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第四章「始祖の欲望」
第百一話 二人目の魔法使い
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サエラのたった一言で、無駄に壮大で犯罪的な二セルフのプロポーズは残酷にも──否、妥当に失敗する。
「というかパンドラって女神様のことですよね。私、女神様じゃありませんけど」
当然の答えだ。自身は女神パンドラではないし、求婚されても、こんな状況で誰がイエスと言うのか。甚だしい図々さだ。
「パンドラ様じゃ、ない。あなた様は、違う?」
「ええ。私はただの村娘です。だから、さっさと私を戻してください」
何をどう間違えたのかは理解できないが、何にせよこれは立派な誘拐罪だ。二セルフには謝罪し、サエラを村に帰す義務がある。どう考えてもそうするべきだし、普通ならそうするだろう。──そう、普通なら。
「──違う。パンドラ様じゃないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃないないないないないいいいいッ!」
異常、異質、異形、狂っていて、話にもならない。関わらないことこそ最高の付き合い方であるが、ズカズカとこちらへ踏みよってくる正に最悪。
人間というより最早怪人だ。人としての形を保っているだけの化物だ。
「──っ!」
「お前はパンドラ様じゃない! だったらなぜそんな姿をしている! でないなら、そうじゃないなら、ないならないならないなら、お前は生きるべきじゃない! パンドラ様を騙るな、この売女め!」
手のつけようがない男。それに恐怖を覚えたサエラはその場から逃げようとするが、
「死ねッ!」
「きゃあっ!」
サエラを馬乗りする形で、二セルフは殴り掛かる。一発一発に確実に殺意があり、的確に頭を狙ってくる。盲目ではあるが、そんなこと手に取るように理解できる。このままでは、死んでしまうと。
「お前は死ぬべきだ! そうして殻になった体を、パンドラ様の依代としろ!」
その依代になる体を傷つけてどうする、なんて考えられないのだろう。ニセレフは狂ってる。冷静になれないのだ。異常で、異質で、異色で、奇怪で、奇妙だ。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
殴り、蹴り、壊し、潰す。鼻柱は砕け、体中のいくつかの骨は折れている。血が白いドレスを汚し、痛みに喘ぐ涙が流れている。裂傷に打撲が酷くて、仮にここで適切な治療を受けたとしても完全回復は不可能。確実に、後遺症は残るだろう。
しかし、これでは二セルフは満足していなかった。
「うっ⋯⋯くあ⋯⋯っ!」
サエラの首を、二セルフは全力で締め上げた。少女の細い首が、成人男性の握力に締め付けられれば一溜まりもない。
抵抗する力は疾うになくなっていて、無抵抗に苦しみを味わうしかない。
「かっ⋯⋯」
気管が潰され、空気で肺を満たせない。窒息が迫ってきていて、苦しみは指数関数的に増大していく。
苦しい、辛い、嫌だ、死にたくない。
死の恐怖が刻々と迫ってきているのがよく分かる。脳に酸素が届いていないからか、目の前がボンヤリしてくる。けれど苦しみだけは鮮明なままだ。
死ぬということだけが頭に浮かぶ。けれど、抵抗は無意味で、無駄で、無足で、無益で、虚しくて、儚い結果となる。
無遠慮に二セルフはサエラを誘拐し、思考停止に彼女をパンドラだと、女神だと決めつけ、そうでないと分かれば身勝手に殺しにかかる。何とも救いようがない男だ。何とも屑な男だ。
「──」
