白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第二百八話 理想追求

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 目が覚めたのは、いつものように朝が来たからではなかった。
 まだ太陽は地平線からその輝きの一端を漏らしているに過ぎなく、空の半分以上ほどは、完全な真っ黒ではなく紫色であった。月はもう空に見えなかったが、日中と言うにはあまりにも早すぎた。
 これはジュンが早起きだからではない。彼は確かに立場上、早朝から起きて仕事をしていたものだが、今はその仕事場から離れているし、何より起きるにしても彼の体内アラームが鳴るとすればあと一時間後だろう。
 では何が彼を今、起こしたか。それは単純明快。彼以外も起こすに容易いほどの騒音。それも迷惑行為ではなく、危険を知らせる甲高い音、第一階級の黄魔法、〈緊急警報〉によるものだった。

「っ!」

 ジュンは魔法を使えないが、魔法に関する知識は十二分にあった。なぜならこの世界において魔法に無知であることは、それが死因になってもおかしくないからである。知識とは時として知能以上に人の命を守るツールなのだ。
 彼の手は反射的に、ベッドの横に立て掛けていた『死氷霧』を握り、意識は一気に覚醒状態となる。
 同室で眠っていたナオトも同じく、警報に無事叩き起こされ、カーテンを開いた。普段ならば堪能できたはずの朝の光には目もくれず、都市を見渡す。
 こう言った警鐘は大抵、その都市の、区画別の目立つ場所に設置されていて、今回の魔法陣もその例に漏れない。全身が震えるような不快なその音は、警戒心を抱かせるためにわざとそう作られているらしい。
 そして不愉快な音源の後には、人の声が響いた。

『緊急、緊急! この都市に接近する大規模な軍隊の存在を目視! 繰り返す、大規模な軍隊が接近中! 一般人は都市の避難所に避難してください! クリーシア派閥の戦闘員は各々の隊長の命令に従い、対処してください!』

「なっ⋯⋯軍隊!?」

「大規模⋯⋯まさか、いやでもまだ⋯⋯」

 今、どこの誰かも分からない派閥が攻めてくるということは考えにくい。そういった偶然はまずないだろう。何よりも、彼らには心当たりがあったから、ナオトはそう考えたのだ。

「チッ⋯⋯」

 ジュンは部屋を出ようと走り出す。だがナオトがそれを静止した。

「勝手な行動はできない。相手も、その目的も確定したわけじゃないし、ライリーさんかクリーシアの命令を待つのが賢明だ」

 ナオトの言うことは尤もだ。もしかすれば、限りなくゼロに近い確率だが、軍隊はショルマン派閥でないかもしれないし、その目的も決まったわけではない。勝手な行動は、ましてや部外者に近いナオトたちには許されない。

「⋯⋯そう、だね。でもここで待っているのはもっと愚行だよ。一先ず、ユナ、ロアの二人と合流しよう」

「ああ、分かった」

 二人は部屋を出て、ドタバタと走り女子たちの部屋に直行する。彼女らも異変には気づいており、その道中で合流した。

「ナオトさん、ジュンさん、今すぐに近くの広場に向かいますよ!」

「え」

「ライリーさんからついさっきそう言われました」

 何も言われなければ、何もすべきではなかったが、この調子だとライリーもナオトたちと同じ考えをしているらしい。
 軍隊を発見すると即座に攻撃に移ることは些か早いが、十中八九そうなるだろう。
 四人は館の正面玄関から出ていき、すぐさま目的地を目視できた。そこには既にライリー派閥メンバーが集まっていて、各々武器を携えていた。その迅速さは、なるほど、流石である。

「来たか。⋯⋯ではお前たちに伝える」

 ナオトたちはここに来る最後のメンバーであって、ライリーは現状を彼らに説明した。しかし、今、それを理解できていない者は居なかったし、彼女もそれを知っていて、説明と言ってもそれは一文だった。

「我々は正式にクリーシア派閥の傘下に入っている。つまり、我々はこれから起こる可能性の高い──ショルマン派閥との戦争に身を投じる義務がある。無論、まだ争いになると決まったわけではないが⋯⋯ノヴァーノ」

 ライリーに名を呼ばれ、第五部隊の部隊長、アセラット・ノヴァーノは前に出る。

「偵察の結果、敵は北側から接近。敵数は──およそ二万」

 つい先日、ライリー派閥が争ったのは四百。それでさえも壊滅的被害を被ったと言うのに、今度はその五十倍。一般的な人間の戦力に変換するなら単純計算で六万人である。しかしその中には人間を虐殺できるような手練も存在するだろうから、実際の戦力は予想できない。
 クリーシア派閥の戦力は一万五千人。精鋭揃いだし、多種多様な魔具があるとはいえ、この戦力差はかなり苦しいものとなるはずだ。
 
