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第二章「魔女殺しの神父」
第三十五話 結局、無双できない異世界転移
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エストはアレオスの変貌を理解できなかった。窮地に追いやられて覚醒するなど、物語上のものでしかないと思っていたからだ。
アレオスは神父服の内側から武器を取り出す。それはスティレットだ。刃がない代わりに、先端が鋭く尖っている短剣の一種である。一般的にトドメをさすために使われていたそれを、彼はメインの武器として運用しようとしている。
「速──っ!?」
アレオスのスピードは更に増し、エストは反応に遅れる。しかし、ロアがカバーに入ることで攻撃を受けることはなかった。
「パワーも増してる⋯⋯!」
ロアがアレオスの攻撃をいなした時、彼のパワーを理解しようとした。しかし、先程までとは比較にならないほどにそれは増しているということしか分からなかった。
「〈防壁〉っ!」
アレオスが消えたことに反射するようにエストは防御魔法を後ろに展開する。するとそれは功を奏して、彼のスティレットを一瞬だけ止める。魔女の身体能力であれば、その一瞬だけでも、ここから離れるのには十分な時間である。
エストとロアはアレオスから距離を取り、彼の動きを見る。
(スピードはロアと同じかそれ以上⋯⋯パワーに関しては桁違い。攻撃を受ければただじゃ済まない!)
アレオスは脱力したように前方向に倒れた瞬間、彼の姿が消え、目の前に現れる。ロアは彼に回し蹴りをするが、それは跳躍することで避けられる。
「今のを──見てから回避した!?」
ロアはたしかに、アレオスが彼女の足の動きを確認したことを見た。動体視力もさることながら、思考速度も格段に上がっているのだろう。
「っ!」
〈上位魔法武器創造〉、〈複製〉、〈重力操作〉の三つの魔法をエストは無詠唱でほぼ同時に行使し、跳躍したアレオスを無数の魔法武器で狙う。だが、アレオスはスティレットを振って、それにより発生した風圧のみでそれらを無力化する。
「〈爆振動〉!」
間髪入れずにロアがアレオスに魔法を行使し、スティレットを弾き、拳によるラッシュを叩き込むが──アレオスはロアのラッシュと同じスピードでラッシュを繰り出し、相殺する。
(ロア。そこから離れて)
(分かった!)
「〈重力操作〉!」
牢屋の鉄格子がねじ切られ、それらがアレオスに飛ぶ。しかし、彼はねじ切られた鉄格子の一つを奪って、残り全てを後方に跳ぶことで避ける。
アレオスは鉄格子を逆手に持ち、槍投げのような予備動作を取り、それをエストに投げる。だが今度は、彼女はそれに反応して、槍を掴み取り、投擲時のエネルギーを可能な限り殺さずに彼女は一回転しつつ投げ返す。自分の力にエストの力が加わったそれを、アレオスは流石に受け止めることができないと判断し、避ける。
(力では負けている。小細工も通用しない。⋯⋯なら)
エストは自身の魔力残量が、まだ三割近く残っていると感覚的に理解する。
(──回避も、受け流すこともできない攻撃をすればいいだけっ!)
アレオスが構えに入り、そして前衛のロアにスティレットの先端を向けて突進する。しかし、その間にエストが割り込み、重力魔法を行使してアレオスの動きを一瞬だけ──ではなく、彼の体を天井に叩きつける。
「抵抗されていない!?」
驚いたのはロアだった。アレオスの魔法抵抗力であれば一瞬のタイムラグがあるとはいえ、エストの魔法を無力化できるはずだったからだ。
「いや⋯⋯まさか、エスト⋯⋯無茶してる?」
──魔法の効果の大きさは、術者の魔法能力と消費魔力量が関係している。同じ消費魔力量でも術者が違うと、魔法の効果が強かったり弱かったりするのはこれが原因だ。しかし、消費魔力量が二倍だからといって、効果も二倍になるわけではない。大抵は少しだけ強くなる程度で、普通はその魔法における必要最低の魔力しか消費しない。
現在、エストは〈重力操作〉に、その魔法の基礎効果を上昇させる〈魔法強化〉、そして更に、彼女の持つ膨大な魔力量に物を言わせ、本来の数十倍の魔力を消費してこの魔法を行使したのだ。
(頭痛、吐き気、目眩、悪寒⋯⋯魔力を瞬間的に、一気に消費したときの症状ね)
魔力が枯渇寸前のときは、これらがもっと悪化し、耳鳴りが追加され、最悪気絶する。そうなっていないということは、まだまだいけるということ。
天井に叩きつけ、次は床に叩きつける。たったこれだけの動作だというのに、疲労感はいつもとは比較にすらならなく、それは全力疾走を五分間ほど続けたときと同等だろう。最後に彼女はアレオスを部屋の奥の壁まで飛ばす。
