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第七章「暁に至る時」
第二百八十六話 静けさ
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アベラドの救出が成功してから四日。『ホルース』はエルティア公国の各都市を奪還していく。不幸にも生存者は少なかった。侵攻開始から時間が経っているからだろう。
だがそれは不幸中の幸いとも言えた。生存者を助けなくて良い、という冷酷な意味にはなるが。
「だからと言っても順調過ぎる。おかしいとは思わないか?」
アベラドが頭脳労働する部屋にて。そこにはルーク、クルーゾが同席している。机の上には公国地図が広げられていて、所々に目印の三種類の石が置かれている。赤の石は占領されている状態、青の石は奪還済み、黄色の石は現在奪還中を意味する。
大半の都市に青色の石が置かれており、次点で黄色、そして片手で数えるまでもないほどが赤色の石。
アベラドが帰還した時点で、ルークの働きによって半数以上は奪還済みだ。それを加味したとしても、この順調過ぎる進みは怪しい。
「我が采配にも優れていることは自覚しているつもりだが、ここまでではないぞ」
「不敬を承知で言わせてもらうと、その通りです。違和感がある⋯⋯いや、違和感しかない」
ルークが主導の時はもっと奪還は困難であった。いくらアベラドが天才であっても、ここまで加速させることは不可能だ。
ルークが覚えた違和感は、この不自然なまでの簡単さだ。
「敵の亜人たちは統率が取れていない。また、数が以前より少なくなり、何より『死神』を見かけない、それらしき力が行使されることもない。という報告があがっています」
他の要因もあるだろうが、『死神』の存在が消えたことは特に大きな理由だ。『死神』が一体いるだけで派遣した兵団は全滅し、エストの力を借りなければならない。
「亜人にも力で無理矢理従わされていたのが居たのだろう。『死神』が消えた今、戦う理由はない。統率が取れていないのもそうだ。絶対的な個を失った化物など、こうなって然るべきだ」
『死神』が姿を隠したのなら、前二つの理由も説明できる。
「⋯⋯ではなぜ、『死神』は姿を隠したのか。そしてなぜ、一週間後に襲撃を宣言したのか」
ルークが言う。その時、アベラドが「うむ⋯⋯」と意味ありげに答えた。
「⋯⋯陛下、なにか心当たりが?」
「⋯⋯ないと言えば嘘になるな」
アベラドは腰に携えた剣を机の上に置いた。禍々しかを感じさせる装飾が入った、美術品としては最上級のものだが実用的とは言い辛い剣だ。
紫色の鞘に入っているが、ルークとクルーゾには刃が剥き出しのままではないかと思えた。
「これは?」
「『殃戮魔剣』だ」
部屋内が静けさによって包まれる。それを聞いた瞬間からだ。それもそのはず、『殃戮魔剣』が触れたものは、例え斬れなくても問答無用で崩壊させる。故に保管には面倒な手段を取る必要があり、こうして鞘を被せたところで意味はない。
「いや。いやいやいやいや⋯⋯冗談⋯⋯ですよね?」
いつも冷静なクルーゾが慌てる姿はこれで二回目だ。
彼の予想はまるで外れている。アベラドが机に置いた剣は正しく『殃戮魔剣』である。無論、触れれば全てを崩壊させる性質は嘘偽りではない。
「これは『生きている武器』でな。我が認められているから、無闇矢鱈に崩壊させないだけだ」
「⋯⋯⋯⋯はい。そうですか」
アベラドの態度からも彼が嘘をついている様子はなかった。そういうのを判断できるクルーゾは彼が正しいことを悟り、これ以上何も言う気はなくなった。
「それで、『殃戮魔剣』が『死神』の消えた理由とどう繋がるのですか?」
ルークが話を本題へと戻した。
「『死神』は『殃戮魔剣』を求めてここを襲撃するだろう」
「⋯⋯はい?」
「ニコライツェから聞いたのだがな、『死神』がそう言っていたらしい」
