白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第二百話 制圧開始

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 ショルマン派閥、第四師団の軍師はダイハード・チェルコフという獣人であった。そんな彼が率いる師団は、ララギアの南部の拠点を担当しているため、ショルマン派閥南方司令部とも呼ばれる。
 ここでの彼の成すべきことは、彼の属する派閥らしく殲滅だ。他の司令部も同様だろう。例外はいくつか思いつくが。
 ともあれ、彼の任務はほぼ完了に近づいていた。弱小派閥は軒並み全滅させたし、中堅程度も残り複数個。あと一年もあれば、彼は任務達成報酬として富、名声、雌を手に入れられた。それは彼が想像する二番目に良い人生像である。一番は不可能であるため、実質的一番と言っても構わない。
 そしてこの任務さえ終われば、あとは残り二つの派閥を潰すことで自分がララギアの最高支配者の一員になれる。
 そう、そのはずだった。
 ある一報が耳に入って来たとき、彼は絶句した。曰く、ライリー派閥の偵察に向かった部隊が壊滅に終わったと。
 言える言葉は「そんな馬鹿な」だけであった。確かに、あの部隊の数は少ない。もしライリー派閥の戦闘部隊と遭遇すれば、何名もの死者が出たっておかしくなかった。が、全滅はあり得ない。
 ではライリーという女騎士が率いる部隊と遭遇したのか。いや、これもないだろう。あの女は確かに強いし、並の獣人の兵士だと抵抗さえ無意味だ。だが、これもやはり全滅には力不足だろう。一人も帰さないなら、あの女騎士が五人も六人も必要となる。
 彼はそんなライリー派閥を危険視し、何よりも真っ先に潰すことを決意した。
 他の派閥に戦争を仕掛けに行っている自軍を呼び戻し、体制を立て直させ、全軍をもってしてライリー派閥に仕掛ける。万が一に備えて、近場の別拠点への増援要請も行う。タイミングとしては三日後が妥当だと考えた。更にはある作戦も立てた。これで準備は万端だ。
 そして現在、雨が降る中、彼は拠点の司令室で戦況を見ていた。戦況を映すのは鏡だが、勿論、その鏡は魔法的な原理により、遠くの場所を映していた。その魔法の名は忘れてしまったが、便利なものだ。手元には他に箱状のものもあり、これもまた魔具だ。同一のものが複数個あり、これを通じて話をすることが可能である。
 通話機は軍の各部隊の隊長全員に配られており、速やかかつ、正確な命令を可能としている。グリーシア派閥との小競り合いの際、奪ったものをそのまま利用しているから貴重なものだが、惜しむ気持ちは一切なかった。
 さて、肝心の戦況だが、彼は絶望していた。理由としては、たった一つ。たった一つのシンプルな理由。これから我軍は壊滅するからだ。
 ──信じられないことだが、ダイハードの指揮する軍は今、一人の少年に押されている。
 目を擦っても現実は変わらない。少年が一太刀振るえば、一人どころか何人も死んでいく。御伽噺にありそうな一騎当千がそこで起こっているのだ。とは言っても、数で押せば勝てそうな気もした。
 だが、ダイハードは少年が手加減をしていることに気づいていた。皆殺しにするために、わざとそうしているのだろう。圧倒的な力を見せ付ければ、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうから。
 元より常軌を逸した人間の存在は理解しているつもりだった。だからこそ、今回のような大軍団、現状用意できた最大戦力でライリー派閥を襲撃した。油断もしなかった。士気も十二分。何もかもが万全だったはずだ。だが、勝てないものが勝てるようにはならなかった。相手が想定以上に強かった。それが現実だ。
 あんな化物を殺せる者に、ダイハードは心当たりがあった。グレイ、という獣人の戦士だ。ララギア最強の存在とも言われ、あの少年のように敵の軍隊をたった一人で壊滅させていたし、それをダイハードは何度も見ていた。故に、もし彼が居たならば、あの少年を止められた、殺せたのかもしれない。
 しかし彼は今、ここに居ない。よしんば居たとしても、自分たちに失望していただろう彼が付くとしたらライリー派閥だ。彼は亜人にありがちな、人間種や異形種への偏見を持たないからだ。
 撤退させようにも、撤退命令が出せないということが、指揮官にあるまじき判断の遅さを彼に招いている。
 というのも、撤退とは敗北を意味するためだ。ショルマン派閥は特にその傾向が強く、逃げることは恥、ならば戦死の方が格段に誇らしいとされる。確かに感情論では、ダイハードもそう思う。敵前逃亡をするぐらいなら、爆弾を身に纏い突っ込んだほうが幾分もマシだ。しかし合理的な考えでは、撤退こそ最善だった。何せ意味が見いだせない。自爆特攻も相手に損害を与えるという意味がある。が、あの少年の前では、自爆する前に首が吹き飛ぶだろう。百人も同時にすれば一人ぐらいは爆発するかもしれないが、だから何だ。
 無意味な死とは、果たして誇り高いのか。
 そして二つ目の理由は、逃げても無駄だと悟ったから。一人で軍隊に匹敵するならば、ライリー派閥の全員も合わされば実質二倍の戦力だ。残念だがダイハードの持つ戦力では到底敵わない。計算せずとも勝てるわけかないと思う。包囲されてしまえばあとは殲滅されるだけ。
 ならば降参するか? これもまた却下だ。ショルマン派閥は、今のライリー派閥に加入していようとも相手にしたくない規模の派閥。いくら一騎当千の戦士が居ても、ショルマン派閥全戦力には数で押され負けてしまう。各個撃破にしても、おそらくショルマン派閥は警戒状態となるはずだ。何せ自分たちの裏切りは、死亡は、即座に察知される──腕にある印がそれを報せるのだ。国中に散らばった軍団は本部に戻ってしまうことが火を見るよりも明らかである。
 つまりは敗北必死。無駄な足掻きをしてから死ぬことが決定した詰みの状態なわけだ。
 
