白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第四章「始祖の欲望」

第九十五話 力の責任

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 エストが屋敷を出てから三日後の真夜中、ようやく、彼女は目的の場所に辿り着いた。
 この大陸最東端の大陸、ラグラムナ竜王国。世界最高最大の軍事国家であり、人っ子一人不法侵入を許さない警備が年中無休で敷かれている。現に、この国でのテロ行為は、これまでになかった──およそ一年前の、黒の魔女の襲撃を除いて。
 国を囲む壁の高さはおよそ50mと高く、更に竜の警備兵が常に空を監視している。人間であるエストからしてみれば何もかもが巨大で、自分が小人になったような錯覚に陥ってしまう。
 壁の門を警備していたのは、勿論のことドラゴンであった。四本脚に二つの翼、鱗の色は赤色の、一般的な種類だ。火竜だろう。
 ドラゴンは本来下等種であるはずのエストに、特に無礼もなく入国するかしないのかを聞く。流石は人間種と交流を行っている国のドラゴンだ。
 すると、ドラゴンの体がいきなり発光し、その姿を変化させる。
 赤髪の、角に翼、尻尾がついているところを除けば人間そのものだ。ドラゴン姿より、人間姿のほうが接しやすいだろうというサービス精神だろうか。

「入国希望者ですか?」

「はい」

「では、あなた様の滞在期間と滞在予定地、そして滞在目的はなんですか?」

「期間は一日、なので宿泊地はなくて、目的は⋯⋯黒の魔女の封印場所を訪れるためです」

 エストは目的を伝えた瞬間、ドラゴンの表情が一気に険しくなる。
 そもそも、黒の魔女については、白の魔女によって殺されたと報道しているはずなのだ。黒の魔女が死亡していないと知るのは、この竜王国民でさえ一握り。

「⋯⋯封印場所、ですか。それは⋯⋯あなた様は一体、何者ですか?」

 そしてその一握りに含まれるのが、目の前の赤髪のドラゴン娘である。その目的は、目の前のような真実を知る者を口封じするため。しかしそれでも、まさか審査時に隠そうともせず、黒の魔女の封印場所に行きたいと言う者が居るとは思わなかったのだが。

「私は、白の魔女。一年前、この国を救った先代の白の魔女の⋯⋯娘、もとい、弟子です」

「娘⋯⋯」

 信用ならない、と言った表情をドラゴン娘は見せる。
 当たり前だ。まだ十二歳の子どもが、世界を滅ぼせるような力を持つ魔女だなんて想像できない。しかし、否定できるだけの根拠もない。

「すみません。あなた様が⋯⋯その、魔女である証明を」

「証明⋯⋯こうかな」

 体内に循環していた魔力の一部を体外に放出する。
 それを視たのか、あるいは感じたのか、ドラゴン娘は少しだけ目を開き、

「分かりました。竜王様のところまで案内いたします」

 ドラゴン娘はエストを魔女だと認め、一先ずは信用してくれたようだ。
 されるがままに、エストはドラゴン娘の後に続いて歩く。
 門を超えたすぐ先は、人間種の居住地域のようで、町並みは人間国家のそれだ。
 エストは、歩幅をさり気なく調整してくれている彼女の気遣いに心の中で感謝する。
 ドラゴン娘はエストに話しかける。

「申し遅れました。私はロミシィー・オルフォント。気軽にロミとお呼びください、魔女様」

 魔女が訪問して来て、その目的が黒の魔女の封印体を見ること。予想外の二つの積は、名乗ることさえ忘れる慌てよう、だ。

「あ、はい。私はエストです」

 魔女とは、畏れられるべき存在であり、普通なら魔女と発声することさえ憚られるのだが、どうやらこの国では異なるようだ。でなければ、今のこの会話を聞いた町中の人々が、少し驚いた目をエストに向けるだけでは済まないはず。
 黒の魔女によって虐殺が引き起こされたが、銀髪の魔女が命を代償にそれを阻止した──プラスマイナスゼロどころか、魔女への信用は、ゼロに近いがプラスとなった、というわけだ。
 勿論、それは盲目的な信仰へ繋がる信用ではない。ウェレール王国とは異なり、あくまで忌憚されない程度の信用だ。

