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第七章「暁に至る時」
第二百六十二話 戦士
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ライティム・ドミトレス──それはエルティア公国軍の戦士長であり、最強と言われた戦士の名。しかしそれは最早、過去の事であった。
彼は一人の女のために、他の全てを捨てた。
ある日、エルティア公国に襲撃を企てる者たちが居た。彼らは取るに足らない集団──そう思っていたのが間違いだった。ひとりひとりが公国軍人と互角の戦闘力を有していた。中でも幹部と呼ばれた人間は格段に強く、それこそ公国軍の隊長が出張らなければいけないほどだ。
その際、敵の首魁が現れた。これにライティムが応戦し、勝利した。しかし辛勝であった。体のいたる所に傷という傷があり、まともに動けるのが可笑しい程だった。
ライティムを危険視していた敵は好機、かつ復讐という意味もあって現存戦力の大半をそこに割いた。
だが、それでも尚ライティムを殺し切ることはできなかった。敵の残存兵力では、もう敗戦が濃厚であったのだ。
そこで、目標をライティム本人からその家族へと移行した。彼の嫁であったアーリヤ・ドミトレスを誘拐し、ライティムを脅したのである。
要求した内容はただ一つ、敵の目的であった、『殃戮魔剣』の譲渡。触れたモノを無境に、滅ぼす禁忌の剣である。これについての情報は厳しく制限されていたはずだが、絶対ではなかったのだろう。どこからか漏れたらしい。
公国の宝か、一人の国民の命か。天秤にかければどちらが大きいかなんて分かりきった話だった。政府はそれに応じないことにした。勿論、アーリヤを見捨てる判断はせず、危険を伴うものの救出作戦も立てられた。
けれど、敵もわかっていたはずだ。公国がそんな取引に応じるわけがないと。これに気づいていたライティムは魔剣を奪った。当時の最強の戦士である彼を止めることは難しい。彼への警戒なんてできるわけがない。この二つのが原因で、魔剣の消失に気がついたときにはもう遅かった。
──が、ライティムの目の前でアーリヤは殺された。
彼は怒りで、魔剣を投げ捨てた。それが魔法的な保護から一時的に開放され、床の一部を崩壊させた。が、彼はそんなこと気にもしなかった。
ケタケタ、ゲラゲラと汚く笑う敵を、涙を浮かべながら睨んだ。「おまえのその顔が最期に見たかった」という言葉を聞く気もなく、彼は一直線に突っ込んだ。
一騎当千が成り立つこの世界において、強者たるライティムのその後など決まりきっている。最早残党兵では対処しきれない。それでも彼が敵の要求に従ったのは、嫁の命を助けるためだけでしかなかったのだ。
結局ライティムは敵を殲滅するしかなかった。憎悪と後悔を抱きながら、そこに血の海を作り出した。
魔剣を奪う際も多くの同胞を手に掛けた。一人の男の勝手な判断と行動が、多数の人間を殺した。
仲間殺し、独断行動、大量殺害兵器の無断使用。これら三つの罪を償うには、死刑でなければならなかった。が、彼の功績や実力を考えるとそうはできなかった。だから表向きは死んだことにし、実は生きていた。
それから二十年、彼は戦士時代から交友のあったノトーリス家の執事として働いた。顔も魔法で別人とし、加齢もあってもう誰も彼をライティムだとは認識できない。
今まで剣を握ることはなかったし、これからも握ることはないと思っていたのである。
そんな過去を、彼はこの刹那で思い出した。
「──ライティム・ドミトレス」
彼を夢想から呼び覚ましたのは他でもない、アインドルフだった。彼が今仕える主人たる少年は驚きの顔で彼を見た。