しかし、悪人の為すことは全て、事前に淘汰されるというわけではない。この世は弱肉強食だ。どんなに論理が狂っていても、どんなに倫理的に可笑しくても、どんな怪物でも、力さえあれば絶対者だ。勝者こそ正義。そんな世界だ。
「⋯⋯ああ、これで、パンドラ様が」
二セルフは、サエラという一人の罪なき──いや、弱いという罪人の少女を、その手で、故意的に、手前勝手に、殺意を持ってして、命を、魂を、自我を、権利を、殺し、汚し、陵辱し、侵した。
その光景を、イザベリアは最後に見た。終わったあとに、事後に、それらを見た。
「──」
もう、遅い。もう、手遅れ。もう、無意味。
死んだ、殺された、誰に、奴に、目の前の男に、サエラは、サエラ・ミルフィズは侮辱され、殺された。
「──死ねよ、クソ野郎」
イザベリアは右手を二セルフに向けると、魔力を撃ち出す。純粋な魔力の塊は音速を超えるスピードで発射され、それが二セルフの足を潰す。
突然の激痛と、それの不可思議さに脳の情報処理が追いつかず、二セルフはただ痛みに喘ぎ、ただならない殺意と憎悪を隠そうともしていないイザベリアを目視すると、後ろへ無意識的に、本能的に下がる。
「何だおま──」
「喋るなよ、ゴミ虫が」
今度は腕を狙う。肩の辺りに亀裂が生じて、肉を切断し骨を断つ。皮一枚で繋がることさえ許されず、両腕は肩から先が切断された。
これまでに感じたことのない痛みに絶叫することさえできず、二セルフは嗚咽する。
「殺すことくらい簡単だ。でも、すぐに殺してしまえば私のこの煮えたぎる憎悪は晴らせない。分かるよね? 分かってるよね? 分かっていなければならないはずだよね? 分かっていろ。理解していろ。お前は楽には殺さない。死ぬまでに苦しめ、苦しんで喘いで狂い藻掻いて後悔して痛んで死ね。死を恐怖しながら死ね。その汚い生き意地を晒し、無様に抗って死ね。死ね。死んでしまえ」
両腕を切断し、両足を潰し、動けない達磨にしてから、終わりのない、あるとしたら死ぬときである拷問の開始だ。
「さあ、サエラの苦しみを味わえ。彼女の憎悪が私の憎しみだ。お前をできる限り苦しめ、痛めつけ、弄び、最も残酷な方法で殺してやるね」
腹を蹴る。直接内蔵を痛めつけ、内出血を引き起こす。全身に痛みが伝わった。
胸に魔力の塊を撃ち込む。あえて貫通しない程度に弱めるが、それは胸骨を粉砕せず、折った。折れた骨は肺に突き刺さり、空気の代わりに血液で満たす。
血を吐こうとしたところで、イザベリアは二セルフの口を靴で塞ぐ。血は体外へ出されず、そのまま口に戻る。言いようもない気色悪さが彼を襲った。
口に入れたままの靴──足を、更に入れこむと、靴は喉を蹴りつける。そのまま地面に叩きつけた。
「その顔を整形してあげる」
そう言うとイザベリアは二セルフの顔面を踏み始めた。
一発一発に力を込めて、確実にその顔の造形を歪めていく。鼻柱を折って、歯を砕き、肉を裂き、踏んで踏んで踏みつけて、何度も何度も潰していく。
原型がまるで分からなくなったころでようやくイザベリアはそれを止めると、二セルフはどうやら気絶してしまったようだ。当たり前だ。すぐさま処置を受けなければ死ぬような状態なのだ。気絶しないほうが可笑しい。しかし、これは殺害の手順ではない。拷問だ。尤も、それは何を答えても終わらないものであるが。
「とっとと起きろよ」
股間を、イザベリアは潰す。二つの玉が見事にグチャグチャの肉塊となり果て、棒は使い物にならないだろう。
しかし、気絶からも起こす痛みには違いなく、二セルフは意識を取り戻してしまった。
「やめ」
無意味な命乞いをしようとするが、二セルフには最低限の人権はなく、勿論発言権もない。
イザベリアは有無を言わさず二セルフへの暴行を再開する。
「私が満足するまでは殺さないし、死なせないから安心しなよ」
