とか。どんな人が好きなのか、嫌いなのか。声はどんなのか。⋯⋯面白いとは思わない? コレクションしてるみたいでさ」
「⋯⋯⋯⋯」
「分からないって? そうだね。理解されなくても良いよ。私の人間研究の末に導き出した答えとして、化物と人間は共存できないってのがあるんだ。そりゃ個人レベルならあり得るよ。でも、種族単位だと不可能だって分かるんだ。あまりにも精神構造が違い過ぎている。最早別の生物だ」
ウーテマの関節という関節が曲がってはいけない方に曲がる。最早悲鳴を上げることさえできない激痛に彼女は襲われた。
「ウーテマさん! 〈治──」
「鬱陶しいね」
モーリッツの首が何周か回転し、ねじ切れた。骨は砕け、血肉がぶちまけられる。首なしの死体はそのまま倒れ、鈍い音を立てて頭が転がった。
「集団戦において、最も狙うべきは回復役だよ。これほど厄介なものは少ない。まあだから、私みたいな自前で治癒できる者の厄介さは他に替えられないだろうね」
アヴァリティアの手の平に緑色の魔法陣が展開される。瞬間、ウーテマの体が癒えた。
「ほら、もう動けるでしょ? 雑にやったから立つのさえ結構苦労すると思うけど」
彼女の言うとおり、ウーテマは立つのにもやっとなほど疲弊した。これでは戦いにすらならない。いや、その心配はいらない。最初からなっていないのだから。
「⋯⋯何のつもりだ」
「君さ、面白いんだよ。興味深い人間なんだよ、君」
ウーテマは最早ナイフを握るのさえ苦痛だった。半ば諦めて得物を手放してしまうほどだった。彼女は自分の死を覚悟する。
「ほら、今だってそうだ。君は諦めている。死のうとしている。この私を殺したいと思っていたのに、すぐに心変わりした。どうしてそんなにすぐに、諦めるの?」
ウーテマからすれば、『死神』の質問の意味がよく分からなかった。こんなに圧倒的な差を見せつけられて、誰が心変わりしないというのか。
もう沢山頑張った。もうやれることはやった。その上でこんな結末なら、諦めるしかない。
「私たちはね、いや、特に私は諦めることが嫌いなんだ。諦めたらそこで終わり。掴めるものも掴めない。欲深い私にとって、諦めることは自己否定にも等しいのさ。⋯⋯そして私は満たされることがない。だから、いつまでも満たし続ける。つまりそれは、不可能なことだ」
終わりのないものに終わりを求めることは矛盾そのものだ。不可能なことを成すなど、無意味である。
だが、それを諦めて良い理由ではないとアヴァリティアは言った。
「君たち人間には欠点がいくらでもある。力は貧弱だし、体は弱いし、才能もピンキリで、良くても化物と同等が関の山だ。けど、それらを覆せる方法がある。強くなるために必須な、たった一つの条件」
アヴァリティアは魔法でウーテマに武器を作って、足元に投げた。そのナイフは機能美を求めたものであった。軽く、鋭く、殺すことに特化している、銀色に輝く刃物。
「それは──『強欲』であることさ」
アヴァリティアのその言葉が、どういうわけかウーテマには良く響いた。化物が言うことなんか欺瞞だ。そう思っていたのに、不思議と納得できるものだった。
今まで分からなかったものが分かったかのような、晴れ晴れとした気分となる。
「何をするにしても欲さないと始まらない。欲するからこそ、成長できる。欲深くないと何もが中途半端で良くなるのさ。欲深いことが、自らの可能性を引き出すのさ」
ウーテマは無意識にナイフを取っていた。
「⋯⋯いいね。私が見たかったものだ、ここで、一歩進む人間は」
体の疲弊はなくなっている。何も感じない。ただひたすら、このナイフで自分の全てを使いたい。全身全霊、この世界に存在していることを知らしめたい。
「──ッ!」
過去のウーテマでは不可能だったスピードを引き出し、アヴァリティアの元に走り出す。ナイフの柄を握り潰すしかけるほどの握力をかけて、それを振りかぶった。
「君はやっぱり興味深かった。ありがとう、見せてくれて」
だがナイフを振るより早く、ウーテマの首から上が弾けた。頭の中に魔法を展開し、内部から破壊したのだ。圧倒的な実力差と圧倒的な技術がなければ成しえない神業である。