「⋯⋯ふむ。アインドルフ君は知らなかったようだね。いや、無理もないか」
一般の常識では、ライティムは大罪人となっている。いくら身内であっても、そう易易と知らせるわけにはいかない。
「ひとつよろしいですか、サザン様」
「私が貴方の名を知っている理由、かな?」
ライティムの疑問を察して、ルークは続ける。
「貴族として生きていくためには、何より情報が大切だ。私は他の貴族よりもそれを重視し、時間を割いた。⋯⋯貴方は自分をただの執事だと思っていたようだが、私にはそうは思えなかった」
これと言った理由はない。けれど、ルークの勘が告げていたのだ。ラトールという執事には、何か見落としてはならない秘密が隠されている、と。
今思えば疑った理由はローゼンヴェルフの態度だったのだろう。ただの執事であるラトールへの多大な信用と、まるで友人のように話すこと。外へ出かける時、護衛も付けずにラトールと歩くこと。
ルークの類稀なる感覚の鋭さは、ラトールという男を調べ上げさせたのである。
「実のところ、確証は貴方がここに来るまでなかった。ノトーリス家の情報隠蔽能力は凄まじい。私だけでは、到底暴ききれなかった」
ラトールがもしも、執事服にはまるで似合わない剣を二本、携帯していなければこんな話はしなかっただろう。
「⋯⋯それで、私を脅して何がしたいのですか?」
「君には是非、私の元で力を振るってほしい。ああ、勿論、君の正体は誰にも言わない。周りにはとても強い執事、として紹介することを約束しよう」
ライティムは二十年も前に処刑されている。名前を出せば多くの人が知っていると口にするが、顔までは覚えていない。執事がグールを虐殺したところで、誰も注目し、驚いたとしても疑問にすら思わないだろう。仮に気づいたとすれば、
「貴方の正体が知られることは、私たちとしても避けたいこと。戦力を失うことは痛手にはなる」
致命傷ではない、ということが脅しとして成り立つ理由だ。が、それは暗にサザン家もライティムの素性を隠すのに協力する──有り体に言えば、口封じを行うということだ。
「本当の貴方を知る者は、等しく湖底と口を合わせることになるでしょうね」
「⋯⋯ふふふ。サザン様、あなたのような人は敵に回したくありませんね。そうですね、アインドルフ様」
「⋯⋯え? あ、うん。サザンさんとは戦いたくない」
あまりの話の急展開についていけず、呆然としていたアインドルフは返答に遅れた。
ラトールは自らの主の許可を貰った。つまりそれは、
「そうか。ありがとう。⋯⋯ラトール・グラン。よろしく頼む」
ラトールはルークの提案を受け入れ、彼の元で力を振るうことにしたのである。
◆◆◆
『ホルース』の人気のない空き地に、アインドルフとラトールは居た。アインドルフは軽鎧を着ていたが、ラトールは執事服のままだ。そして互いに剣を持っていた。
アインドルフは両手で一本の剣を強く握り、ラトールは二本の短剣を軽く握っている。
これから行うのは模擬戦だ。実戦ほどの緊張感や、経験が積めるわけではないが無意味ではない。むしろアインドルフには丁度良い練習となる。
「アインドルフ様から始めて頂いて構いませんよ」
「わかった。じゃあ、遠慮なく」
アインドルフは右手を翳して、そこに魔法陣を展開させる。そして〈電撃〉と詠唱した。
電流は凡そ人間に見て追うことができる代物ではない。だが、進路を予測することならばできる。
流れてくる電流をラトールは躱した。かなり大きく、彼から見て右側に跳んだが体制を崩すことはなかった。すぐさまアインドルフに接近し、両手に持った短剣を上段から振り下ろす。
甲高い音が鳴り響き、剣と剣の間に火花が散る。アインドルフは顔を顰める。
(重い⋯⋯っ!)
