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第四章「始祖の欲望」
第六十八話 不純な性愛
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そろそろ、人々は完全に寝静まる時間帯だ。
青白く、妖しくも美しい月が、雲から顔を見せるようにし、その月光は闇に支配されていた路地裏を薄明るくした。
青白い光は、白髪の少女の、普段とは違う幻想的な魅力を引き出した。
「──全く。意地汚いね⋯⋯まあ、そんなことだろうとは思ってたけど」
彼女、エストの周りには男が複数人居た。彼らは何も得物を持っていないが、代わりにそのうちの一人は縄を持っていた。
『エスト一人だけで来い』という文言を手紙に書いた理由は、これだろう。最初から話し合いなんてする気はなく、目的はその体。
この国の法律では、売春行為は違法ではない。娼館というもの自体も同様で、合法だ。
だがしかし、売春行為には本人、未成年の場合には追加で保護者の承認も必須であり、またこれは奴隷にも適応される。
つまり、今彼らが行おうとしていることは違法となるわけだ。合意の上の売春行為ではなく、力尽くによる強制的なそれは到底許されるべきものではない。
「遅いね」
後ろから組み付きに掛かってきた男より速く、彼女は彼の腹部に裏拳を叩き込む。そして右足を軸にした後ろ回し蹴りを彼の頭部に命中させ、意識を奪う。
一人ずつ行くより、当然だが複数人で行ったほうが有利に立ち回れるのが対人戦だ。
男たちは一斉にエストを襲うが、男たちは皆、彼女に触れることさえ叶わず、横向きに発生した重力によって吹き飛ばされる。
「この体本当に人間の体なのかな。特別な加護があるわけでもなければ、能力もない。なのに到底人間とは思えないほどの身体能力と魔法能力を持っている⋯⋯私の体なのに、不思議だよね」
今の状況を危険だと微塵も思っていないがゆえに、彼女はそんなことを悠長に駄弁る。
「まあ、その答えは私が単に天才だからなんだけどね」
傲慢さにありふれたような理由だが、それが事実なのだから、実際は傲慢でなければ虚飾でもない。だが謙遜さが足りないことは真実であり、彼女の悪い所でもある。
「そうその才能があれば、こんなこともできちゃうんだよね」
エストは跳躍し、家屋の屋根の上に跳び乗った。垂直方向に軽く8mは跳んでいるだろう。しかし、彼女が見せたいことはこれではない。
「閉鎖空間だからこそ、この魔法は輝く。逃げようたってもう無駄だよ」
その辺りの路地裏内の地面に赤色の液体がどこからともなく湧いてくる。それはベチャベチャとしており、また鉄臭い。
──血液だ。
「姉さんには『趣味が悪い』と言われたっけ、この魔法」
地面に溢れた血液から、赤色の針が突き上がる。それは血液によって構成されたものだったが、硬質化しており、簡単に人の体を貫いた。
腹部、胸部、あるいは頭部に大きな風穴を作られて、エストを襲った男たちは次々と即死していく。
地面の血液に、天然の鮮血が零れ落ちた。
これはエストの独自魔法、〈鮮血の始末〉である。
「血を流せば流すほど、その範囲もその威力も向上する、殺せば殺すだけ殺傷能力が高くなる魔法なんだよ。でも一度解除してしまうと、それらは元に戻ってしまうのは、どう頑張ってもなってしまうんだよね」
だがしかし、それでも十分の魔法でもある。多人数戦においては優秀な魔法のうちの一つに数えても良いだろう。それもそのはずだ。この魔法は階級にしてみれば第八階級は下らないのだから。
「うーん。炎系魔法は王道的なカッコよさがあるけど、こんなふうに血液を使う魔法も良いね」
血液を扱う魔法は、彼女の膨大な数の魔法知識にも該当するものがない。つまり使いたいなら創るしかないわけなのだが、エストにとって、魔法の創造は容易い。むしろネーミングやどんな効果を持つかを考えるほうが、実際に創るより手間で時間がかかるだろう。
「っと⋯⋯こんなこと考えてる場合じゃなかった。早く娼館に行かなきゃ」
わざわざこんな真夜中に路地裏に向かった理由を思い出して、エストは急ぎ足で手紙に書かれていた娼館の場所に行く。