「⋯⋯魔女様は、いや、エスト様はどうして、黒の魔女の封印体をご覧になるのですか?」

「⋯⋯確かめるため。私はもう、以前のままでないということを」

 エストの心は、一年前のままだ。体も記憶も時間を過ごしているが、心はあのとき、止まったまま。停止したままなのだ。彼女がここへ来た理由は、その止まった時計を動かすため。
 ──ルトアは死んだのだと、受け止めるため。

「そうですか⋯⋯。エスト様、一つだけ忠告しておきます。黒の魔女には、決して触れないことです」

 エストの瞳の奥に寂寥感があることを視たロミは、それ以上詳しいことを聞くのは辞めておいた方が良いと判断し、それだけ言って彼女の過去については追求しないようにした。

「触れないこと? それは⋯⋯どうして?」

「アレに行使された時間停止の魔法の効果は強大です。しかし⋯⋯故に、外部からの干渉に弱い。触れると、その部分の時間停止が解除されてしまうのです」

 永続的な時間停止魔法。代償が術者の命であるとはいえ、あまりにも強大過ぎる魔法だ。対象への効果が強いからこそ、対象外からの影響には弱い。

「幸いなことに、ある程度の魔法抵抗能力がなければ触れた判定にさえならないでしょうが⋯⋯」

 当然、エストは干渉者足り得る魔法抵抗能力を持っている。触るのは厳禁だ。元々、触る気なんてなかったのだが、注意しておいて損はないだろう。

「触らぬ神に祟りなし、ってことですか」

 ロミは「はい」とだけ答えて、二人の会話は一旦終わる。
 それからまたしばらく歩いていると、壁を見つける、

「ここからは竜の居住区です」

 人間種と竜種の居住区は壁によって遮られており、本来、外見上人間であるエストでは竜種の居住区に入ることは、緊急時以外禁止されている。
 というのも、竜と人間では体の大きさが異なり、偶発的にその脆い体を踏み潰してしまうかもしれないからである。安全面からの禁止事項なのだ。

「踏みつぶされないように⋯⋯いえ、その心配はありませんか。くれぐれも、ここの住民に怪我を負わさないでくださいね」

 ロミは冗談っぽく、片目を閉じてエストに忠告した。エストは苦笑いをしつつ、その忠告通りに注意しながら歩く。
 竜種の居住区。家屋も、店も、道も、街頭も、何もかもが竜基準の大きさで、設計だ。異質と言えば異質であるのだが、かと言って怯えるほどのものでもない。外とは異なる世界、そうまるで、異世界のような雰囲気を感じる。もっとも、異世界とは本当の意味で、異なる世界のことを指す言葉であると、エストは知っているのだが。

「ロミ、どうしたんだ? 門番の仕事はどうした? それにどうして人間の姿を?」

 そんな時、二人に話しかけてくるドラゴンがいた。
 赤色の鱗は少し黒っぽくなっていて、声質的にもそのドラゴンが成竜であることが分かる。おそらく、ロミの親、または親族だろう。

「お父さん、今、訪問者様の案内をしているの」

「ああ、そうかそうか。後ろのお嬢さんがそうかな? 初めまして」

「⋯⋯え、あ、は、初めまして」

 エストはロミの父親の姿を見ていて、挨拶されたことに気づくのが少し遅れてしまった。
 ロミの父親の姿に、エストは息を呑む。
 ──本来あるべき片腕が無く、そして翼膜よくまくも酷く破損しており、到底飛べそうにないのだ。
 とても痛々しくて、無数の傷跡に、自身にはそんな傷がないというのに怖気を感じてしまう。

