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第七章「暁に至る時」
第二百五十九話 二者択一
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信じられない言葉。しかし魔女が言うのだ。疑うに値するかどうかは審議にもかけられない。最初から、それこそ嘘偽りない事実である。
確認作業には一日も費やさなかった。一時間歩き回るくらいでもう察していた。三時間も歩けば、グールが全て潰されて死んでいることぐらい理解できた。
唯一生きているグールも居るには居た。だがそいつはエストがわざと生き残らせたサンプルである。眠らせ、拘束されている。移動もできない。そんな状態だ。
「何がなんだか」
エルドットは状況を把握できないまま、帰路についていた。どこかで思っていた死の未来。それは見事に外れている。生きていることに失望したわけではない。別段、誇り高い子を迎えたかったわけでもない。
ただ、ひとつだけ理解できることがあった。それは魔女の力を借りたということだ。さぞ高くつくだろう。
「それで、ラインリヒ隊長。貴公はあの魔女のことどう思う」
ハルトに話しかけるエルドット。何用かと呼ばれて来てみれば、当然の会話であった。誰でもあの危険因子そのものに関心を寄せ、警戒を怠る愚行はせぬだろう。
が、ハルトはエストについて悪く言うつもりはない。言えるはずがない。彼は彼だけでなく、彼女の視界内の全てが人質である事実を知っているのだから。
「⋯⋯。背中を預けることは危ない。だが、無視することもできないし、信用することが唯一の生き残る術であることも考慮すべき。団長、俺たちの命はあの魔女に握られているも同然だぜ」
それが文字通りの意味であることはエルドットには分からなかった。しかしながら比喩表現と受け取っても、大した解釈違いにはならない。どちらにせよ、エストの機嫌を損ねることが自分たちの死に繋がる。
「なるほど。信用するしかない⋯⋯か」
「ああ。信用せざるを得なくて、信用しても良い。安心はできるぜ。少なくとも、目の前の敵には脅かされない」
内に爆弾を抱えているようなものだ。が、同時に目の前の敵を滅ぼす力でもある。危険性と安心のトレードだ。制御不能という意味であれば、利益はマイナスとなる取引ではあるが。
話もそこで終わる。大した話題もなく馬を走らせ続けた。
風を切り進む。道中、野生の魔物に襲われることはなかった。太陽が山の陰に隠れた頃、ようやく彼らは帰還した。
たった一日とは言え、色んなことがあり過ぎた。疲れは尋常ではなく、今すぐにでもベットに飛び込みたい。しかし、その前にやるべきことがあった。
「エスト殿、来てもらいたいところがある。付いてきてもらえるかな?」
「いいよ。キミらの上だね」
馬を厩舎に戻してからエルドットはエストの元を訪ねた。
これから向かうのはルークの所である。今、エルドットたちは彼の指示に従っている。つまり彼がこの軍の指揮官。長であるのだ。
報告、連絡、相談。エストの存在を伝えるのは、早ければ早いほど良い。
「──ここなのよね?」
「ああ。⋯⋯って」
ルークの私室に到着したと同時にエストはエルドットの前に出て、扉を蹴り破った。突然の蛮行。躊躇いなく行われる危険行為。突然牙を見せた狼に、彼は混乱した。その後に魔法をぶっ放すものだから、彼の反応には大幅なラグができた。
「何をしている!?」
「見たほうが早いよ」
エルドットは部屋を見渡す。
そこには、血塗れのルークが椅子に座っていた。特に背中が真っ赤である。だがよく見れば彼に傷はない。胴体が真っ二つになっているわけではないのだ。
「吸血鬼だよ。そこの奴ね。多分、ウィンズからこっちに来たんじゃないかな。キミらとは入れ違いになったようだ」
