白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第百八十話 失恋

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 ドメイとエストには体格差がかなりあり、一見すれば勝敗は明らかであるようだった。しかしながら、この世界では外見は宛にならない。特に強者であるならば、その傾向は顕著だ。体重や身長は強さに関係しても、精々誤差程度である。尤も、小柄で弱いことはあっても、大柄で弱いことはほぼほぼないのだが。
 エストは剣を握り締めるが、様にはなっていない。十代前半の箱入り娘に剣などまるで似合わないし、使ったこともなさそうだ。というか実際ない。
 彼女は知識としての剣術は知っていても、実戦での剣術は知らない。故にエストは素人に毛が生えた程度の実力のみである。彼女は身体能力を魔法によって上昇させたが、技術が身に付くわけではない。
 対してドメイの構えは、エストとは当然だが比較にもならない。正に歴戦の兵士であり、王族とは思えないほど筋がある。体は細いが、それは余分な筋肉を落としたからであり、不健康な細さではない。
 両者が互いの目を見て──先に仕掛けたのはエストだった。
 無詠唱化された転移魔法を行使。ドメイは背後の殺気に反応し、姿勢を低くすると、風を斬る音が響いた。エストの薙ぎ払いには確実な殺意が篭っていて、あれは確かに人を殺せる。
 ドメイは後に蹴りを入れると、エストに命中する。しかし彼女は両腕で防御し、ノックバッこそすれダメージは少ない。だが、それは連撃の初撃に過ぎない。ドメイがエストの眼前に迫り、剣を振るう。エストはそれを何とか同じ剣で受け止めるが、ここに経験の差が現れた。ドメイは蹴りを繰り出し、またもやエストの体制は崩される。
 軽い彼女の体は宙を飛び、地面に落下。全身を強く打って、骨の軋む音が鳴った。ドメイはそんな彼女に追撃とでも言わんばかりに剣を刺し下ろすが、エストは転移魔法で彼から一旦距離を取った。

「⋯⋯⋯⋯」

「どうした? あんな啖呵切ってた割には、そこまでだな?」

 爆裂魔法を撃ちたい欲求を抑えつつも、エストは考える。やはり、剣術でも身体能力でも、ドメイには勝てない。ルール上、圧倒しているだろう魔法も今以上には使えない。
 ならば、この戦いの中で成長するか、あるいは騙すか。その二つに一つ、もしくは両方しなくてはならないだろう。
 
「うっさい。あなたこそ、こんな女の子虐めて楽しいの?」

「ああ。生意気なクソガキを痛めつけられて、な」

「──あー、うん。死ね」

 再度エストは無詠唱転移魔法を行使。展開された瞬間の魔法陣を確認したドメイは「浅はかだな」と心の中で思って、背後を振り返り剣を──

「はっ! 残念! クソエルフくん?」

 エストは、ドメイの正面に転移していた。裏の裏は表。つまり、ドメイは今度こそ完璧に背後を取られたのだ。
 剣先が飛んでくる。しかしドメイも歴戦の兵士。人外じみた反射神経によって完全不意打ちの刺突攻撃を躱せたが、あくまでも致命傷は避けられただけだ。右脇腹を突き刺され、激痛と出血は尋常ではない。
 まだ終わりじゃない、と言わんばかりにエストは跳び膝蹴りを繰り出すと、ドメイの後頭部にクリーンヒット。そして彼女は飛行魔法で空中に浮きつつ、ドメイの頭部を掴み、宙を回転させ地面に叩きつける。
 しかしそこで、不自然に土煙が立って、エストはドメイを視認できなくなった。
 エストはそれが魔法的現象であると判断した瞬間、剣が薙ぎ払われた。彼女も人間の範疇にない反射神経を持っていたし、事前に気づけたから、顔に赤い線が走ったが、彼女の治癒魔法はそれを跡もなく完治させた。
 両者距離を取ることはせず、剣戟を交わす。ドメイは技術で、エストは単純な反射神経で防御していくが、続けば不利になるのは体力的に劣っているエストであることは瞭然だ。
 今すぐにでも仕掛けなければならない。しかし、どうやって?