「これかい? これは⋯⋯一年前に負った傷でね。それ以降、私はまともに飛べなくなったんだ」

 一年前の、傷。竜に大怪我を負わせられるようなもの。

「⋯⋯エスト様?」

「どうしたんだい? お嬢さん」

 エストは治癒魔法が使える。勿論、部位の欠損も治せるだろう。しかしながら、治癒魔法の原理は、対象の自然治癒力を操り、回復させるといったもの。自然治癒では決して治らないはずの傷でも治せるのが、緑魔法の真髄であるのだ。
 しかし、操る自然治癒力が対象になければ、治癒魔法は発動しない。故に、本来の意味での自然治癒が完了した傷には、治癒魔法は使えない。

「⋯⋯すみません」

 一年前の怪我。それはおそらく、黒の魔女の襲撃によるもの。あのとき果敢に、黒の魔女を迎撃したドラゴンだったのだろう。
 もし、エストがあのときルトアに無理を言ってついて行ったなら? 
 目の前のドラゴンは、二度と飛べなくなるなんていう後遺症を負わずに済んだはずなのだ。
 二人の事情を知るロミはすぐさまエストが謝った理由を察し、言葉に詰まる。だが、

「何を、謝るんだい?」

「だって⋯⋯だって、私がその時居れば、あなたは腕も、翼も失わずに済んだ。私が⋯⋯私が居れば、あなたは今も飛べたはず。なのに⋯⋯」

「⋯⋯この傷は黒の魔女に負わされた傷だ。君が謝る理由がどこにある?」

「私は黒の魔女がこの国に居たことを知っていたし、私はこの国に行けたはず。なのに、私は行かなかった。決断できなかった。ルトアに無理を言っていれば、きっとついて行けたのに、それができなかった」

 エストの発言から、事の真相を断片的ではあるが、ロミの父親は理解した。
 タラレバの話。しかし、エストはそれがただのタラレバではないことを知っている。確実に、そうであった話だ。

「力には、責任が伴う。他の者を助けられる力があるならば、そうすべきだ」

 そうだ。力があるのに、なぜそれを行使しなかった。強者は他の者を助ける義務がある。その責任を果たさなくてはならないのだ。

「──私にもその責任があった。私は黒の魔女に挑んだが、一撃も与えられずに地に落ちた。被害を少しでも減らすことなく、私は負けた」

 ロミの父親──元、王国近衛兵団長、シウス・オルフォントは、エストに「どうして助けてくれなかったのか」なんて言わなかった。聞かなかった。彼女の怠惰を責めなかった。

「いいかい? 竜は誇り高く、力強い種族だ。本来、助けられるべき弱者ではない。大いなる力の責任を持つ者たちだ。君に助けられなかったことに、とやかく言える立場にない。この傷も、私の無力ゆえの傷。そして、傷の責任は私にある。だから、君が私に、私たちに謝る必要も、理由も、意義も、何もないのだよ」

 エストは目の前のドラゴンの言葉に、驚愕する。

「それに君は子供じゃないか。いくら力があったって、その責任はまだまだ重すぎる。これから、その責任を負っていけばいい。これから、弱者を助ける力強き者になっていけばいい」

「──」

「⋯⋯すまないな。初対面だというのに、偉そうに説教をしてしまった。どうも、兵団長だったときの悪い癖が抜けない。許してくれ、お嬢さん」

 シウスはバツが悪そうにそう言った。

「いえ⋯⋯」

 しかしエストは、彼の説教で覚まされた。目の前のドラゴンは尊き種族だ。誇り高い彼らにとって、「助けられなかった」と言うのは、そんな彼らを侮辱するような言葉であったと気づく。