両手を使っているのは同じことだ。確かにアインドルフはまだ十代前半で、体は成長しきっていない。が、ラトールも白髪の爺さんだ。筋力に圧倒的な差はないはずである。つまり、それだけ技量が違うのである。体重を掛ける点を一つ取っても、天と地ほどの差があった。
「〈豪腕〉!」
アインドルフは戦技を詠唱する。魔法ほど得意ではないものの、それなりに使える方だ。何とかラトールとの競り合いに勝ち、距離を取ろうとした。
「ふんっ!」
しかし、ラトールは距離を取ろうとするアインドルフに追いついて蹴りを繰り出す。狙ったのは頭部。勿論、鎧で守っている部分である。
「があっ⋯⋯」
老人の蹴りとは思えない。アインドルフは数メートル吹き飛ばされ、地面に突っ込んだ。意識が朦朧とする。鉄の守りがあってこれだ。もしも生身に直撃していたと考えると、首の骨が折れていても可笑しくない。
いや、前を見なくてはならない。ボケっとしているような暇はないのだ。
「っ!」
急いで体を起こし、魔法の〈飛行〉で後ろに飛ぶ。すると、先程までアインドルフが倒れていたところにラトールは踵落としを激突させた。地面に小さなクレータが出来上がる。
「殺す気か!?」
「当たりどころが悪くても、治癒魔法があれば死にません」
ラトールは治癒のポーションを持ってきている。それさえあれば、彼がアインドルフを殺すことはない。
これまで数々の相手と模擬戦をしてきたのだ。力加減は完璧である。故に、アインドルフは安心しきって戦うことができるという寸法である。
「それでも怖いものは怖い!」
「それに慣れることこそ強くなるための第一歩です」
ラトールは一直線にアインドルフに突っ込み、右の短剣を薙ぎ払う。殆ど無意識の反応でアインドルフは仰向けになるようにして体を曲げる。刃が顔の真上を通過し、風を斬る音がはっきりと聞こえた。
「しまっ」
ラトールは二刀流だ。間髪いれず二撃目が飛んでくる。鎧で守りきれていない部分に刃を突き立てる。灼熱の如き痛みが走る。
「実戦では傷を負ったからと言って終わるわけではありません。ですが、もう終わりますか?」
「〈火球〉」
突然の魔法行使。ラトールは反応して火球を斬り落としたが、驚いた。
「⋯⋯実際の戦いでは、敵の言葉は信じてはいけない」
ラトールは目を見開いた後に細め、そして口角を上げる。
「⋯⋯そうですね、アインドルフ様。あなたが倒れるまで、続けますか」
今度はアインドルフから仕掛ける。走って距離を詰め、剣を振るう。だが、
「もっと力を込めて」
ラトールは軽々と弾いた。そして後ろに回って勢いをつけ、アインドルフの頭部に上段蹴りを叩き込む。衝撃が伝わり、脳が震えた。それでも必死に耐えて、ラトールの足を掴んだ。
「⋯⋯!」
アインドルフはニヤリと笑った。これでラトールの動きを制限したも同然だからだ。このまま一撃打ってやると思った。けれど、ラトールはアインドルフの想定外の動きをした。
「なっ!?」
何とラトールは跳躍したのだ。そのままアインドルフの手から逃れ、上から短剣を振り下ろした。
「〈過重刺撃〉」
短剣はアインドルフに直撃することはなかった。彼が躱したからである。しかし、戦技はそう簡単に躱せるものではない。
周辺の重力が重くなり、アインドルフを地面に叩きつけた。更に斬撃が発生し、彼の体を傷つけた。
「久しく使いましたが、案外体が覚えているようですね」
効果は絶大だ。相手を重力で押さえつけて拘束し、そこに斬撃を叩き込む。効果範囲にさえ入っていればほぼ必中の技である。
「ぐ⋯⋯動⋯⋯け、ない⋯⋯」
これにて模擬戦は終了である。これ以上の戦闘続行は不可能だ。
ラトールはアインドルフに治癒のポーションを飲ませた。すると彼の傷はみるみる癒えていく。血が付着しているから分かりづらいが、完治した。
「強いですね、アインドルフ様」
勝てるわけがないとは思っていたのだが、まさかここまでやるとは思っていなかったのである。ならばそれは褒めるべきだ。
「そう⋯⋯か? はは⋯⋯僕は、強いのか⋯⋯」
けれども、誰も守れなかった。自分だけしか守れない力でしかなかった。あの場にラトールが居たのなら、家族は、皆は今も生きていたのだろうかと考える。
それは誰のせいでもない。だが強いていうのであれば、アインドルフが弱かったのが理由で死んでしまった、ということだ。
「⋯⋯強くなりたい」
力がなければ何もできない。例えどれだけ素晴らしい思想を掲げても、実現できる力がなければ無意味な理想論止まりなのである。