それからしばらく時間が経過して、あれ以外特に何事もなく、ようやく彼女は目的地に到着した。
娼館の外観は、当たり前だが、ひと目でそれがそれであると分かるものではなかった。
それは、ただの民家のようだった。この世界ではごくごく普通の一階建ての一軒家。知らなければ、目に止まることもないような普遍的な家屋だ。強いて普遍的でない点を挙げるとするならば、その家屋の扉が木材ではなく金属製であり、さらには錠前によって固く閉ざされているところだ。
「⋯⋯もしさっきのが娼館勢力の手じゃないなら、このまま普通に入るんだけど⋯⋯」
そうでない可能性のほうがずっと高い。普通に入れば、話し合うために親玉の元まで行けないだろう。
「かと言って突入するわけにも行かない。だから⋯⋯キミ、その縄で私の腕を結んで」
エストは、唯一殺さなかった男に声をかける。
「は、はい!」
「あまり強く結ばないこと。別にそれくらいなら簡単にちぎれるんだけど、痛いからね」
男の背中に、服に隠れて血の刃が隠れている。エストの思い一つですぐに彼の首を真っ二つに切断できるだろう。そして、このことを男は知っているため、エストの命令に背くことはできない。
男はエストの両腕を縄で結ぶ。外見上はしっかりとしているが、それは特別彼女ほどの身体能力がなくとも容易に解けるくらいには緩い。
「私をキミたちの親玉のところまで連れて行けるならそうしてくれる?」
「はい!」
男は金属の扉をノックする。そのリズムは一般的なノックのそれとは異なり、何かしらの暗号を意味するのだと分かる。
しばらくして、金属の扉が開かれた。
「捕まえてきたか。⋯⋯なるほどたしかにあいつらの言うとおり、良い女じゃねぇか」
薄着の巨漢が扉を開けたようだった。
室内はとてもむさ苦しいかった。所謂男臭さというのが蔓延しており、また、エストが女であるためか、イカ臭さも感じた。
(うわ最悪。気持ち悪い)
ムワッと来る湿気の多い空気と独特な悪臭。環境なんて底辺も底辺で、なんならその底さえ貫いていそうだ。
「姉ちゃん、いいもん持ってるねぇ?」
その巨漢は、エストの豊満な二つの丘を触ろうと手を伸ばす。
(なんでこうも男は胸を触ろうとするんだろうね。⋯⋯マサカズとナオトを見習ってほしいよ)
だが、エストは巨漢の、股にぶら下がるアレに蹴りを加える。男ならば容易に想像できる激痛だ。
「くっ⋯⋯あっ⋯⋯こ、このアマ⋯⋯!」
巨漢はエストに殴りにかかるが、また別の男たちが彼を数人がかりで静止した。それでも尚彼女を殴ろうとするが、ついには抑え込められたようだ。
「駄目だアニキ! 『商品』に傷をつけたらあの方に怒られちまう!」
「そうだ! 下手をしたらクビが飛ぶ! やめてくれ!」
どうやらここの組織の上下関係は酷く厳しいらしい。
巨漢はエストに殴りかかることを諦めるが、
「テメェ⋯⋯俺の番が来たときは、存分に楽しんでやるからな!」
なんともまあ、汚い発言だ。
エストは巨漢を無視しつつ、更に娼館の奥へと向かった。
「⋯⋯焼き払ったほうが、この国の空気のためにも良いような気がしてきた」
◆◆◆
淫乱なピンク色の光源によって照らされたこの部屋は、奇抜に奇抜を重ねたようだった。
個人の部屋だというのに大きなベッドが配置されており、本来重要とされるテーブルや椅子などは部屋の隅にそっと置かれているだけだった。
棚には沢山のお洒落な瓶が置かれている。その中身はお酒でもなんでもなく、全て精力剤。魔法によって作られた超高級品であるため、その効果は凄まじく、一口だけで一晩中ではなく一日中し続けられるほどだ。
複数の女性の喘ぎ声、肌と肌が擦れる音にグチュグチュという音が部屋に響いている。
そんなとき、部屋の扉がノックされた。
「入っていい」
部屋の主の男は許可を出す。
エストと彼女を捕えたという体で同行している男とが部屋に入った。そうだというのに、親玉は行為を終わるわけでも、中断するわけでもなく、寝転びながら横目で二人の方を見る。
「捕えてきたか。⋯⋯そこの女、たしかエストと言ったか。こっちに来い」
強情。これで誘っているつもりなのだろうか。
「⋯⋯私に何をするつもり?」
「そんなの見ればわかるだろう。俺を満足させろ、その体で」
「キミを? それより先に、まずはこっちの質問に答えてよ」