「はあ⋯⋯はあ⋯⋯はあ──っ!」
まだエストの攻撃は終了していない。このまま戦い続けたって、魔力が徐々に減っていき、やがて殺されることが目に見えていたから、ここで一気に殺さなければならない。
転移魔法に使う魔力さえ惜しい。エストはただでさえ魔法の無茶な行使によって大きな負荷がかかっている体に鞭を打ち、奥の壁に叩きつけたアレオスの元に走り、いくつもの攻撃魔法を無詠唱で行使すると、低魔力状態のときの症状が悪化する。だが、意識はまだ失ってはならない。
「ロア!」
攻撃を止めてはならない。できる攻撃を、使える魔法を、全て出し切って、一気に殺さなくてはならない。
ロアはエストの呼びかけの意味を理解して、煙に隠れているアレオスに膝蹴りを叩き込む。彼女はたしかな感触を覚えて、そこからラッシュに派生させる。無呼吸下での、一切の隙がない連撃。一発一発は非常に重く、アレオスを緩衝材にしているというのに、壁は変形し、砕ける。
ロアのラッシュの間にエストは〈上位魔法武器創造〉で一本の槍を創造する。そして、自分が持てる最大火力の魔法を、生命活動に必要な最低限の魔力を確保して、残る魔力全てを消費し、彼女が使える対単体最強の攻撃魔法を詠唱する。
「〈電磁加速砲〉っ!」
魔法武器の槍は瞬時にして加速し、光よりも早い速度となる。詠唱と同時にとんでもない爆発と光、風圧が発生し、一瞬だけ視界が白一色に染まる。他の色と音を取り戻すのに時間が必要であったが、その間もアレオスを警戒し続けていた。やがて色と音が戻る。
「──」
エストは血を吐き、過呼吸状態となる。意識も朦朧としており、少しでも気を抜けば今にも倒れそうだ。まさに満身創痍である。勿論、彼女ほどではないにせよ、ロアもかなり消耗している。
「終わった⋯⋯?」
天井が一部分だけ崩れ、夕日がこの牢獄を照らす。
しばらく時間が経過しても、瓦礫の下にいるであろうアレオスは動かない。
「⋯⋯っぽいな。⋯⋯けど、まだ終わりではないようだ」
ナオトの〈敵知覚〉に反応があった。その数は非常に多く、数え切れないほどだ。
「⋯⋯多分、帝国軍だな」
今この場で転移魔法が使えるのは神人部隊の魔法使いだけだ。しかし、その魔法使い──エレンの力では十二人を一斉に転移させることは不可能で、できて四人とのこと。
マサカズは転移で逃がすメンバーを決める。
「任務はレネの救助だから、レネは確実に逃さないとだめだ。あとはそこの死にかけの魔女と疲れきった魔女だな」
「動けないことはないけど」
「バカ言え。今のお前だと一般人にすら負けそうだ」
実際の所、今のエストでも師団を壊滅させることはできる。もしそうすれば数カ月はマトモに動けなくなるが。
「俺達はまだまだ身体的には余裕だ。だから⋯⋯レネとエスト、ロア、エレンだけ転移してくれ」
それを聞いた金髪の女性が〈転移陣〉を行使すると、床に魔法陣が浮かび上がる。
「わかったわ。レネ様、エストさん、ロアさん、こちらに」
四人がその魔法陣の上に立つと、消える。直後、魔法陣も効力を失い、同じく消える。
「⋯⋯さて、と。これからは俺達の出番ってわけだ」
下水道の方から多数の足音が響いてくる。
「──異世界物での定番、主人公無双を見せてやる」
◆◆◆
人を殺すことに、抵抗がないかと聞かれれば答えはNOだろう。それは日本は戦争の片鱗すらない平和な国であり、彼らはそんな国の出身であるからだ。そして何より、マサカズの『死』への恐怖心は人一倍強い。他者の『死』も忌避するほどだ。
しかし、だからと言って今更、そんな平和ボケした思考をそのまま、この世界に持ち込んで主張するほど、彼らは馬鹿ではない。この世界と日本という国は違う。違うから、考えも改めなくてはならない。生きるか死ぬか。殺すか殺されるか。勝者か敗者か。二つの選択肢を、限られた選択肢を、彼らは与えられている。第三の選択肢──平和的解決など、そこにはない。
「⋯⋯」
仕方ない。なんて言葉を盾にする気はない。生きるために彼らは帝国軍人を殺していく。
手に伝わるのは生々しい肉を斬る感触。不快感のみがそこに存在し、決して優越感や爽快感はない。人を殺すという感覚。それは『死』の次に不快なものかも知れない。ゴブリンやオーガとはまるで違う。人に似ただけの下劣な化け物を虐殺するのとは訳が違う。自分と全く同じ人間を、同族を殺すということがこれほどまでに苦しいことだとは、できるのならば知りたくなかったし、実行しなくては知ることはできなかったものだろう。いくらする前から覚悟していても、いざその時になると、その覚悟は簡単に揺らぐ。それが人間。それが中途半端に優しい、偽善まみれの人間だ。
でもせめて、これだけは忘れないでおこうとするものがあった。