嘘の可能性も考えられた。しかし、ウーテマ曰く「あの『死神』が嘘を吐くとは考えられない」らしい。
もしそれが正しいのなら、『死神』があの場にいたのにも説明がつく。ただしそれだと、
「『死神』は魔剣一つを奪うために、国一つと敵対した⋯⋯ということですか」
「まあ、そういうことだろう。魔剣は良くも悪くも厳重保管されていた。場所も秘匿され、探すことは不可能。なら全部更地にしてしまえば良いと考えるのも分からないことはない」
「壊れるとか考えないんですかね」
その論は致命的欠点── 『殃戮魔剣』は触れたものすべてを破壊する──を持つが、クルーゾは分かっていて言ったことだ。
砕け、落ちてくる瓦礫も、それに触れようとする化物も、何もかもを破壊する。崩壊してしまったものは魔剣に傷一つつけられないだろう。
「そういえば、『死神』の戦争宣言があるというのに兵士を派遣する理由を聞いても?」
ルークの質問。宣言があるのに兵士を守りにつかせず、それどころがこの事実を伝えもしない理由が彼は聞きたかった。
アベラドは半笑いになりつつ答えた。
「蟻が何匹いれば竜に勝てると思う?」
「⋯⋯⋯⋯」
「そういうことだ。一体だけでも兵団が壊滅するのに、それが現存する全員で来る。⋯⋯最早、人間の手に負えるものではない」
クルーゾは歯を噛む。しかしそれが正しいのだ。この問題はもう、魔女であるエストただ一人にしか対応できない事態である。
いや、最初からそうだった。『死神』を殺せるのは魔女だけだと、最初から魔女は言っていた。
「⋯⋯我々ができるのは、ただ一つ」
アベラドは目を細めた。『死神』と相対して生き残った数少ない人間として、宣言する。
「──祈るだけだ」
◆◆◆
「エスト様、今、なんとおっしゃいましたか?」
疲労も消え、ノーワはエストに剣の稽古をつけてもらっていた。
戦士が魔女、つまり魔法使いに剣術を教わるという、字面だけを見れば矛盾したこともエストの前ではそうならない。
そんな稽古が終わり、雑談かのように話されたものは、ノーワの耳を疑うものだった。
「なんと⋯⋯って、『死神』が来るから逃げてねと言ったよ?」
「⋯⋯違います。どうしてですか? 私じゃあ⋯⋯」
「うん。足手まといだね」
ノーワは何も言うことができなかった。しかしそこまではっきり言うことはなかったのではないかとも思った。
「ならどうして、今、稽古をつけているんですか」
「⋯⋯それはキミのためだ。『死神』を全員殺せたとしても亜人はまだ居るからね」
「⋯⋯⋯⋯」
グーラと戦ったから分かる。ノーワの実力ではあの戦いにはついていけない。それどころかエストにとってのお荷物にしかならないだろう。
合理的に考えれば、ノーワはここで降りるべきだ。
「私は⋯⋯それでも、エスト様に付いていきたいです」
「⋯⋯どうして? 死ぬかもしれないんだよ?」
エストは剣を片付けながら答えることを続ける。そこには気怠さなどの負感情は込められていなくて、心底不思議だ、という感情が含まれていた。
「私はあなた様の従者です。主を置いて、逃げることなどできません」
「⋯⋯そう。⋯⋯なら、来ると良い」
「⋯⋯え、良いのですか!?」
思わぬ返答にノーワは驚きを隠せなかった。どんな反論をエストからされるかと内心気構えていたのだ。
「どんなことを言っても駄目そうだしね」
しかしエストはそのことを理解していた。ノーワは何を言ってもついてくるだろうと。
「でも⋯⋯私の知るキミが『死神』との戦いで足手まといになることには変わらない。キミ一人だけでは無駄に死ぬことは分かりきっている。だから、こうしよう」
エストは指を二つ立てる。
「私に剣術で勝ち、実力を示す。それか頼れる人を探し、キミ一人だけでここに残らないようにする」
ノーワがエストに付いていく条件、ということだろう。無条件では無理なようだが、これでも彼女は譲歩してくれた。
「どちらか片方を満たせば認めてくれる、ということですね?」
