白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第二百三十五話 勝利

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 突として人化した竜が人間の居住区を襲撃した。とある三人がその窮地に尽力し、被害は予想外に抑えられたものの、全くの無問題というわけではない。ゼロではない死亡者に加えて、少なくない怪我人。重傷者数も幾名か確認され、適切な治療を受けなければならないだろう。
 そのために臨時の医療テントや避難キャンプが設立された。事態に対する混乱がその場を占めていて、今でも治まらない。
 当たり前だ。なんと言ってもこれまで共存してきた竜たちが、自分たちを襲ってきたのだから。

「⋯⋯あの人ですかね?」

 レネは少女の手を握りながら、避難キャンプ内を、少女の両親を探すために回る。すると、あちらも同じく探していたためすぐに見つかった。

「リアン! よかった⋯⋯無事で⋯⋯」

 リアンと呼ばれた少女は母親の方に走り、抱きついた。横で父親が「よかった」と口にしたのを、レネの耳は聞いた。
 それから、父親の方がレネに近づいてきた。

「ありがとうございます。娘を助けていただいて⋯⋯本当に、なんと言ったら良いか」

「お役に立てて幸いです。では、これで」

 少女も無事に親元に返せたから、レネは戻ろうとする。そしてそのとき、

「お姉ちゃん、ありがとう!」

「ありがとうございました」

 少女は笑顔で、母親は嬉しくて泣きそうな顔でそう言ったのにレネは微笑で返した。

「⋯⋯さてと、あの子のためにもこの事件をさっさと解決しないといけないなぁ。でも一先ずは住民の安全確保。近くの都市への避難だとすれば、その護衛を務めるべきね」

 レネはそんなことを考え、歩いていると、唐突に口論が聞こえてきた。目線をそこに向けると、そこでは人化した竜の女と、おそらく純人間の男が喋っていた。口論とは言ったが、男が一方的に怒鳴っているだけで、女の竜はそれにしどろもどろになりながら答えている。
 赤髪の女はついには後退り、男は一歩先に進む。竜であれば実力行使で黙らせることはできただろうが、そんなことをするほど竜は野蛮な種族でない。

「あのー、ちょっと良いですか?」

「あ? なんだ⋯⋯ってえ?」

 男はレネの姿を見たとき、目を見開き、口を開けて混迷したような様子となった。それはレネが絶世の美女で見惚れたというわけではなく、

「なぜ、あなた様がここに⋯⋯レネ様」

「私を知っているのですか?」

「勿論です。私はウェレール国民ですから。ここには旅行に来ていました」

 男はレネに対して深い礼をした。先程の態度とはまるで違うからか、赤髪の女は当惑していた。
 レネは男に何があったのかを聞くと、

「竜がこの町を襲ったことについて聞いていました。竜はそんなことしないんじゃないかと。なんでそんな奴を通したのかと」

「通した? あなた、門番ですか?」

 赤髪の竜は答える。

「はい。担当が休んだので今日だけでしたが」

「そうですか。⋯⋯えっと、話は私が聞くので、あなたは避難キャンプに行ってください。ここに居てはいつまた襲撃が起こるかも分かりません」

「はい。ご心配頂きありがとうございます」

 男はレネの言葉に従い、いくつかあるうちの一番近場の避難キャンプのあった方へと向かった。少し離れたところでレネは竜の女に話しかける。

「互いに名前を知らないのも話しづらいですし、自己紹介からといきましょう。私は青の魔女、レネです。あなたのお名前は?」

「ロミシィー・オルフォントです。⋯⋯まず、謝罪を。ウェレール王国の青の魔女様であるあなたを、この度の騒動に巻き込み、対応が遅れたこと、申し訳ございませんでした」

 ロミシィーは綺麗な直角になるまで腰を曲げ、最大限の謝罪をした。慌ててレネは「謝らないでください」と宥めて、何とか話し合いまで持ち込む。

「まあ、ここで話すより座って話しましょう。どこか良い場所はありませんか?」

「門番所で話しましょう。そこであれば、今日、門を通った者たちの記録もあります」

 と、言うことで、レネとロミシィーは門番所への歩みを進めた。
 そこに着き、椅子に座るとロミシィーはお茶を二人分淹れて、一つをレネの方に置いた。

「どうぞ」

「ありがとうございます。さて、まずは名簿から見ましょうか」

 ロミシィーは部屋から出ていき、またしばらくして、名簿らしき本を二冊持って戻ってきた。そしてそれらを机の上に置いた。
 
「これが住民表、そっちは門を通った人たちの記録です」

 竜人の死体を全て見て、顔がどんなだったかをレネは全て覚えている。そのため彼女が記録上の名前と住民表の名前、写真と照合していくこと十分。レネは二冊の本を閉じた。

「レネ様、誰が犯人か分かりましたか?」

「いえ、分かりません。何しろこの住民表には載っていませんでしたから」

「えっ⋯⋯とすれば、幻惑魔法使いでもいるのでしょうか?」

「その可能性もありますね。私の目を欺ける魔法使いがいれば、ですが」

 ロミシィーはレネの言葉を聞いて黙ってしまう。そうだ、彼女のような青の魔女が居ながら、幻惑魔法が正常に発動する可能性はほぼゼロに等しい。

(やはり、あれは人造生命体。生命創造系魔法に私の知見は広くないけど、そうであると考えても良いかな)