「⋯⋯⋯⋯」

 逃げるしかない。これから包囲されることは確定的だ。撤退命令は出しても意味がない。どうせ皆死ぬ。もう、逃げられないところまで軍は進行してしまった。この拠点の最小限の護衛と共に、ダイハードは逃げ出さねばならない。そして別大陸に渡ることをしなければならない。この国は当然、この大陸でさえ彼の命は狙われるかもしれないのだから。
 一先ずの成すべきことは決めた。あとはそれに努めるだけ。ダイハードは剣とチェーンメイルを着込み、亡命の準備に走る。
 
「チェルコフ様、どこへ?」

「北側だ。ここから根こそぎ物資をかき集めろ。すぐに出発だ」

「⋯⋯了解しました」

 ダイハードは良くも悪くも司令官に相応しい性格をしている。だが兵士の皆がそうとは限らず、命令を下した先の兵士はその一例だ。彼が物資を集めに行ったあとにダイハードは舌打ちした、現状に対して。
 馬を用意せねば。ダイハードには彼専用の馬があるから、それを取りに行かないといけない。いつもならば誰かに代わりに準備させているのだが、命の危機がある今、自分でできることは自分やったほうが良いだろう。
 彼は早足で、馬がいる場所に向かった。

 ◆◆◆

 雨で柔らかくなった土を踏めばそれは沈み、滑りやすく、転びやすくなっていた。そんな中でもこうして問題なく走っていられるのは馬が賢いからだろう。ユナとナオトにはそういう技術があるわけではない。
 雨は時間と共に強くなっていくようで、今や先行するナオトの姿を捉えることで精一杯だ。少し先も見えないほど雨は強く、体温は低くなっている。お風呂にでも入りたいと思うが、生憎そんな贅沢なものはここにない。
 だからか、目的地についたことがすぐには分からなかった。周辺の地図を頭に叩き込んだとはいえ、ユナにはそういう距離感覚がなかったためだ。

「ついたな。ユナ、馬を隠してから侵入するぞ」

「分かりました」

 適当な森の中の茂みに馬を繋ぎ隠して、二人は侵入する場所を視認する。そして、前日から待機していたライリー派閥の兵士たちにコンタクトを取り、この拠点の制圧を開始とする。
 拠点はかなり大きい。四百人程度が生活できるのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
 素材は石材を中心としており、重厚感に溢れている。施設もいくつかあり、全部見て回るのは骨が折れそうだ。
 しかし今はもぬけの殻同然だ。人の気配が全く無いということはないが、居ても数十人。最低限の警備ができる程度だろう。
 ナオトはこの基地を見張っていた兵士に話を聞くと、兵士は獣人たちが逃げようとしていると言った。