二セルフの眼球を、イザベリアの白くて細い指が抉る。肉を引き千切り、球体のそれを人体から抜き取ると、荒々しい傷でまみれて、血が溜まった眼窩のみが残った。
「ああああああああッ!」
イザベリアは抜き取った眼球を二セルフの口に押し込み、折れて使い物にならない歯で咀嚼させる。
口の中に血液とその他の体液が広がり、食感は最悪そのものだ。
「ほらほら、どう? お味は」
ゴクン、と喉仏が鳴ったのを確認すると、もう片方の目でもまた同じことを繰り返す。
自分の眼球を二つも飲み込んだ嫌悪感は計り知れないだろう。
「さて、ここまでやればサエラも納得するだろうね。私も満足だ。だからこれで終わり」
終わりとは開放という意味ではない。いや、ある意味では開放か。何にせよ、結果は死だ。
それは死刑宣告であり、絶対的に救いの言葉ではない。この少女は悪魔だ。
「最後まで苦しみ、痛みを味わって、死んで」
魔力を練り、それを撃ち出す。魔力は刃のようになって、二セルフの肉を削ぐ。あえて即死させないように、慎重かつ精密に、殺さないように殺していく。
時間をかけてゆっくりと、殺さないようにじっくりと、気絶しないよう次第次第に、しかし着実に削っていく。
これ以上は無理だと言うところでようやくイザベリアは、二セルフを確実に殺しにかかる。だがそれは魔力によっての殺害ではなく、
「サエラと同じ方法で死んでしまえ」
イザベリアは、ニセルフの首を直接締め付けた。衰弱しきった体では抵抗さえできず、ニセルフはすぐに死亡する。
「⋯⋯」
虚無だ。最愛の人は死んでしまった。絶望が、憎悪で引き止めていた正気が飛んでしまいそうだった。
でもそんなとき、突然目の前に少年が現れた。
「魔力の反応があったから来てみたら⋯⋯何だこの有り様」
黒髪の少年はこの惨劇を見て、ゾッとすることはあっても取り乱したりはしないようだった。
「⋯⋯君がやったのか?」
少年はイザベリアにそう問いかける。けれど、彼女の心は虚無そのものだ。受け答えなどできる状態にない。
「ノー返答か。⋯⋯まあ、ここに置いていけばどうなるか分かったもんじゃないし、連れて行くか」
イザベリアと少年の足元に白色の魔法陣が展開される。
◆◆◆
──死ね。死んでしまえ。
「っ!?」
イザベリアは己が精神を蝕んだ嗜虐心の覚醒によって、底にあった意識が水面へと浮き上がる。
勢い良く飛び起きて、周りを確認する。
そこは、何の変哲もない部屋だった。広くもなければ狭くもなくて、ベッドとクローゼット、あとは机の椅子があるだけの寝室だ。
『起きたか、小娘』
突然、声がした。その方向を見ると、漆黒の体の蜥蜴のような生物がいた。体長はおよそ2mほどだ。それには翼があり、体表を覆うのは鋼鉄よりも硬い鱗であった。
「え⋯⋯っ⋯⋯」
『そう怯えるな。我は汝に危害など与えん』
それは──彼は、竜だ。世界に極少数しか存在しないが、最強の種族。人間の国なんて簡単に滅ぼされてしまうほどの脅威を持つ存在たちだ。
目の前の彼はその体長から、幼体であると思われる。竜は成長速度が遅いのだ。
『おい、我が主よ、小娘が起きたぞ』
竜はイザベリアではない誰かに、彼女が起きたことを告げる。
事態を整理しなくてはならない。⋯⋯確か、サエラを助けに行ったところで、
「──うっ」
──思い出した。
殺した、人を。殺した、アレを。自らの手で。
だが、殺したことへの忌避感や嫌悪感はない。そればかりは今も変わらない。問題はその方法にある。
「私は⋯⋯何であんなやり方を⋯⋯」
殺す、それには何の変わりもなかった。だけど、その過程が狂っていた。
どうしてあんなにも残虐な方法で殺害したのか。どうしてあんなにも残酷な方法を取れたのか。憎悪に支配されてした行動が、正気の今だと吐気がする。自分が自分でないような、そんな感覚だ。