「⋯⋯!」
殺人の罪の意識。人間の倫理観で最も重要なもの。これを失っては、正常な人間とは呼べなくなる。失ってしまえば最後、ただの薄汚い殺人鬼に成り下がる。
鎧を薄氷のように裂き、肉をバターのように斬る。たった一振りで、命は儚く消える。
「はっ⋯⋯はは。啖呵を切ったっていうのに⋯⋯もう止めたくなる⋯⋯」
しかし、16歳であるマサカズ達にはその罪は大きすぎた。信者はまだ、こっちを本気で殺しに来ていた。だが、軍人は仕事で殺しに来ている。そこに本人の願いはなく、あまつさえ『死への恐怖』があった。マサカズはそれを確かに見た。
「⋯⋯いや、止めるな、俺」
もう戻れない、手の汚れていない純情な人間には。
『いただきます』という言葉がある。それはご飯を食べる際、食材となった命に対しての謝罪、そして感謝の意味を持つ。
──人殺しと食べることは、本質的には同義ではないだろうか。人間と豚や牛、魚、植物などの命に、序列なんてないのではないか。あくまで殺人が罪になっているのは、人間が定めた法律上のものだからだ。たしかに単純に殺すのと、食べるために殺すのでは天と地ほどの差がある。だが、やはりどちらも結果としては殺している。死体を活用するかしないかの違いしかないし、殺したあとのそれは、論点ではない。
「命を奪う⋯⋯俺は同じことを、何度も⋯⋯それこそ数え切れないほどやってきただろ?」
ならば、迷う必要はない。
殺人を楽しむ気はない。快楽殺人鬼には落ちぶれない。だが、必要とするため彼らは殺人を犯す。
何が正しいとか、何が間違っているとか、そんなのは結局、主観的要素で決まる。善悪などない。視点によって、人によって、時代によって──世界によって、そんなのは簡単に変わる。
「粗方終わった⋯⋯か」
帝国軍の第一波を殺し尽くしてもなお、彼らには肉体的疲労はなかった。だが、精神的疲労はある。
「次が来る前に、早く下水道から出ましょう。私達が先陣を切ります」
「了解」
実戦経験も豊富で、おそらく人殺しもしてきた神人部隊は、弱いマサカズたちと違ってまだまだ余裕そうだ。彼らについていき、下水道を出ると、
「チッ⋯⋯囲まれた」
先程よりも多くの帝国軍人が居た。なんの役にも立たない盾と剣を構えて、マサカズ達を最大限警戒していた。
「い、今なら、降参すれば命だけは助けてやる!」
おそらく指揮官の男は、マサカズ達にそう宣告する。しかし彼の声は震えており、実際、降参したいのはあちらの方だろう。
無言で、マサカズ達は包囲網の一点突破を目指し、必然的にそれは成功する。その際にもまた、恐怖に怯える人を殺した。
罪悪感はあったが、抵抗はなくなってきた。
「多分、あの包囲網に大半の人員を割いたはずだ! 今なら国境は手薄のはずだ!」
教会が軍に救援を頼んだのはたった一時間ほど前だ。むしろそんな短時間で、ここまでの戦力を集められたことは敵ながら賞賛したくなるほど。それとも、教会と軍にはそれほどまでに太いパイプがあるのだろうか。
走る、走る、走る。
加護による身体能力の向上のおかげで、日本にいた時よりも格段に走る速度、持久力は増している。10km程度であれば15分で完走できるし、息切れも全く起こさないだろう。
やがて国境に到着すると、やはり警備は手薄であった。わざわざ隠密行動をするよりも正面突破のほうが簡単で手っ取り早いと判断したため、そのまま突っ切ろうとしたが、
「なんだアレ!?」
よく見ると、大砲のようなものが十数門あった。しかし、それはマサカズ達が知る大砲とは少しだけ異なっていた。近くに砲弾が一切ないのだ。まさか戦闘のプロフェッショナル達が、砲弾を忘れるなんてことはありえない。
「あれは──魔動大砲です!」
アキラが言った魔動という言葉から察するに、あれも魔法武器の一種なのだろう。
マサカズ達を視認した軍人は、砲口をこちらに向け、
「撃て!」
大砲内にある魔力石の魔力を開放し、内部に描かれた魔法陣が発光して効果を発揮する。
それは最早、大砲というよりレーザー砲と言った方が正しいかった。明るい紫色──フクシア色の、各大砲から発射されたレーザーが全て一つに重なり、極太のレーザーとなる。それは幸運にもマサカズ達には直撃しなかったが、代わりに近くの地面を融解させ、土がドロドロの液体となる。生身の人間にこれが直撃すれば、この地面と同じようにドロドロの人だったものに変わり果てるだろう。無論、それは転移者、神人であっても例外ではない。
「やば⋯⋯」
どうやらその魔動大砲とやらは非常に軽いらしい。女性の、それも魔法使いである軍人ですら、簡単に動かしている。命中率は本人の腕に完全に依存しているため、今度も外すとは考えないほうが良いだろう。
十数門もの大砲が、再びこちらを狙う。
