白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第百九十七話 野蛮な国にて

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 日光が燦々と照りつけ、鼻に草木の青臭さが通じる。
 メーデアから溢れた真っ黒な液体のようなもの──液状化した魔力に飲み込まれた直後、この平原に彼らは転移した。全ては一瞬で完了し、少しの間、彼らは一体何が起こったのかを理解できないでいた。
 
「⋯⋯どこ、ここ」

 周りを見れば、どうやら三人でここに転移してきたらしい、とユナは気がついた。自分以外のメンバーはナオトとジュンであった。
 とにかく、ここが何処なのかは全く不明だ。例えこの世界に土地勘があったとしても、このような平原を見分けることができるのは極少数だろう、と言えるぐらいありきたりで平凡な場所だ。取り敢えず歩いて周りを散策する他ない。

「川を探そう。それに伝って歩けば、多少は人の居る所に辿り着きやすくなるだろうから」

 ナオトの助言に従って、三人は川に沿って歩くことになった。
 綺麗な川をふと見てみれば、見たこともない魚が泳いでいた。川の深さは人が頭まで浸かるほどだったが、その魚は大きく、全長一メートルほどか。肉付きも良く、実際に食べてみるまではわからないものの食料には困らなそうだった。
 淡い期待を抱いてユナはジュンに、その魚を知っているかと聞いた。もし生息域というものがあるのなら、現在地点を推測できるからだ。しかし、それを知っているほどジュンはこの世界の生物学を学んでいない。
 歩き続けること数時間。体力的にはそこまで消耗していないが、日はもう落ちかけている頃だった。
 三人は川沿いをキャンプ地とした。火起こしは慣れなかったが、成功して、一夜を過ごすぐらいはできる。夜食は川で取った魚数匹だった。
 特に何事もなく、一夜を過ごせた──と思うには、現実はあまりにも厳しかった。

「──二人とも、起きろ」

 見張りを交代して眠っていて、丁度ジュンがその見張り番だったときに事件は起こった。
 静かな、けれど覇気のある声は眠っているとはいえナオトとユナの目を覚した。

「どうした?」

「囲まれてる。数は不明だけど、十は越してるだろうね」

 現在、三人は川近くの草原の上で、パチパチと音を鳴らす焚き火の周りに眠っている。しかし少し離れると辺りは真っ暗であり、よってジュンは詳細な状況を把握できなかった。

「どうします?」

 最低限でも十名以上に囲まれている。すぐに襲ってこないところを見ると、慎重心というものを持ち合わせていそうだ。つまりは知的生命体であることを示している。
 黒の教団であることが真っ先に頭を過ぎったが、予想したところでどうにもならない。

「──正面突破。もう囲まれている以上、それしか方法はない」

 ユナは加護の力を開放し、闇夜に潜む者たちを見る。が、どうやら彼らは茂みに隠れているようで、夜を見通したこともあり、今の彼女の力では隠れる敵を見つけ出すことはできなかった。しかし、全く分からないということもなく、何となくだが、そこに居るかどうかは感じることができた。その思い込みと殆ど等しい感覚で、ユナは突破口に最適な場所を見つける。
 彼女は二人にハンドサインでそのことを伝えると、走り出す。

「────」

 茂みに隠れていた襲撃者たちはユナたちを逃さまいと、攻撃を仕掛ける。銀色の一閃が走るが、ユナは軽やかな動きで剣戟を避ける。跳躍し、空と地面が逆転したところで弦を引き、矢を放つ。矢は襲撃者の頭蓋骨を撃ち抜いて、脳髄と血液をぶちまけた。

「──っ」

 初めての殺害。しかし仕方がなかった。殺したのは獣人と言われる人によく似た種族だ。だがせざるを得なかった。
 自己嫌悪と自己防衛の必要性に揉まれ、ユナの気分はぐちゃぐちゃに混ぜられた。

「逃がすな! 殺せ!」

 仲間の一人が殺されたことを見た襲撃者たちは、遂に隠れることを辞めてユナたちを殺しにかかる。
 剣を持ち、その姿を表す。狼をそのまま二足歩行にしたような人型の獣。所謂、獣人族というものであり、彼らは人狼族と呼ばれる。特に高い走行力と動体視力を持ち、基礎的な身体能力も高いため、獣人族の中でも上位に位置する種類だ。
 襲ってくる獣人族の足は速く、中々離すことも追いつかれることもないぐらいであった。
 だが、そこまで強いわけではなかった。未だ確定的な数は把握できないが、百も居ない。小隊規模ぐらいだろうか。多くて三十だ。だから、全員殺すことも考えた。そちらの方がカンタンだ。
 
