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第三章「エルフの国」
第五十六話 悪夢の復活
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彼女の両手は、血に汚れていた。
仕方ない。これ以外の選択はなかった。
「⋯⋯ごめん。ごめん⋯⋯!」
血に汚れていた両手に、涙が溢れる。そして、彼女は自分が殺した女性に目を向ける。上半身がまるまる無くなっているが、彼女はその女性が黒髪の美しい人であったと知っている。
「なんで⋯⋯こんな⋯⋯」
幼馴染を、彼女はその手で殺した。
「キミの本性はこれだった、というの⋯⋯?」
──そこまで思い出して、ルトアは起き上がる。
「⋯⋯っ」
悪夢を見た。悪夢を思い出した。あの日のことを。彼女を殺したときのことを。
「⋯⋯ああもう」
過去の記憶だ。あれから百年が経過しているが、未だにルトアはあれを鮮明に覚えている。忘れることができないのだ。
すぐにもう一度眠りにつくことはできなかったため、ルトアは夜の冷たさを感じるために外に出る。その際に眠っているエストが視界に入った。
「⋯⋯やっぱり、彼女と似ている」
自分が過去に殺した彼女と、エストは似ていた。いや外見は確かに違う。
根拠は全くない。ある共通点はどちらも魔法の天才であったことくらいだが、そんなのは根拠にはなり得ない。しかし、ルトアの感覚は、彼女たちは似ている、と判断した。
「⋯⋯今度は、過ちなんて犯さない」
ルトアは外に出て、白く光る満月の下で、夜風を感じる。月光が辺りを照らしていて、神秘的な雰囲気がある。
「⋯⋯」
無心。何も考えずに、何も感じずに、何も思わずに、ただそこに突っ立っているだけ。でもそれで、ルトアの心は安らぎを取り戻していく。
もう少しで眠れるくらいには冷静になれたのだが、
「──久しぶり、ルトア」
「!?」
突然、後ろから女性の声がして、ルトアは振り返る。するとそこには、
「キミ、は⋯⋯。そんな、あのとき私が⋯⋯!」
黒髪で、黒目の、真っ黒いドレスを身にまとった、東洋人風の顔つきの、とても綺麗な女性がそこに居た。
「ええ。私はあのとき、あなたに殺されました」
普通なら矛盾になる言葉だ。しかし、彼女にとってはそうはならない。
「ならどうして!?」
黒髪の彼女の体は綺麗にある。決して上半身がない状態で立っているわけではない。
「能力、ですよ。私は死なない⋯⋯いや、死ねないのです」
「──っ!」
ルトアの右手あたりに赤色の魔法陣が展開され、そして行使されると、黒髪の彼女の周りに無数の炎の玉が現れる、がしかし、それらは次の瞬間消滅する。
「どうして私の魔法が⋯⋯?」
「幼馴染との久しぶりの再会だというのに、早速殺されかけるなんて。⋯⋯ルトア、話し合いましょう?」
「誰がキミとなんか! さっさと失せろ! 何度言われても、キミの『欲望』には協力なんてしない! キミの『欲望』は叶えてはならないものだよ!」
「⋯⋯そう、ですか。⋯⋯そういえば、何やら優秀な魔法使いがここには居るようですね」
ルトアはぞっとする。『優秀な魔法使い』とはエストのことで間違いないだろう。
「それがどうしたの? ⋯⋯もう一度警告する。さっさと」
「その子、あなたを超える魔法の才能を持っていますね」
「──」
分かってきた。黒髪の彼女の目的が何であるかなんて。
「私と同じです。私に匹敵する。⋯⋯とても、興味深い」
「⋯⋯キミ、いやお前にはエストを、絶対に渡さない。そのためなら、もう一度でも殺すよ」
「あらあら、それはとても怖い。⋯⋯ですが、私の『欲望』を叶えるには、その子を手にしておきたいのですよ」
黒髪の彼女は美しくも狂気的な笑みを浮かべる。
「⋯⋯ルトア、さっきからどうしたの?」
その時、眠っていたはずのエストが目を覚まして、騒いでいたルトアの様子を見に来てしまった。
「エスト!? 早くここから⋯⋯っ!?」
ルトアはエストを黒髪の彼女から逃がそうと、叫ぼうとした。しかし、
「⋯⋯本当にどうしたの?」
「⋯⋯え?」
そこには、ルトアの目線の先には誰も居なかった。