血飛沫は尽く防御魔法によって防がれ、アヴァリティアの衣装には血の一滴も付かなかった。
「存外楽しめたよ。⋯⋯さて、他の皆も人間は殺し終えただろうし、最後の仕事に行こうかな」
アヴァリティアは──フィルは、遠くの破壊の連鎖が行われている場所を目指して歩き始めた。
(攻撃を見切ることはできる⋯⋯避けることも。しかし⋯⋯なんだ、この違和感)
いくら何でも武器の弾幕が薄すぎる。それともこれが限界なのか。分からない。だが、こう言う時、ヴェルムはどうするか決めている。勘を信じるのだ。あれこれ考えるよりはよっぽど良い結果が出ていた。
「っ!」
ヴェルムの射程距離にイーラが入った。そして斬り合いを始める。彼は自らの命を文字通り燃やし、全力で戦っているのに対してイーラは余裕のある態度を依然としている。
「⋯⋯人間としては素晴らしい。強いな」
イーラは心の底から思ったことを素直に言った。セレナから聞いていたことは本当であったようだ。
太刀筋、筋力、速度、何を取っても高水準である。例えそれが一時的であっても、賞賛に値する。
「そして」
イーラは殺気を読み取り、真上からの魔法攻撃を察知した。
「〈爆風刃〉」
風は不可視であり、それが斬属性を持って飛ばされる。そして対象にぶつかればそこで炸裂する魔法。
単純だが故に殺傷力のある魔法だ。不可視、着弾までは無音であることが何よりも厄介な点である。だがイーラは正真正銘、化け物の感知能力で避けた。
「見事な連携だ」
剣技も魔法も人間として見れば最高水準どころかそれを突破している。しかしそれで驕らず、連携を重視し、削り殺すことを狙った戦い方だ。
「お前たちより強い化け物は数多い。が、そういうのは簡単に殺せる。何故だと思う?」
ヴェルムの剣戟もイーラには届かない。理由は酷く単純。基礎スペックが違うからだ。特に反射神経の差が、実力差に直結していた。
「さぁ。分からんな」
イーラはアリサの魔法を正面から受ける。ヴェルムが作った隙に〈大嵐狂奔〉を行使したのだ。
両腕で上半身及び頭部を防御するも命中には変わらない。即死とまでは行かずとも、大ダメージは期待したいところだった。だが、現実は非情であった。
「今の、手応えあったんですけどね⋯⋯」
吹き荒れていた風が収まる。それでもイーラはそこから一歩も動いていなかった。
「そう思うのも無理はないだろう。お前が見抜けることはないからな」
「それはどういう──」
「やはりか」
ヴェルムが構えを解いた。灼熱の炎も消え去る。アリサは知っている、それが諦めでないことを。それが時間切れであることを。
「父様⋯⋯」
「違和感はあった。だが⋯⋯見抜けないと意味はなかったか」
「違和感に気づくだけでも誇れることだぞ。戦場で老いるだけはある」
ここでようやくアリサは気がつくことができた。イーラは今まで本気を出していなかったのだ。
覚える威圧感は今まで会ってきたどの『死神』よりも大きかった。つまり、彼女たちでは勝つことはおろか、時間稼ぎでさえ、こなせる実力には至っていなかったのだ。
「⋯⋯お前たちは自分の実力を正しく評価している。少なくとも過大評価はほとんどない。だからこそ、隙がない」
「それが手を抜いた訳か?」
「違うな。様子見だ。後は⋯⋯練習だ」
イーラは両手に剣を持った。その姿はセレナに重なる。ヴェルムとアリサがここから生き残る方法は最早ないだろう。
「練習?」
ヴェルムは生き残ることを諦めた。アリサもそれを感じ取ったらしく、杖を下ろした。彼は酷な選択を娘にさせたと申し訳なく思ったが、どうしようもない。
「ああ。俺だって最強ではない。奪われる立場に、何時なっても可笑しくない」
イーラはゆっくりと歩きながらヴェルムに近づく。彼の顔には殺意も憎しみもない。あるとすればそれは憐れみだ
。
「そうか⋯⋯可笑しいと思ってたんだ」
だが、ヴェルムは己の抱いていた違和感に気がつき、ようやく納得した。この侵攻が始まってから思っていた可笑しな点。
「なぜ、お前たちはこんなにも手間取ったのか。ずっと疑問だった」
