白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第四章「始祖の欲望」

第六十九話 死への美徳

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 ──白髪の十代前半くらいの少女は、ベッドの上でその身を男に捧げていた。
 腹部に伝わる圧迫感に吐きそうな嫌悪を抱くも、必死にそれに耐える。もし吐いてしまえば、どうなるか。
 
「ふう⋯⋯」

 男の顔には愉悦の表情が浮かんでいた。背徳感なんて一切覚えていないと言ったような顔だ。
 行為が終了するが、それは一時的に過ぎない。テーブルの上にある瓶の中身は飲み干されており、それが意味するのは一晩中し続けるということ。

「ああ⋯⋯可愛らしい」

 男はエレノアを、卑しくて気持ち悪い笑顔で、半裸の全身をなめ回すように眺める。

「⋯⋯」

 小児性愛者。障害として認定される性嗜好疾患である。多くの場合においては、障害と言われるほど重度の患者は居ないのだが、この娼館は、その数少ない性犯罪をしてしまうほど重症の人間にも利用されるため、ここでは珍しくない。
 自分自身の性欲さえコントロールできない愚か者。だが金だけはあるがために客として迎え入れられる。
 男はエレノアの上に覆いかぶさり、行為を再開しようとする。だが、

「⋯⋯はあ。まあ人の好みを否定するわけではないよ」

 部屋の扉が開かれて、そこから真っ白なゴシックドレスを着た十代後半くらいの女性が現れた。
 彼女は男に向かって、ゴブリンでも見るかのような冷たい視線を送る。

「でも、キミが許されるなら、私が今からしようとすることも許されるべきでしょう。だって、本質的にはどちらも『自分のため』という点で同等なんだからさ」

 白色の魔法陣が展開されて、男は壁に叩きつけられる。肋が数本折れて、肺に刺さり、血を吐く。だが、即死はしなかった。
 首を締め付けられるような重力が発生して、男は空中に浮かぶ。

「──」

 カヒュー、という声にもならない掠れ音が鳴って、男はなんとかその場から離れようと藻掻く。しかし彼を空中に留めているのは実体のない魔法の力。魔法抵抗力が一般人程度であれば、いくら藻掻いたって意味はない。
 呼吸が困難で、苦しみは時間と共に指数関数的に強くなっていく。

「⋯⋯私は、人を甚振るのはあまり好まない。でも、そうだね⋯⋯あくまでそれは場合による、って感じかな。必ずしも、いつ何時、誰に対してでもそう思うかと聞かれれば、私は、違う、と答えるよ」

 無実な人間でも即死させることには何の嫌悪感もないのだが、無駄に甚振ることを、彼女はあまり好まない。魔女としての精神でもそれであって、人間なら尚の事だ。だがそれの相手が屑だったり、救いようもない人間だったりすると、話は異なってくる。
 当たり前だが、犯罪者相手になら何をしたっていいわけではない。許されない罪はないように、すべきはそれに応じた贖罪を迫ることだ。だがしかし、エストの感性においては、その限りではない。彼女は、そんなすべきことだとか、倫理的に許されないからしないだとかの判断はしない。単に彼女は、自身の感情で、自身の好みで、自身がしたいと思うから、犯罪者や屑を甚振るのだ。
 結局殺す慈悲をかけるのだ。その過程にどんな苦しみがあれど、死は全て人生を無に帰すのだから、何も変わりない。そこは、当人の匙加減である。

「人の体の首は、一体どれだけ回るんだろうね?」

 重力がゆっくりと、男の首を回していく。九十度までは、何の苦痛もなかったのだが、それを過ぎても、普通なら回らない、いや回ってはいけない角度に、段々とそれは回っていく。抗えない力によって。絶対的な力によって。痛みのみを、ゆっくりと感じていって。

「⋯⋯人の死は、その人によって変わる。つまり、千差万別というわけだし、文字通り命懸けで表現するもの」

 ──美しい、死は。
 世の中の人間たちは、皆『平等』を求める。だがそれは『公正』ではなく、また実現不可能な理想でしかない。
 生まれた時点で『平等』は与えられず、その後の人生においても同じことが言える。しかし、その実現不可能な理想だが、ある一つだけ、その理想を叶えていた。
 それは『死』だ。人は、いや生物はいつか必ず死を迎える。皆、平等に、何の差もなく。
 理想とは美しいものだ。であれば、『死』は美しいものだ。
 人が創り出す『死』という概念は、これ以上にない美術作品だろう。