親玉は苛ついたように眉を顰める。
「エレノアのことか? ⋯⋯あれは餌だ、お前を連れてくるためのな。おい、さっさとその女を俺のもとに来させろ」
親玉は男に命令するが、しかし、男はそれに従わなかった。何故ならば、既に男はエストに逆らえる状況ではなかったからだ。
「キミみたいな愚かで醜い男になんか、私の処女を渡すわけないでしょ。ふざけてるの? 全く笑えない冗談だよ」
エストは拘束を解き、左手を親玉に向ける。その手の先には白色の魔法陣が展開されていて──
「があっ!」
天井に、親玉の体は叩きつけられる。行為中だったこともあり、その肥大化した棒を、エストは見て、
「⋯⋯気持ち悪い」
不可視の斬撃がそれを切り立つ。
血が吹き出て、男の象徴を失った親玉は気絶しそなくらいの痛みを味わうこととなった。だが、なんとか耐えて、
「き、貴様⋯⋯俺にこんな態度を取ってただで済むなんて思うなよ!」
親玉は何かしらの魔法巻物を取り出し、それを行使した。
攻撃魔法かと思って、エストは防御魔法を展開する。
「⋯⋯まさか」
だが、何も攻撃は来なかった。そして理解した。いま彼が使った魔法が、
「〈通話〉⋯⋯!?」
「はははは! そうだ! すぐにアイツがお前を取り押さえに来る!」
「私を? 言っとくけど、私を捕らえられる人間なんて⋯⋯」
「馬鹿め! 転生者って知ってるか? お前ごときが転生者に勝てるわけ無いだろ!」
「⋯⋯は?」
──転生者。異世界人であり、魔女に匹敵する戦闘能力を有している人間だ。今のエストの力では、勝負にさえならないだろう。
「今謝れば許してやるよ! さあ、俺の傷を癒やして、服を脱げ!」
「黙れ。薄汚い人間風情が」
エストは親玉を冷酷な目で見下げると、彼女の左手の先に再度白色の魔法陣が展開される。すると親玉の頭部にとんでもない重力が働き、そして一瞬にして、その頭部をスイカのように潰した。
頭部を失った体はそのまま床に倒れて、部屋の絨毯を赤色の紋様を描いた。
「⋯⋯転生者かぁ⋯⋯」
あの態度は嘘偽りない。ほほ確実に、転生者はここに来るだろうし、今から逃げることも難しいだろう。
「⋯⋯ん?」
転生者への対策方法が何かないかを必死に探していたエストだったが、その時、ある光景が彼女の視界に入った。
「ふふふ」
「ははは」
「クズ。ゴミ。ようやく⋯⋯死んだ」
親玉を悦ばせていた女性たちが、親玉の死体を蹴り始めたのだ。
流石のエストもこれには困惑するも、同時に彼女たちの扱いが相当酷かったんだなということを理解した。
「⋯⋯ねえキミたち」
エストは死体蹴りしていた女たちに話しかけると、彼女らは耳を貸す。
「キミたちに一つ聞きたいことがあるんだ。そこの男が言っていた転生者って誰だか分かる?」
彼女らは少し考える素振りを見せて、
「⋯⋯知りません。ですが、一度ここへ来たことがありましたので姿は覚えています。たしか⋯⋯茶髪に黒目の少年でした」
「茶髪に黒目⋯⋯所属とか、名前はわかる?」
予想していた答えではなかったものの、この辺りでは珍しい組み合わせだ。
「所属は分かりません、私服だったので。ですが名前は⋯⋯たしかシュウジ・ミキだったはずです」
シュウジ・ミキ──名前と容姿から分かるように、九分九厘異世界人、つまり彼が件の転生者だろう。
「ありがとね。⋯⋯そうだね、キミ、彼女たちを外まで私の代わりに送っていって」
「え」
「ああ、勿論、手を出したらその時は⋯⋯分かるよね?」
「はい!」
男は女たちを外まで送って行かせると、エストは一人となった。
「⋯⋯結局荒事になったね。まあ最初から話し合えるなんて思ってなかったんだけどさ」
エストは娼館内を歩きながら、エレノアを探す。ついでに警備も処理していった。
「⋯⋯防音魔法。騒ぎにも気づいていないってわけね」
エストは沢山ある扉のうちの一つを試しに開けてみると、予想通り、そこでは女が男に犯されている最中だった。外の騒ぎにさえ気づかず、腰を振るその姿はまさに欲情した猿同然であった。
このまま見捨てるのも気分が悪いので、エストはさっさと男を殺害し、犯されていた女を助けようとするが、
「⋯⋯嘘でしょ」