「馬を用意し、物資を運んでいるようだった。今はその準備中⋯⋯もう少し君たちが来るのが遅れていたら、俺たちだけで制圧しようとしていたところだ。何かあったのか?」

 ジュンには手加減するよう言っているはずだ。戦意喪失されてしまえば全滅が取れない。それは危険因子を散らばらせることに同義であり、故に避けたいことだ。
 まさか、彼が殺戮を開始しているわけではないだろう。少なくとも、数で押せば勝てると思われるような立ち回りをしているはずだ。

「⋯⋯気づかれた?」

 ならば、この基地の司令官は頭が回るということである。撤退命令が出されているかもしれない。あるいは自分たちだけで逃げることを画策しているのかもしれない。
 だとすれば厄介極まりない。こうも躊躇なく逃げられるとはまさか思っていなかったからだ。

「⋯⋯何はともあれ、制圧しなければならないことに変わりはありませんよね?」

 ユナの言う通りだ。どのように逃げられるにしても、その対処法は自分たちも逃げるか逃げられる前に殺すかしかない。
 ──手に生き物を殺した感覚が思い出される。しかし、殺さねば殺される。それがこの世界の、自然の摂理だ。

「そうだな。⋯⋯皆さん、頼みます」

 各々が得物を取り出す。多くは剣であり、あとは弓だったり、メイスだったりするが、共通点は殺傷武器であるということだ。
 ユナたち制圧組の合計人数は合計二十もいかない程度。しかしその分、精鋭が固まっている。
 基地は塀に囲まれており、入り口と出口の二つがある。それ以外から入ることも出ることも難しいようであり、まずはそこに見張りをそれぞれ三人ずつ配置した。もし敵がそこから逃げ出そうとしたら、敵が撤退してきたら、音響信号──音を発する魔具──が発せられる手筈だ。
 基地内での索敵については、ユナの『慧眼之加護』により行う。勿論彼女だけだとあまりにも基地は広すぎるから、ナオトや他の人たちの戦技も併用する。そういうこともあり、二手に別れることにした。

「よし⋯⋯制圧、開始!」

 ユナたちは散開する。そしてドタバタと走り出した。
 隠密なんてクソ食らえだ。バレても全員逃さず殺せば、隠密しつつ皆殺しにしたのと同じ。死体は何も喋らないし騒がないのだ。制圧とはこういうもの。
 倫理観は投げ捨てるもの。殺意は発揮するもの。殺害への非難は愚行。この国に殺人罪というものはないし、概念もない。殺し、殺され、それこそ常識。非暴力、不服従はこの国にはない。最終的に血みどろの大地に立っていたものこそ勝者であり、絶対であり、支配者だ。そういうことをしたいのならば、その後にすれば良い。
 だが、吹っ切れたといえば嘘になる。だが、躊躇しているといえば嘘になる。酒には酔うように、雰囲気にも酔うように、異世界は人を変える。郷に入って郷に従え。元の世界の道徳をこの世界に持ち込んではならない。
 ユナの優しさは自らを滅ぼす優しさだ。自分が死んでしまえば、何もかも無意味と帰す。 

「⋯⋯!」

 加護により敵影を視認。隔てる壁は薄く、ユナの力ならば貫通させるに容易い。
 弓の弦を引く。戦技を唱える。そして後は手を離す。矢は空気を裂くようにして飛んでいき、壁に突き刺さる。しかし矢はそこで止まらず、貫通。多少弱くなったとて、生き物を殺すには十分過ぎる威力を保ったままだ。
 矢は狙い通り、獣人の頭へと突き刺さる。ヘルメットさえも無意味と砕かれた。脳髄と血液と頭蓋骨の破片の混合物が地面にぶちまけられ、場に血生臭さを発生させた。殺した相手の顔は直視も憚れる。いや、不可能でもあった。原型は最早保っていないからである。

「うっ⋯⋯」

 二度目の殺害。気分は下下げげ。覚えるのは吐き気ばかり。殺人への覚悟をしていたとしても耐え難い苦しみがそこにある。耐え難い嫌悪感がそこにある。
 ──ああ、少し力を使うだけで人は、こんなにもあっさりと死ぬ。
 しかし、成すべきことはそれであり、成さねばならないことはまだ残っている。
 仕方ないから、ではない。そうすべきだから、である。
 殺す必要性がそこにある限り、ユナはこの感覚に慣れないといけないのだ。
 ユナは殺戮を続ける。
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