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第一章「王国の騒乱」
第二十四話 美
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前回、王都で出会った魔獣の人間の顔には見覚えがあった。
「⋯⋯つまり、イヨツ村が怪しい、と?」
「ああ」
戻ってきたのは二日前の朝だ。ことの経緯をナオトとユナに伝え、これからの事を話し合っていた。
「戦力としてレイに来てほしいが⋯⋯まあ仕方ないか⋯⋯」
レイは現在、エストの近くに居る。
レネの屋敷までは、普通の馬車なら一日はかかる。行って帰ってくれば、王都は魔獣に襲撃されているので、それはできない。つまり、
「俺達だけで何とかしなくちゃならないわけだ」
今回の敵は、あの金髪の少女。──おそらく、『黒の教団』の幹部だ。
マサカズは同じく『黒の教団』であったケテルを思い出す。ケテルは当時のマサカズ達では手も足も出ず、一瞬で殺された。そして今回もそうだ。あの金髪少女にも、全く歯が立たなかった。正面からの殺し合いでは、少なくとも相手が万全な状態なら、勝てないということだ。
「ともかく、今はイヨツ村に向かおう」
根本的な解決方法──金髪少女の殺害、もしくは無力化の方法はまだ思いついていない。だが、もし本当にイヨツ村が関係しているならば、村人達を守らなくてはならない。そうしなければ、村人達が死ぬのは当然、王都の襲撃も防げないかもしれないのだ。
(⋯⋯ああ、最悪だ。今度はあの魔獣を⋯⋯殺せない)
なぜか? それは──あの魔獣の顔が、イヨツ村で会った子供の内の一人にそっくりだったからだ。
(⋯⋯顔を模倣し、敵の戦意を削ぐ目的、あるいは、想像したくないが⋯⋯。あの新聞はデタラメのように思えたが、それほど的外れなわけでもなかったわけだ)
マサカズの予想が当たっているなら、それは本当に胸糞悪い事になる。
「マサカズさん、出発の準備ができました」
「あ、ああ。今行く」
冒険者組合に向かい、そこでイヨツ村の物資輸送馬車の護衛を受ける。できるならば輸送馬車に村人全員を乗せて、王都に避難させたいが、それをさせる理由がない。死に戻りの事を話したって、信じてもらえるかわからない。狂人だと言われるのがオチだろう。村を救った人だという信用はあれど、言うことすべて信じる程ではないのだ。
「おお、マサカズさんではありませんか」
村に着くと、村の青年がマサカズ達を見て挨拶する。三人はそれに返すと、クエストをさっさと終わらせる。普通なら馬車に乗って帰るのだが、本当の目的はこれではない。『村に個人的な用事がある』とだけ言って、村に留まることにした。
「お久しぶりです、村長さん」
「こちらこそ。あのときはありがとう」
三人は村長宅に行き、挨拶を済ませると、あることを聞く。
「⋯⋯村長さん、最近何か変わった事とかありませんか?」
その言葉を聞いた村長は、真剣な顔をして、答える。
「⋯⋯最近、村の近くの森に魔獣が現れてな⋯⋯村には被害はないんじゃが、これでは森に入って薬草などがとれん」
「⋯⋯わかりました。⋯⋯失礼しました」
「お、おい、どこへ行く?」
村長の声が届くより先に、三人は村長宅を出て、近くの森に走り出す。その途中だった。マサカズは村の内部で遊んでいた子供を目にする。そして、確信する。──やはり、あの子供だ。
「クソッ⋯⋯。二人とも、早く行くぞ」
森に入った所で、何も変わらないかもしれない。けれども、
(今日やらなくちゃ、本当に手がつけられなくなる!)