「たしかに、居たはず⋯⋯」
転移魔法を使った様子もない。走って逃げたにしてもエストが何も見ていないのはおかしい。
最初からいなかった? いやそんなことはない。たしかにルトアは黒髪の彼女と会話していたはずだ。あれが幻覚、幻聴なんてことはありえない。
「ルトア、疲れてるの? ⋯⋯最近はいつもより長く勉強していたし。明日休まない?」
「⋯⋯。うん。そうみたい。少し⋯⋯私は疲れているのかもしれないね」
そんなはずはない。魔女の体力はそんなことでなくなるものじゃない。
あれはきっと現実だ。あれは幻ではない。
「⋯⋯ああ、疲れているんだよ」
ルトアはエストに近づいて、手を握る。子供の高い体温がルトアの少し冷たくなった手に伝わる。
「え、あ、え? ど、どうして手を?」
エストは突然のルトアの行動にたじたじする。いつもこんなことはされないからだ。
顔を赤らめたのは、エストは少し、それについて恥ずかしく思ったからだ。彼女は他者からの愛情を殆ど受けたことがないからである。
「⋯⋯特に理由はないよ。けど、こうしていたいんだ」
「そ、そう⋯⋯」
困惑する。しかし、嬉しいとも思う。
そのまま二人は家に戻り、ベッドに眠る。
エストはすぐに眠りについたが、ルトアはそうはいかなかった。
「エストを、守らないと」
黒髪の彼女はこう言っていた。『私の『欲望』を叶えるには、その子を手にしておきたいのですよ』と。
つまり、黒髪の彼女はきっとエストを攫いに来るということである。
「⋯⋯絶対に、渡さない」
ルトアは黒髪の彼女の『欲望』を知っている。だからこそ言える。そんな『欲望』は叶えてはいけないと。
エストを見殺しにするわけにはいかない。黒髪の彼女の玩具にしてはならない。
◆◆◆
真っ暗い洞窟の中で、彼女は立っていた。
彼女は全身で、洞窟内の冷たさを感じていた。つまり、彼女は全裸である。
「ふふふ⋯⋯」
洞窟の中に全裸の女性を閉じ込める。これだけ聞いて、道徳的に考えれば、彼女にこんなことをした者は許されないだろう。しかし、その黒髪の女性はそんなことをされて当然の行いをした人物であるのだ。
「ルトア⋯⋯ルトア⋯⋯久しぶりに会いましたが、やはり私に協力してくれはしないようですね」
黒髪の彼女は今さっき、ルトアにだけ認知可能な自分の幻覚、と言うより分身を創り出して、会いに行ったのだ。
「私の『欲望』を否定した⋯⋯ああ、それはつまり私を心配していてくれているってこと。私を知ってもなお、私を私として見ていてくれる。⋯⋯ルトア、やっぱりあなたには協力して欲しい。そうじゃなきゃ、私はあなたを」
異常。歪んだ友情が彼女にはある。
「──殺すことになってしまう」
それは彼女にとって、惜しむべきことだった。幼い頃からの親友をその手で殺すことには、少し抵抗がある。
「⋯⋯にしても、あの子供」
黒髪の彼女はあの場に居た白髪の少女を思い出す。
あの場所に行った瞬間から、常人とは思えない魔力とその力を感じて、黒髪の彼女はその者に興味を持った。まさかそれがあんな小さな子供だとは、予想外であったが。
「おそらく十代前半でしょう。⋯⋯魔力は魔法を行使することで増加しますが、年齢を重ねるごとにも増加する。あんな若さで、あれだけの魔力を持つなら⋯⋯」
魔力は個人差があるが、大抵の場合、18歳になるまで増え続ける。そしてその増加スピードは体の成長と同じように、幼少期であればあるほど速い。
「⋯⋯『媒体』としては十分──いえ十二分ですね。ルトアもそうですが、どうしてこう『媒体』になり得る者は、それにしておくには惜しい人材何でしょうか⋯⋯」
ルトアとエストは『媒体』に成れる能力を持っているのだが、黒髪の彼女からしてみれば『媒体』にしたくない能力でもあった。
黒髪の彼女は──二人を、自らの手で殺したいのだ。『媒体』として殺すのではなく、『敵』として殺したいのだ。
「まあ、代わりを用意できないのであれば、どちらか片方とだけ、ですかね」
黒髪の彼女は、生きる、ということを感じられない。自分が生きているのか死んでいるのか分からないのだ。本来生命体が保有する死への恐怖が彼女には欠如しており、生への執着もそれに比例するように薄くなっていた。