「⋯⋯ほう」
そこでイーラは足を止める。そしてヴェルムに話の続きを促す。
「お前たちは、国滅ぼしなど余裕にできる。しかししなかった。⋯⋯黒の魔女の復活、そして白の魔女の出現⋯⋯。その、理由は⋯⋯」
──瞬間、ヴェルムの胴体にばつ印の赤い傷が入る。
「────!」
それは呆気なくヴェルムの命を奪った。アリサはこの結末を理解していた。分かっていた。だが、いざ目の前で行われれば思い知らされる、肉親を殺されることの恐怖を。
「父様⋯⋯っ!」
そして湧き出る憎悪。アリサの腹の中から、煮えたぎった真っ黒な感情が現れる。
「⋯⋯やるのか。お前、ただ一人で。一度決めた死ぬ覚悟を撤回してまで」
「⋯⋯⋯⋯堪えられなかった。こんなにも⋯⋯こんなにも、抑えられないのね」
アリサの魔力が急激に大きくなる。それは感じ取れる圧倒的なものであるということだ。
「これは、アイツと同格⋯⋯だな」
イーラはフィルが本気で怒った時のことを思い出した。あの時、フィルは怒りで魔力制御が不安定になっていたから感じられたのである。大雑把にしか把握できないから多少の差はあるが、それでも大きな差はない。
「⋯⋯なるほど」
アリサの体に起こっている変化にイーラは気がついた。
それ即ちリミッターの解除──覚醒でも何でもなく、元々持っていた力を使うだけ。ただ、その行使のためにはあまりにも大きな代償を払うことになる。
戦士も魔法使いも共通のことだが、人間より化物の方が強い。同じ鍛錬、同じ才能、同じ環境であれば、人間の方が優れていることは絶対にない。
なぜか。単純な話だ。肉体が己の力に耐えきれず、崩れてしまうから。生命はそれを御するために、力を抑える。
「お前の母親は優れた魔法使いだったのだろうな。戦士の父親の才も受け継げば⋯⋯こうもなるか」
普通の人間では第十階級は肉体スペックに対して強大すぎる力に当たる。無論、第十一階級は更に向こうの話だが、それを平然と使える者が、次に至るものは何か。
「単純だが故に脅威。⋯⋯魔力量、出力、効率、そして同時展開数の上昇か」
アリサの才能に許された全出力。それは容易く彼女の肉体を崩すだろう。だが、
「⋯⋯許さない。許さない!」
アリサの右手に赤い魔法陣が展開される。そこから斬撃を伴う風が吹き荒れた。
恐ろしい威力だ。恐ろしい魔力だ。──しかし、
「未熟だ。そして、怒りに我を忘れたか。狙いが単調になったぞ」
魔法を避けて、イーラはアリサの正面まで距離を詰めた。魔法使いにとって近接戦闘は不利も不利だ。イーラは人間であれば一撃で両断できる。手に持つ剣を振り下ろした。
「ほう。無詠唱にも行使速度には個人差があるが⋯⋯かなり速いな」
イーラの剣は防御魔法によって防がれた。瞬間的な防御魔法の展開によって魔力消費を抑えている。
嵐かのような斬撃と斬撃を有する嵐が交互に放たれる。イーラは全てを躱すなり弾くなり受け流すなりし、アリサは全てを防ぐ。
(⋯⋯攻めるに攻めれん。怒りで攻撃は直球だが、防御魔法は直感でやるからこそ正確だ)
反応速度も人間の最高峰。イーラの斬撃を見切るだけはある。防御魔法の欠点でもある魔力消費量の多さ──防御壁を展開中は常に魔力を消費すること──は、瞬間的に展開することで克服している。
(だが、手数で攻めるしかない。防御壁を破壊するには隙を作ってしまう。相打ちでは意味がない)
イーラがアリサの魔法で死ぬことはない。フィルと同格の魔力量と言っても、他の魔法能力は劣っているのだ。
心臓を貫かれてもしばらく生き続けられるし、その間に止血する方法はいくらでもある。つまり今この瞬間にアリサを殺す方法はあるのだ。
しかし、これは戦闘訓練の一環だ。ゴリ押し攻略など何の研鑽にもならない。
(⋯⋯隙を作ってしまう、か)
アリサは防御魔法を、イーラの攻撃の予備動作の時点で展開している。判断方法が反射神経依存であり頭では一切考えていない。
だから大きく振りかぶった攻撃には、それを何とかするために強力な防御壁を展開する。防御壁の強度も無意識に調整しているからだ。
(⋯⋯殺せるっ!)