「〈防壁〉!」
エレンとは違う神人部隊の魔法使い──ショウが、防御魔法を詠唱する。半透明の青色の壁が出現すると、それはレーザーを食い止める。しかし、次第にヒビが入りつつあり、長くは持たないことが分かる。
「近づけば当然相手の命中率も上がる⋯⋯でも、ここでこのまま居たって死ぬだけだ。⋯⋯そうだ」
マサカズはこの状況を打開するための方法を思いつく。
「俺が奴らを引きつける。ユナ、援護してくれ!」
「わかりました!」
最悪死んでも問題ないのはマサカズだ。であれば、先陣を切るのに適しているのは彼ということになる。
「──まあ、死ぬ気はないけどなっ!」
聖剣を片手に持ち、全力で大砲に向かう。こちら側に転移してきてまだ間もない頃よりも身体能力は更に向上している。
「単身切り込み⋯⋯? 構うな、撃て!」
全ての砲口がマサカズを狙う。期待通りに──いや、予想通りの結果だ。
「来ると思ったぜ。〈瞬歩〉」
レーザー光線は消えたマサカズを捉えられず、またもや地面を融解させるだけだった。
「やっぱり──」
クールタイムがないのであれば、連続的に撃ってくるはずだ。そうすれば防御魔法を常に展開させ続けて、無力化できる。あとは魔力がなくなった所を仕留めるだけで済む話だ。なのにそれをしなかった。なぜか。それは単純に、できなかったからだ。
そして、魔動大砲は一門だけでは大した力を持たない。複数──それこそ、数十門あって、やっととんでもない破壊力を引き出せる。だから、同一の対象のみしか狙えない。だから、細かなレーザーをいくつも重ねていたのだ。
「〈爆矢〉!」
ユナは一度に三本の矢を放つ。それらは外れることがなく、全て大砲に命中し、爆発させて魔法陣ごと破壊する。爆煙が発生することで、他の射手の視界を妨害する。
その隙を狙い、マサカズは走りながら、次々と大砲を斬って無力化していく。
「指揮官!」
「てっ、撤退ィッ!」
強者を唯一殺すことができる兵器は破壊された。それはつまり、敗北を意味する。
マサカズ達の今の目的はあくまで王国へ戻ることであり、殺戮ではない。だからノロノロと撤退している帝国軍をわざわざ追って殺すことはせず、そのまま逃げる。
追手が居ないことを確認すると、国境を超えた付近で隠れて待機していた馬車に乗車する。
「⋯⋯ボクたち、生きて帰ってこれた、んだよな?」
「⋯⋯そう、ですね」
つい数時間前まで乗っていた馬車だというのに、今はとても懐かしく感じる。それほどまでにこの帝国での出来事は、色濃いものであった。マサカズに関しては、体感では更に数時間追加される。
「まあ、俺は何度か死んだがな」
普通は笑えないが、今の彼にとっては精一杯のジョークである。それをナオトとユナは汲み取ったのか、あるいは本心か、笑って、
「ありがとな」「ありがとうございます」
感謝する。二人はマサカズの苦しみを、努力を、彼から伝えられただけの言葉でしか知らない。しかし、それでも全く知らないわけではないし、救われたことは事実だ。
「⋯⋯どういたしまして」
マサカズは感傷にふける。死の記憶を思い出す。そして、それらが一旦終わったことを実感する。
「──」
走る馬車の中から、外の景色を見る。今日は満月だった。戦いの余韻に浸るには丁度良かった。
レネ救出作戦は、一人の死者も出さずに成功した。
「⋯⋯でも、まだ決着はついていない。この戦いはきっかけだ。今から始まる──」
青の魔女、レネは王国の女神である。そんな彼女を攫うということは、王国へ明確な敵意を向けるのと同義。
マサカズ、ナオト、ユナの三人の脳内には、ある言葉が浮かび上がる。
「──ウェレール王国とガールム帝国の戦争の」
アレオスは神父服の内側から武器を取り出す。それはスティレットだ。刃がない代わりに、先端が鋭く尖っている短剣の一種である。一般的にトドメをさすために使われていたそれを、彼はメインの武器として運用しようとしている。
「速──っ!?」
アレオスのスピードは更に増し、エストは反応に遅れる。しかし、ロアがカバーに入ることで攻撃を受けることはなかった。
「パワーも増してる⋯⋯!」
ロアがアレオスの攻撃をいなした時、彼のパワーを理解しようとした。しかし、先程までとは比較にならないほどにそれは増しているということしか分からなかった。
「〈防壁〉っ!」
アレオスが消えたことに反射するようにエストは防御魔法を後ろに展開する。するとそれは功を奏して、彼のスティレットを一瞬だけ止める。魔女の身体能力であれば、その一瞬だけでも、ここから離れるのには十分な時間である。
エストとロアはアレオスから距離を取り、彼の動きを見る。
(スピードはロアと同じかそれ以上⋯⋯パワーに関しては桁違い。攻撃を受ければただじゃ済まない!)