ルークの背後には頭部がグチャグチャになって、原型を留めない、やけに血気の悪い人の死体が転がっている。口元を見れば犬歯がやけに長く鋭く、目は紅くて、耳も人間というよりはエルフに近い形状をしていた。そう、吸血鬼である。
「さて、話をしようか」
吸血鬼に命を狙われたことに焦ったり、恐怖する暇さえ与えられない。ルークは返り血を浴びたまま、エストに話しかけられた。
「私はキミたちと『契約』しようと考えている。キミたちの国を死神──この騒動の犯人から守る代わりに、私に権利を認めることだよ」
「権利⋯⋯か」
「そう。公国に王は居ないけど、どうせこれから有力な貴族を集めて相談でもするんでしょ? その際の発言権とか、騒動が終わった後でも政治に携わる権利さ」
エストが望むのはただの英雄ではない。見返りに求めるのは、この国における貴族と同等の扱いを受ける権利である。即ち、
「あなたは公にでもなる気ですかな?」
「一国の長になる気はないよ。発言力のある立場になりたいだけさ」
最上位の権力が欲しいわけではない。それには責任が伴うからだ。公とは貴族の頂点。エストの性格的になりたくないものの代表例である。だが、権限は欲しかった。
「我儘ですね」
「そう? ⋯⋯で、どうなの? このままキミたちだけでやるの? それとも、私の力を借りる?」
利子は高くつくだろう。それも低い利子ではない。エストの望みがなんであるかにもよるが、公国が衰退の一途を辿ることになるかもしれない。
しかし──、
「⋯⋯あなたの主張、今度の貴族会議にて支持しましょう」
ルーク個人では、やはり決められるものではなかった。良く言えば慎重、悪く言えば責任を取りたくないから先延ばしにする。
「それは良かった。ま、それまでは善意で働くことにしよう」
とは言うが、実際のところはエストの力がいかに偉大であるかを示すためだ。そうすれば多少は彼女の価値を理解され、主張が通しやすくなるだろう。
「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私はルーク・オルトナ・ゼインスターズ・サザンと申します」
「エスト。ただのエストだよ。よろしくね」
◆◆◆
エルフのような長く尖った耳。そして、肩甲骨のあたりから生えている一対の漆黒の翼。開けば三メートルはありそうなものだ。
背丈や体の作りから察するに、少女なのだろう。仮面に隠れている顔は一体どんなものなのか。不思議と、可憐なのだろうと思える雰囲気があった。
「──それで終わりか?」
少女は目の前でうつ伏せに倒れている褐色で黒髪の男にそう言い放った。彼女の右手にあった刀が砂のようになって蒸発する。
「選べ。私の配下となるか、死ぬか」
男は何とかといったふうに顔を上げ、少女と目を合わせる。口は動かない。しかし、目ではっきり答えた。だから少女は「そうか」とだけ言った。
「ならば、これをお前に渡そう」
少女は自らの能力で剣を作った。そして、それを男の側に突き刺した。剣は男が持っていたもの──現在は折れていて使い物にならない──によく似ている。
「ふふふ。それでこそ、戦士だ」
男は立ち上がった。
褐色の肌には古傷が多くあった。中でも目立つのは左目にある傷だ。つまり、彼は隻眼であった。
血が滲んでいるエルティア公国軍の軍服を身に着けた男は、少女から渡された剣を両手に持ち、構える。
彼女は再び右手に刀を出現させた。それから「訳あって名乗れない。だからこれは私の愛称になるのだが」と前置きしてから言う。
「──セレナ」
セレナ──セレディナは両親から実際に呼ばれていた愛称を名乗った。戦士の流儀としては許されないかもしれないことだ。しかし本名は言えない。だからせめて、名という意味では間違っていないものを名乗った。
「──ヴェルム・エインシス」