「どんな人間でも、そればかりは美しくあるもの」

 狂った美的感覚だと言われれば、反論の余地などない。しかしそれを否定することは誰にも許されない。
 事切れた男の体が重力魔法の効果から外れて、地面にボロ雑巾のように倒れ伏せる。

「エレノア、助けに来たよ」

 エストはエレノアの手を引いて、子供にしても軽すぎるその体を立たせる。
 足がビクビクしているのは、恐怖と快楽からだろう。少しすれば治まるはずだ。

「⋯⋯ありがとう」

 震えた声で、彼女はそう口にして、脱がされていた服を着直した。
 エストは直帰するために、転移魔法を行使する。だが、それは少し遅かったようだ。

「〈転移魔法不能空間アンチ・テレポートマジックエリア〉か⋯⋯仕方ない」

 おそらく、件の転生者が駆けつけたのだろう。転移魔法で逃げることは不可能なようだ。

「⋯⋯全く」

 ◆◆◆

 エストとエレノアの二人は娼館の裏口──今勝手に造った抜け穴──から抜け出した。
 この娼館に火をつけてやろうかと一時は考えたこともあったエストだが、内部には見捨てた娼婦が居るため、また、そんなことをしている暇もないため、さっさと路地裏を走り抜けようとする。
 しかし、そう簡単に物事は進まない。

「──っ」

 バンっと、火薬が爆発するかのような音と共に、エストの足元に鉛球が複数着弾する。

「あ~外したか」

 近くの家屋の屋上に立っていた少年が片手に持つのは、マイが持っていた拳銃と呼ばれる物と同系統の魔法武器のようだった。しかし彼が持つそれは、拳銃や警備兵が持っていた小銃などではない。二本のバレルを持った銃器だ。
 エストは知らないが、それは散弾銃であり、またの名をダブルバレル・ショットガンである。

「エレノア、逃げて」

 エストの言葉に従い、エレノアはその場から離れる。その際に、目の前の少年はエレノアのことを銃器で撃つことも、捕まえようとする素振りさえ見せなかったため、彼女は逃げ切れた。

「てっきりエレノアのことを追いかけると思ったんだけどね」

「僕の目的はあの子供を殺すことでも、追いかけることでもない。それに追わせようとするなら、その殺意を抑えるべきだと思うけど」

 もし少年がエレノアを追ったなら、エストの魔法が飛んでいった。いくら転生者であるとはいえ、エストほどの魔法使いの魔法に直撃すれば重症は免れないだろう。

「そう。⋯⋯で、キミが呼ばれた転生者かい?」

「ああそうだ。僕の名前はシュウジ・ミキ。あんた、白の魔女エストを殺す英雄の名前さ。⋯⋯いや今は魔女じゃなかったんだっけ?」

 転生者である。軍の銃器が使える。エストのことを知っており、またさらに彼女が今は魔女でないということも知っている。
 軍部は娼館、いや裏の犯罪組織と手を組んでいることがこれで判明した。

「分かった──ならあとは、この情報を持ち帰るだけね」

 エストの左手の先に赤色の魔法陣が展開され、真っ黒い炎がシュウジを燃やそうとするも、人外じみた身体能力から繰り出される跳躍によって回避される。
 跳躍したことにより空中に居るシュウジを追撃するため、エストは自身に重力魔法を行使し、サマーソルトの感覚でシュウジを蹴り付け、地面に叩きつける。
 更にエストは創造魔法によって、黒くて細長い鋭利な剣の魔法武器を一つ創り出し、

「〈電磁加速砲レールガン〉!」

 赤色の魔法陣を通過した剣は電磁波を纏い、瞬間的に高速化してどんでもないエネルギーを保有し対象に向かって発射された。
 煙が立ち、シュウジに命中したかは不明だったが、その結果は次の瞬間判明した。
 シュウジを叩きつけた所から10mは離れた位置に着地したはずなのだが、エストの今の反射神経ではそれが一瞬のようであった。
 シュウジの持っていた散弾銃の二本のバレルがいつの間にかエストの目前まで来ており、彼は容赦も躊躇もなく引き金を引いた。
 エストの頭が吹き飛ぶ──はずだったのだが、彼女は既のところで体をひねり弾丸の雨を回避し、そして回し蹴りを反撃として叩き込む。が、これもシュウジは散弾銃を使って防御し、腰辺りに仕舞ってあったナイフを取り出してエストの足を狙うも、重力が不自然に働き、外す。
 続く第二、第三撃をエストは慣れたような動きで対処する。