「うん。そうだよ」
「分かりました。ならばその二つを満たします」
エストは少し笑った。ノーワもそれに釣られて──いや、返すように笑った。
「キミは私を理解しているね」
「長いこと付き合っていますから」
会話もそこまで。誠意を表すターンはこれにて終了。ここからは実力を示す段階へとノーワは足を踏み入れる。
黒いナイフではなく、ノーワが元より持っていたナイフを取り出す。対してエストは片手に純白の細剣を創造した。刺突専用ではなく、斬撃もできるように刃があった。そして何より、レイピアにしてはあまりにも剣身が長い。
「不思議そうに見るね、これのこと」
「ええ⋯⋯エスト様細身なのに、どうやって持っているんだろうって思います」
大きい剣が重いのは当然のことだ。そして勿論、長ければ長いほど持ちづらく、振り回しづらい。片手で扱うなど普通の人間には不可能だ。
「ま、だからあえてこれを作ったんだ。これから戦うのは人外。人間専用の殺し方、戦い方なんて通用しない。臨機応変に戦えるか、ってのを見たいんだ」
エストはレイピアを構える。柄を体より後ろに回し、剣先を標的に向け、姿勢を低くする構えだ。
彼女に殺意はなかった。きっとノーワが殺されることはない。しかし、威圧感は違った。実際には無い風圧を感じるほどだ。
「⋯⋯っ」
『死神』を全員相手にして勝てる、と言うのは本当のようだ。グーラとはまるで格が違った。殺意ではなく戦意。それでさえノーワは立つのがやっとだ。少し気を抜けば倒れてしまいそうになる。
「⋯⋯そっちから来なよ」
「〈加速〉──!」
エストとの距離をゼロにする。彼女の武器はリーチが長いことを逆手に取った判断だ。ナイフは逆に持って、そのまま突き刺す。しかし空を刺した。
ノーワの背後に剣身がある。彼女は姿勢を低くしたと同時に斜めに刃が走った。
エストの位置を予測し、ノーワは後ろに蹴りを入れる。捉えた。だが受け止められたようだ。足を捕まれ、一回転し投げられる。
「っ!」
エストが剣を振り下ろした。ノーワはそれをナイフで受け止めたが、空中で耐えられるはずもなく更に吹き飛ばされた。
訓練場の壁に背中から叩きつけられた。が痛みを感じるより先に短剣が飛んできた。エストが魔法により飛ばしたものだ。
「エスト様!? 魔法は無しのはずでは!?」
ノーワは避けながら叫んだ。もう少しずれていれば頭、心臓などの急所に突き刺さっていたであろう。
「剣術で相手してあげるとは言ったけど、魔法を使わないとは言ってないよ」
エストはノーワに迫り、剣戟を交わす。手加減していることが容易に理解できた。魔女が本気で剣を振るえば、こうして弾くこともできない。
だが、かと言って簡単にいなせるわけではなかった。手加減の具合は完璧だ。ノーワが本当に対処できる程度である。
「しまっ──」
エストの刺突攻撃を躱した時、違和感に感づいた。あんな見え見えの軌道を即座に疑えなかった。
ノーワの目の前に赤の魔法陣が展開される。しかし何も起こらない。
「はい、終わり⋯⋯私の勝ちだし、この程度なら──」
エストの顎を狙って蹴りが炸裂する。明らかな不意打ちであったにも関わらず掠りもしないのは種族間の絶対的な能力差だ。
「⋯⋯⋯⋯」
しかしまさか不意打ちしてくるとは思わなかったエストは驚きを隠せない。そんな彼女にノーワは言う。
「実戦で同じことをやっていれば、こうやって不意を付かれますよ」
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯ふふ。⋯⋯やるじゃん。流石は私の従者を言うだけはある」
ノーワはナイフを構える。その動作は先程とは何も変わらない。彼女の強さは全く変化していない。だが、
「少しはやる気になった?」
「ええ──え?」