◆◆◆
森の大木が、ドロドロとした半固体状の黒いものになる。それはあるものを形成するが、その速度は非常に小さい。このペースでは、完全な形になるまでは一日はかかるだろうと予想できる、
「⋯⋯やっぱり、強い魔獣ほど、時間がかかる」
金髪少女──ティファレトだけでも、あの村を滅ぼすことはできる。だが、彼女の目標は村の壊滅ではなく、村人全員の抹殺。彼女一人だけではそれが難しく、確実にできるとは限らないのだ。
たしかに弱い魔獣ならば、数時間で頭数は揃えられるし、弱いといっても一般人では太刀打ちはできない。だが、どういうわけかあそこの村人達は全員、一般人とは思えないくらいに戦闘能力があり、弱い魔獣では力不足なのだ。
「⋯⋯頭痛い。まだまだ未熟ね。⋯⋯いつか、この力を使いこなしてみせましょう」
ティファレトは自らの支配者で、そして彼女が憧れた存在にそう言った。
「さて、と⋯⋯今日はもう、このあたりでやめておこうかな」
その場から離れるべく、転移魔法を使おうとした時だった。矢がティファレトの頭部に向かって飛んできたのだ。しかし、それを彼女はいとも簡単に、頭を少し動かすだけで避ける。
無音でティファレトの背後に周り、そのダガーを振りかざす。だが殺意を出していたことで彼女に察知され、それには鞭が振るわれる。だが、それに当たるはずの鞭は空を斬る。
「騙されたな! 死ねっ!」
「幻像⋯⋯ね。でも、声を出さなかったら、わたしに掠り傷くらい付けられたのに」
片手でナオトのダガーを掴む。⋯⋯掴まれたというのに、ナオトは嗤っている。
「何が──!?」
「〈一閃〉ッ!!」
音を置き去りにして、マサカズは剣でティファレトの背中を斬る。そのまま彼女は倒れ、血で草木を汚す。
「⋯⋯ふう」
黒の教団幹部最強のケテルと違い、流石にこれには反応できなかったようだ。三人がかり、しかも不意打ちでやっと倒せるほどに実力差は開いているとはいえ、全く勝算がないわけではないのだ。
「何とか殺せたな⋯⋯というか、結構ボク危なかったよな?」
「でもあそこで嗤うぐらいには余裕でしたよね」
「まあな」
「とりあえずここに居る魔獣の成りかけを始末するぞ」
三人は魔獣のなりかけを始末し、森から出ようとする。
そこで、マサカズは気づいてしまった。
「⋯⋯え? なんで⋯⋯死体がないんだ?」
いつの間にか、ティファレトの死体は消えていた。⋯⋯そう、彼女は死んでいなかったのだ。
「クソッ⋯⋯。でもまあ、ひとまずは安心か。あの傷だ。万全な状態になるには、時間がかかるはずだ」
どこかへ行っただろうティファレトが、今度ここに来るときはエストも回復している時期だ。教団幹部最強を圧倒できるエストなら、ティファレトに勝つことはほぼ確定だ。
「⋯⋯ああ、そうだ。万全な状態になるには、時間がかかるよ。⋯⋯でも、お前ら全員を醜い肉片にしてやるのには、今のわたしにだってできるんだよ」
「なっ!?」
そこには、明らかな致命傷を負ったティファレトが居た。背中から流す血の量が致死量であることなんて誰にでもわかるのに、何故か彼女は立っていた。普通の人間なら、おそらく立っているのさえやっとの状態だろう。
「殺してやる。よくもやってくれたな!」
正真正銘の戦闘用の鞭を取り出し、その小柄からは想像もできない剛力でそれを、周りの木々ごと、マサカズ達を砕くために振り回す。
間一髪の所でそれを避けるも、一度避けただけで体力が一気に無くなった。これではあと二、三度避けるのがやっとだ。
「こうなれば⋯⋯」
逃げるしかない。それを理解したナオトとユナも、逃げる準備をする。だが、
「逃がすわけないでしょ?」
一瞬で追いつかれる。ティファレトは人間であるが、普通の人間ではない。加護──それもかなり強力なものを持っているため、身体能力からマサカズら『転移者』を上回っているのだ。
真っ先に狙われたのはティファレトに攻撃を与えたマサカズ。それを知ってか、または反射的にか、ともかく、彼はティファレトの一撃をまたもや避けることに成功した。逃げることは無理だと悟ったマサカズは、剣を再び構える。
「俺は、諦めることが嫌いなんだ。どれだけでも、抗ってやる」
ティファレトはマサカズの目を見た。その目には、たしかに希望が映っていた。
──なぜ、この状況で希望を見いだせる?