例え本名でなくても名乗りは名乗りである。ならば男も名乗らなければならない。
つい先日から、エルティア公国は自らを『死神』と言う集団に襲われた。彼らはグールを始めとした多種多様の怪物を従え、公国の各都市を殲滅していった。ヴェルムはそんな公国の都市、『カプラス』にて化物の軍勢を迎撃した。
最初こそヴェルムたちは優勢だった。だが、ある瞬間から一気に戦況は覆された。歴戦の猛者たちは次々と殺されていったのだ。たった一人の少女相手に、誰も手足を出せずに一方的に殺されていった。
ヴェルムはその少女、セレディナを相手にしたが結果は先程の光景の通り、歯が立たなかった。
「お前は強い、本当に。殺すのが惜しいな。この戦いに私が勝てば、お前を配下にしたいぐらいだ」
「すまない。やはりその誘いには乗れない」
「ああ、構わない。私だって無理矢理配下に加えたいとは思わない。これ以上誘うつもりもない」
ヴェルム・エインシス。エルティア公国最強の剣士。彼は今、一か八かの大勝負に出ようとしていた。
彼の家に代々伝わる奥義。門外不出の戦技。魔法で言うところの独自魔法にあたるもの。それをヴェルムはセレディナに行使すると決心した。違う。セレディナが相手だからこそ使えると理解したのだ。
この戦技は体にかかる負荷が大きく、少しでも制御を誤れば行動不能となる。下手をすれば寿命を削りかねないとされる技だ。だから、これまでヴェルムはこの戦技を使ったことがなかった。
何かしらの大技を出すとセレディナは察した。しかし動かなかった。正面から彼の奥義を受けて立つと決めたのである。それは戦士であるからだ。
「いくぞ」
ヴェルムの生命力が沸き立つ。緊張感が、この戦場となった都市に張り詰める。
「──〈天地葬灼刃〉」
彼の剣が炎を纏い、そして炎そのものが刃となる。揺らめく刀身。それは蜃気楼。光を屈折させるほどの熱が、剣身に宿っている。ヴェルムさえも熱に当てられ、体温が上昇するほどだ。しかし、その上昇幅は刃だけが理由ではない。戦技自体に、使用者の肉体能力の強化がある。でなければこんな戦技、人間には使えない。
「ほう。それがお前の切札か」
ヴェルムの姿が消える。セレディナはそれを追うことができた。が、予想より遥かに速かった。両手に持った剣による薙ぎ払い。炎の軌道が描かれ、空気を燃やす。
セレディナはそれを避けた。避けなければならないと理解した。そして今、彼は自分の領域にいると確信した。
「素晴らしい」
ヴェルムの全力の剣戟を躱す。回避しきれないものは刀で弾く。その度にセレディナの腕に衝撃が伝わった。
人間とは思えない強さだ。思っていたよりも、ヴェルムの切り札はセレディナを追い詰められる。
「────」
セレディナはヴェルムの剣を受け止め、蹴りつける。ノックバックした彼に迫り、刀を振り下ろす。しかし直前のところで受け止められ、筋力の対抗となった。
勝利したのはセレディナだった。いくら力が強くなってもヴェルムという人間はセレディナという吸血鬼に僅かに勝てなかった。が、振り下ろされた刃は石畳を切断する。
「っ!」
ヴェルムの剣がセレディナの首を狙う。彼女は翼を器用に使って後方に飛び、躱しつつ彼から距離を取った。そして、彼女は両手に刀を持った。
「⋯⋯二刀流。本気、ということか」
セレディナの本来の戦い方は二刀流。片手であった今までは本気ではなかったということらしい。それを証明するようにセレディナの手数は分かりやすく二倍となった。
刀と剣の刃同士の衝突音が何度も何度も響く。技量も力量も両者ともにほぼ互角。故に決定打がなく、勝敗は見えてこない。
「くっ!」
セレディナの斬撃の嵐が舞ったかと思えば、次の瞬間には攻守逆転。ヴェルムの豪快な剣技が繰り広げられる。互いの刃は互いを斬ることなく、足技などの小技が攻撃になってしまっている。その点ではセレディナが上回っていたようだ。