「狂ってる⋯⋯狂ってた」
一時の激怒とはあんなにも自らの行動を制御できないものなのか。後悔したってやってしまったものは取り戻せないし、気持ちを切り替えるべきだと頭では分かっていても思考がそればかりに集中する。
「君は子供だ。それが理由さ」
部屋の扉を開けて、一人の少年が入ってくる。背丈は高い方だが、特別高いわけでもない程度で、この辺りでは珍しい黒髪の男だ。顔立ちも、少し異なる。
「まあ、俺が言えた立場にないんだけどな⋯⋯何にせよ、君が悔やむ必要はない。その行動には、肯定しないがな」
フォローのつもりなんだろう。まるでなっていないが。
とにかく、今は自分が行ったことではなく、少年に色々と話を聞かなくてはならない。現状把握と、これからの方針を決める必要がある。
「あなたは誰? ここはどこなの?」
「ここは俺の隠れ家だ。俺は⋯⋯」
そこまで言ったところで、少年は口を止める。
「⋯⋯君、魔力を持っているね?」
そして、脈絡もなく突然、そう聞いた。イザベリアは少しだけ困惑するが、正直に持っていることを伝える。多分その口振りだと、知っているのだろう。確認のために、少年はイザベリアに聞いたに過ぎない。だから、嘘を付くことは愚策だ。
「そうか。分かった。⋯⋯そうだな」
少年は少しだけ考えると、
「君が望むなら、すぐにでも開放しよう。しかし、その後のことまでは保障しない。君は独断であの男の元に赴き、殺害した。それが何を意味するかは、君のような子供でも分かっているはずだ」
まず間違いなく、殺人の容疑に問われる。しかもその殺害方法が、魔力操作による殺害。すぐに危険人物として拘束され、人体実験の後に処分──最悪なケースだとこれだ。その他のケースも、多少これよりマシ程度だろう。
「俺とて君のような少女一人を見捨てるのは好ましくない。状況を鑑みるに、君は何の理由もなくあの男を殺したわけではないのだろう? 俺は一人の子供くらいなら養えるし、研究の手伝いが丁度欲しかったんだ。そこのドラゴンじゃ、魔法が使えるまでにはその期間が長すぎるからね」
『主よ、その発言は聞き捨てならないな。我も、すぐにその魔法が使えるように⋯⋯』
「お前の『すぐ』は人間感覚だと『数百年』なんだよ」
何やら少年とドラゴンが言い争っているが、イザベリアは彼の提案について考える。
確かに、このまま自由になったって未来はない。死刑、もしくはそのほうがマシな罰に処されることは確定事項だ。だったら、この少年の提案を受け入れ、研究とやらに付き合うほうが良いだろう。しかし、それには一つ問題がある。
「私の両親は⋯⋯どうするの?」
イザベリアには当然だが両親が居る。その二人を置いてけぼりにして、何の連絡もなしに離れることは心が痛い。唯一にして最大の憂慮点だ。
「君が戻ったところで君は碌な対応を受けないだろう。君の両親も、ただでは済まない。俺は君を雇用しているも当然なんだし、それには対価が必要だ。無賃金労働をさせるほど俺は非道じゃない」
「なら、私は」
「──君の両親までもを保護する余裕はない。けど、手助けはできる。俺にも知り合いが多くてな。別大陸に飛ばしてやれば、生涯安泰だろう。そうすれば、いつでも会いに行ける」
一緒に住む、までの高望みはできなかったが、それも妥協点としては悪くない。後は両親の同意だけだ。
ともかく、今後の方針は決定したも同然である。
「確認しよう。俺は君を研究助手として雇用する。対価は君の両親の別大陸への移住の保障、そして君自身の面倒を見ることだ。それで良いか?」
イザベリアは契約内容を受諾すると、少年は微笑み返して、
「では改めて、自己紹介を。俺の名前は──」