「────」

 エストは一瞬のために持てる力を全て引き出し、ドメイの剣を弾いた。だがそれで彼女の手は痺れ、連撃は行えない。それどころかこちらの隙となり、

「続けるか?」

 エストの首元に、刃が突きつけられる。あと少しでも動かせば、エストの胴体と首は離れ離れになっていただろう。チェックメイト。ドメイの勝利だ。

「チッ⋯⋯はぁ」

 負けたことを自覚したエストは、剣を消滅させる。それを見てからドメイも剣を鞘に戻した。

「はーい。ドメイの勝ちだね。じゃあ、ドメイ、勝者の権利として、エストに何か一つ言う事聞かせられるよ? あ、まだ子供だから過激なことはなしね?」

「ルトアさん、オレのこと何だと思ってるんですか?」

 ルトアの質の悪い冗談はともかく、ドメイの要望は始まる前から決まりきっていた。それはエストも承知であり、彼女は「好きにして。何も口は挟まないから」とだけ言った。
 そうしてようやく告白する舞台が整ったとき、ドメイの動悸は知らず知らずのうちに早くなっていた。いざ告白するとなると、緊張してきたのだ。
 エストは目を細めて嫌そうな顔をしているが、宣言通りに何も口は挟まない。ルトアもドメイの言いたいことは分かっているようで、ニヤニヤしている。あとは、彼の一言だけだ。

「る、ると、ルトアさん、オレ、あなたのことが──」

 ◆◆◆

「──好きになれたのはあなただけでしたよ」

 夜、王城の自室で、彼は一人そう呟いた。
 あの告白から一年後。ルトアの訃報を聞いたのは今日の昼頃だった。レネからの手紙は珍しかったので、何だろうかと開いてみれば、これだ。

「⋯⋯⋯⋯」

 死亡原因は黒の魔女を封印したことによる犠牲。結果として彼女はラグラムナ竜王国を救ったことになるのだが、生きてその栄光を得ることはできなかった。
 ルトアの死を知ったとき、彼はそこまで驚かなかった。魔女という立場にあるのだ。いつ死んだっておかしくない。

「⋯⋯返事、聞けなかったな」

 エストはドメイの城に住み着くことを嫌ったため、彼女が独り立ちするときまで返事はしないことになっていた。それでも偶に来ていたし、ドメイとの仲は相変わらず悪かったが、フェリシアとの関係は良かったため、そのうち王城に来てもおかしくなかったのだが。

「エスト、お前は⋯⋯大丈夫なのか?」

 最初こそドメイとエストの仲は最悪だったが、しばらく時間が経てば多少はマシになっていた。あくまでドメイはそう思っているだけで、エストからの好感度は相変わらず悪いも、それでも話せる程度は好ましく思われている。

「は⋯⋯最愛の人を亡くした、か」

 視界はボヤケている。ようやく、涙を流し始めたようだ。ようやく、現実を受け止められたようだ。ショックから回復し、哀しみを味わう。

「⋯⋯黒の魔女、メーデア」

 昔、まだドメイがルトアを師事していた頃、彼女はそんな話をしていた。当時はまだメーデアは封印されており、名前に込められた呪いも発動しなかったからドメイはこの名を知っているが、今、他の誰かにこれを言おうとするとペナルティのように全身に激痛が走る。今は一人なのでそのペナルティも発動しない。

「殺してやりたいが⋯⋯ルトアさんが殺せないなら、オレにも無理か」

 ルトアを死なせた張本人は、封印されているが生きている。殺してやりたいが、殺せない悪夢だ。この殺意は抑えなくてはならない。
 そこで、自室の扉がノックされた。こんな時間に来るのは、先程ドメイが呼び出した一人しかいない。

「フェリシア」

 部屋に入ってきたのは、たった一人の親族だった。

「お兄様、お話とは? もしかして、ようやく一緒に住むことが⋯⋯!」

 どうやらレネはドメイにだけ手紙を送ったらしい。きっと、フェリシアのことを思って、だろう。そんな心遣いがこの状況だと苦しい。

「⋯⋯残念だが、それは二度とできなくなった」

「────」

 聡明な妹は、その言葉だけでルトアに何があったかを理解できたようだった。しかし彼女は、それが真実であるかを疑っていた。
 無理もない。魔女が死ぬなど、それこそ魔女に殺される以外ではほぼ有り得ないのだから。黒の魔女の実在と復活を知らないフェリシアには、到底予想もできない。

「黒の魔女。あれを封印するために自己を犠牲にし、戦死だ」

「⋯⋯そんな」

 フェリシアが泣き止み、そして落ち着くのには小一時間を要した。その間、ドメイはずっと彼女を抱き締めていたが、何も話さなかった。
 ただ、妹の鳴き声と雨が建物を打つ音だけが響く。