「こんな戦力を、ただの交渉で連れてくるはずがない。そしてもうそろそろクリーシア派閥が出向き、相手の出方を伝えてくれるはずだ」

 ライリーはクリーシアから手鏡を渡された。それは魔具の一種であり、同じ種類のそれら同士で通話できるものだ。
 そして、タイミングよくその魔具は起動する。その合図は相手から連絡が来たときのものであり、そして、

『全クリーシア派閥に告ぐ。敵はショルマン派閥だと判明。また、我々に対し敵対的である。即時応戦せよ。繰り返す、敵はショルマン派閥。殲滅せよ』

「──とのことだ」

 それは武器を取り抜くに相応しい理由となった。元々張り詰めていた緊張感はより強くなり、また、それに比例するように士気も向上する。
 そして、ライリーはその士気をさらにあげるため、兵士たちを鼓舞するため、皆の注目を集める。

「我々は弱小な種族、人間だ。しかし、我々は、だからこそ強くあろうと努めてきた。確かに敵は強大だ。だが、我々にとってその逆境とは常々置かれてきた立場である。今回もそうだ。相手は二万、我々は一万五千と僅か三百名⋯⋯しかし、それがどうした?」

 ライリーの声はより大きく、力強くなる。

「一人で一人か二人を殺せば我々の勝利だ。たったそれだけのことではないか? 我々は亜人のように、生まれ持った力に胡座をかいているわけではない。我々は常に前進し続けてきた。その強者の立場は絶対でないことを思い知らせてやれ! 不変である者たちが、変化し続ける我々より優れているということは間違いであると、その命を対価とした教鞭で叩きつけてやれ!」

 部隊長たちの顔に笑みが浮かぶ。それは諦めでは勿論ない。嘲笑でもない。そこにあったのは、やってやろう、という気持ちのみだ。

「奴らは自ら平和な世界になる可能性を捨て去った。だから我々は平和の素晴らしさを奴らに説かねばならないのだ!」

 平和のための戦争。それは矛盾ではない。戦争によって、戦争の愚かさを知らしめることができるのだ。

「さあ、戦友諸君──理想郷を作れ」

 ◆◆◆

 ──そのたった一つの爆発音は、戦場にとってあまりにも例外的なものであった。
 唐突なそれによって、ショルマン派閥だけでなく、クリーシア派閥さえも一瞬だけ気が取られてしまい、これから戦争が始まるとは思えないほどの静寂が、それとは真反対の事象のあとに訪れた。

「⋯⋯『無限魔力魔女の能力』は、流石、常識外だね」

 ジュンは呟いた。
 ロアの能力によって、彼女が制御できるだけの魔力をたった一つの魔法に注ぎ込んだ。
 赤の魔女が行使したのは〈無慈悲な紅炎サーヴィジ・プロミネンス〉。深紅色の炎が空中で炸裂し、それは名前の通り、無慈悲に獣人たちに降り掛かった。
 通常、燃えて死ぬと言えば、炎によって呼吸できずに死亡する、もしくは皮膚が剥がれてしまうことによる出血死のことである。しかし、ロアのこの魔法は圧倒的な熱によって対象を炭化させた。

「魔力による強化をしたけど、やっぱりまだまだね」

 ショルマン派閥は密集しているわけでなく、もし同じ陣形を人間がやっていたならば、どうぞ一点突破してくださいと言っているようなものだろう。獣人にとってはそれで十分だったし、そしてそれがロアの魔法から半数ほどが逃れられた理由にもなった。
 だが、二万のうちの半数が、たった一つの魔法で滅ぼされたなどと知れば、その恐慌は計り知れない。

「これ以上の魔力量を操作できないと、ロアは強くなれない。一先ずの目標は、大都市一つ分を丸々範囲に収めた魔法の行使ね」

 もう一発同じ魔法を行使すれば理論上は今度こそ壊滅できるが、実際には無理だ。ショルマン派閥の兵士たちは恐怖を勇気に変換し、指示を待つことなく突進してきた。彼らは、彼らにとっての最善行為が何であるかを理解したようだった。
 もしももう一度先の魔法を行使すれば、味方も甚大な被害からは免れない。味方殺しはしたくはない。

「⋯⋯さて、ここからは味方を殺さないように敵を殺さなくちゃいけないわね」

 ロアの瞳が赤く輝く。そして、彼女の周りに複数の魔法陣が展開された。
 魔力が魔法陣を通じることで、魔法は具現化する。こんな非効率的な魔法陣の展開方法は、普通避けられるものだ。これが許されるのは、いくつもの魔法陣を同時展開する必要と行使能力があるか、膨大な魔力量を持つか、はたまた魔力管理なんてしなくて良い場合のみである。