だがヴェルムの胆力は凄まじく、何度セレディナの本気の蹴りを受けても立っている。
これでは一向に埒が開かない。セレディナはそう思った。
「⋯⋯はあ、はあ、はあ」
その時だった、ヴェルムが過呼吸となっていることに気づいたのは。
「どうした? 疲れたのか?」
アンデットのセレディナには疲労らしい疲労はこれまでなかった。が、人間は違う。彼らの体力には限度があり、いつまでも戦い続けられるわけではなかった。
「そう、みたいだな⋯⋯だが、まだ──」
ヴェルムは走れなかった。その場で躓いたかのように倒れる。痛みはない。疲労だけだ。いや、その疲労が何よりもの原因だった。全速力で少しばかり走った程度の疲労が、どんどん酷くなっている。呼吸の回数は一秒ごとに増えていく。心臓の鼓動も加速していく。しかし、体には力が入らない。酸素も足りない。冷や汗が流れる。目眩がする。目が見えない。ぼやける。
制限時間はもう、過ぎたようだ。魔王の領域に踏み込んだ代償がこれだ。いくら短時間でも、不可能を可能にしたのだから相応だ。
「終わりのようだな、ヴェルム・エインシス」
唯一、代償として支払わなくてよかった聴覚が、セレディナの声を鮮明なままヴェルムに届けた。
そうだ、これで終わりだ。ヴェルムは負けた、戦士として、セレディナという少女に。
後悔はない。潔く、ここで死ぬ。足掻きもせず、戦士らしく死ぬ。それがヴェルムの最期の願いだった。
「ああ⋯⋯この身が焼かれる前に、セレナ、その剣で俺を殺してくれ」
情けでも何でもなく、礼儀としてセレディナは刀でヴェルムの首を刎ねようとした。
しかし、セレディナの腕はその時、切断された。
「キミが今回の騒動の主犯ね」
戦士の処刑に水を差したのは、白髪の少女だった。彼女の左手に展開されていた白色の魔法陣が閉止してから、セレディナの切断された腕は再生した。
「⋯⋯白の魔女、エスト」
「⋯⋯⋯⋯」
エストとセレディナは睨み合う。
それが、ヴェルムの意識が途切れる前、最後に見た光景だった──。
確認作業には一日も費やさなかった。一時間歩き回るくらいでもう察していた。三時間も歩けば、グールが全て潰されて死んでいることぐらい理解できた。
唯一生きているグールも居るには居た。だがそいつはエストがわざと生き残らせたサンプルである。眠らせ、拘束されている。移動もできない。そんな状態だ。
「何がなんだか」
エルドットは状況を把握できないまま、帰路についていた。どこかで思っていた死の未来。それは見事に外れている。生きていることに失望したわけではない。別段、誇り高い子を迎えたかったわけでもない。
ただ、ひとつだけ理解できることがあった。それは魔女の力を借りたということだ。さぞ高くつくだろう。
「それで、ラインリヒ隊長。貴公はあの魔女のことどう思う」
ハルトに話しかけるエルドット。何用かと呼ばれて来てみれば、当然の会話であった。誰でもあの危険因子そのものに関心を寄せ、警戒を怠る愚行はせぬだろう。
が、ハルトはエストについて悪く言うつもりはない。言えるはずがない。彼は彼だけでなく、彼女の視界内の全てが人質である事実を知っているのだから。
「⋯⋯。背中を預けることは危ない。だが、無視することもできないし、信用することが唯一の生き残る術であることも考慮すべき。団長、俺たちの命はあの魔女に握られているも同然だぜ」
それが文字通りの意味であることはエルドットには分からなかった。しかしながら比喩表現と受け取っても、大した解釈違いにはならない。どちらにせよ、エストの機嫌を損ねることが自分たちの死に繋がる。
「なるほど。信用するしかない⋯⋯か」
「ああ。信用せざるを得なくて、信用しても良い。安心はできるぜ。少なくとも、目の前の敵には脅かされない」