犯されていたのは──女ではなかった。いや女だと、もっと言えば少女だと、エストでさえ勘違いしそうなくらいの美形の男の子だったのだ。
メイド服を着た彼は涙しており、エストの存在には気づいてもいなかった。
「⋯⋯キミ」
彼はエストの声に反応しなかった。
同性愛者でもない男の子が、大人の男に犯される。その屈辱感と不快感は、ただでさえ強い女のそれよりも、より強いものだっただろう。
そっとしておくべきだと思った彼女は、その部屋を後にした。
青白く、妖しくも美しい月が、雲から顔を見せるようにし、その月光は闇に支配されていた路地裏を薄明るくした。
青白い光は、白髪の少女の、普段とは違う幻想的な魅力を引き出した。
「──全く。意地汚いね⋯⋯まあ、そんなことだろうとは思ってたけど」
彼女、エストの周りには男が複数人居た。彼らは何も得物を持っていないが、代わりにそのうちの一人は縄を持っていた。
『エスト一人だけで来い』という文言を手紙に書いた理由は、これだろう。最初から話し合いなんてする気はなく、目的はその体。
この国の法律では、売春行為は違法ではない。娼館というもの自体も同様で、合法だ。
だがしかし、売春行為には本人、未成年の場合には追加で保護者の承認も必須であり、またこれは奴隷にも適応される。
つまり、今彼らが行おうとしていることは違法となるわけだ。合意の上の売春行為ではなく、力尽くによる強制的なそれは到底許されるべきものではない。
「遅いね」
後ろから組み付きに掛かってきた男より速く、彼女は彼の腹部に裏拳を叩き込む。そして右足を軸にした後ろ回し蹴りを彼の頭部に命中させ、意識を奪う。
一人ずつ行くより、当然だが複数人で行ったほうが有利に立ち回れるのが対人戦だ。
男たちは一斉にエストを襲うが、男たちは皆、彼女に触れることさえ叶わず、横向きに発生した重力によって吹き飛ばされる。
「この体本当に人間の体なのかな。特別な加護があるわけでもなければ、能力もない。なのに到底人間とは思えないほどの身体能力と魔法能力を持っている⋯⋯私の体なのに、不思議だよね」
今の状況を危険だと微塵も思っていないがゆえに、彼女はそんなことを悠長に駄弁る。
「まあ、その答えは私が単に天才だからなんだけどね」
傲慢さにありふれたような理由だが、それが事実なのだから、実際は傲慢でなければ虚飾でもない。だが謙遜さが足りないことは真実であり、彼女の悪い所でもある。
「そうその才能があれば、こんなこともできちゃうんだよね」
エストは跳躍し、家屋の屋根の上に跳び乗った。垂直方向に軽く8mは跳んでいるだろう。しかし、彼女が見せたいことはこれではない。
「閉鎖空間だからこそ、この魔法は輝く。逃げようたってもう無駄だよ」
その辺りの路地裏内の地面に赤色の液体がどこからともなく湧いてくる。それはベチャベチャとしており、また鉄臭い。
──血液だ。
「姉さんには『趣味が悪い』と言われたっけ、この魔法」
地面に溢れた血液から、赤色の針が突き上がる。それは血液によって構成されたものだったが、硬質化しており、簡単に人の体を貫いた。
腹部、胸部、あるいは頭部に大きな風穴を作られて、エストを襲った男たちは次々と即死していく。
地面の血液に、天然の鮮血が零れ落ちた。
これはエストの独自魔法、〈鮮血の始末〉である。
「血を流せば流すほど、その範囲もその威力も向上する、殺せば殺すだけ殺傷能力が高くなる魔法なんだよ。でも一度解除してしまうと、それらは元に戻ってしまうのは、どう頑張ってもなってしまうんだよね」
だがしかし、それでも十分の魔法でもある。多人数戦においては優秀な魔法のうちの一つに数えても良いだろう。それもそのはずだ。この魔法は階級にしてみれば第八階級は下らないのだから。
「うーん。炎系魔法は王道的なカッコよさがあるけど、こんなふうに血液を使う魔法も良いね」
血液を扱う魔法は、彼女の膨大な数の魔法知識にも該当するものがない。つまり使いたいなら創るしかないわけなのだが、エストにとって、魔法の創造は容易い。むしろネーミングやどんな効果を持つかを考えるほうが、実際に創るより手間で時間がかかるだろう。
「っと⋯⋯こんなこと考えてる場合じゃなかった。早く娼館に行かなきゃ」
わざわざこんな真夜中に路地裏に向かった理由を思い出して、エストは急ぎ足で手紙に書かれていた娼館の場所に行く。