「というかパンドラって女神様のことですよね。私、女神様じゃありませんけど」
当然の答えだ。自身は女神パンドラではないし、求婚されても、こんな状況で誰がイエスと言うのか。甚だしい図々さだ。
「パンドラ様じゃ、ない。あなた様は、違う?」
「ええ。私はただの村娘です。だから、さっさと私を戻してください」
何をどう間違えたのかは理解できないが、何にせよこれは立派な誘拐罪だ。二セルフには謝罪し、サエラを村に帰す義務がある。どう考えてもそうするべきだし、普通ならそうするだろう。──そう、普通なら。
「──違う。パンドラ様じゃないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃないないないないないいいいいッ!」
異常、異質、異形、狂っていて、話にもならない。関わらないことこそ最高の付き合い方であるが、ズカズカとこちらへ踏みよってくる正に最悪。
人間というより最早怪人だ。人としての形を保っているだけの化物だ。
「──っ!」
「お前はパンドラ様じゃない! だったらなぜそんな姿をしている! でないなら、そうじゃないなら、ないならないならないなら、お前は生きるべきじゃない! パンドラ様を騙るな、この売女め!」
手のつけようがない男。それに恐怖を覚えたサエラはその場から逃げようとするが、
「死ねッ!」
「きゃあっ!」
サエラを馬乗りする形で、二セルフは殴り掛かる。一発一発に確実に殺意があり、的確に頭を狙ってくる。盲目ではあるが、そんなこと手に取るように理解できる。このままでは、死んでしまうと。
「お前は死ぬべきだ! そうして殻になった体を、パンドラ様の依代としろ!」
その依代になる体を傷つけてどうする、なんて考えられないのだろう。ニセレフは狂ってる。冷静になれないのだ。異常で、異質で、異色で、奇怪で、奇妙だ。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
殴り、蹴り、壊し、潰す。鼻柱は砕け、体中のいくつかの骨は折れている。血が白いドレスを汚し、痛みに喘ぐ涙が流れている。裂傷に打撲が酷くて、仮にここで適切な治療を受けたとしても完全回復は不可能。確実に、後遺症は残るだろう。
しかし、これでは二セルフは満足していなかった。
「うっ⋯⋯くあ⋯⋯っ!」
サエラの首を、二セルフは全力で締め上げた。少女の細い首が、成人男性の握力に締め付けられれば一溜まりもない。
抵抗する力は疾うになくなっていて、無抵抗に苦しみを味わうしかない。
「かっ⋯⋯」
気管が潰され、空気で肺を満たせない。窒息が迫ってきていて、苦しみは指数関数的に増大していく。
苦しい、辛い、嫌だ、死にたくない。
死の恐怖が刻々と迫ってきているのがよく分かる。脳に酸素が届いていないからか、目の前がボンヤリしてくる。けれど苦しみだけは鮮明なままだ。
死ぬということだけが頭に浮かぶ。けれど、抵抗は無意味で、無駄で、無足で、無益で、虚しくて、儚い結果となる。
無遠慮に二セルフはサエラを誘拐し、思考停止に彼女をパンドラだと、女神だと決めつけ、そうでないと分かれば身勝手に殺しにかかる。何とも救いようがない男だ。何とも屑な男だ。
「──」
しかし、悪人の為すことは全て、事前に淘汰されるというわけではない。この世は弱肉強食だ。どんなに論理が狂っていても、どんなに倫理的に可笑しくても、どんな怪物でも、力さえあれば絶対者だ。勝者こそ正義。そんな世界だ。
「⋯⋯ああ、これで、パンドラ様が」
二セルフは、サエラという一人の罪なき──いや、弱いという罪人の少女を、その手で、故意的に、手前勝手に、殺意を持ってして、命を、魂を、自我を、権利を、殺し、汚し、陵辱し、侵した。