ノーワを囲むように魔法陣が展開される。同時展開、同時行使に驚いている暇はない。急いでノーワは〈空躍〉で危機を逃れた。そうしなければ今頃彼女はまる焦げになっていただろう。下の火の海を見れば検証の必要性は存在しない。
「ちょ、エス、エスト様ぁっ!? これは駄目ですよ! 魔法使われたら何もできませんって!」
エストが投擲した剣を、ノーワは空中で受け流した。体制を崩しながら地面に落ちるも、何とか姿勢を保ったまま着地できた。
「私、最初に何言ったか忘れちゃったなぁ。私ってば天然だから!」
「それを自称する奴は天然じゃありませんし、あなた様が物忘れなんてないでしょう!」
ノーワはそう言いつつエストとの距離を詰める。だがエストがそれを許すはずない。いくつもの魔法陣が展開され、タイミングをずらされた白い光線が発射される。避けても感じる熱量。直撃は消し炭を意味することを本能で理解できる。
「ぐっ⋯⋯ら⋯⋯ああ!」
走って躱して、跳んで避けて、走って近づく。死の弾幕を潜り抜け、ノーワはエストに肉薄する。そしてナイフを両手で逆に持ち、振り下ろす。
確かに感じた肉を指す感触。確かに覚えた手応え。だが⋯⋯
「悪くない」
ノーワが突き刺したのは空だ。感触も何もかも、幻だ。
「ここまでやれるのなら認めよう」
「⋯⋯ありがとうございます」
ノーワはそこで倒れる。自分の体なのに動かせない。
「疲れ⋯⋯と言うより緊張だろうね。それから解かれた反動。私と戦ったんだ。当たり前だよ」
つまりノーワは安心しきったから、こうして体が動かせなくなったということだ。疲労はあってもそこまでではない。直に動くようになるだろう。
「⋯⋯ま、この後はキミのお仲間さんの所に行くと良い。それで話をつけてくるんだよ」
「はぁい⋯⋯わかぁりましたぁ⋯⋯」
エストは今度こそ訓練道具を片付け、ついでに気絶寸前のノーワを抱き上げて屋敷に戻る。その際にノーワはこれ以上にない羞恥心を感じたがどうしようもないため事実を受け入れる他なかった。
ノーワを彼女の部屋のベッドに置いてから、部屋を出て、
「⋯⋯予定通りに始めよう」
エストは呟く。
「これで終わらせようか」
──魔法陣を通じて。
だがそれは不幸中の幸いとも言えた。生存者を助けなくて良い、という冷酷な意味にはなるが。
「だからと言っても順調過ぎる。おかしいとは思わないか?」
アベラドが頭脳労働する部屋にて。そこにはルーク、クルーゾが同席している。机の上には公国地図が広げられていて、所々に目印の三種類の石が置かれている。赤の石は占領されている状態、青の石は奪還済み、黄色の石は現在奪還中を意味する。
大半の都市に青色の石が置かれており、次点で黄色、そして片手で数えるまでもないほどが赤色の石。
アベラドが帰還した時点で、ルークの働きによって半数以上は奪還済みだ。それを加味したとしても、この順調過ぎる進みは怪しい。
「我が采配にも優れていることは自覚しているつもりだが、ここまでではないぞ」
「不敬を承知で言わせてもらうと、その通りです。違和感がある⋯⋯いや、違和感しかない」
ルークが主導の時はもっと奪還は困難であった。いくらアベラドが天才であっても、ここまで加速させることは不可能だ。
ルークが覚えた違和感は、この不自然なまでの簡単さだ。
「敵の亜人たちは統率が取れていない。また、数が以前より少なくなり、何より『死神』を見かけない、それらしき力が行使されることもない。という報告があがっています」
他の要因もあるだろうが、『死神』の存在が消えたことは特に大きな理由だ。『死神』が一体いるだけで派遣した兵団は全滅し、エストの力を借りなければならない。
「亜人にも力で無理矢理従わされていたのが居たのだろう。『死神』が消えた今、戦う理由はない。統率が取れていないのもそうだ。絶対的な個を失った化物など、こうなって然るべきだ」
『死神』が姿を隠したのなら、前二つの理由も説明できる。
「⋯⋯ではなぜ、『死神』は姿を隠したのか。そしてなぜ、一週間後に襲撃を宣言したのか」