「⋯⋯気持ち悪い。そんな目を、わたしに見せるな」
まるで、自分を殺せると、この状況を打開できる術があると、そう言いたいような目だ。
「そうか。なら、二度と見れないようにしてやる。⋯⋯ナオト、ユナ! 逃げろ!」
マサカズは知っていた、自身の死が世界の逆行のトリガーであると。だから、ここでの正しい判断は三人全員で戦うか、三人でバラバラになって逃げるか。
(⋯⋯俺は本当に馬鹿だな)
マサカズが死んでしまえば、二人を逃がした意味なんてなくなる。それを一番理解しているのは彼である。
合理的ではなく、感情的。結果的には死亡回数を増やしているだけで、自分の命を捨てているも同義。
(でも⋯⋯見たくないんだ)
二人を逃した理由は、単純で、それも二人の為ではない。自分の為⋯⋯自分の精神衛生上の都合だ。
親しい人が死ぬというのは、大変心に来るものがある。それが、同郷である数少ない人となると、精神が病んでしまってもおかしくない。
(俺は馬鹿で、強欲で、そして⋯⋯クズだ)
所詮は自分のことしか考えられない。模範人間の対義語が『黒井正和』だと言われても、文句の一つ言えやしない。だけどそれでも、確実に言えるのは、黒井正和は池澤直人と神崎由奈を救いたいということ。理由はなんであれ、結果としては二人を救うことに繋がる。
「〈瞬歩〉!」
後ろに回るでも、ましてや逃げるわけでもない。ティファレトの正面に移動し、反射的な攻撃を誘発させることが目的だ。予想通りティファレトは単純な攻撃をマサカズに仕掛ける。以前のケテル戦の頃とは違う。あの頃よりもマサカズは強くなったし、対して敵は黒の教団幹部最強のケテルよりも多少弱い。
何とか攻撃を見切ることができた。反射神経にモノを言わせた強引な業ではあったが、ようやく上位の存在の動きが見えるくらいにはなったということ。
だが今のマサカズには、その自身の成長を感じる暇などない。
ティファレトの右肩──鞭を持っている方の腕を斬り落とす。痛みにティファレトは転移魔法でマサカズとの距離を取るも、
「まだ俺の攻撃は終わっていないぜ?」
〈一閃〉により、すぐにまた距離を詰める。先程の負傷と右腕を失ったことによる出血で、ティファレトの視界が眩み、マサカズの追撃を受けてしまう。
「⋯⋯」
ティファレトの体が地面に倒れる。
「やった、のか⋯⋯?」
マサカズは既に満身創痍。これでまだティファレトが生きているとなると、それはもうどうしょうもない。今度こそ、こんな奇跡は起こせないだろう。
「⋯⋯まだ⋯⋯魔獣がいるってのに。⋯⋯ははは、体が、動かねぇ⋯⋯」
マサカズの体から力が抜ける。極度の緊張の元、短時間ではあるが本来以上──所謂『火事場の馬鹿力』で動いていたのだ。その反動はかなり大きい。
すぐさまマサカズには凄まじい眠気が襲いかかり、その瞼が閉じることに抵抗することは一切できなかった。
(⋯⋯こりゃ、しばらくは休まなきゃな)
全身の痛みはかつてないほど。死んでいてもおかしくない。エストと同じく、レネの屋敷にお世話になることになりそうだ。
そこで、マサカズの意識は暗闇に堕ちる。
◆◆◆
──ある少女は自身の過去を見た。彼女の憧れの人との出会いの過去である。
「⋯⋯あなたは⋯⋯いや、あなた様は一体?」
少女の家族は、少女の居た村は、目の前の黒髪の美しい女性によって滅ぼされた。本来であれば、少女は彼女を憎み、殺意さえ抱いたはずだ。
「⋯⋯私の名前は言えませんね。強いて言うなら⋯⋯『黒』とでも名乗っておきましょうか。でも、どうして名前を? あなたの知り合い、友人、家族を、私は殺したのですよ?」
「名前を聞いたのは、あなたが素晴らしい人で、とても魅力的だからです。⋯⋯わたしは、あなた様のためならば、何だってやります。いや、やらせてください」
だが、少女はその憎悪や殺意とは全く逆の感情を覚えた。狂信と憧憬だ。
「⋯⋯ふむ。いいでしょう。あなたは⋯⋯人間としてはとても素晴しい能力を持っていますね。あなたであれば、私のこの魔法に耐えられるでしょう」
「魔法⋯⋯?」
「ええ。私の⋯⋯遊びに付き合ってください」
(──そうだ。わたしはあのとき、あの御方に忠誠を誓った。あの御方にわたしの全てを捧げたんだ)
少女は、あの御方に「死ね」と言われたら、すぐに自身の首を落とすことをなんの躊躇いもなく実行できる。
(だからわたしは⋯⋯)
「死ね」と言われるその時まで、死ぬことは許されない。何としてでも生き残り、あの御方の『遊び』の役に立たなくてはならない。
(ここでは死ねない。あの御方の命令に背くことは絶対にあってはならない!)