「全員始末しよう。僕たちなら簡単にできるし、そっちのが楽だ」

 ジュンは平然と答えた。彼はこの世界で数年を生きたから、この世界の価値観に影響されている。だから、人でなくても人に近い存在を殺すことに躊躇がない。もしこれが人間であっても、彼は躊躇いなく剣を抜いただろう。が、ナオトとユナの二人の価値観は平和な日本のそれだ。そして直前に獣人を殺したユナは、今にも吐きそうな気分だった。なのにもっと殺せば、正気を失いそうな気もした。

「⋯⋯できな──」

 難しくても逃げることを選びたい。ナオトはジュンの提案を断ろうとしたが、しかし、

「なっ」

 目の前にも、新たな存在が現れた。見たところ獣人ではなく人間であるようだったが、鎧を着ていたりして明らかに一般人ではなかった。彼らは自分たちを追っている獣人とは異なり、すぐには攻撃を仕掛けなかったし、何より真っ先に標的にしたのは後ろの獣人たちだった。
 彼らのうち、弓を持つものが矢を放つ。それは無慈悲にも獣人の体を貫き絶命させる──と思いきや、獣人たちはその矢を空中で弾いた。距離があったからだろう。ユナの矢が弾かれなかったのは、近距離であり、かつ予想もできない体制からの射撃だったからだ。
 しかし分かったことがある。それは、目の前の人間たちは獣人と敵対していて、ユナたちを守ろうとしたことだ。勿論それは警戒されないということではないが、三つ巴にはならなかった。
 
「お前たち、こっちに来い!」

 人間の兵士のうちの一人が、ユナたちに話しかける。鎧を着込んでいて中身は分からなかったが、男の声だった。
 その声に従いユナたちは兵士たちのところへ行く。

「何者かは後で聞く。しかし今は逃げろ。ここから北方向に我々のキャンプがあるから、その方向へ走れ」

 親切なのか、それとも同族意識が高いのか。彼はユナたちを逃してくれるようだ。けれど、戦況を見てみると獣人族は人間の兵士たちを一体で複数人相手にしている。このまま戦えば人間たちが勝つにしても、少なくない負傷者と犠牲者が出るだろう。それほどまでに、獣人と人間には圧倒的な力の差がある。
 兵士はユナたちを弱い子供だと思っているようだ。状況的にそう考えられても全くおかしくはないのだが、事実はそれに反する。もしユナたちが本気になれば、獣人たちを全滅させることは容易いだろう。それが嫌なだけで。
 二人には選択が迫られていた。助けられるはずの人間を見捨て、自分たちの手をこれ以上汚さないようにするか。それとも、助けられる命を助けるか。

「⋯⋯感情論は嗜好品だ」

 ナオトは一言、それだけ言った。意味を理解したユナは、弓を握る力を無意識的に強めた。
 ──二人は、獣人を殺してでも人間を救うことにした。肌の色より違いがある彼らを殺すことには、肌の色しか違わない人間を見殺しにするよりよっぽど精神衛生上良い。最悪と超最悪の違いとは言え、明確な差は存在する。

「おい? 何をしてる?」

 逃がそうとした兵士は、突然武器を握りしめた子供たちに不信感を募らせる。当然だ。彼には三人が、ひ弱で可哀想な子供にしか見えなかったから。
 ──その分、三人が獣人たちを虐殺し始めたときの衝撃は大きかった。弓矢は弾くにしても、戦技が乗ったそれを弾いた手は砕ける。双剣は刃が通りにくいはずの獣毛をいとも簡単に切り裂く。冷気によって獣人たちはなすすべ無く氷像となり、死んでいく。
 獣人と人間が戦うと、人間側が三倍の数を揃えていても三割ほどは死亡し、二割は重症を負い、残りは軽傷を負うのが普通だ。しかし三人は無傷で、獣人を殺し尽くした。人間たちに一切の犠牲が出る前に、だ。

「あんたたち⋯⋯何者だ?」

 まさに英雄とされる領域の存在。人間における最高峰となる存在。それを目の当たりにした兵士たちは、ただ呆然と立っているしかなかった。彼らの心には蟠りが溜まっていることを知らなかったが。

「⋯⋯ただの人間ですよ」

 ◆◆◆

 案内された場所は所謂キャンプ地というものだった。駐屯地と言うには設備が貧弱で、しかし軍隊が駐屯するには十分だ。
 布のパーテーションで個室が作られていて、そこにはテントが設営されている。キャンプ地を歩いていると様々な部屋を見ることができ、台所だったり、医務室なんかがあった。医務室にはいくつもの薬品が用意されていた。治癒魔法使いは居ないか、それでは間に合わないのだろう。