アレオスは脱力したように前方向に倒れた瞬間、彼の姿が消え、目の前に現れる。ロアは彼に回し蹴りをするが、それは跳躍することで避けられる。
「今のを──見てから回避した!?」
ロアはたしかに、アレオスが彼女の足の動きを確認したことを見た。動体視力もさることながら、思考速度も格段に上がっているのだろう。
「っ!」
〈上位魔法武器創造〉、〈複製〉、〈重力操作〉の三つの魔法をエストは無詠唱でほぼ同時に行使し、跳躍したアレオスを無数の魔法武器で狙う。だが、アレオスはスティレットを振って、それにより発生した風圧のみでそれらを無力化する。
「〈爆振動〉!」
間髪入れずにロアがアレオスに魔法を行使し、スティレットを弾き、拳によるラッシュを叩き込むが──アレオスはロアのラッシュと同じスピードでラッシュを繰り出し、相殺する。
(ロア。そこから離れて)
(分かった!)
「〈重力操作〉!」
牢屋の鉄格子がねじ切られ、それらがアレオスに飛ぶ。しかし、彼はねじ切られた鉄格子の一つを奪って、残り全てを後方に跳ぶことで避ける。
アレオスは鉄格子を逆手に持ち、槍投げのような予備動作を取り、それをエストに投げる。だが今度は、彼女はそれに反応して、槍を掴み取り、投擲時のエネルギーを可能な限り殺さずに彼女は一回転しつつ投げ返す。自分の力にエストの力が加わったそれを、アレオスは流石に受け止めることができないと判断し、避ける。
(力では負けている。小細工も通用しない。⋯⋯なら)
エストは自身の魔力残量が、まだ三割近く残っていると感覚的に理解する。
(──回避も、受け流すこともできない攻撃をすればいいだけっ!)
アレオスが構えに入り、そして前衛のロアにスティレットの先端を向けて突進する。しかし、その間にエストが割り込み、重力魔法を行使してアレオスの動きを一瞬だけ──ではなく、彼の体を天井に叩きつける。
「抵抗されていない!?」
驚いたのはロアだった。アレオスの魔法抵抗力であれば一瞬のタイムラグがあるとはいえ、エストの魔法を無力化できるはずだったからだ。
「いや⋯⋯まさか、エスト⋯⋯無茶してる?」
──魔法の効果の大きさは、術者の魔法能力と消費魔力量が関係している。同じ消費魔力量でも術者が違うと、魔法の効果が強かったり弱かったりするのはこれが原因だ。しかし、消費魔力量が二倍だからといって、効果も二倍になるわけではない。大抵は少しだけ強くなる程度で、普通はその魔法における必要最低の魔力しか消費しない。
現在、エストは〈重力操作〉に、その魔法の基礎効果を上昇させる〈魔法強化〉、そして更に、彼女の持つ膨大な魔力量に物を言わせ、本来の数十倍の魔力を消費してこの魔法を行使したのだ。
(頭痛、吐き気、目眩、悪寒⋯⋯魔力を瞬間的に、一気に消費したときの症状ね)
魔力が枯渇寸前のときは、これらがもっと悪化し、耳鳴りが追加され、最悪気絶する。そうなっていないということは、まだまだいけるということ。
天井に叩きつけ、次は床に叩きつける。たったこれだけの動作だというのに、疲労感はいつもとは比較にすらならなく、それは全力疾走を五分間ほど続けたときと同等だろう。最後に彼女はアレオスを部屋の奥の壁まで飛ばす。
「はあ⋯⋯はあ⋯⋯はあ──っ!」
まだエストの攻撃は終了していない。このまま戦い続けたって、魔力が徐々に減っていき、やがて殺されることが目に見えていたから、ここで一気に殺さなければならない。
転移魔法に使う魔力さえ惜しい。エストはただでさえ魔法の無茶な行使によって大きな負荷がかかっている体に鞭を打ち、奥の壁に叩きつけたアレオスの元に走り、いくつもの攻撃魔法を無詠唱で行使すると、低魔力状態のときの症状が悪化する。だが、意識はまだ失ってはならない。
「ロア!」
攻撃を止めてはならない。できる攻撃を、使える魔法を、全て出し切って、一気に殺さなくてはならない。
ロアはエストの呼びかけの意味を理解して、煙に隠れているアレオスに膝蹴りを叩き込む。彼女はたしかな感触を覚えて、そこからラッシュに派生させる。無呼吸下での、一切の隙がない連撃。一発一発は非常に重く、アレオスを緩衝材にしているというのに、壁は変形し、砕ける。