強くなりたい。強くならないといけない。強くなくてはならない。
「ならば、努力するしかありませんね。私は凡人でしたが、日々精進すべく鍛錬しました。そして、強くなれた」
凡人なんてのは本人が勘違いしているだけで、確実に天才であったとアインドルフは思った。だが、努力は大事だということは本当だ。
「アインドルフ様、急ぐ必要はありません。ゆっくりと、着実に歩けば良いのです。近道だけが正解ではありませんし、道中で拾えるものこそ、一番成長に繋がりますから」
アインドルフには自責の念があった。彼は事を急いだ。でも、大切なのは結果より過程であるのだ。そうだとラトールは言った。
「⋯⋯うん。そうなのかもしれない。わかった。ありがとう」
「ええ、そうです」
ラトールはアインドルフの手を掴み、引っ張って立たせた。
彼は一人の女のために、他の全てを捨てた。
ある日、エルティア公国に襲撃を企てる者たちが居た。彼らは取るに足らない集団──そう思っていたのが間違いだった。ひとりひとりが公国軍人と互角の戦闘力を有していた。中でも幹部と呼ばれた人間は格段に強く、それこそ公国軍の隊長が出張らなければいけないほどだ。
その際、敵の首魁が現れた。これにライティムが応戦し、勝利した。しかし辛勝であった。体のいたる所に傷という傷があり、まともに動けるのが可笑しい程だった。
ライティムを危険視していた敵は好機、かつ復讐という意味もあって現存戦力の大半をそこに割いた。
だが、それでも尚ライティムを殺し切ることはできなかった。敵の残存兵力では、もう敗戦が濃厚であったのだ。
そこで、目標をライティム本人からその家族へと移行した。彼の嫁であったアーリヤ・ドミトレスを誘拐し、ライティムを脅したのである。
要求した内容はただ一つ、敵の目的であった、『殃戮魔剣』の譲渡。触れたモノを無境に、滅ぼす禁忌の剣である。これについての情報は厳しく制限されていたはずだが、絶対ではなかったのだろう。どこからか漏れたらしい。
公国の宝か、一人の国民の命か。天秤にかければどちらが大きいかなんて分かりきった話だった。政府はそれに応じないことにした。勿論、アーリヤを見捨てる判断はせず、危険を伴うものの救出作戦も立てられた。
けれど、敵もわかっていたはずだ。公国がそんな取引に応じるわけがないと。これに気づいていたライティムは魔剣を奪った。当時の最強の戦士である彼を止めることは難しい。彼への警戒なんてできるわけがない。この二つのが原因で、魔剣の消失に気がついたときにはもう遅かった。
──が、ライティムの目の前でアーリヤは殺された。
彼は怒りで、魔剣を投げ捨てた。それが魔法的な保護から一時的に開放され、床の一部を崩壊させた。が、彼はそんなこと気にもしなかった。
ケタケタ、ゲラゲラと汚く笑う敵を、涙を浮かべながら睨んだ。「おまえのその顔が最期に見たかった」という言葉を聞く気もなく、彼は一直線に突っ込んだ。
一騎当千が成り立つこの世界において、強者たるライティムのその後など決まりきっている。最早残党兵では対処しきれない。それでも彼が敵の要求に従ったのは、嫁の命を助けるためだけでしかなかったのだ。
結局ライティムは敵を殲滅するしかなかった。憎悪と後悔を抱きながら、そこに血の海を作り出した。
魔剣を奪う際も多くの同胞を手に掛けた。一人の男の勝手な判断と行動が、多数の人間を殺した。
仲間殺し、独断行動、大量殺害兵器の無断使用。これら三つの罪を償うには、死刑でなければならなかった。が、彼の功績や実力を考えるとそうはできなかった。だから表向きは死んだことにし、実は生きていた。
それから二十年、彼は戦士時代から交友のあったノトーリス家の執事として働いた。顔も魔法で別人とし、加齢もあってもう誰も彼をライティムだとは認識できない。
今まで剣を握ることはなかったし、これからも握ることはないと思っていたのである。
そんな過去を、彼はこの刹那で思い出した。
「──ライティム・ドミトレス」
彼を夢想から呼び覚ましたのは他でもない、アインドルフだった。彼が今仕える主人たる少年は驚きの顔で彼を見た。
「⋯⋯ふむ。アインドルフ君は知らなかったようだね。いや、無理もないか」
一般の常識では、ライティムは大罪人となっている。いくら身内であっても、そう易易と知らせるわけにはいかない。
「ひとつよろしいですか、サザン様」