「お兄様⋯⋯」

 雨の音の中、フェリシアはドメイに話しかける。もう二人は離れていて、どちらも机を囲む椅子に座って紅茶を飲んでいた。今日の紅茶は心なしか味が薄かった。

「何だ?」

「もっと、エストと遊びましょう」

「⋯⋯そう、だな」

 ドメイもフェリシアも、大切な人を亡くすことはもう経験していた。それでも哀しいことには変わりないが⋯⋯エストのそれと比較すれば、まだ心は安定しているだろう。
 それにエストはまだまだ子供だ。外見通りの精神であり、苦痛はドメイたち以上であって当然。
 特にフェリシアはエストと仲が良かったし、年も上だから姉のように振る舞っていた。思うところもあるのだろう。

「また、近いうちに」

 ◆◆◆

 『大樹の森』の中にはいくつか開けた地がある。それらはピクニックや散歩には最適で、毎日訪れる者も居るくらいだ。
 その日は晴れていて、これ以上にないピクニック日和だった。
 魔法で空中を浮いたりして遊んでいるフェリシアとエストを眺めるのは二人の男女、ドメイとレネだ。

「平和ですね」

 少女二人が仲睦まじげに飛び回っているのを見ると、そう思う。ドメイは独り言のつもりであったが、レネは「そうですね」と答えた。

「そういえば、エストには何か異変があったりはしませんか?」

 エストはルトアの死後、白の魔女と成った。ルトアがそうであったから大丈夫なのだろうが、体の構造を変化させるなど通常では考えられない。

「特に何も。⋯⋯いえ、体の成長が遅くなりましたかね。しかし、異常とまでは言えない程度でしょう」

 言われてみれば、彼女が魔女となってからもう六年も経つが、彼女の外見はほぼ変わっていない。人間の子供の成長速度としてみれば、明らかに遅れているが、これは魔女になったことが原因だろう。

「⋯⋯あれからもう六年ですか。この体になってから、時間の流れが早く感じますよ」

 ルトアの死からもう六年が経っている。つい最近のことのように思えるが、人間なら義務教育を六割ほど終えている頃だ。

「長寿種族だから、でしょう。それに、最近じゃあそこまで目立った事件はありませんからね」

 技術や魔法の発展は目まぐるしいが、それでも日々は一瞬で過ぎていく。彼らのような何百年も生きるような種族だと、一年も十年もそこまで変わらないのだ。

「あ、ローゼルク陛下は気になる女性とか見つからないのですか?」

 ローゼルク王国では、王族と一般人との間で結婚することは何ら不思議ではない。寧ろ推奨されるほどである。当然、財産などが分割されることは避けられるし、その家族が王族の一員になるわけでもない。特別な待遇などは受けないが、これは近親相姦の歴史があり、そこで一時王族が壊滅しそうになったための制度だ。
 なので、ドメイは死ぬ前に嫁を貰わなければいけないのだが、

「生活水準は上げたら戻せないように、恋も同じようです。⋯⋯中々、見つかりませんね」

 彼の結婚話はいつもそうだ。相手が見つからない。

「政略結婚にしようか、と考えるほどですね。もう我々亜人種への悪印象もなくなってきましたし」

 ここで異種族の結婚があれば、より種族差別の色は薄くなるだろうか。それを考えた政略結婚も視野にあるが、これまでのローゼルク王国の歴史から、少々忌避感がある。

「難しいですね」

 最愛の人が居なければ、ドメイは結婚ということに無頓着だ。故にどうすればよいか分からない。というか、現状だとどこと政略結婚をしても大して変わらないのだ。だから最終的には本人の好み次第、となるのだが、それが難しい。

「⋯⋯今度街でも歩いてみましょうかね」

 勿論、身元は隠して、だ。王族が街を歩けば、それだけで騒ぎとなる。そこで良い女性でも探そう、と言うのだ。

「まあいいか。オレが死んでも、フェリシアが何とかするでしょう」

「それで良いんですか? ⋯⋯ふふ」

 ドメイは優秀な妹に自分の死後は全て任せる宣言をした。努力はするが、実を結ばない努力も数多くあるものだ。

「それともレネさん、オレのこと貰ってくれます?」

 普通なら言う立場は逆のはずの台詞だが、ことドメイにおいてはそれで正常だ。レネはそれを冗談だと理解して微笑むが、世の中には冗談を冗談だと理解できない人物もいる。

「は? ドメイ、今なんて言ったのかな?」

 物凄い形相で、ドメイを睨む少女──エストに、彼は、

「お前は変わらないな」

 とだけ言った。
 その後に本当にドメイとエストは喧嘩を始めそうになったから、フェリシアとレネは全力で二人を止めることとなったが、今日も今日とて平和だ。
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