ルークが言う。その時、アベラドが「うむ⋯⋯」と意味ありげに答えた。
「⋯⋯陛下、なにか心当たりが?」
「⋯⋯ないと言えば嘘になるな」
アベラドは腰に携えた剣を机の上に置いた。禍々しかを感じさせる装飾が入った、美術品としては最上級のものだが実用的とは言い辛い剣だ。
紫色の鞘に入っているが、ルークとクルーゾには刃が剥き出しのままではないかと思えた。
「これは?」
「『殃戮魔剣』だ」
部屋内が静けさによって包まれる。それを聞いた瞬間からだ。それもそのはず、『殃戮魔剣』が触れたものは、例え斬れなくても問答無用で崩壊させる。故に保管には面倒な手段を取る必要があり、こうして鞘を被せたところで意味はない。
「いや。いやいやいやいや⋯⋯冗談⋯⋯ですよね?」
いつも冷静なクルーゾが慌てる姿はこれで二回目だ。
彼の予想はまるで外れている。アベラドが机に置いた剣は正しく『殃戮魔剣』である。無論、触れれば全てを崩壊させる性質は嘘偽りではない。
「これは『生きている武器』でな。我が認められているから、無闇矢鱈に崩壊させないだけだ」
「⋯⋯⋯⋯はい。そうですか」
アベラドの態度からも彼が嘘をついている様子はなかった。そういうのを判断できるクルーゾは彼が正しいことを悟り、これ以上何も言う気はなくなった。
「それで、『殃戮魔剣』が『死神』の消えた理由とどう繋がるのですか?」
ルークが話を本題へと戻した。
「『死神』は『殃戮魔剣』を求めてここを襲撃するだろう」
「⋯⋯はい?」
「ニコライツェから聞いたのだがな、『死神』がそう言っていたらしい」
嘘の可能性も考えられた。しかし、ウーテマ曰く「あの『死神』が嘘を吐くとは考えられない」らしい。
もしそれが正しいのなら、『死神』があの場にいたのにも説明がつく。ただしそれだと、
「『死神』は魔剣一つを奪うために、国一つと敵対した⋯⋯ということですか」
「まあ、そういうことだろう。魔剣は良くも悪くも厳重保管されていた。場所も秘匿され、探すことは不可能。なら全部更地にしてしまえば良いと考えるのも分からないことはない」
「壊れるとか考えないんですかね」
その論は致命的欠点── 『殃戮魔剣』は触れたものすべてを破壊する──を持つが、クルーゾは分かっていて言ったことだ。
砕け、落ちてくる瓦礫も、それに触れようとする化物も、何もかもを破壊する。崩壊してしまったものは魔剣に傷一つつけられないだろう。
「そういえば、『死神』の戦争宣言があるというのに兵士を派遣する理由を聞いても?」
ルークの質問。宣言があるのに兵士を守りにつかせず、それどころがこの事実を伝えもしない理由が彼は聞きたかった。
アベラドは半笑いになりつつ答えた。
「蟻が何匹いれば竜に勝てると思う?」
「⋯⋯⋯⋯」
「そういうことだ。一体だけでも兵団が壊滅するのに、それが現存する全員で来る。⋯⋯最早、人間の手に負えるものではない」
クルーゾは歯を噛む。しかしそれが正しいのだ。この問題はもう、魔女であるエストただ一人にしか対応できない事態である。
いや、最初からそうだった。『死神』を殺せるのは魔女だけだと、最初から魔女は言っていた。
「⋯⋯我々ができるのは、ただ一つ」
アベラドは目を細めた。『死神』と相対して生き残った数少ない人間として、宣言する。
「──祈るだけだ」
◆◆◆
「エスト様、今、なんとおっしゃいましたか?」
疲労も消え、ノーワはエストに剣の稽古をつけてもらっていた。
戦士が魔女、つまり魔法使いに剣術を教わるという、字面だけを見れば矛盾したこともエストの前ではそうならない。
そんな稽古が終わり、雑談かのように話されたものは、ノーワの耳を疑うものだった。
「なんと⋯⋯って、『死神』が来るから逃げてねと言ったよ?」
「⋯⋯違います。どうしてですか? 私じゃあ⋯⋯」
「うん。足手まといだね」
ノーワは何も言うことができなかった。しかしそこまではっきり言うことはなかったのではないかとも思った。