防御壁でイーラの剣戟を弾く。伴い、彼の体は大きく仰け反った。隙だ。隙ができた。中々できなかった、致命傷を叩き込める隙が作れたのだ。
このチャンスを逃すわけには行かない。だからアリサは魔力を存分に練った。そして、
「〈荒れ狂う暴力〉!」
この瞬間、創り出した独自魔法。〈暴風雨〉を元に創り出した魔法だ。その要素の殆どを破壊能力に注ぎ込んでいる。
回転する風。斬撃と殴撃を持ち、触れたものを消し飛ばす超火力魔法。
イーラの予想外の魔法だった。流石に全身を消し飛ばされては即死に至る。だが、
「────」
魔法の射線からイーラが消えた。誘われていたのだ。隙を晒したのはこのためであった。
今度こそ渾身の一撃を放つイーラ。無意識にアリサが展開した防御魔法も砕け、刃は彼女の首に向かう。
そして、捉える。
◆◆◆
「でさ、それ、いつまで続けるわけ?」
ウーテマはただひたすらにアヴァリティアの防御壁を斬っていた。しかし斬っても斬っても金属音が響くだけで、全く破壊されない。傷一つつかない。
「ね、分かったでしょ? 私と君じゃ次元が違う」
「ならどうしてさっさと私を殺さない?」
剣戟を辞めたウーテマ。同時にアヴァリティアも防御魔法を解いた。
「なぜだろうね?」
「⋯⋯は?」
「君たちはいつでも殺せる。でも、そうしないのに大層な理由は必要なのかい? 君は、空腹だからご飯を食べるということにそれ以上の理由を求めるの? やりたいからやる。私は君たちを甚振りたいから甚振る。同じだよ。大した理由はない。だから君が求めるような理由はないね」
アヴァリティアの感情は、台詞の後半につれて段々と強くなっていった。これまでの芝居がかっていた動作から一転、本心を顕にしたようだった。
「私はね、魔法が大好きなんだ。魔法を知り、魔法を研究し、知識を満たすことに快感を覚える。でも、それは魔法だけに限られたものじゃない。例えば人間を知ることなんかまさにそうだ」
アヴァリティアの展開した不明な魔法がウーテマの左腕を裂いた。切断まではいかなかったが、深く乱雑な切り傷だった。
「ぐっ⋯⋯!」
血が流れる。モーリッツがすぐさま治癒魔法を行使するも、傷が傷だからか治るのが少し遅く、そして負担が大きかった。
「今みたいに、傷を負ったときの反応は皆違う。同じように人間の抱く感情とか。人生とか。どんな人が好きなのか、嫌いなのか。声はどんなのか。⋯⋯面白いとは思わない? コレクションしてるみたいでさ」
「⋯⋯⋯⋯」
「分からないって? そうだね。理解されなくても良いよ。私の人間研究の末に導き出した答えとして、化物と人間は共存できないってのがあるんだ。そりゃ個人レベルならあり得るよ。でも、種族単位だと不可能だって分かるんだ。あまりにも精神構造が違い過ぎている。最早別の生物だ」
ウーテマの関節という関節が曲がってはいけない方に曲がる。最早悲鳴を上げることさえできない激痛に彼女は襲われた。
「ウーテマさん! 〈治──」
「鬱陶しいね」
モーリッツの首が何周か回転し、ねじ切れた。骨は砕け、血肉がぶちまけられる。首なしの死体はそのまま倒れ、鈍い音を立てて頭が転がった。
「集団戦において、最も狙うべきは回復役だよ。これほど厄介なものは少ない。まあだから、私みたいな自前で治癒できる者の厄介さは他に替えられないだろうね」
アヴァリティアの手の平に緑色の魔法陣が展開される。瞬間、ウーテマの体が癒えた。