ロアのラッシュの間にエストは〈上位魔法武器創造〉で一本の槍を創造する。そして、自分が持てる最大火力の魔法を、生命活動に必要な最低限の魔力を確保して、残る魔力全てを消費し、彼女が使える対単体最強の攻撃魔法を詠唱する。
「〈電磁加速砲〉っ!」
魔法武器の槍は瞬時にして加速し、光よりも早い速度となる。詠唱と同時にとんでもない爆発と光、風圧が発生し、一瞬だけ視界が白一色に染まる。他の色と音を取り戻すのに時間が必要であったが、その間もアレオスを警戒し続けていた。やがて色と音が戻る。
「──」
エストは血を吐き、過呼吸状態となる。意識も朦朧としており、少しでも気を抜けば今にも倒れそうだ。まさに満身創痍である。勿論、彼女ほどではないにせよ、ロアもかなり消耗している。
「終わった⋯⋯?」
天井が一部分だけ崩れ、夕日がこの牢獄を照らす。
しばらく時間が経過しても、瓦礫の下にいるであろうアレオスは動かない。
「⋯⋯っぽいな。⋯⋯けど、まだ終わりではないようだ」
ナオトの〈敵知覚〉に反応があった。その数は非常に多く、数え切れないほどだ。
「⋯⋯多分、帝国軍だな」
今この場で転移魔法が使えるのは神人部隊の魔法使いだけだ。しかし、その魔法使い──エレンの力では十二人を一斉に転移させることは不可能で、できて四人とのこと。
マサカズは転移で逃がすメンバーを決める。
「任務はレネの救助だから、レネは確実に逃さないとだめだ。あとはそこの死にかけの魔女と疲れきった魔女だな」
「動けないことはないけど」
「バカ言え。今のお前だと一般人にすら負けそうだ」
実際の所、今のエストでも師団を壊滅させることはできる。もしそうすれば数カ月はマトモに動けなくなるが。
「俺達はまだまだ身体的には余裕だ。だから⋯⋯レネとエスト、ロア、エレンだけ転移してくれ」
それを聞いた金髪の女性が〈転移陣〉を行使すると、床に魔法陣が浮かび上がる。
「わかったわ。レネ様、エストさん、ロアさん、こちらに」
四人がその魔法陣の上に立つと、消える。直後、魔法陣も効力を失い、同じく消える。
「⋯⋯さて、と。これからは俺達の出番ってわけだ」
下水道の方から多数の足音が響いてくる。
「──異世界物での定番、主人公無双を見せてやる」
◆◆◆
人を殺すことに、抵抗がないかと聞かれれば答えはNOだろう。それは日本は戦争の片鱗すらない平和な国であり、彼らはそんな国の出身であるからだ。そして何より、マサカズの『死』への恐怖心は人一倍強い。他者の『死』も忌避するほどだ。
しかし、だからと言って今更、そんな平和ボケした思考をそのまま、この世界に持ち込んで主張するほど、彼らは馬鹿ではない。この世界と日本という国は違う。違うから、考えも改めなくてはならない。生きるか死ぬか。殺すか殺されるか。勝者か敗者か。二つの選択肢を、限られた選択肢を、彼らは与えられている。第三の選択肢──平和的解決など、そこにはない。
「⋯⋯」
仕方ない。なんて言葉を盾にする気はない。生きるために彼らは帝国軍人を殺していく。
手に伝わるのは生々しい肉を斬る感触。不快感のみがそこに存在し、決して優越感や爽快感はない。人を殺すという感覚。それは『死』の次に不快なものかも知れない。ゴブリンやオーガとはまるで違う。人に似ただけの下劣な化け物を虐殺するのとは訳が違う。自分と全く同じ人間を、同族を殺すということがこれほどまでに苦しいことだとは、できるのならば知りたくなかったし、実行しなくては知ることはできなかったものだろう。いくらする前から覚悟していても、いざその時になると、その覚悟は簡単に揺らぐ。それが人間。それが中途半端に優しい、偽善まみれの人間だ。
でもせめて、これだけは忘れないでおこうとするものがあった。
「⋯⋯!」
殺人の罪の意識。人間の倫理観で最も重要なもの。これを失っては、正常な人間とは呼べなくなる。失ってしまえば最後、ただの薄汚い殺人鬼に成り下がる。
鎧を薄氷のように裂き、肉をバターのように斬る。たった一振りで、命は儚く消える。