「魔女じゃなくなった奴なんて、簡単に殺せると思ったんだけどな!」

「私は生憎人間の状態でも強くてね」

 シュウジのメインウェポンは散弾銃。エストのメインウェポンは魔法。どちらも近接戦闘よりも中距離、あるいは遠距離戦闘の方が得意であるのだが、そのどちらかでやり合った場合、転生者であり、かつ得物が異質な魔法武器銃器ということもありエストの方が不利だ。であれば、エストが第二に得意と言える近接戦闘を行う他ない。
 しかし、それでも身体能力は転生者であるシュウジの方が高い。エストは技術面でその差をカバーしているのだ。
 
「っ!」

 エストはシュウジのナイフを持つ右腕を掴み、肘打ちを彼の顔面へ叩き込み彼を怯ませ、そしてナイフを持つ右腕の関節部を、外側から叩いて関節を外すと、彼は痛みに耐えられずにナイフを手放してしまった。

「あがッ──」

 シュウジは一旦エストから離れて、外れた関節を無理矢理元に戻した。
 近距離戦では不利だと察したのか、シュウジはエストとの距離を一定に保ちながら、様子を窺う。
 しばしの膠着状態が続き──

「〈次元断ディメンショナルスラッシュ〉」

 先に動いたのはエストだった。
 ほぼ不可視の斬撃を完全に見切って、シュウジは回避し、リロードを済ませた散弾銃の引き金を引く。だが最大限散弾銃を警戒していたエストは防御魔法を展開して無力化する。
 シュウジはまたリロードをしようとするが、エストがそれをさせない。剣を創造して距離を詰めてきたのだ。
 ナイフを失った今のシュウジにとって、エストの近接戦闘はこれ以上にない悪相性だ。散弾銃の有効射程距離は短いが、やはり近接戦闘においてはナイフや剣の方が優秀。距離を取るべきだと判断し、跳躍しつつエストに鉛球を撃ち込む。だが、

「嘘だろ──!」

 複数発射されたはずの鉛球を、エストは半円状に剣を振ることで一斉に切断した。弾丸を切断すること自体おかしいことなのだが、散弾を剣で無力化されるなんて思いもしなかった。

「〈ライトニング──」

「遅い」

 近接戦闘において、剣は魔法より速い。いくらその魔法が発生が速い雷系魔法であっても、同じことが言える。
 下手な魔法より強い銃器に頼っていたから、シュウジは瞬時に攻撃魔法を行使するという判断を行えなかったのだ。だから距離を詰められてしまった。
 エストの剣が、シュウジの胴体を切り裂いた。

「が⋯⋯がはっ⋯⋯」

 即死はしなかった。エストの力であれば胴体を真っ二つにすることもできたのだが、情報源として生け捕りにするために、わざとそうしたのだ。
 しかし致命傷ではある。このまま放っておけば死ぬし、身動きもまともに取れやしない。

「⋯⋯僕は⋯⋯負けた⋯⋯」

 回復魔法の行使をエストが許すはずもない。つまり、今、シュウジの命を握っているのはエストであるということ。

「⋯⋯マイと僕は、それほど力に差はないんだけどな⋯⋯」

 シュウジには力はあった。魔法能力ならば、マイ以上だ。しかし、彼にはマイほどの技術もなければ、経験もなかった、圧倒的強者ゆえに。

「⋯⋯キミたち軍部と、犯罪組織とが協力しているのはどうして?」

 何か嫌な予感がすると、エストは思っていた。嫌な予感というのは何故だがよく当たってしまうものだ。一刻でも早く、確かめなければならない。

「⋯⋯言え、ない」

 だが、彼は答えることを拒否した。
 視界が端から暗くなっていく。死期も近いのだろう。体も、まるで数十キロの重りでもつけられているように動かし辛い。

「そう。なら、そこで死んで」

 エストはここから立ち去ろうとした。彼女の後ろ姿を見届けながら、シュウジはゆっくりと、段々と冷たくなっていく体温を感じる。

「⋯⋯どうせ死ぬんだ。なら」

 シュウジは、右腰にかけてあった球状のものを取り、そして重い体を、激痛に耐えながら必死に立たせる。
 球状のもの──元の世界では手榴弾と呼ばれたそれのピンを抜くと、もうじき爆発するというのにそれを持ったままエストの方に走り出す。

「──え」

 エストは振り返って、何が何だか分からないも、とにかく今のシュウジに近づくのは危険だということは理解できた。だが、その次の瞬間には、彼が持っていた手榴弾が爆発してしまった。
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