「ほら、もう動けるでしょ? 雑にやったから立つのさえ結構苦労すると思うけど」
彼女の言うとおり、ウーテマは立つのにもやっとなほど疲弊した。これでは戦いにすらならない。いや、その心配はいらない。最初からなっていないのだから。
「⋯⋯何のつもりだ」
「君さ、面白いんだよ。興味深い人間なんだよ、君」
ウーテマは最早ナイフを握るのさえ苦痛だった。半ば諦めて得物を手放してしまうほどだった。彼女は自分の死を覚悟する。
「ほら、今だってそうだ。君は諦めている。死のうとしている。この私を殺したいと思っていたのに、すぐに心変わりした。どうしてそんなにすぐに、諦めるの?」
ウーテマからすれば、『死神』の質問の意味がよく分からなかった。こんなに圧倒的な差を見せつけられて、誰が心変わりしないというのか。
もう沢山頑張った。もうやれることはやった。その上でこんな結末なら、諦めるしかない。
「私たちはね、いや、特に私は諦めることが嫌いなんだ。諦めたらそこで終わり。掴めるものも掴めない。欲深い私にとって、諦めることは自己否定にも等しいのさ。⋯⋯そして私は満たされることがない。だから、いつまでも満たし続ける。つまりそれは、不可能なことだ」
終わりのないものに終わりを求めることは矛盾そのものだ。不可能なことを成すなど、無意味である。
だが、それを諦めて良い理由ではないとアヴァリティアは言った。
「君たち人間には欠点がいくらでもある。力は貧弱だし、体は弱いし、才能もピンキリで、良くても化物と同等が関の山だ。けど、それらを覆せる方法がある。強くなるために必須な、たった一つの条件」
アヴァリティアは魔法でウーテマに武器を作って、足元に投げた。そのナイフは機能美を求めたものであった。軽く、鋭く、殺すことに特化している、銀色に輝く刃物。
「それは──『強欲』であることさ」
アヴァリティアのその言葉が、どういうわけかウーテマには良く響いた。化物が言うことなんか欺瞞だ。そう思っていたのに、不思議と納得できるものだった。
今まで分からなかったものが分かったかのような、晴れ晴れとした気分となる。
「何をするにしても欲さないと始まらない。欲するからこそ、成長できる。欲深くないと何もが中途半端で良くなるのさ。欲深いことが、自らの可能性を引き出すのさ」
ウーテマは無意識にナイフを取っていた。
「⋯⋯いいね。私が見たかったものだ、ここで、一歩進む人間は」
体の疲弊はなくなっている。何も感じない。ただひたすら、このナイフで自分の全てを使いたい。全身全霊、この世界に存在していることを知らしめたい。
「──ッ!」
過去のウーテマでは不可能だったスピードを引き出し、アヴァリティアの元に走り出す。ナイフの柄を握り潰すしかけるほどの握力をかけて、それを振りかぶった。
「君はやっぱり興味深かった。ありがとう、見せてくれて」
だがナイフを振るより早く、ウーテマの首から上が弾けた。頭の中に魔法を展開し、内部から破壊したのだ。圧倒的な実力差と圧倒的な技術がなければ成しえない神業である。
血飛沫は尽く防御魔法によって防がれ、アヴァリティアの衣装には血の一滴も付かなかった。
「存外楽しめたよ。⋯⋯さて、他の皆も人間は殺し終えただろうし、最後の仕事に行こうかな」
アヴァリティアは──フィルは、遠くの破壊の連鎖が行われている場所を目指して歩き始めた。
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