しかし、ある瞬間だけその生への執着と死への恐怖が復活するのだ。
その瞬間とは、生死をかけた戦いをしているときだ。痛みが、迫りくる死が、相手の殺意が、彼女の消えかけているそれら感情を呼び覚ます。
「⋯⋯ルトアか、あの子供か。どちらも捨て難い。⋯⋯ああ、そうですよ。逆に言えば、代わりを用意できるなら⋯⋯」
黒髪の彼女は代わりを用意する方法を思考する。彼女が覚えている魔法──つまり全ての魔法からそれを達成できるものを探す。
そして探し終わったのは思考開始から一秒後であった。
「この魔法であれば、あるいは可能ですね。こんな初歩的で簡単なこと、どうして思いつかなかったのでしょう。反省しなくてはなりませんね」
ある魔法には、その代わりを生み出すことのできる可能性があるし、その確率は、彼女が導き出した結果だと99.9%である。
「残り0.1%ほどは不安要素ですが⋯⋯失敗したときは失敗したときです。リカバリーなど容易。まずはこの計画で進めましょう」
もしできなかったとしても、黒髪の彼女はとある魔人がどんな現実でも改変できるという能力を持っていることを知っている。最悪の場合でも、その魔人を従わせて、『媒体』を復活させれば良いだけである。
「さて、と。⋯⋯よし、こうしましょう」
黒髪の彼女にとっては最高であり、二人にとっては残酷な、彼女が愉しむ方法を思いつく。
「⋯⋯あれから百年も経っていますし、私もかなり鈍っているでしょう。ウォーミングアップとして、あの国でも滅ぼしましょうか」
あの国とは、表向きでは黒の魔女を、この洞窟に封印したとされる勇者が召喚された国である。
実際のところは、一度ルトアによって殺された黒の魔女はその後復活するが、完全になる前にたまたまそこを通りかかった勇者一行が、全力でこの洞窟に封印しただけなのだ。
「私を追い詰めて、封印した⋯⋯なんて戯言を言ってましたね。たしか。まあ封印は事実ですが⋯⋯思い出すと少し不愉快な気持ちになりますよ」
黒の魔女の笑みが崩れて、不機嫌そうな表情となる。
「⋯⋯私への危機感もなくなったのでしょうか。そろそろ、封印の状態を検査しに来るべきでしたね。人間」
──洞窟内に張り巡らされていた結界にヒビが入り、そして砕ける。
「ああ、この感覚、久しぶりです」
結界が砕けたことで枯渇していた魔力を取り戻して、体内に魔力が満ちていく感覚を覚える。
「魔力の枯渇による死はかなり不快でした。それを四六時中、およそ百年間ずっと体験し続けるのは⋯⋯流石の私でも辛かったですよ」
生命体が行う魔力の生産を停止させる効果があの結界にはあった。黒の魔女でも、彼女自身の能力を活用してようやく一つの魔法が行使できるくらいの過酷さだったし、それでも結界は破れなくて、結界を維持する魔法陣が風化によって消えるのを待つしかなかったのだ。
「ええと⋯⋯たしかあの国は北にあったはずですね」
勇者たちは寿命で死んでいるだろうから、彼らに復讐はできない。しかし、国自体は今も存在しているだろう。
「どうやって滅ぼしましょう? 直接襲撃しましょうかね⋯⋯」
彼女からしてみれば、それを実行するなんて簡単すぎて、全く持って何も愉しみがない。もっと愉しめるものでなくてはならない。
「⋯⋯あ、そうですね。パンデミックでも起こしましょう。そんなので滅ぶような国相手なら、私のウォーミングアップにすら物足りませんし」
黒の魔女は黒魔法で、罹患すれば致死率100%、免疫機能を徹底的に破壊するウィルスを創造する。感染方法は空気、飛沫、接触、経口の全てであり、発症期間もほぼノータイム。感染した時点で即死し、死体でウィルスは増殖する、最早ウィルスなのかどうかすら怪しいものの出来上がりだ。
「一日もあれば国民の半数は死亡するでしょうね。⋯⋯ふふふ、さて、生き残れる者はいるのでしょうか」
この殺人ウィルスは魔法で創られたものであるため、魔法抵抗力で打ち消すことができる。もっとも、創造主は黒の魔女であるため、そんな人物はこの世界には殆ど居ないだろうが。
しかし逆に言えば、もし感染して生きている者が居れば、その者は魔女に匹敵する強者であるということだ。