 人造人間ホムンクルスを造ったのはかなり昔であり、当時の知識が薄れているレネには、それら特有の弱点があったことは覚えていても、内容までは流石に忘れてしまっていた。

(うーん、何だったっけ⋯⋯自然由来の生命より脆いことが関係していたはず⋯⋯思い出せない)

 メイド三姉妹の人造人間ホムンクルスには定期的なメンテナンスが必要であった。彼女らは魔力を自分で生成することができず、その補給と、あとは肉体の交換だ。後者は百年周期だが、前者は空いても一ヶ月。基本的には半月に一回の魔力補給が必要である。

「⋯⋯こんなとき、エストがいてくれれば良いのだけれど」

「エスト?」

 ロミシィーはその名前に心当たりがあった。思い出すのに時間がかかったが、たしか六百年ほど前に一度会ったことがあったはずだ。

「エスト様の知り合いでしたか?」

「ええ。私は彼女の⋯⋯」

 と、雑談を交えつつも、ロミシィーとレネは情報を共有し、協力することを約束した。

 ◆◆◆

 その女は静かな城の中を、コツコツと足音を隠す気もなく立てて歩く。もしも彼女が見回りに見つかれば、きっと怪しい人物として拘束されるだろう。なのにどうして、彼女はそれを警戒しないのか。

「⋯⋯少し対象が多いわ」

 ネツァクの黒の加護、『サイミン』の権能は大きく分けて三つある。一つ、睡眠状態や気絶状態、もしくは格下である対象の無条件肉体支配。二つ、一度でも支配した対象に任意の夢を見させる。三つ、実力差に応じて効果発動までの時間が増減するが、必ず眠らせる。
 現在、ネツァクはその力を用いて王城の全ての竜を眠らせている。実力は拮抗するかもしくは負けているため、睡眠効果が発動するまでかなりの時間を要したが、特に問題はなかった。

「さてと、ここだったね」

 ネツァクは右手に、懐から取り出した小石を握った。それから竜用の扉を開いて、中にはいる。彼女が目線を向けた先には一匹の立派な竜が眠っていた。それこそ、彼女がここへ来た目的である。

「起きてくれる?」

「ん。ああ⋯⋯っ!? お前、何者だっ!?」

  いつの間にか眠ってしまい、そしてまた気がつけば目の前には半裸に等しい女が顔を覗き込んでいるシチュエーションにロックは置かれた。
 
「初めまして。わたしは黒の教団幹部、『勝利』、ネツァク。あなたには死ぬ権利とわたしたちの従順な奴隷になる権利の二つもあるよ。さあ、選んでね」

「は? そんなのどちらも──ぐあっ!?」

 ロックの胸が突然痛む。まるで心臓が直接握られたようだ。いや、それより痛い。痛覚が増幅されている気さえした。

「この小石はあなたとの連動している。私が心臓を潰そうとして握れば、本当に心臓を握り潰そうとしていることになるのよ。これを頭に見立てれば⋯⋯まあ、言わなくてもわかるわよね?」

 つまり、ネツァクが握っている何の変哲もなかった小石は今、ロックの命そのものであるということだ。彼女ほどの実力者であれば小石を握り潰すことなんて容易く、それだけロックの命も簡単に奪われるということである。

「ほら、早く返答を決めて。死ぬか、奴隷になるか」

「⋯⋯ひとつ」

 瞬時にしてロックの悲鳴が木霊する。しかし、誰も来ない。当たり前だ。来るはずの近衛兵は皆眠ってしまっているのだから。

「わたしの質問を忘れたわけではないよね? 選択肢はないよ?」

「ぐ⋯⋯」

「あなたには二択しかない。それ以外の返答は聞く必要がない。早く決めなさい、死ぬか、生きるかをさ」

 ロックは痛みに顔を顰め、倒れていた。が、何とかして立ち上がって、答える。

「──王たる者が、誰かの配下になるだと? そんなの、民に顔向けできないではないかっ!」

 ロックはネツァクの体を鉤爪で裂く。それは的確に小石だけを避けていた。
 竜王の鉤爪を食らって無傷で済むはずがない。ネツァクも例外になることはできず、潰されるように抉られた。
 ──だが、

「幻⋯⋯!」

「正解。いやー、おっかいなぁ。流石は竜。まともに取り合えば死ぬよ」

 ネツァクに向かってロックが走り出す。その速度は凄まじく、彼女は防御もできなかった。ただし、彼女にはそれへの抵抗力があった。
 ロックは心臓の激痛で地面に倒れ込む。また、心臓を握られた。違う、今度こそ潰された。間もなく死ぬ。それが全身で理解できたのだ。