その光景を、イザベリアは最後に見た。終わったあとに、事後に、それらを見た。
「──」
もう、遅い。もう、手遅れ。もう、無意味。
死んだ、殺された、誰に、奴に、目の前の男に、サエラは、サエラ・ミルフィズは侮辱され、殺された。
「──死ねよ、クソ野郎」
イザベリアは右手を二セルフに向けると、魔力を撃ち出す。純粋な魔力の塊は音速を超えるスピードで発射され、それが二セルフの足を潰す。
突然の激痛と、それの不可思議さに脳の情報処理が追いつかず、二セルフはただ痛みに喘ぎ、ただならない殺意と憎悪を隠そうともしていないイザベリアを目視すると、後ろへ無意識的に、本能的に下がる。
「何だおま──」
「喋るなよ、ゴミ虫が」
今度は腕を狙う。肩の辺りに亀裂が生じて、肉を切断し骨を断つ。皮一枚で繋がることさえ許されず、両腕は肩から先が切断された。
これまでに感じたことのない痛みに絶叫することさえできず、二セルフは嗚咽する。
「殺すことくらい簡単だ。でも、すぐに殺してしまえば私のこの煮えたぎる憎悪は晴らせない。分かるよね? 分かってるよね? 分かっていなければならないはずだよね? 分かっていろ。理解していろ。お前は楽には殺さない。死ぬまでに苦しめ、苦しんで喘いで狂い藻掻いて後悔して痛んで死ね。死を恐怖しながら死ね。その汚い生き意地を晒し、無様に抗って死ね。死ね。死んでしまえ」
両腕を切断し、両足を潰し、動けない達磨にしてから、終わりのない、あるとしたら死ぬときである拷問の開始だ。
「さあ、サエラの苦しみを味わえ。彼女の憎悪が私の憎しみだ。お前をできる限り苦しめ、痛めつけ、弄び、最も残酷な方法で殺してやるね」
腹を蹴る。直接内蔵を痛めつけ、内出血を引き起こす。全身に痛みが伝わった。
胸に魔力の塊を撃ち込む。あえて貫通しない程度に弱めるが、それは胸骨を粉砕せず、折った。折れた骨は肺に突き刺さり、空気の代わりに血液で満たす。
血を吐こうとしたところで、イザベリアは二セルフの口を靴で塞ぐ。血は体外へ出されず、そのまま口に戻る。言いようもない気色悪さが彼を襲った。
口に入れたままの靴──足を、更に入れこむと、靴は喉を蹴りつける。そのまま地面に叩きつけた。
「その顔を整形してあげる」
そう言うとイザベリアは二セルフの顔面を踏み始めた。
一発一発に力を込めて、確実にその顔の造形を歪めていく。鼻柱を折って、歯を砕き、肉を裂き、踏んで踏んで踏みつけて、何度も何度も潰していく。
原型がまるで分からなくなったころでようやくイザベリアはそれを止めると、二セルフはどうやら気絶してしまったようだ。当たり前だ。すぐさま処置を受けなければ死ぬような状態なのだ。気絶しないほうが可笑しい。しかし、これは殺害の手順ではない。拷問だ。尤も、それは何を答えても終わらないものであるが。
「とっとと起きろよ」
股間を、イザベリアは潰す。二つの玉が見事にグチャグチャの肉塊となり果て、棒は使い物にならないだろう。
しかし、気絶からも起こす痛みには違いなく、二セルフは意識を取り戻してしまった。
「やめ」
無意味な命乞いをしようとするが、二セルフには最低限の人権はなく、勿論発言権もない。
イザベリアは有無を言わさず二セルフへの暴行を再開する。
「私が満足するまでは殺さないし、死なせないから安心しなよ」
二セルフの眼球を、イザベリアの白くて細い指が抉る。肉を引き千切り、球体のそれを人体から抜き取ると、荒々しい傷でまみれて、血が溜まった眼窩のみが残った。
「ああああああああッ!」
イザベリアは抜き取った眼球を二セルフの口に押し込み、折れて使い物にならない歯で咀嚼させる。
口の中に血液とその他の体液が広がり、食感は最悪そのものだ。