「人は死ぬ瞬間がとても美しい。今から、もう愉しみです」
彼女は嗤う。弱小種族に向かって。
仕方ない。これ以外の選択はなかった。
「⋯⋯ごめん。ごめん⋯⋯!」
血に汚れていた両手に、涙が溢れる。そして、彼女は自分が殺した女性に目を向ける。上半身がまるまる無くなっているが、彼女はその女性が黒髪の美しい人であったと知っている。
「なんで⋯⋯こんな⋯⋯」
幼馴染を、彼女はその手で殺した。
「キミの本性はこれだった、というの⋯⋯?」
──そこまで思い出して、ルトアは起き上がる。
「⋯⋯っ」
悪夢を見た。悪夢を思い出した。あの日のことを。彼女を殺したときのことを。
「⋯⋯ああもう」
過去の記憶だ。あれから百年が経過しているが、未だにルトアはあれを鮮明に覚えている。忘れることができないのだ。
すぐにもう一度眠りにつくことはできなかったため、ルトアは夜の冷たさを感じるために外に出る。その際に眠っているエストが視界に入った。
「⋯⋯やっぱり、彼女と似ている」
自分が過去に殺した彼女と、エストは似ていた。いや外見は確かに違う。
根拠は全くない。ある共通点はどちらも魔法の天才であったことくらいだが、そんなのは根拠にはなり得ない。しかし、ルトアの感覚は、彼女たちは似ている、と判断した。
「⋯⋯今度は、過ちなんて犯さない」
ルトアは外に出て、白く光る満月の下で、夜風を感じる。月光が辺りを照らしていて、神秘的な雰囲気がある。
「⋯⋯」
無心。何も考えずに、何も感じずに、何も思わずに、ただそこに突っ立っているだけ。でもそれで、ルトアの心は安らぎを取り戻していく。
もう少しで眠れるくらいには冷静になれたのだが、
「──久しぶり、ルトア」
「!?」
突然、後ろから女性の声がして、ルトアは振り返る。するとそこには、
「キミ、は⋯⋯。そんな、あのとき私が⋯⋯!」
黒髪で、黒目の、真っ黒いドレスを身にまとった、東洋人風の顔つきの、とても綺麗な女性がそこに居た。
「ええ。私はあのとき、あなたに殺されました」
普通なら矛盾になる言葉だ。しかし、彼女にとってはそうはならない。
「ならどうして!?」
黒髪の彼女の体は綺麗にある。決して上半身がない状態で立っているわけではない。
「能力、ですよ。私は死なない⋯⋯いや、死ねないのです」
「──っ!」
ルトアの右手あたりに赤色の魔法陣が展開され、そして行使されると、黒髪の彼女の周りに無数の炎の玉が現れる、がしかし、それらは次の瞬間消滅する。
「どうして私の魔法が⋯⋯?」
「幼馴染との久しぶりの再会だというのに、早速殺されかけるなんて。⋯⋯ルトア、話し合いましょう?」
「誰がキミとなんか! さっさと失せろ! 何度言われても、キミの『欲望』には協力なんてしない! キミの『欲望』は叶えてはならないものだよ!」
「⋯⋯そう、ですか。⋯⋯そういえば、何やら優秀な魔法使いがここには居るようですね」
ルトアはぞっとする。『優秀な魔法使い』とはエストのことで間違いないだろう。
「それがどうしたの? ⋯⋯もう一度警告する。さっさと」
「その子、あなたを超える魔法の才能を持っていますね」
「──」
分かってきた。黒髪の彼女の目的が何であるかなんて。
「私と同じです。私に匹敵する。⋯⋯とても、興味深い」
「⋯⋯キミ、いやお前にはエストを、絶対に渡さない。そのためなら、もう一度でも殺すよ」
「あらあら、それはとても怖い。⋯⋯ですが、私の『欲望』を叶えるには、その子を手にしておきたいのですよ」
黒髪の彼女は美しくも狂気的な笑みを浮かべる。
「⋯⋯ルトア、さっきからどうしたの?」
その時、眠っていたはずのエストが目を覚まして、騒いでいたルトアの様子を見に来てしまった。
「エスト!? 早くここから⋯⋯っ!?」
ルトアはエストを黒髪の彼女から逃がそうと、叫ぼうとした。しかし、
「⋯⋯本当にどうしたの?」
「⋯⋯え?」
そこには、ルトアの目線の先には誰も居なかった。
「たしかに、居たはず⋯⋯」
転移魔法を使った様子もない。走って逃げたにしてもエストが何も見ていないのはおかしい。