内に爆弾を抱えているようなものだ。が、同時に目の前の敵を滅ぼす力でもある。危険性と安心のトレードだ。制御不能という意味であれば、利益はマイナスとなる取引ではあるが。
話もそこで終わる。大した話題もなく馬を走らせ続けた。
風を切り進む。道中、野生の魔物に襲われることはなかった。太陽が山の陰に隠れた頃、ようやく彼らは帰還した。
たった一日とは言え、色んなことがあり過ぎた。疲れは尋常ではなく、今すぐにでもベットに飛び込みたい。しかし、その前にやるべきことがあった。
「エスト殿、来てもらいたいところがある。付いてきてもらえるかな?」
「いいよ。キミらの上だね」
馬を厩舎に戻してからエルドットはエストの元を訪ねた。
これから向かうのはルークの所である。今、エルドットたちは彼の指示に従っている。つまり彼がこの軍の指揮官。長であるのだ。
報告、連絡、相談。エストの存在を伝えるのは、早ければ早いほど良い。
「──ここなのよね?」
「ああ。⋯⋯って」
ルークの私室に到着したと同時にエストはエルドットの前に出て、扉を蹴り破った。突然の蛮行。躊躇いなく行われる危険行為。突然牙を見せた狼に、彼は混乱した。その後に魔法をぶっ放すものだから、彼の反応には大幅なラグができた。
「何をしている!?」
「見たほうが早いよ」
エルドットは部屋を見渡す。
そこには、血塗れのルークが椅子に座っていた。特に背中が真っ赤である。だがよく見れば彼に傷はない。胴体が真っ二つになっているわけではないのだ。
「吸血鬼だよ。そこの奴ね。多分、ウィンズからこっちに来たんじゃないかな。キミらとは入れ違いになったようだ」
ルークの背後には頭部がグチャグチャになって、原型を留めない、やけに血気の悪い人の死体が転がっている。口元を見れば犬歯がやけに長く鋭く、目は紅くて、耳も人間というよりはエルフに近い形状をしていた。そう、吸血鬼である。
「さて、話をしようか」
吸血鬼に命を狙われたことに焦ったり、恐怖する暇さえ与えられない。ルークは返り血を浴びたまま、エストに話しかけられた。
「私はキミたちと『契約』しようと考えている。キミたちの国を死神──この騒動の犯人から守る代わりに、私に権利を認めることだよ」
「権利⋯⋯か」
「そう。公国に王は居ないけど、どうせこれから有力な貴族を集めて相談でもするんでしょ? その際の発言権とか、騒動が終わった後でも政治に携わる権利さ」
エストが望むのはただの英雄ではない。見返りに求めるのは、この国における貴族と同等の扱いを受ける権利である。即ち、
「あなたは公にでもなる気ですかな?」
「一国の長になる気はないよ。発言力のある立場になりたいだけさ」
最上位の権力が欲しいわけではない。それには責任が伴うからだ。公とは貴族の頂点。エストの性格的になりたくないものの代表例である。だが、権限は欲しかった。
「我儘ですね」
「そう? ⋯⋯で、どうなの? このままキミたちだけでやるの? それとも、私の力を借りる?」
利子は高くつくだろう。それも低い利子ではない。エストの望みがなんであるかにもよるが、公国が衰退の一途を辿ることになるかもしれない。
しかし──、
「⋯⋯あなたの主張、今度の貴族会議にて支持しましょう」
ルーク個人では、やはり決められるものではなかった。良く言えば慎重、悪く言えば責任を取りたくないから先延ばしにする。
「それは良かった。ま、それまでは善意で働くことにしよう」
とは言うが、実際のところはエストの力がいかに偉大であるかを示すためだ。そうすれば多少は彼女の価値を理解され、主張が通しやすくなるだろう。
「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私はルーク・オルトナ・ゼインスターズ・サザンと申します」
「エスト。ただのエストだよ。よろしくね」