「ほらほら、どう? お味は」
ゴクン、と喉仏が鳴ったのを確認すると、もう片方の目でもまた同じことを繰り返す。
自分の眼球を二つも飲み込んだ嫌悪感は計り知れないだろう。
「さて、ここまでやればサエラも納得するだろうね。私も満足だ。だからこれで終わり」
終わりとは開放という意味ではない。いや、ある意味では開放か。何にせよ、結果は死だ。
それは死刑宣告であり、絶対的に救いの言葉ではない。この少女は悪魔だ。
「最後まで苦しみ、痛みを味わって、死んで」
魔力を練り、それを撃ち出す。魔力は刃のようになって、二セルフの肉を削ぐ。あえて即死させないように、慎重かつ精密に、殺さないように殺していく。
時間をかけてゆっくりと、殺さないようにじっくりと、気絶しないよう次第次第に、しかし着実に削っていく。
これ以上は無理だと言うところでようやくイザベリアは、二セルフを確実に殺しにかかる。だがそれは魔力によっての殺害ではなく、
「サエラと同じ方法で死んでしまえ」
イザベリアは、ニセルフの首を直接締め付けた。衰弱しきった体では抵抗さえできず、ニセルフはすぐに死亡する。
「⋯⋯」
虚無だ。最愛の人は死んでしまった。絶望が、憎悪で引き止めていた正気が飛んでしまいそうだった。
でもそんなとき、突然目の前に少年が現れた。
「魔力の反応があったから来てみたら⋯⋯何だこの有り様」
黒髪の少年はこの惨劇を見て、ゾッとすることはあっても取り乱したりはしないようだった。
「⋯⋯君がやったのか?」
少年はイザベリアにそう問いかける。けれど、彼女の心は虚無そのものだ。受け答えなどできる状態にない。
「ノー返答か。⋯⋯まあ、ここに置いていけばどうなるか分かったもんじゃないし、連れて行くか」
イザベリアと少年の足元に白色の魔法陣が展開される。
◆◆◆
──死ね。死んでしまえ。
「っ!?」
イザベリアは己が精神を蝕んだ嗜虐心の覚醒によって、底にあった意識が水面へと浮き上がる。
勢い良く飛び起きて、周りを確認する。
そこは、何の変哲もない部屋だった。広くもなければ狭くもなくて、ベッドとクローゼット、あとは机の椅子があるだけの寝室だ。
『起きたか、小娘』
突然、声がした。その方向を見ると、漆黒の体の蜥蜴のような生物がいた。体長はおよそ2mほどだ。それには翼があり、体表を覆うのは鋼鉄よりも硬い鱗であった。
「え⋯⋯っ⋯⋯」
『そう怯えるな。我は汝に危害など与えん』
それは──彼は、竜だ。世界に極少数しか存在しないが、最強の種族。人間の国なんて簡単に滅ぼされてしまうほどの脅威を持つ存在たちだ。
目の前の彼はその体長から、幼体であると思われる。竜は成長速度が遅いのだ。
『おい、我が主よ、小娘が起きたぞ』
竜はイザベリアではない誰かに、彼女が起きたことを告げる。
事態を整理しなくてはならない。⋯⋯確か、サエラを助けに行ったところで、
「──うっ」
──思い出した。
殺した、人を。殺した、アレを。自らの手で。
だが、殺したことへの忌避感や嫌悪感はない。そればかりは今も変わらない。問題はその方法にある。
「私は⋯⋯何であんなやり方を⋯⋯」
殺す、それには何の変わりもなかった。だけど、その過程が狂っていた。
どうしてあんなにも残虐な方法で殺害したのか。どうしてあんなにも残酷な方法を取れたのか。憎悪に支配されてした行動が、正気の今だと吐気がする。自分が自分でないような、そんな感覚だ。
「狂ってる⋯⋯狂ってた」
一時の激怒とはあんなにも自らの行動を制御できないものなのか。後悔したってやってしまったものは取り戻せないし、気持ちを切り替えるべきだと頭では分かっていても思考がそればかりに集中する。
「君は子供だ。それが理由さ」