「私が貴方の名を知っている理由、かな?」
ライティムの疑問を察して、ルークは続ける。
「貴族として生きていくためには、何より情報が大切だ。私は他の貴族よりもそれを重視し、時間を割いた。⋯⋯貴方は自分をただの執事だと思っていたようだが、私にはそうは思えなかった」
これと言った理由はない。けれど、ルークの勘が告げていたのだ。ラトールという執事には、何か見落としてはならない秘密が隠されている、と。
今思えば疑った理由はローゼンヴェルフの態度だったのだろう。ただの執事であるラトールへの多大な信用と、まるで友人のように話すこと。外へ出かける時、護衛も付けずにラトールと歩くこと。
ルークの類稀なる感覚の鋭さは、ラトールという男を調べ上げさせたのである。
「実のところ、確証は貴方がここに来るまでなかった。ノトーリス家の情報隠蔽能力は凄まじい。私だけでは、到底暴ききれなかった」
ラトールがもしも、執事服にはまるで似合わない剣を二本、携帯していなければこんな話はしなかっただろう。
「⋯⋯それで、私を脅して何がしたいのですか?」
「君には是非、私の元で力を振るってほしい。ああ、勿論、君の正体は誰にも言わない。周りにはとても強い執事、として紹介することを約束しよう」
ライティムは二十年も前に処刑されている。名前を出せば多くの人が知っていると口にするが、顔までは覚えていない。執事がグールを虐殺したところで、誰も注目し、驚いたとしても疑問にすら思わないだろう。仮に気づいたとすれば、
「貴方の正体が知られることは、私たちとしても避けたいこと。戦力を失うことは痛手にはなる」
致命傷ではない、ということが脅しとして成り立つ理由だ。が、それは暗にサザン家もライティムの素性を隠すのに協力する──有り体に言えば、口封じを行うということだ。
「本当の貴方を知る者は、等しく湖底と口を合わせることになるでしょうね」
「⋯⋯ふふふ。サザン様、あなたのような人は敵に回したくありませんね。そうですね、アインドルフ様」
「⋯⋯え? あ、うん。サザンさんとは戦いたくない」
あまりの話の急展開についていけず、呆然としていたアインドルフは返答に遅れた。
ラトールは自らの主の許可を貰った。つまりそれは、
「そうか。ありがとう。⋯⋯ラトール・グラン。よろしく頼む」
ラトールはルークの提案を受け入れ、彼の元で力を振るうことにしたのである。
◆◆◆
『ホルース』の人気のない空き地に、アインドルフとラトールは居た。アインドルフは軽鎧を着ていたが、ラトールは執事服のままだ。そして互いに剣を持っていた。
アインドルフは両手で一本の剣を強く握り、ラトールは二本の短剣を軽く握っている。
これから行うのは模擬戦だ。実戦ほどの緊張感や、経験が積めるわけではないが無意味ではない。むしろアインドルフには丁度良い練習となる。
「アインドルフ様から始めて頂いて構いませんよ」
「わかった。じゃあ、遠慮なく」
アインドルフは右手を翳して、そこに魔法陣を展開させる。そして〈電撃〉と詠唱した。
電流は凡そ人間に見て追うことができる代物ではない。だが、進路を予測することならばできる。
流れてくる電流をラトールは躱した。かなり大きく、彼から見て右側に跳んだが体制を崩すことはなかった。すぐさまアインドルフに接近し、両手に持った短剣を上段から振り下ろす。
甲高い音が鳴り響き、剣と剣の間に火花が散る。アインドルフは顔を顰める。
(重い⋯⋯っ!)
両手を使っているのは同じことだ。確かにアインドルフはまだ十代前半で、体は成長しきっていない。が、ラトールも白髪の爺さんだ。筋力に圧倒的な差はないはずである。つまり、それだけ技量が違うのである。体重を掛ける点を一つ取っても、天と地ほどの差があった。
「〈豪腕〉!」
アインドルフは戦技を詠唱する。魔法ほど得意ではないものの、それなりに使える方だ。何とかラトールとの競り合いに勝ち、距離を取ろうとした。
「ふんっ!」
しかし、ラトールは距離を取ろうとするアインドルフに追いついて蹴りを繰り出す。狙ったのは頭部。勿論、鎧で守っている部分である。
「があっ⋯⋯」
老人の蹴りとは思えない。アインドルフは数メートル吹き飛ばされ、地面に突っ込んだ。意識が朦朧とする。鉄の守りがあってこれだ。もしも生身に直撃していたと考えると、首の骨が折れていても可笑しくない。
いや、前を見なくてはならない。ボケっとしているような暇はないのだ。
「っ!」