◆◆◆
エルフのような長く尖った耳。そして、肩甲骨のあたりから生えている一対の漆黒の翼。開けば三メートルはありそうなものだ。
背丈や体の作りから察するに、少女なのだろう。仮面に隠れている顔は一体どんなものなのか。不思議と、可憐なのだろうと思える雰囲気があった。
「──それで終わりか?」
少女は目の前でうつ伏せに倒れている褐色で黒髪の男にそう言い放った。彼女の右手にあった刀が砂のようになって蒸発する。
「選べ。私の配下となるか、死ぬか」
男は何とかといったふうに顔を上げ、少女と目を合わせる。口は動かない。しかし、目ではっきり答えた。だから少女は「そうか」とだけ言った。
「ならば、これをお前に渡そう」
少女は自らの能力で剣を作った。そして、それを男の側に突き刺した。剣は男が持っていたもの──現在は折れていて使い物にならない──によく似ている。
「ふふふ。それでこそ、戦士だ」
男は立ち上がった。
褐色の肌には古傷が多くあった。中でも目立つのは左目にある傷だ。つまり、彼は隻眼であった。
血が滲んでいるエルティア公国軍の軍服を身に着けた男は、少女から渡された剣を両手に持ち、構える。
彼女は再び右手に刀を出現させた。それから「訳あって名乗れない。だからこれは私の愛称になるのだが」と前置きしてから言う。
「──セレナ」
セレナ──セレディナは両親から実際に呼ばれていた愛称を名乗った。戦士の流儀としては許されないかもしれないことだ。しかし本名は言えない。だからせめて、名という意味では間違っていないものを名乗った。
「──ヴェルム・エインシス」
例え本名でなくても名乗りは名乗りである。ならば男も名乗らなければならない。
つい先日から、エルティア公国は自らを『死神』と言う集団に襲われた。彼らはグールを始めとした多種多様の怪物を従え、公国の各都市を殲滅していった。ヴェルムはそんな公国の都市、『カプラス』にて化物の軍勢を迎撃した。
最初こそヴェルムたちは優勢だった。だが、ある瞬間から一気に戦況は覆された。歴戦の猛者たちは次々と殺されていったのだ。たった一人の少女相手に、誰も手足を出せずに一方的に殺されていった。
ヴェルムはその少女、セレディナを相手にしたが結果は先程の光景の通り、歯が立たなかった。
「お前は強い、本当に。殺すのが惜しいな。この戦いに私が勝てば、お前を配下にしたいぐらいだ」
「すまない。やはりその誘いには乗れない」
「ああ、構わない。私だって無理矢理配下に加えたいとは思わない。これ以上誘うつもりもない」
ヴェルム・エインシス。エルティア公国最強の剣士。彼は今、一か八かの大勝負に出ようとしていた。
彼の家に代々伝わる奥義。門外不出の戦技。魔法で言うところの独自魔法にあたるもの。それをヴェルムはセレディナに行使すると決心した。違う。セレディナが相手だからこそ使えると理解したのだ。
この戦技は体にかかる負荷が大きく、少しでも制御を誤れば行動不能となる。下手をすれば寿命を削りかねないとされる技だ。だから、これまでヴェルムはこの戦技を使ったことがなかった。
何かしらの大技を出すとセレディナは察した。しかし動かなかった。正面から彼の奥義を受けて立つと決めたのである。それは戦士であるからだ。
「いくぞ」
ヴェルムの生命力が沸き立つ。緊張感が、この戦場となった都市に張り詰める。
「──〈天地葬灼刃〉」
彼の剣が炎を纏い、そして炎そのものが刃となる。揺らめく刀身。それは蜃気楼。光を屈折させるほどの熱が、剣身に宿っている。ヴェルムさえも熱に当てられ、体温が上昇するほどだ。しかし、その上昇幅は刃だけが理由ではない。戦技自体に、使用者の肉体能力の強化がある。でなければこんな戦技、人間には使えない。
「ほう。それがお前の切札か」