「〈悪意ある閃炎マリシャス・フレア〉」

 弾丸のように光線の如き炎が撃ち出される。それは山なりに軌道を描き、そして着弾する。直撃すれば当然、獣人にとって即死だし、直撃せずとも火炎瓶のように炎が広がり、周りを燃やした。
 そんな無慈悲な光景を傍目に、ナオトたちは敵の陣形の中に我先にと突っ込んでいく。そしてそれに続くようにしてライリー派閥、クリーシア派閥の者たちが突っ走った。
 至る所ですぐに剣戟が引き起こり、矢が飛び、魔法が行使される。まさに戦争、と言った光景である。

「っ!」

 そんな光景を傍目に、翠色のポニーテールを靡かせながら、そして返り血を一滴も浴びずに戦場を疾走する。
 ライリーが剣を一振りすれば、屈強な獣人の戦士であっても命を、その体ごと断つことができた。
 そんな中、他に類を見ない巨体の獣人がライリーの行く手を阻んだ。

「──危な」

 棍棒を叩きつけられたが、ライリーは持ち前の素早さでそれを避けた。代わりに棍棒は地面を叩き、そして亀裂を生んだ。
 あんなものに直撃すればひとたまりもない。そう直感が囁いた。

「⋯⋯なるほど。そこまでして私は殺す価値があるって?」

 背後からの剣戟をライリーは直感し、振り返ってから剣で受け止めた。更に矢が飛んできたので素手で弾く。
 確かに目の前の獣人たちは、単体ではライリーに及ばない。精々足止めが限度であるぐらいだ。しかし、三人が集まればライリーでさえ油断ならない。
 棍棒持ちの巨漢、両手剣を携える男に、弓使いの女。対してライリーは一人だ。

「そうだ。お前はここで殺さなくてはならない。なんとしてでも」

「お前たち如きに殺されるようでは、一つの派閥の長なんて笑い話にもならない。そうは思わないか?」

 ライリーが自覚している加護は戦闘向きではない。しかし、加護は加護所有者の身体能力を底上げする効果もあり、彼女の戦闘力は人間だと最高峰、獣人族でさえ上位レベルにまで至っている。
 速すぎて視認できないということはないが、しかし反応するのも難しいスピードでライリーは、まず厄介な前衛である巨漢を狙った。全身鎧を装着していても、殺りようはいくらでもある。

「〈衝斬撃〉」

 ライリーは刃こぼれしないように注意する気は全くなく、跳躍し、全力で剣を振い、戦技を行使。通常、剣にはハンマーのような重い一撃は繰り出せず、フルプレートアーマー相手にはかなり不利だ。しかし、この戦技はその衝撃を強める効果を持つ。故に、

「ぐあっ!?」

 頭を剣で殴られた巨漢は、軽く脳震盪を起こした。

「まだまだ!」

 更に胴体に蹴りを入れられ、その細い足のどこにそんな力があるのか、巨漢は体制を崩し、もう少しのところで倒れそうになるが、何とか踏ん張る。
 ライリーの追撃が行われる直前、矢が放たれる。また弾いてやろうとライリーは一瞬考えたが、そんなことを二度もやる馬鹿は居ない。彼女は後ろに跳ぶと、直後、矢は爆発を起こした。

「戦技か。躱して正解だった」

 爆発に直撃したであろう巨漢だが、どうもダメージは少なそうだ。あの鎧もあるだろうが、弓使いの高度な技術もそれに関係していそうだった。

「っと、休む暇もないな」

 続いて剣士が刃を振り回してくるが、ライリーは尽く剣で弾く。単純な力量でも負けていないし、技量なら圧倒している。しかし、動体視力や連撃の組み立て方が厄介で、反撃するのも難しい。
 棍棒が薙ぎ払われる。それは空気を抉り、ゴオンっ、という音を発した。剣戟を捌いていたライリーは、それを今度は避けられなかった。が、直撃はなんとかせず、受け身の体制を取って仕方なしに吹き飛ばされる。地面を何度からバウンドするも、空中で姿勢制御をしてから彼女は着地。

「はっ、獣人の筋力はその程度?」

「避けられてもないくせによく言う小娘だ」

 爆発する矢が飛んできて、しかしライリーはその爆発を後ろに、一気に加速し、吹き飛ばされた距離を詰める。途中で何度も矢が飛んでくるが、

「⋯⋯化物?」

 全て戦技の効果が発揮される前に切断したり、避けたりした。

「いいや、私はただの人間だ」

 そして、両者の距離は再びゼロとなる。
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