「はっ⋯⋯はは。啖呵を切ったっていうのに⋯⋯もう止めたくなる⋯⋯」
しかし、16歳であるマサカズ達にはその罪は大きすぎた。信者はまだ、こっちを本気で殺しに来ていた。だが、軍人は仕事で殺しに来ている。そこに本人の願いはなく、あまつさえ『死への恐怖』があった。マサカズはそれを確かに見た。
「⋯⋯いや、止めるな、俺」
もう戻れない、手の汚れていない純情な人間には。
『いただきます』という言葉がある。それはご飯を食べる際、食材となった命に対しての謝罪、そして感謝の意味を持つ。
──人殺しと食べることは、本質的には同義ではないだろうか。人間と豚や牛、魚、植物などの命に、序列なんてないのではないか。あくまで殺人が罪になっているのは、人間が定めた法律上のものだからだ。たしかに単純に殺すのと、食べるために殺すのでは天と地ほどの差がある。だが、やはりどちらも結果としては殺している。死体を活用するかしないかの違いしかないし、殺したあとのそれは、論点ではない。
「命を奪う⋯⋯俺は同じことを、何度も⋯⋯それこそ数え切れないほどやってきただろ?」
ならば、迷う必要はない。
殺人を楽しむ気はない。快楽殺人鬼には落ちぶれない。だが、必要とするため彼らは殺人を犯す。
何が正しいとか、何が間違っているとか、そんなのは結局、主観的要素で決まる。善悪などない。視点によって、人によって、時代によって──世界によって、そんなのは簡単に変わる。
「粗方終わった⋯⋯か」
帝国軍の第一波を殺し尽くしてもなお、彼らには肉体的疲労はなかった。だが、精神的疲労はある。
「次が来る前に、早く下水道から出ましょう。私達が先陣を切ります」
「了解」
実戦経験も豊富で、おそらく人殺しもしてきた神人部隊は、弱いマサカズたちと違ってまだまだ余裕そうだ。彼らについていき、下水道を出ると、
「チッ⋯⋯囲まれた」
先程よりも多くの帝国軍人が居た。なんの役にも立たない盾と剣を構えて、マサカズ達を最大限警戒していた。
「い、今なら、降参すれば命だけは助けてやる!」
おそらく指揮官の男は、マサカズ達にそう宣告する。しかし彼の声は震えており、実際、降参したいのはあちらの方だろう。
無言で、マサカズ達は包囲網の一点突破を目指し、必然的にそれは成功する。その際にもまた、恐怖に怯える人を殺した。
罪悪感はあったが、抵抗はなくなってきた。
「多分、あの包囲網に大半の人員を割いたはずだ! 今なら国境は手薄のはずだ!」
教会が軍に救援を頼んだのはたった一時間ほど前だ。むしろそんな短時間で、ここまでの戦力を集められたことは敵ながら賞賛したくなるほど。それとも、教会と軍にはそれほどまでに太いパイプがあるのだろうか。
走る、走る、走る。
加護による身体能力の向上のおかげで、日本にいた時よりも格段に走る速度、持久力は増している。10km程度であれば15分で完走できるし、息切れも全く起こさないだろう。
やがて国境に到着すると、やはり警備は手薄であった。わざわざ隠密行動をするよりも正面突破のほうが簡単で手っ取り早いと判断したため、そのまま突っ切ろうとしたが、
「なんだアレ!?」
よく見ると、大砲のようなものが十数門あった。しかし、それはマサカズ達が知る大砲とは少しだけ異なっていた。近くに砲弾が一切ないのだ。まさか戦闘のプロフェッショナル達が、砲弾を忘れるなんてことはありえない。
「あれは──魔動大砲です!」
アキラが言った魔動という言葉から察するに、あれも魔法武器の一種なのだろう。
マサカズ達を視認した軍人は、砲口をこちらに向け、
「撃て!」
大砲内にある魔力石の魔力を開放し、内部に描かれた魔法陣が発光して効果を発揮する。
それは最早、大砲というよりレーザー砲と言った方が正しいかった。明るい紫色──フクシア色の、各大砲から発射されたレーザーが全て一つに重なり、極太のレーザーとなる。それは幸運にもマサカズ達には直撃しなかったが、代わりに近くの地面を融解させ、土がドロドロの液体となる。生身の人間にこれが直撃すれば、この地面と同じようにドロドロの人だったものに変わり果てるだろう。無論、それは転移者、神人であっても例外ではない。