「残念だけど、その呪いをかけたのは緑の魔女だよ。⋯⋯専門家こそ、最も厄介な敵となる。そうでしょ?」

 蘇生魔法の使い手は、それだけ蘇生魔法を知り尽くしているということだ。それ即ち反蘇生魔法──反緑魔法を作り出すこともできるということ。

「その呪いで死んだあなたは、もう二度と蘇生されない。あはは⋯⋯怖いったらありゃしない。だって、呪殺されると死なない死体になり果てるも同じだからね」

「それは、どういう⋯⋯がはっ」

 心臓を潰され、脳に血が回らないから意識が朦朧としてきた。もうすぐに死ぬだろう。

「そのままの意味だよ。動く死体ゾンビでも星幽界の者たちアストラル・ワンズでもない。だけど、生者でもない。肉体だけを持ち、符号関係なくエネルギーを持たない存在。敢えて名付けるなら、彼女はこう言っていたね」

 古来より少数間で相伝されてきた魔法の一つ、『呪術』。人を殺し、人を痛め、人に害なすことに特化した忌まわしき術である。

「──『呪霊』」

 ネツァクが名前を言うと同時に、ロックが完全に息絶える。しかし、呪いが彼を殺さず、しかし生き返らせもしなかった。
 生と死の間の曖昧な存在、呪霊へと成り果てたロックは、ゆっくりと顔を上げる。もうそこに以前の彼は存在しない。

「本当に、悪趣味だよ。生き物を冒涜してるとしか⋯⋯まあ、自分以外を『物』としか扱っていないあなたらしいね」

 緑の魔女の本質を、ネツァクは少しだけ理解してしまった。アレにとってこの世界は自分と自分以外の有象無象であり、玩具と信じている、根っからの化物だ。まさかアレが元人間だとは信じたくない。いくら倫理観を捨てる魔女となったにせよ、元が正常であれば無関心になるはずなのだ。

「わたしが言うのもどうかと思うけど、あなた、本当に狂ってるよ。ね、ミカロナ」

 ネツァクは近くの、いつの間にか開いていた窓に座っている緑髪の魔女に目をやる。彼女の服には血が付着しており、所々破れていて色んな意味で危なげだが、肝心の本人は特に気にしていない様子だ。

「はははは。悪口は陰で言うものじゃないかい? それとも、ボクのため?」

 ミカロナは艶やかな声で笑って、冗談めかしく言う。

「ああ、わたしのためだよ。あなたを見ていると、わたしがわたしでなくなる気がするから、こうして拒絶しないといけない」

「言っとくけど、ボクは何もしてないよ? まあ、『雰囲気に当てられる』ってやつなんだろうけど」

 そうだ。ミカロナは本当に何もしていない。強いていうのであれば生きていることだろうが、そんなのは存在否定に等しい。可哀想だとは微塵も思わないが、彼女には悪意がない。むしろその方が質が悪いのだが。

「その感じだとやらかしてきたみたい?」

 ミカロナは両目を閉じて両手を広げながら言う。

「そうね。三人も流石に相手できないよ。逃げるのも苦労した」

「そ。死ねばよかったのに」

 本当にさり気なく、独り言のようにネツァクが言ったそれを、ミカロナは聞き逃さなかった。

「今死ねって言った? 酷くない? 仮にも協力者だよ?」

 彼女のそれが演技であるか、本心であるか、反射的な行動であるかは分からない。何にせよ快、不快のみが──彼女にとってはどちらも快楽であるのだが──行動の指針であり、読めやしないことには変わりない。

「言ってない。さ、計画の第二段階といこう、ミカロナ様」

 様、の部分は取ってつけたものだ。棒読みも甚だしい言い方である。

「うわー、まるで敬意が篭っていないね。ボクは魔女だよ? 君たちの主と同じ」

 ミカロナは窓から飛び降りて、力をまるで感じさせない着地の仕方をした。それからあざとい喋り方をする。

「あの御方と同列だと考えないで。不愉快」

 ネツァクはかなり本気で不快感を曝け出した。それを見てミカロナは一瞬たりとも怯むことも、悪いと思うこともなかった。

「めっちゃ拒否られたんだけど。はは、面白いなぁ」

 それどころか、その反応を楽しむくらい性格は悪かったのだ。

「クズ。気狂いピエロ。性悪魔女」

「クズで結構。魔女なんて全員どっか頭おかしいよ。性格悪くないとボクたちは欲望を叶えられない。社会性なんて捨てたからね」

「ノッポ」

「それ関係ないでしょ。殺すよ?」

「あっ、ミカロナ、あなた身長高いこと気にしてるんだ?」

「〈空間封鎖エリアロック〉。よし。で? もう一回言ってみて?」

「⋯⋯全く。何もないよ」

 いくらなんでも魔女を相手にすれば勝てるわけがないし、ミカロナであれば本気で殺してくるだろうから揶揄うのもここまでにすべきだろう。
 ネツァクとミカロナは、そのまま王城を出ていった。呪霊となったロックを連れて。自我のなくなった竜王を連れて。
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