──少女の体が、虫の息にも等しかったはずの体が、蠢く。
「⋯⋯つまり、イヨツ村が怪しい、と?」
「ああ」
戻ってきたのは二日前の朝だ。ことの経緯をナオトとユナに伝え、これからの事を話し合っていた。
「戦力としてレイに来てほしいが⋯⋯まあ仕方ないか⋯⋯」
レイは現在、エストの近くに居る。
レネの屋敷までは、普通の馬車なら一日はかかる。行って帰ってくれば、王都は魔獣に襲撃されているので、それはできない。つまり、
「俺達だけで何とかしなくちゃならないわけだ」
今回の敵は、あの金髪の少女。──おそらく、『黒の教団』の幹部だ。
マサカズは同じく『黒の教団』であったケテルを思い出す。ケテルは当時のマサカズ達では手も足も出ず、一瞬で殺された。そして今回もそうだ。あの金髪少女にも、全く歯が立たなかった。正面からの殺し合いでは、少なくとも相手が万全な状態なら、勝てないということだ。
「ともかく、今はイヨツ村に向かおう」
根本的な解決方法──金髪少女の殺害、もしくは無力化の方法はまだ思いついていない。だが、もし本当にイヨツ村が関係しているならば、村人達を守らなくてはならない。そうしなければ、村人達が死ぬのは当然、王都の襲撃も防げないかもしれないのだ。
(⋯⋯ああ、最悪だ。今度はあの魔獣を⋯⋯殺せない)
なぜか? それは──あの魔獣の顔が、イヨツ村で会った子供の内の一人にそっくりだったからだ。
(⋯⋯顔を模倣し、敵の戦意を削ぐ目的、あるいは、想像したくないが⋯⋯。あの新聞はデタラメのように思えたが、それほど的外れなわけでもなかったわけだ)
マサカズの予想が当たっているなら、それは本当に胸糞悪い事になる。
「マサカズさん、出発の準備ができました」
「あ、ああ。今行く」
冒険者組合に向かい、そこでイヨツ村の物資輸送馬車の護衛を受ける。できるならば輸送馬車に村人全員を乗せて、王都に避難させたいが、それをさせる理由がない。死に戻りの事を話したって、信じてもらえるかわからない。狂人だと言われるのがオチだろう。村を救った人だという信用はあれど、言うことすべて信じる程ではないのだ。
「おお、マサカズさんではありませんか」
村に着くと、村の青年がマサカズ達を見て挨拶する。三人はそれに返すと、クエストをさっさと終わらせる。普通なら馬車に乗って帰るのだが、本当の目的はこれではない。『村に個人的な用事がある』とだけ言って、村に留まることにした。
「お久しぶりです、村長さん」
「こちらこそ。あのときはありがとう」
三人は村長宅に行き、挨拶を済ませると、あることを聞く。
「⋯⋯村長さん、最近何か変わった事とかありませんか?」
その言葉を聞いた村長は、真剣な顔をして、答える。
「⋯⋯最近、村の近くの森に魔獣が現れてな⋯⋯村には被害はないんじゃが、これでは森に入って薬草などがとれん」
「⋯⋯わかりました。⋯⋯失礼しました」
「お、おい、どこへ行く?」
村長の声が届くより先に、三人は村長宅を出て、近くの森に走り出す。その途中だった。マサカズは村の内部で遊んでいた子供を目にする。そして、確信する。──やはり、あの子供だ。
「クソッ⋯⋯。二人とも、早く行くぞ」
森に入った所で、何も変わらないかもしれない。けれども、
(今日やらなくちゃ、本当に手がつけられなくなる!)