ヴェルムの姿が消える。セレディナはそれを追うことができた。が、予想より遥かに速かった。両手に持った剣による薙ぎ払い。炎の軌道が描かれ、空気を燃やす。
セレディナはそれを避けた。避けなければならないと理解した。そして今、彼は自分の領域にいると確信した。
「素晴らしい」
ヴェルムの全力の剣戟を躱す。回避しきれないものは刀で弾く。その度にセレディナの腕に衝撃が伝わった。
人間とは思えない強さだ。思っていたよりも、ヴェルムの切り札はセレディナを追い詰められる。
「────」
セレディナはヴェルムの剣を受け止め、蹴りつける。ノックバックした彼に迫り、刀を振り下ろす。しかし直前のところで受け止められ、筋力の対抗となった。
勝利したのはセレディナだった。いくら力が強くなってもヴェルムという人間はセレディナという吸血鬼に僅かに勝てなかった。が、振り下ろされた刃は石畳を切断する。
「っ!」
ヴェルムの剣がセレディナの首を狙う。彼女は翼を器用に使って後方に飛び、躱しつつ彼から距離を取った。そして、彼女は両手に刀を持った。
「⋯⋯二刀流。本気、ということか」
セレディナの本来の戦い方は二刀流。片手であった今までは本気ではなかったということらしい。それを証明するようにセレディナの手数は分かりやすく二倍となった。
刀と剣の刃同士の衝突音が何度も何度も響く。技量も力量も両者ともにほぼ互角。故に決定打がなく、勝敗は見えてこない。
「くっ!」
セレディナの斬撃の嵐が舞ったかと思えば、次の瞬間には攻守逆転。ヴェルムの豪快な剣技が繰り広げられる。互いの刃は互いを斬ることなく、足技などの小技が攻撃になってしまっている。その点ではセレディナが上回っていたようだ。
だがヴェルムの胆力は凄まじく、何度セレディナの本気の蹴りを受けても立っている。
これでは一向に埒が開かない。セレディナはそう思った。
「⋯⋯はあ、はあ、はあ」
その時だった、ヴェルムが過呼吸となっていることに気づいたのは。
「どうした? 疲れたのか?」
アンデットのセレディナには疲労らしい疲労はこれまでなかった。が、人間は違う。彼らの体力には限度があり、いつまでも戦い続けられるわけではなかった。
「そう、みたいだな⋯⋯だが、まだ──」
ヴェルムは走れなかった。その場で躓いたかのように倒れる。痛みはない。疲労だけだ。いや、その疲労が何よりもの原因だった。全速力で少しばかり走った程度の疲労が、どんどん酷くなっている。呼吸の回数は一秒ごとに増えていく。心臓の鼓動も加速していく。しかし、体には力が入らない。酸素も足りない。冷や汗が流れる。目眩がする。目が見えない。ぼやける。
制限時間はもう、過ぎたようだ。魔王の領域に踏み込んだ代償がこれだ。いくら短時間でも、不可能を可能にしたのだから相応だ。
「終わりのようだな、ヴェルム・エインシス」
唯一、代償として支払わなくてよかった聴覚が、セレディナの声を鮮明なままヴェルムに届けた。
そうだ、これで終わりだ。ヴェルムは負けた、戦士として、セレディナという少女に。
後悔はない。潔く、ここで死ぬ。足掻きもせず、戦士らしく死ぬ。それがヴェルムの最期の願いだった。
「ああ⋯⋯この身が焼かれる前に、セレナ、その剣で俺を殺してくれ」
情けでも何でもなく、礼儀としてセレディナは刀でヴェルムの首を刎ねようとした。
しかし、セレディナの腕はその時、切断された。
「キミが今回の騒動の主犯ね」
戦士の処刑に水を差したのは、白髪の少女だった。彼女の左手に展開されていた白色の魔法陣が閉止してから、セレディナの切断された腕は再生した。
「⋯⋯白の魔女、エスト」
「⋯⋯⋯⋯」
エストとセレディナは睨み合う。
それが、ヴェルムの意識が途切れる前、最後に見た光景だった──。
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