「やば⋯⋯」
どうやらその魔動大砲とやらは非常に軽いらしい。女性の、それも魔法使いである軍人ですら、簡単に動かしている。命中率は本人の腕に完全に依存しているため、今度も外すとは考えないほうが良いだろう。
十数門もの大砲が、再びこちらを狙う。
「〈防壁〉!」
エレンとは違う神人部隊の魔法使い──ショウが、防御魔法を詠唱する。半透明の青色の壁が出現すると、それはレーザーを食い止める。しかし、次第にヒビが入りつつあり、長くは持たないことが分かる。
「近づけば当然相手の命中率も上がる⋯⋯でも、ここでこのまま居たって死ぬだけだ。⋯⋯そうだ」
マサカズはこの状況を打開するための方法を思いつく。
「俺が奴らを引きつける。ユナ、援護してくれ!」
「わかりました!」
最悪死んでも問題ないのはマサカズだ。であれば、先陣を切るのに適しているのは彼ということになる。
「──まあ、死ぬ気はないけどなっ!」
聖剣を片手に持ち、全力で大砲に向かう。こちら側に転移してきてまだ間もない頃よりも身体能力は更に向上している。
「単身切り込み⋯⋯? 構うな、撃て!」
全ての砲口がマサカズを狙う。期待通りに──いや、予想通りの結果だ。
「来ると思ったぜ。〈瞬歩〉」
レーザー光線は消えたマサカズを捉えられず、またもや地面を融解させるだけだった。
「やっぱり──」
クールタイムがないのであれば、連続的に撃ってくるはずだ。そうすれば防御魔法を常に展開させ続けて、無力化できる。あとは魔力がなくなった所を仕留めるだけで済む話だ。なのにそれをしなかった。なぜか。それは単純に、できなかったからだ。
そして、魔動大砲は一門だけでは大した力を持たない。複数──それこそ、数十門あって、やっととんでもない破壊力を引き出せる。だから、同一の対象のみしか狙えない。だから、細かなレーザーをいくつも重ねていたのだ。
「〈爆矢〉!」
ユナは一度に三本の矢を放つ。それらは外れることがなく、全て大砲に命中し、爆発させて魔法陣ごと破壊する。爆煙が発生することで、他の射手の視界を妨害する。
その隙を狙い、マサカズは走りながら、次々と大砲を斬って無力化していく。
「指揮官!」
「てっ、撤退ィッ!」
強者を唯一殺すことができる兵器は破壊された。それはつまり、敗北を意味する。
マサカズ達の今の目的はあくまで王国へ戻ることであり、殺戮ではない。だからノロノロと撤退している帝国軍をわざわざ追って殺すことはせず、そのまま逃げる。
追手が居ないことを確認すると、国境を超えた付近で隠れて待機していた馬車に乗車する。
「⋯⋯ボクたち、生きて帰ってこれた、んだよな?」
「⋯⋯そう、ですね」
つい数時間前まで乗っていた馬車だというのに、今はとても懐かしく感じる。それほどまでにこの帝国での出来事は、色濃いものであった。マサカズに関しては、体感では更に数時間追加される。
「まあ、俺は何度か死んだがな」
普通は笑えないが、今の彼にとっては精一杯のジョークである。それをナオトとユナは汲み取ったのか、あるいは本心か、笑って、
「ありがとな」「ありがとうございます」
感謝する。二人はマサカズの苦しみを、努力を、彼から伝えられただけの言葉でしか知らない。しかし、それでも全く知らないわけではないし、救われたことは事実だ。
「⋯⋯どういたしまして」
マサカズは感傷にふける。死の記憶を思い出す。そして、それらが一旦終わったことを実感する。
「──」
走る馬車の中から、外の景色を見る。今日は満月だった。戦いの余韻に浸るには丁度良かった。
レネ救出作戦は、一人の死者も出さずに成功した。
「⋯⋯でも、まだ決着はついていない。この戦いはきっかけだ。今から始まる──」
青の魔女、レネは王国の女神である。そんな彼女を攫うということは、王国へ明確な敵意を向けるのと同義。
マサカズ、ナオト、ユナの三人の脳内には、ある言葉が浮かび上がる。
「──ウェレール王国とガールム帝国の戦争の」
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