◆◆◆
森の大木が、ドロドロとした半固体状の黒いものになる。それはあるものを形成するが、その速度は非常に小さい。このペースでは、完全な形になるまでは一日はかかるだろうと予想できる、
「⋯⋯やっぱり、強い魔獣ほど、時間がかかる」
金髪少女──ティファレトだけでも、あの村を滅ぼすことはできる。だが、彼女の目標は村の壊滅ではなく、村人全員の抹殺。彼女一人だけではそれが難しく、確実にできるとは限らないのだ。
たしかに弱い魔獣ならば、数時間で頭数は揃えられるし、弱いといっても一般人では太刀打ちはできない。だが、どういうわけかあそこの村人達は全員、一般人とは思えないくらいに戦闘能力があり、弱い魔獣では力不足なのだ。
「⋯⋯頭痛い。まだまだ未熟ね。⋯⋯いつか、この力を使いこなしてみせましょう」
ティファレトは自らの支配者で、そして彼女が憧れた存在にそう言った。
「さて、と⋯⋯今日はもう、このあたりでやめておこうかな」
その場から離れるべく、転移魔法を使おうとした時だった。矢がティファレトの頭部に向かって飛んできたのだ。しかし、それを彼女はいとも簡単に、頭を少し動かすだけで避ける。
無音でティファレトの背後に周り、そのダガーを振りかざす。だが殺意を出していたことで彼女に察知され、それには鞭が振るわれる。だが、それに当たるはずの鞭は空を斬る。
「騙されたな! 死ねっ!」
「幻像⋯⋯ね。でも、声を出さなかったら、わたしに掠り傷くらい付けられたのに」
片手でナオトのダガーを掴む。⋯⋯掴まれたというのに、ナオトは嗤っている。
「何が──!?」
「〈一閃〉ッ!!」
音を置き去りにして、マサカズは剣でティファレトの背中を斬る。そのまま彼女は倒れ、血で草木を汚す。
「⋯⋯ふう」
黒の教団幹部最強のケテルと違い、流石にこれには反応できなかったようだ。三人がかり、しかも不意打ちでやっと倒せるほどに実力差は開いているとはいえ、全く勝算がないわけではないのだ。
「何とか殺せたな⋯⋯というか、結構ボク危なかったよな?」
「でもあそこで嗤うぐらいには余裕でしたよね」
「まあな」
「とりあえずここに居る魔獣の成りかけを始末するぞ」
三人は魔獣のなりかけを始末し、森から出ようとする。
そこで、マサカズは気づいてしまった。
「⋯⋯え? なんで⋯⋯死体がないんだ?」
いつの間にか、ティファレトの死体は消えていた。⋯⋯そう、彼女は死んでいなかったのだ。
「クソッ⋯⋯。でもまあ、ひとまずは安心か。あの傷だ。万全な状態になるには、時間がかかるはずだ」
どこかへ行っただろうティファレトが、今度ここに来るときはエストも回復している時期だ。教団幹部最強を圧倒できるエストなら、ティファレトに勝つことはほぼ確定だ。
「⋯⋯ああ、そうだ。万全な状態になるには、時間がかかるよ。⋯⋯でも、お前ら全員を醜い肉片にしてやるのには、今のわたしにだってできるんだよ」
「なっ!?」
そこには、明らかな致命傷を負ったティファレトが居た。背中から流す血の量が致死量であることなんて誰にでもわかるのに、何故か彼女は立っていた。普通の人間なら、おそらく立っているのさえやっとの状態だろう。
「殺してやる。よくもやってくれたな!」
正真正銘の戦闘用の鞭を取り出し、その小柄からは想像もできない剛力でそれを、周りの木々ごと、マサカズ達を砕くために振り回す。
間一髪の所でそれを避けるも、一度避けただけで体力が一気に無くなった。これではあと二、三度避けるのがやっとだ。
「こうなれば⋯⋯」
逃げるしかない。それを理解したナオトとユナも、逃げる準備をする。だが、
「逃がすわけないでしょ?」
一瞬で追いつかれる。ティファレトは人間であるが、普通の人間ではない。加護──それもかなり強力なものを持っているため、身体能力からマサカズら『転移者』を上回っているのだ。
真っ先に狙われたのはティファレトに攻撃を与えたマサカズ。それを知ってか、または反射的にか、ともかく、彼はティファレトの一撃をまたもや避けることに成功した。逃げることは無理だと悟ったマサカズは、剣を再び構える。
「俺は、諦めることが嫌いなんだ。どれだけでも、抗ってやる」
ティファレトはマサカズの目を見た。その目には、たしかに希望が映っていた。
──なぜ、この状況で希望を見いだせる?