急いで体を起こし、魔法の〈飛行〉で後ろに飛ぶ。すると、先程までアインドルフが倒れていたところにラトールは踵落としを激突させた。地面に小さなクレータが出来上がる。
「殺す気か!?」
「当たりどころが悪くても、治癒魔法があれば死にません」
ラトールは治癒のポーションを持ってきている。それさえあれば、彼がアインドルフを殺すことはない。
これまで数々の相手と模擬戦をしてきたのだ。力加減は完璧である。故に、アインドルフは安心しきって戦うことができるという寸法である。
「それでも怖いものは怖い!」
「それに慣れることこそ強くなるための第一歩です」
ラトールは一直線にアインドルフに突っ込み、右の短剣を薙ぎ払う。殆ど無意識の反応でアインドルフは仰向けになるようにして体を曲げる。刃が顔の真上を通過し、風を斬る音がはっきりと聞こえた。
「しまっ」
ラトールは二刀流だ。間髪いれず二撃目が飛んでくる。鎧で守りきれていない部分に刃を突き立てる。灼熱の如き痛みが走る。
「実戦では傷を負ったからと言って終わるわけではありません。ですが、もう終わりますか?」
「〈火球〉」
突然の魔法行使。ラトールは反応して火球を斬り落としたが、驚いた。
「⋯⋯実際の戦いでは、敵の言葉は信じてはいけない」
ラトールは目を見開いた後に細め、そして口角を上げる。
「⋯⋯そうですね、アインドルフ様。あなたが倒れるまで、続けますか」
今度はアインドルフから仕掛ける。走って距離を詰め、剣を振るう。だが、
「もっと力を込めて」
ラトールは軽々と弾いた。そして後ろに回って勢いをつけ、アインドルフの頭部に上段蹴りを叩き込む。衝撃が伝わり、脳が震えた。それでも必死に耐えて、ラトールの足を掴んだ。
「⋯⋯!」
アインドルフはニヤリと笑った。これでラトールの動きを制限したも同然だからだ。このまま一撃打ってやると思った。けれど、ラトールはアインドルフの想定外の動きをした。
「なっ!?」
何とラトールは跳躍したのだ。そのままアインドルフの手から逃れ、上から短剣を振り下ろした。
「〈過重刺撃〉」
短剣はアインドルフに直撃することはなかった。彼が躱したからである。しかし、戦技はそう簡単に躱せるものではない。
周辺の重力が重くなり、アインドルフを地面に叩きつけた。更に斬撃が発生し、彼の体を傷つけた。
「久しく使いましたが、案外体が覚えているようですね」
効果は絶大だ。相手を重力で押さえつけて拘束し、そこに斬撃を叩き込む。効果範囲にさえ入っていればほぼ必中の技である。
「ぐ⋯⋯動⋯⋯け、ない⋯⋯」
これにて模擬戦は終了である。これ以上の戦闘続行は不可能だ。
ラトールはアインドルフに治癒のポーションを飲ませた。すると彼の傷はみるみる癒えていく。血が付着しているから分かりづらいが、完治した。
「強いですね、アインドルフ様」
勝てるわけがないとは思っていたのだが、まさかここまでやるとは思っていなかったのである。ならばそれは褒めるべきだ。
「そう⋯⋯か? はは⋯⋯僕は、強いのか⋯⋯」
けれども、誰も守れなかった。自分だけしか守れない力でしかなかった。あの場にラトールが居たのなら、家族は、皆は今も生きていたのだろうかと考える。
それは誰のせいでもない。だが強いていうのであれば、アインドルフが弱かったのが理由で死んでしまった、ということだ。
「⋯⋯強くなりたい」
力がなければ何もできない。例えどれだけ素晴らしい思想を掲げても、実現できる力がなければ無意味な理想論止まりなのである。
強くなりたい。強くならないといけない。強くなくてはならない。
「ならば、努力するしかありませんね。私は凡人でしたが、日々精進すべく鍛錬しました。そして、強くなれた」
凡人なんてのは本人が勘違いしているだけで、確実に天才であったとアインドルフは思った。だが、努力は大事だということは本当だ。
「アインドルフ様、急ぐ必要はありません。ゆっくりと、着実に歩けば良いのです。近道だけが正解ではありませんし、道中で拾えるものこそ、一番成長に繋がりますから」
アインドルフには自責の念があった。彼は事を急いだ。でも、大切なのは結果より過程であるのだ。そうだとラトールは言った。
「⋯⋯うん。そうなのかもしれない。わかった。ありがとう」
「ええ、そうです」
ラトールはアインドルフの手を掴み、引っ張って立たせた。
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