「ならどうして、今、稽古をつけているんですか」
「⋯⋯それはキミのためだ。『死神』を全員殺せたとしても亜人はまだ居るからね」
「⋯⋯⋯⋯」
グーラと戦ったから分かる。ノーワの実力ではあの戦いにはついていけない。それどころかエストにとってのお荷物にしかならないだろう。
合理的に考えれば、ノーワはここで降りるべきだ。
「私は⋯⋯それでも、エスト様に付いていきたいです」
「⋯⋯どうして? 死ぬかもしれないんだよ?」
エストは剣を片付けながら答えることを続ける。そこには気怠さなどの負感情は込められていなくて、心底不思議だ、という感情が含まれていた。
「私はあなた様の従者です。主を置いて、逃げることなどできません」
「⋯⋯そう。⋯⋯なら、来ると良い」
「⋯⋯え、良いのですか!?」
思わぬ返答にノーワは驚きを隠せなかった。どんな反論をエストからされるかと内心気構えていたのだ。
「どんなことを言っても駄目そうだしね」
しかしエストはそのことを理解していた。ノーワは何を言ってもついてくるだろうと。
「でも⋯⋯私の知るキミが『死神』との戦いで足手まといになることには変わらない。キミ一人だけでは無駄に死ぬことは分かりきっている。だから、こうしよう」
エストは指を二つ立てる。
「私に剣術で勝ち、実力を示す。それか頼れる人を探し、キミ一人だけでここに残らないようにする」
ノーワがエストに付いていく条件、ということだろう。無条件では無理なようだが、これでも彼女は譲歩してくれた。
「どちらか片方を満たせば認めてくれる、ということですね?」
「うん。そうだよ」
「分かりました。ならばその二つを満たします」
エストは少し笑った。ノーワもそれに釣られて──いや、返すように笑った。
「キミは私を理解しているね」
「長いこと付き合っていますから」
会話もそこまで。誠意を表すターンはこれにて終了。ここからは実力を示す段階へとノーワは足を踏み入れる。
黒いナイフではなく、ノーワが元より持っていたナイフを取り出す。対してエストは片手に純白の細剣を創造した。刺突専用ではなく、斬撃もできるように刃があった。そして何より、レイピアにしてはあまりにも剣身が長い。
「不思議そうに見るね、これのこと」
「ええ⋯⋯エスト様細身なのに、どうやって持っているんだろうって思います」
大きい剣が重いのは当然のことだ。そして勿論、長ければ長いほど持ちづらく、振り回しづらい。片手で扱うなど普通の人間には不可能だ。
「ま、だからあえてこれを作ったんだ。これから戦うのは人外。人間専用の殺し方、戦い方なんて通用しない。臨機応変に戦えるか、ってのを見たいんだ」
エストはレイピアを構える。柄を体より後ろに回し、剣先を標的に向け、姿勢を低くする構えだ。
彼女に殺意はなかった。きっとノーワが殺されることはない。しかし、威圧感は違った。実際には無い風圧を感じるほどだ。
「⋯⋯っ」
『死神』を全員相手にして勝てる、と言うのは本当のようだ。グーラとはまるで格が違った。殺意ではなく戦意。それでさえノーワは立つのがやっとだ。少し気を抜けば倒れてしまいそうになる。
「⋯⋯そっちから来なよ」
「〈加速〉──!」
エストとの距離をゼロにする。彼女の武器はリーチが長いことを逆手に取った判断だ。ナイフは逆に持って、そのまま突き刺す。しかし空を刺した。
ノーワの背後に剣身がある。彼女は姿勢を低くしたと同時に斜めに刃が走った。
エストの位置を予測し、ノーワは後ろに蹴りを入れる。捉えた。だが受け止められたようだ。足を捕まれ、一回転し投げられる。
「っ!」
エストが剣を振り下ろした。ノーワはそれをナイフで受け止めたが、空中で耐えられるはずもなく更に吹き飛ばされた。
訓練場の壁に背中から叩きつけられた。が痛みを感じるより先に短剣が飛んできた。エストが魔法により飛ばしたものだ。
「エスト様!? 魔法は無しのはずでは!?」