最初からいなかった? いやそんなことはない。たしかにルトアは黒髪の彼女と会話していたはずだ。あれが幻覚、幻聴なんてことはありえない。
「ルトア、疲れてるの? ⋯⋯最近はいつもより長く勉強していたし。明日休まない?」
「⋯⋯。うん。そうみたい。少し⋯⋯私は疲れているのかもしれないね」
そんなはずはない。魔女の体力はそんなことでなくなるものじゃない。
あれはきっと現実だ。あれは幻ではない。
「⋯⋯ああ、疲れているんだよ」
ルトアはエストに近づいて、手を握る。子供の高い体温がルトアの少し冷たくなった手に伝わる。
「え、あ、え? ど、どうして手を?」
エストは突然のルトアの行動にたじたじする。いつもこんなことはされないからだ。
顔を赤らめたのは、エストは少し、それについて恥ずかしく思ったからだ。彼女は他者からの愛情を殆ど受けたことがないからである。
「⋯⋯特に理由はないよ。けど、こうしていたいんだ」
「そ、そう⋯⋯」
困惑する。しかし、嬉しいとも思う。
そのまま二人は家に戻り、ベッドに眠る。
エストはすぐに眠りについたが、ルトアはそうはいかなかった。
「エストを、守らないと」
黒髪の彼女はこう言っていた。『私の『欲望』を叶えるには、その子を手にしておきたいのですよ』と。
つまり、黒髪の彼女はきっとエストを攫いに来るということである。
「⋯⋯絶対に、渡さない」
ルトアは黒髪の彼女の『欲望』を知っている。だからこそ言える。そんな『欲望』は叶えてはいけないと。
エストを見殺しにするわけにはいかない。黒髪の彼女の玩具にしてはならない。
◆◆◆
真っ暗い洞窟の中で、彼女は立っていた。
彼女は全身で、洞窟内の冷たさを感じていた。つまり、彼女は全裸である。
「ふふふ⋯⋯」
洞窟の中に全裸の女性を閉じ込める。これだけ聞いて、道徳的に考えれば、彼女にこんなことをした者は許されないだろう。しかし、その黒髪の女性はそんなことをされて当然の行いをした人物であるのだ。
「ルトア⋯⋯ルトア⋯⋯久しぶりに会いましたが、やはり私に協力してくれはしないようですね」
黒髪の彼女は今さっき、ルトアにだけ認知可能な自分の幻覚、と言うより分身を創り出して、会いに行ったのだ。
「私の『欲望』を否定した⋯⋯ああ、それはつまり私を心配していてくれているってこと。私を知ってもなお、私を私として見ていてくれる。⋯⋯ルトア、やっぱりあなたには協力して欲しい。そうじゃなきゃ、私はあなたを」
異常。歪んだ友情が彼女にはある。
「──殺すことになってしまう」
それは彼女にとって、惜しむべきことだった。幼い頃からの親友をその手で殺すことには、少し抵抗がある。
「⋯⋯にしても、あの子供」
黒髪の彼女はあの場に居た白髪の少女を思い出す。
あの場所に行った瞬間から、常人とは思えない魔力とその力を感じて、黒髪の彼女はその者に興味を持った。まさかそれがあんな小さな子供だとは、予想外であったが。
「おそらく十代前半でしょう。⋯⋯魔力は魔法を行使することで増加しますが、年齢を重ねるごとにも増加する。あんな若さで、あれだけの魔力を持つなら⋯⋯」
魔力は個人差があるが、大抵の場合、18歳になるまで増え続ける。そしてその増加スピードは体の成長と同じように、幼少期であればあるほど速い。
「⋯⋯『媒体』としては十分──いえ十二分ですね。ルトアもそうですが、どうしてこう『媒体』になり得る者は、それにしておくには惜しい人材何でしょうか⋯⋯」
ルトアとエストは『媒体』に成れる能力を持っているのだが、黒髪の彼女からしてみれば『媒体』にしたくない能力でもあった。
黒髪の彼女は──二人を、自らの手で殺したいのだ。『媒体』として殺すのではなく、『敵』として殺したいのだ。
「まあ、代わりを用意できないのであれば、どちらか片方とだけ、ですかね」
黒髪の彼女は、生きる、ということを感じられない。自分が生きているのか死んでいるのか分からないのだ。本来生命体が保有する死への恐怖が彼女には欠如しており、生への執着もそれに比例するように薄くなっていた。
しかし、ある瞬間だけその生への執着と死への恐怖が復活するのだ。
その瞬間とは、生死をかけた戦いをしているときだ。痛みが、迫りくる死が、相手の殺意が、彼女の消えかけているそれら感情を呼び覚ます。