「悪いね、お嬢さん。⋯⋯ロミ、すまなかった。少し話し過ぎてしまったな。仕事を続けてくれ」

「お父さん、本当よ。エスト様、すみません。こんな父親ですが、悪いドラゴンではないのです。ちょっと説教が長くて、誰彼構わず馴れ馴れしく話しかけて、相手の都合なんて考えないだけの──いや、悪いドラゴンですね。許さなくて構いません。一発攻撃魔法でも行使して頂いても、文句なんてないです」

 フォローのつもりで述べたことが、まるでフォローになっておらず、自身の発言に気づいたロミは、シウスが悪いドラゴンであると肯定してしまった。

「ロミ! お前という娘は⋯⋯!」

「だってそうでしょう? 事実を客観的に判断すれば、そうなりますって」

 ドラゴンの親子の喧嘩が始まりそうになったところであったが、

「ふふ⋯⋯」

 エストの微笑で、親子喧嘩は始まる前に中止された。

「あ、ごめんなさい。お二方を見て、ちょっと思い出してしまって」

 ある日の、ルトアとエストのやり取り。ルトアがレネに、エストを誘拐したことについて掘り返され、エストがルトアをフォローしようとしたときにも、彼女はロミと同じようなことを言った覚えがある。それを、思い出したのだ。

「⋯⋯ありがとうございます」

「私は私の思ったことを言ったまでだ。それで君の重荷が外れたなら、嬉しいよ」

 エストはシウスに謝罪ではなく、感謝を伝えた。

「そう言えば、どこへ行くんだ?」

 別れようとしたところで、シウスはエストとロミに、目的地を聞いた。本人──いや、本竜は何気なく聞いたつもりだったのだろう。

「黒の魔女の封印体のところです」

 目的地を聞いた瞬間、シウスの表情が一気に険しくなり、二人に「待て」と言う。

「ロミ、アレについてはどこまで知っている? どこまで知っていて、そこのお嬢さんをアレに案内しようとした?」

 先程までの優しそうな声色ではない。覇気のある声、威厳のある声だ。そして、そこには怒りと畏怖がある。

「え? ⋯⋯場所、くらいだけど。あと、触ったらいけないくらい」

「⋯⋯そう、か。」

「えっと、もしかして、何か不味いことが?」

 エストはシウスの明らかな豹変に、不安を感じる。

「⋯⋯お嬢さんがただの人間でないことは、知っている。だからこれは杞憂であると思うのだが⋯⋯忠告は、しておく」

 エストが魔女であると見抜かれていたことに少し驚くも、後のシウスの言葉に彼女は耳を貸す。

「アレ──黒の魔女は、化物だ。勿論、強さ的な意味でもそうだが⋯⋯それとは別の要素が、可笑しいんだ。アレの姿を見れば、魅入ってしまう。私に大怪我を負わせたというのに、恨むことも、殺意を抱くこともできず、ただ魅了されるんだ。⋯⋯アレには危険な魅力がある。私も、気を持たなければ、あの体に触れて、もう少しで時間停止を解除してしまうところだった」

 シウスは訥々と、黒の魔女の封印体を見たときのことを語る。

「アレは、完全には封印されていない。アレには今も、意識がある。そう、感じるんだ。そして、アレは近くの生き物を魅了する力がある。⋯⋯気をつけてくれ」

 黒の魔女は、完全には封印されていない。たしかに意識があり、そして周りの生者を魅力して、その封印を解かせようとする。
 あの化物であれば、ルトアでさえ封印しきれなかったと言われても信じることができる。

「分かりました。十分に気をつけます」

 そうして、エストとロミの二人はシウスから離れる。
 彼女らの離れていく背中を見て、彼は一言呟く。

「どうして、お嬢さんは」

 シウスは目を閉じると、瞼の裏に黒の魔女の姿が浮かんだ。そして、その後、彼の目の焦点に合ったのは、白髪の少女だった。
 ああ、外見や言動、そしてその精神も、まるで違う。そう、違うはずなのに、

「──アレに、似ている?」
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