「⋯⋯気持ち悪い。そんな目を、わたしに見せるな」
まるで、自分を殺せると、この状況を打開できる術があると、そう言いたいような目だ。
「そうか。なら、二度と見れないようにしてやる。⋯⋯ナオト、ユナ! 逃げろ!」
マサカズは知っていた、自身の死が世界の逆行のトリガーであると。だから、ここでの正しい判断は三人全員で戦うか、三人でバラバラになって逃げるか。
(⋯⋯俺は本当に馬鹿だな)
マサカズが死んでしまえば、二人を逃がした意味なんてなくなる。それを一番理解しているのは彼である。
合理的ではなく、感情的。結果的には死亡回数を増やしているだけで、自分の命を捨てているも同義。
(でも⋯⋯見たくないんだ)
二人を逃した理由は、単純で、それも二人の為ではない。自分の為⋯⋯自分の精神衛生上の都合だ。
親しい人が死ぬというのは、大変心に来るものがある。それが、同郷である数少ない人となると、精神が病んでしまってもおかしくない。
(俺は馬鹿で、強欲で、そして⋯⋯クズだ)
所詮は自分のことしか考えられない。模範人間の対義語が『黒井正和』だと言われても、文句の一つ言えやしない。だけどそれでも、確実に言えるのは、黒井正和は池澤直人と神崎由奈を救いたいということ。理由はなんであれ、結果としては二人を救うことに繋がる。
「〈瞬歩〉!」
後ろに回るでも、ましてや逃げるわけでもない。ティファレトの正面に移動し、反射的な攻撃を誘発させることが目的だ。予想通りティファレトは単純な攻撃をマサカズに仕掛ける。以前のケテル戦の頃とは違う。あの頃よりもマサカズは強くなったし、対して敵は黒の教団幹部最強のケテルよりも多少弱い。
何とか攻撃を見切ることができた。反射神経にモノを言わせた強引な業ではあったが、ようやく上位の存在の動きが見えるくらいにはなったということ。
だが今のマサカズには、その自身の成長を感じる暇などない。
ティファレトの右肩──鞭を持っている方の腕を斬り落とす。痛みにティファレトは転移魔法でマサカズとの距離を取るも、
「まだ俺の攻撃は終わっていないぜ?」
〈一閃〉により、すぐにまた距離を詰める。先程の負傷と右腕を失ったことによる出血で、ティファレトの視界が眩み、マサカズの追撃を受けてしまう。
「⋯⋯」
ティファレトの体が地面に倒れる。
「やった、のか⋯⋯?」
マサカズは既に満身創痍。これでまだティファレトが生きているとなると、それはもうどうしょうもない。今度こそ、こんな奇跡は起こせないだろう。
「⋯⋯まだ⋯⋯魔獣がいるってのに。⋯⋯ははは、体が、動かねぇ⋯⋯」
マサカズの体から力が抜ける。極度の緊張の元、短時間ではあるが本来以上──所謂『火事場の馬鹿力』で動いていたのだ。その反動はかなり大きい。
すぐさまマサカズには凄まじい眠気が襲いかかり、その瞼が閉じることに抵抗することは一切できなかった。
(⋯⋯こりゃ、しばらくは休まなきゃな)
全身の痛みはかつてないほど。死んでいてもおかしくない。エストと同じく、レネの屋敷にお世話になることになりそうだ。
そこで、マサカズの意識は暗闇に堕ちる。
◆◆◆
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「⋯⋯あなたは⋯⋯いや、あなた様は一体?」
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「⋯⋯私の名前は言えませんね。強いて言うなら⋯⋯『黒』とでも名乗っておきましょうか。でも、どうして名前を? あなたの知り合い、友人、家族を、私は殺したのですよ?」
「名前を聞いたのは、あなたが素晴らしい人で、とても魅力的だからです。⋯⋯わたしは、あなた様のためならば、何だってやります。いや、やらせてください」
だが、少女はその憎悪や殺意とは全く逆の感情を覚えた。狂信と憧憬だ。
「⋯⋯ふむ。いいでしょう。あなたは⋯⋯人間としてはとても素晴しい能力を持っていますね。あなたであれば、私のこの魔法に耐えられるでしょう」
「魔法⋯⋯?」
「ええ。私の⋯⋯遊びに付き合ってください」
(──そうだ。わたしはあのとき、あの御方に忠誠を誓った。あの御方にわたしの全てを捧げたんだ)
少女は、あの御方に「死ね」と言われたら、すぐに自身の首を落とすことをなんの躊躇いもなく実行できる。
(だからわたしは⋯⋯)
「死ね」と言われるその時まで、死ぬことは許されない。何としてでも生き残り、あの御方の『遊び』の役に立たなくてはならない。
(ここでは死ねない。あの御方の命令に背くことは絶対にあってはならない!)
──少女の体が、虫の息にも等しかったはずの体が、蠢く。
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