「ここで待っていてくれ」

 ユナ、ナオト、ジュンの三人はとある一室──おそらくは会議室に通された。そこへ行くまでには何も聞かれなかったため、ここで話を聞くということなのだろう。そして相手は、しばらく時間を過ごし、来た。
 翠色すいしょくの髪は邪魔にならないようにポニーテールに纏められていた。動きやすくするためか、脇下や股などの装甲はなく、最低限の機能しかない鎧を着用し、腰にはブロードソードが掛けられている。細い肢体は鍛えていないわけではなく、限界まで筋肉をしぼった事による痩せ方だった。そして戦場にまるで似合わないその美貌は、まさに戦姫せんきの名を欲しいがままにしていた。

「私はこの中隊の隊長、ライリー・マディ・ヴィクトリアスだ。よろしく」

 覇気があって、力強い印象を受ける声だった。思わず姿勢を正してしまうほどに彼女には上官の威厳がある。
 三人も名乗ってから、話は始まった。

「まず、どうしてこんな所にいた? 今の国内の状況を鑑みれば、ここに来ることなんてないはずだ」

 ライリーは強いと、ジュンは気づいていた。彼の勘は、彼女の力量が転移者並み──技術も合わせれば、転移者を超える戦闘力を発揮するだろう、と判断していた。そして同時に、彼女には誤魔化した理由が通じないとも。

「──僕たちは黒の魔女を追い詰めた」

 まだ話している途中であったが、『黒の魔女』と聞いた瞬間、ライリーの表情は険しくなった。それだけ黒の魔女は世界に恐れられているということである。

「⋯⋯でも、あと一歩のところで倒しきれなかった。奴は魔力を実体化し、それに僕たちは飲み込まれた。そして気がつけば、この国に居た」

 いくら魔法がある世界だとしても、にわかには信じ難い事物だ。しかし、ライリーはジュンの瞳を、その奥を視た。

「⋯⋯なるほど。嘘のようにも聞こえるが、どうやら本当の事みたいだな」

 人は嘘をつくとき、無意識に行う癖のようなものがあるらしい。それを見分けられるのか、はたまた戦士の直感というものなのか。あるいはまた別の方法か。ライリーはジュンの言ったことを、それ以上追及せずに信じた。

「そういうことになると、お前たちの目的は祖国へ帰還すること、ということだな?」

 ジュンは無言で頷く。

「⋯⋯残念だが、それは難し──」

「それはどういう意味だ?」

 ライリーの言葉に、思わずジュンは食い込み気味に質問する。そんな彼に対してライリーは引き気味に落ち着くように言った。

「それは現在の国の状況が原因だ」

 そういえば、ライリーは先程「国内の状況を鑑みれば、ここに来ることなんてないはずだ」と言っていた。それは、この国が、

「ララギア亜人連合国では、四年前から次期大統領を決定するための戦争が行われている」

 大統領を決定するための戦争、等と言う、ジュンたちの知る民主主義から離れたパワーワードに彼らは酷く困惑した。しかしながらこの世界における民主主義への意識と彼らの知るそれとは少しばかり乖離しているのだ。血の匂いが濃い国民性によるそれは一種の民意。戦争もまた一つの国民の総意なのだ。勿論、それはララギア亜人連合国でしか通用しない価値観、他の国々からしてみても、あまりに突出した国風であるが、倫理観など種族間で大きな隔たりがあるのは共通認識だ。とある種族では近親相姦や同族嗜食カニバリズムが当たり前であるように。

「ララギアにある大派閥はそれぞれ退路を断つ為に、国境の閉鎖を行っている。国から出ようにも、その閉鎖を突破しないことにはどうにもならない」

 しかしながら、それに関しては何とかなる可能性の方が高い。ほぼ確実であると言っても良いほどだ。即ち、正面から全てを叩き潰すのだ。それができるだけの力が、今の三人にはある。
 だが⋯⋯本当にそれで良いのか?

「⋯⋯君たちは、これからどうなる?」

 亜人と人間では、そこに圧倒的な力量差が存在する。どれだけ鍛錬しても埋められないだけの差がある。

「⋯⋯⋯⋯」

 ライリーは何も答えられなかった。いや、答えはあった。それを口にするのが憚られただけで。

「⋯⋯そうか」

 しかし彼女の顰めた表情や、先の事象で、答えは言われずとも理解できた。

「二人は、どうしたい?」

 今度は、ジュンはナオトとユナに質問を投げかけた。その意味は即ち、この国で彼らを助けるか、それとも自分たちだけで逃げるか。
 片方は感情を基準に、もう片方は合理性を基準に。しかしどちらも、同じことを答えとした。その答えとは、

「──助けたい」
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