「⋯⋯ルトアか、あの子供か。どちらも捨て難い。⋯⋯ああ、そうですよ。逆に言えば、代わりを用意できるなら⋯⋯」
黒髪の彼女は代わりを用意する方法を思考する。彼女が覚えている魔法──つまり全ての魔法からそれを達成できるものを探す。
そして探し終わったのは思考開始から一秒後であった。
「この魔法であれば、あるいは可能ですね。こんな初歩的で簡単なこと、どうして思いつかなかったのでしょう。反省しなくてはなりませんね」
ある魔法には、その代わりを生み出すことのできる可能性があるし、その確率は、彼女が導き出した結果だと99.9%である。
「残り0.1%ほどは不安要素ですが⋯⋯失敗したときは失敗したときです。リカバリーなど容易。まずはこの計画で進めましょう」
もしできなかったとしても、黒髪の彼女はとある魔人がどんな現実でも改変できるという能力を持っていることを知っている。最悪の場合でも、その魔人を従わせて、『媒体』を復活させれば良いだけである。
「さて、と。⋯⋯よし、こうしましょう」
黒髪の彼女にとっては最高であり、二人にとっては残酷な、彼女が愉しむ方法を思いつく。
「⋯⋯あれから百年も経っていますし、私もかなり鈍っているでしょう。ウォーミングアップとして、あの国でも滅ぼしましょうか」
あの国とは、表向きでは黒の魔女を、この洞窟に封印したとされる勇者が召喚された国である。
実際のところは、一度ルトアによって殺された黒の魔女はその後復活するが、完全になる前にたまたまそこを通りかかった勇者一行が、全力でこの洞窟に封印しただけなのだ。
「私を追い詰めて、封印した⋯⋯なんて戯言を言ってましたね。たしか。まあ封印は事実ですが⋯⋯思い出すと少し不愉快な気持ちになりますよ」
黒の魔女の笑みが崩れて、不機嫌そうな表情となる。
「⋯⋯私への危機感もなくなったのでしょうか。そろそろ、封印の状態を検査しに来るべきでしたね。人間」
──洞窟内に張り巡らされていた結界にヒビが入り、そして砕ける。
「ああ、この感覚、久しぶりです」
結界が砕けたことで枯渇していた魔力を取り戻して、体内に魔力が満ちていく感覚を覚える。
「魔力の枯渇による死はかなり不快でした。それを四六時中、およそ百年間ずっと体験し続けるのは⋯⋯流石の私でも辛かったですよ」
生命体が行う魔力の生産を停止させる効果があの結界にはあった。黒の魔女でも、彼女自身の能力を活用してようやく一つの魔法が行使できるくらいの過酷さだったし、それでも結界は破れなくて、結界を維持する魔法陣が風化によって消えるのを待つしかなかったのだ。
「ええと⋯⋯たしかあの国は北にあったはずですね」
勇者たちは寿命で死んでいるだろうから、彼らに復讐はできない。しかし、国自体は今も存在しているだろう。
「どうやって滅ぼしましょう? 直接襲撃しましょうかね⋯⋯」
彼女からしてみれば、それを実行するなんて簡単すぎて、全く持って何も愉しみがない。もっと愉しめるものでなくてはならない。
「⋯⋯あ、そうですね。パンデミックでも起こしましょう。そんなので滅ぶような国相手なら、私のウォーミングアップにすら物足りませんし」
黒の魔女は黒魔法で、罹患すれば致死率100%、免疫機能を徹底的に破壊するウィルスを創造する。感染方法は空気、飛沫、接触、経口の全てであり、発症期間もほぼノータイム。感染した時点で即死し、死体でウィルスは増殖する、最早ウィルスなのかどうかすら怪しいものの出来上がりだ。
「一日もあれば国民の半数は死亡するでしょうね。⋯⋯ふふふ、さて、生き残れる者はいるのでしょうか」
この殺人ウィルスは魔法で創られたものであるため、魔法抵抗力で打ち消すことができる。もっとも、創造主は黒の魔女であるため、そんな人物はこの世界には殆ど居ないだろうが。
しかし逆に言えば、もし感染して生きている者が居れば、その者は魔女に匹敵する強者であるということだ。
「人は死ぬ瞬間がとても美しい。今から、もう愉しみです」
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