それからしばらく時間が経過して、あれ以外特に何事もなく、ようやく彼女は目的地に到着した。
娼館の外観は、当たり前だが、ひと目でそれがそれであると分かるものではなかった。
それは、ただの民家のようだった。この世界ではごくごく普通の一階建ての一軒家。知らなければ、目に止まることもないような普遍的な家屋だ。強いて普遍的でない点を挙げるとするならば、その家屋の扉が木材ではなく金属製であり、さらには錠前によって固く閉ざされているところだ。
「⋯⋯もしさっきのが娼館勢力の手じゃないなら、このまま普通に入るんだけど⋯⋯」
そうでない可能性のほうがずっと高い。普通に入れば、話し合うために親玉の元まで行けないだろう。
「かと言って突入するわけにも行かない。だから⋯⋯キミ、その縄で私の腕を結んで」
エストは、唯一殺さなかった男に声をかける。
「は、はい!」
「あまり強く結ばないこと。別にそれくらいなら簡単にちぎれるんだけど、痛いからね」
男の背中に、服に隠れて血の刃が隠れている。エストの思い一つですぐに彼の首を真っ二つに切断できるだろう。そして、このことを男は知っているため、エストの命令に背くことはできない。
男はエストの両腕を縄で結ぶ。外見上はしっかりとしているが、それは特別彼女ほどの身体能力がなくとも容易に解けるくらいには緩い。
「私をキミたちの親玉のところまで連れて行けるならそうしてくれる?」
「はい!」
男は金属の扉をノックする。そのリズムは一般的なノックのそれとは異なり、何かしらの暗号を意味するのだと分かる。
しばらくして、金属の扉が開かれた。
「捕まえてきたか。⋯⋯なるほどたしかにあいつらの言うとおり、良い女じゃねぇか」
薄着の巨漢が扉を開けたようだった。
室内はとてもむさ苦しいかった。所謂男臭さというのが蔓延しており、また、エストが女であるためか、イカ臭さも感じた。
(うわ最悪。気持ち悪い)
ムワッと来る湿気の多い空気と独特な悪臭。環境なんて底辺も底辺で、なんならその底さえ貫いていそうだ。
「姉ちゃん、いいもん持ってるねぇ?」
その巨漢は、エストの豊満な二つの丘を触ろうと手を伸ばす。
(なんでこうも男は胸を触ろうとするんだろうね。⋯⋯マサカズとナオトを見習ってほしいよ)
だが、エストは巨漢の、股にぶら下がるアレに蹴りを加える。男ならば容易に想像できる激痛だ。
「くっ⋯⋯あっ⋯⋯こ、このアマ⋯⋯!」
巨漢はエストに殴りにかかるが、また別の男たちが彼を数人がかりで静止した。それでも尚彼女を殴ろうとするが、ついには抑え込められたようだ。
「駄目だアニキ! 『商品』に傷をつけたらあの方に怒られちまう!」
「そうだ! 下手をしたらクビが飛ぶ! やめてくれ!」
どうやらここの組織の上下関係は酷く厳しいらしい。
巨漢はエストに殴りかかることを諦めるが、
「テメェ⋯⋯俺の番が来たときは、存分に楽しんでやるからな!」
なんともまあ、汚い発言だ。
エストは巨漢を無視しつつ、更に娼館の奥へと向かった。
「⋯⋯焼き払ったほうが、この国の空気のためにも良いような気がしてきた」
◆◆◆
淫乱なピンク色の光源によって照らされたこの部屋は、奇抜に奇抜を重ねたようだった。
個人の部屋だというのに大きなベッドが配置されており、本来重要とされるテーブルや椅子などは部屋の隅にそっと置かれているだけだった。
棚には沢山のお洒落な瓶が置かれている。その中身はお酒でもなんでもなく、全て精力剤。魔法によって作られた超高級品であるため、その効果は凄まじく、一口だけで一晩中ではなく一日中し続けられるほどだ。
複数の女性の喘ぎ声、肌と肌が擦れる音にグチュグチュという音が部屋に響いている。
そんなとき、部屋の扉がノックされた。
「入っていい」
部屋の主の男は許可を出す。
エストと彼女を捕えたという体で同行している男とが部屋に入った。そうだというのに、親玉は行為を終わるわけでも、中断するわけでもなく、寝転びながら横目で二人の方を見る。
「捕えてきたか。⋯⋯そこの女、たしかエストと言ったか。こっちに来い」
強情。これで誘っているつもりなのだろうか。
「⋯⋯私に何をするつもり?」