ノーワは避けながら叫んだ。もう少しずれていれば頭、心臓などの急所に突き刺さっていたであろう。
「剣術で相手してあげるとは言ったけど、魔法を使わないとは言ってないよ」
エストはノーワに迫り、剣戟を交わす。手加減していることが容易に理解できた。魔女が本気で剣を振るえば、こうして弾くこともできない。
だが、かと言って簡単にいなせるわけではなかった。手加減の具合は完璧だ。ノーワが本当に対処できる程度である。
「しまっ──」
エストの刺突攻撃を躱した時、違和感に感づいた。あんな見え見えの軌道を即座に疑えなかった。
ノーワの目の前に赤の魔法陣が展開される。しかし何も起こらない。
「はい、終わり⋯⋯私の勝ちだし、この程度なら──」
エストの顎を狙って蹴りが炸裂する。明らかな不意打ちであったにも関わらず掠りもしないのは種族間の絶対的な能力差だ。
「⋯⋯⋯⋯」
しかしまさか不意打ちしてくるとは思わなかったエストは驚きを隠せない。そんな彼女にノーワは言う。
「実戦で同じことをやっていれば、こうやって不意を付かれますよ」
「⋯⋯⋯⋯。⋯⋯ふふ。⋯⋯やるじゃん。流石は私の従者を言うだけはある」
ノーワはナイフを構える。その動作は先程とは何も変わらない。彼女の強さは全く変化していない。だが、
「少しはやる気になった?」
「ええ──え?」
ノーワを囲むように魔法陣が展開される。同時展開、同時行使に驚いている暇はない。急いでノーワは〈空躍〉で危機を逃れた。そうしなければ今頃彼女はまる焦げになっていただろう。下の火の海を見れば検証の必要性は存在しない。
「ちょ、エス、エスト様ぁっ!? これは駄目ですよ! 魔法使われたら何もできませんって!」
エストが投擲した剣を、ノーワは空中で受け流した。体制を崩しながら地面に落ちるも、何とか姿勢を保ったまま着地できた。
「私、最初に何言ったか忘れちゃったなぁ。私ってば天然だから!」
「それを自称する奴は天然じゃありませんし、あなた様が物忘れなんてないでしょう!」
ノーワはそう言いつつエストとの距離を詰める。だがエストがそれを許すはずない。いくつもの魔法陣が展開され、タイミングをずらされた白い光線が発射される。避けても感じる熱量。直撃は消し炭を意味することを本能で理解できる。
「ぐっ⋯⋯ら⋯⋯ああ!」
走って躱して、跳んで避けて、走って近づく。死の弾幕を潜り抜け、ノーワはエストに肉薄する。そしてナイフを両手で逆に持ち、振り下ろす。
確かに感じた肉を指す感触。確かに覚えた手応え。だが⋯⋯
「悪くない」
ノーワが突き刺したのは空だ。感触も何もかも、幻だ。
「ここまでやれるのなら認めよう」
「⋯⋯ありがとうございます」
ノーワはそこで倒れる。自分の体なのに動かせない。
「疲れ⋯⋯と言うより緊張だろうね。それから解かれた反動。私と戦ったんだ。当たり前だよ」
つまりノーワは安心しきったから、こうして体が動かせなくなったということだ。疲労はあってもそこまでではない。直に動くようになるだろう。
「⋯⋯ま、この後はキミのお仲間さんの所に行くと良い。それで話をつけてくるんだよ」
「はぁい⋯⋯わかぁりましたぁ⋯⋯」
エストは今度こそ訓練道具を片付け、ついでに気絶寸前のノーワを抱き上げて屋敷に戻る。その際にノーワはこれ以上にない羞恥心を感じたがどうしようもないため事実を受け入れる他なかった。
ノーワを彼女の部屋のベッドに置いてから、部屋を出て、
「⋯⋯予定通りに始めよう」
エストは呟く。
「これで終わらせようか」
──魔法陣を通じて。
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義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
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