部屋の扉を開けて、一人の少年が入ってくる。背丈は高い方だが、特別高いわけでもない程度で、この辺りでは珍しい黒髪の男だ。顔立ちも、少し異なる。
「まあ、俺が言えた立場にないんだけどな⋯⋯何にせよ、君が悔やむ必要はない。その行動には、肯定しないがな」
フォローのつもりなんだろう。まるでなっていないが。
とにかく、今は自分が行ったことではなく、少年に色々と話を聞かなくてはならない。現状把握と、これからの方針を決める必要がある。
「あなたは誰? ここはどこなの?」
「ここは俺の隠れ家だ。俺は⋯⋯」
そこまで言ったところで、少年は口を止める。
「⋯⋯君、魔力を持っているね?」
そして、脈絡もなく突然、そう聞いた。イザベリアは少しだけ困惑するが、正直に持っていることを伝える。多分その口振りだと、知っているのだろう。確認のために、少年はイザベリアに聞いたに過ぎない。だから、嘘を付くことは愚策だ。
「そうか。分かった。⋯⋯そうだな」
少年は少しだけ考えると、
「君が望むなら、すぐにでも開放しよう。しかし、その後のことまでは保障しない。君は独断であの男の元に赴き、殺害した。それが何を意味するかは、君のような子供でも分かっているはずだ」
まず間違いなく、殺人の容疑に問われる。しかもその殺害方法が、魔力操作による殺害。すぐに危険人物として拘束され、人体実験の後に処分──最悪なケースだとこれだ。その他のケースも、多少これよりマシ程度だろう。
「俺とて君のような少女一人を見捨てるのは好ましくない。状況を鑑みるに、君は何の理由もなくあの男を殺したわけではないのだろう? 俺は一人の子供くらいなら養えるし、研究の手伝いが丁度欲しかったんだ。そこのドラゴンじゃ、魔法が使えるまでにはその期間が長すぎるからね」
『主よ、その発言は聞き捨てならないな。我も、すぐにその魔法が使えるように⋯⋯』
「お前の『すぐ』は人間感覚だと『数百年』なんだよ」
何やら少年とドラゴンが言い争っているが、イザベリアは彼の提案について考える。
確かに、このまま自由になったって未来はない。死刑、もしくはそのほうがマシな罰に処されることは確定事項だ。だったら、この少年の提案を受け入れ、研究とやらに付き合うほうが良いだろう。しかし、それには一つ問題がある。
「私の両親は⋯⋯どうするの?」
イザベリアには当然だが両親が居る。その二人を置いてけぼりにして、何の連絡もなしに離れることは心が痛い。唯一にして最大の憂慮点だ。
「君が戻ったところで君は碌な対応を受けないだろう。君の両親も、ただでは済まない。俺は君を雇用しているも当然なんだし、それには対価が必要だ。無賃金労働をさせるほど俺は非道じゃない」
「なら、私は」
「──君の両親までもを保護する余裕はない。けど、手助けはできる。俺にも知り合いが多くてな。別大陸に飛ばしてやれば、生涯安泰だろう。そうすれば、いつでも会いに行ける」
一緒に住む、までの高望みはできなかったが、それも妥協点としては悪くない。後は両親の同意だけだ。
ともかく、今後の方針は決定したも同然である。
「確認しよう。俺は君を研究助手として雇用する。対価は君の両親の別大陸への移住の保障、そして君自身の面倒を見ることだ。それで良いか?」
イザベリアは契約内容を受諾すると、少年は微笑み返して、
「では改めて、自己紹介を。俺の名前は──」
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そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
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