「そんなの見ればわかるだろう。俺を満足させろ、その体で」
「キミを? それより先に、まずはこっちの質問に答えてよ」
親玉は苛ついたように眉を顰める。
「エレノアのことか? ⋯⋯あれは餌だ、お前を連れてくるためのな。おい、さっさとその女を俺のもとに来させろ」
親玉は男に命令するが、しかし、男はそれに従わなかった。何故ならば、既に男はエストに逆らえる状況ではなかったからだ。
「キミみたいな愚かで醜い男になんか、私の処女を渡すわけないでしょ。ふざけてるの? 全く笑えない冗談だよ」
エストは拘束を解き、左手を親玉に向ける。その手の先には白色の魔法陣が展開されていて──
「があっ!」
天井に、親玉の体は叩きつけられる。行為中だったこともあり、その肥大化した棒を、エストは見て、
「⋯⋯気持ち悪い」
不可視の斬撃がそれを切り立つ。
血が吹き出て、男の象徴を失った親玉は気絶しそなくらいの痛みを味わうこととなった。だが、なんとか耐えて、
「き、貴様⋯⋯俺にこんな態度を取ってただで済むなんて思うなよ!」
親玉は何かしらの魔法巻物を取り出し、それを行使した。
攻撃魔法かと思って、エストは防御魔法を展開する。
「⋯⋯まさか」
だが、何も攻撃は来なかった。そして理解した。いま彼が使った魔法が、
「〈通話〉⋯⋯!?」
「はははは! そうだ! すぐにアイツがお前を取り押さえに来る!」
「私を? 言っとくけど、私を捕らえられる人間なんて⋯⋯」
「馬鹿め! 転生者って知ってるか? お前ごときが転生者に勝てるわけ無いだろ!」
「⋯⋯は?」
──転生者。異世界人であり、魔女に匹敵する戦闘能力を有している人間だ。今のエストの力では、勝負にさえならないだろう。
「今謝れば許してやるよ! さあ、俺の傷を癒やして、服を脱げ!」
「黙れ。薄汚い人間風情が」
エストは親玉を冷酷な目で見下げると、彼女の左手の先に再度白色の魔法陣が展開される。すると親玉の頭部にとんでもない重力が働き、そして一瞬にして、その頭部をスイカのように潰した。
頭部を失った体はそのまま床に倒れて、部屋の絨毯を赤色の紋様を描いた。
「⋯⋯転生者かぁ⋯⋯」
あの態度は嘘偽りない。ほほ確実に、転生者はここに来るだろうし、今から逃げることも難しいだろう。
「⋯⋯ん?」
転生者への対策方法が何かないかを必死に探していたエストだったが、その時、ある光景が彼女の視界に入った。
「ふふふ」
「ははは」
「クズ。ゴミ。ようやく⋯⋯死んだ」
親玉を悦ばせていた女性たちが、親玉の死体を蹴り始めたのだ。
流石のエストもこれには困惑するも、同時に彼女たちの扱いが相当酷かったんだなということを理解した。
「⋯⋯ねえキミたち」
エストは死体蹴りしていた女たちに話しかけると、彼女らは耳を貸す。
「キミたちに一つ聞きたいことがあるんだ。そこの男が言っていた転生者って誰だか分かる?」
彼女らは少し考える素振りを見せて、
「⋯⋯知りません。ですが、一度ここへ来たことがありましたので姿は覚えています。たしか⋯⋯茶髪に黒目の少年でした」
「茶髪に黒目⋯⋯所属とか、名前はわかる?」
予想していた答えではなかったものの、この辺りでは珍しい組み合わせだ。
「所属は分かりません、私服だったので。ですが名前は⋯⋯たしかシュウジ・ミキだったはずです」
シュウジ・ミキ──名前と容姿から分かるように、九分九厘異世界人、つまり彼が件の転生者だろう。
「ありがとね。⋯⋯そうだね、キミ、彼女たちを外まで私の代わりに送っていって」
「え」
「ああ、勿論、手を出したらその時は⋯⋯分かるよね?」
「はい!」
男は女たちを外まで送って行かせると、エストは一人となった。
「⋯⋯結局荒事になったね。まあ最初から話し合えるなんて思ってなかったんだけどさ」
エストは娼館内を歩きながら、エレノアを探す。ついでに警備も処理していった。
「⋯⋯防音魔法。騒ぎにも気づいていないってわけね」
エストは沢山ある扉のうちの一つを試しに開けてみると、予想通り、そこでは女が男に犯されている最中だった。外の騒ぎにさえ気づかず、腰を振るその姿はまさに欲情した猿同然であった。
このまま見捨てるのも気分が悪いので、エストはさっさと男を殺害し、犯されていた女を助けようとするが、
「⋯⋯嘘でしょ」
犯されていたのは──女ではなかった。いや女だと、もっと言えば少女だと、エストでさえ勘違いしそうなくらいの美形の男の子だったのだ。
メイド服を着た彼は涙しており、エストの存在には気づいてもいなかった。
「⋯⋯キミ」
彼はエストの声に反応しなかった。
同性愛者でもない男の子が、大人の男に犯される。その屈辱感と不快感は、ただでさえ強い女のそれよりも、より強いものだっただろう。
そっとしておくべきだと思った彼女は、その部屋を後にした。
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2023/08/14……連載開始
【完結】公女が死んだ、その後のこと
杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】
「お母様……」
冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。
古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。
「言いつけを、守ります」
最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。
こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。
そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。
「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」
「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」
「くっ……、な、ならば蘇生させ」
「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」
「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」
「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」
「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」
「まっ、待て!話を」
「嫌ぁ〜!」
「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」
「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」
「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」
「くっ……!」
「なっ、譲位せよだと!?」
「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」
「おのれ、謀りおったか!」
「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」
◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。
◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。
◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった?
◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。
◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。
◆この作品は小説家になろうでも公開します。
◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!
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